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ロシアの「物くさ太郎」?

19世紀ロシアの作家 Иван Гончаров イワン・ゴンチャロフ (1812-1891)が 『Обломов オブローモフ』 (上・中・下)米川正夫訳(岩波文庫)という小説を書いている。
主人公のオブローモフはものすごく怠惰な「ぐうたら」である。これを、日本の御伽草子『物くさ太郎』と比べてみると、けっこう似ているので面白い。
物くさ太郎は、最初まったく働かずに寝てばかりいて、垢やシラミだらけの汚い体をしている。オブローモフも寝てばかりで、部屋は埃まみれ、蜘蛛の巣が張っている。物くさ太郎は餅を落としても面倒なので拾わず、だれかに拾ってもらおうとする。オブローモフもハンカチを自分で取らず下僕に取らせる。それどころか幼い頃から靴下すら自分で履いたことがない。貴族だからである。じつは物くさ太郎もやんごとなき貴族であることが、物語の最後のほうで明らかになる。
また物くさ太郎は美しい女房を嫁にしようとし、オブローモフもいっときはオリガという女性との結婚を真剣に考える。その過程で物くさ太郎は詩の才能を発揮し、オブローモフもなかなか文才があってオリガに立派な手紙を書くのである(恋は人を詩人にする!)。

でも、共通しているのはこのあたりまでで、その後の物語の展開はかけ離れている。物くさ太郎は女房と一緒になるために猪突猛進(もうまったく「物くさ」とは呼べない)、ついには思いが叶って結ばれる上、帝の覚えもめでたい。物くさ太郎は、室町時代の庶民の出世願望が生みだした「夢の体現者」「シンデレラ・ボーイ」といえるかもしれない。
それに対して『オブローモフ』では、主人公の圧倒的な無気力を前にして恋愛は為す術もなく崩れてしまう。このようなオブローモフの性格を、ゴンチャロフ自身わざわざ作中で「обломовщина オブローモフ気質」と名づけている。19世紀ロシア文学に特徴的な「余計者」の典型である。

ちなみに、Никита Михалков ニキータ・ミハルコフ監督(1954年生れ)がこの小説(の一部)をもとに『Несколько дней из жизни И.И.Обломова (オブローモフの生涯より)』というチャーミングな映画を撮っている。

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2011年5月 8日 12:22に投稿されたエントリーのページです。

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