本橋成一(1940年生れ)監督の映画 『ナージャの村』は、チェルノブイリ原発事故によって汚染されたベラルーシのドゥヂチ村の「日常」を描いたドキュメンタリーだ。
この村は政府の定めた立ち退き区域にあたるのだが、少女ナージャの家族を含む6家族が残り昔ながらの暮らしを続けている。畑を耕し、豚や鶏を飼い、リンゴを採り、薪を割って。牧歌的にも見える美しい情景だが、観ている者はつねに目に見えぬ放射能を意識させられる。井戸水は大丈夫なのか? 森で採ったキノコの汚染は? ナージャの健康は?
福島第一原発の周囲にも「ナージャの村」が現われるのではないかという絶望感に襲われる。
それにしても、ベラルーシの自然と人々の暮らしぶりを淡々と撮ったこの作品は、声高にメッセージを掲げているわけでもないのに、なんと雄弁に語りかけてくることだろう。豊かな大地に慎ましく生きてきたこの愛すべき人々を、こんな理不尽な状況に追いやったものはいったい何なのか、と。
ナージャの家の近所に住む初老のニコライが Сергей Есенин セルゲイ・エセーニン(1895-1925)の詩を口にするのが印象的だ。
Если крикнет рать святая:
"Кинь ты Русь, живи в раю!"
Я скажу: "Не надо рая,
Дайте родину мою".
たとえ神聖な軍勢が
「ルーシを捨て天国に生きよ!」と叫べども
私は言うだろう。「天国は要らぬ。
故郷を与えたまえ」と。