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2011年5月 アーカイブ

2011年5月 1日

『まとまるはずのない作家たちがまとまった本』

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『Книга, ради которой объединились писатели, объединить которых невозможно(まとまるはずのない作家たちがまとまった本)』(モスクワ、2009) は、ロシアの現役作家21人が短編をひとつずつ出しあったアンソロジー。
Людмила Улицкая リュドミラ・ウリツカヤ (1943年生れ)が序文を書いている。モスクワ第一ホスピスを運営している「ヴェーラ基金」のことを知ったウリツカヤは、「わが国の複雑な情勢のもとでもこうした絶望的な事業を手がけることができ、それによって混乱の中に意味と美と尊厳を形づくることができるのではないかと思った」という。治療の見込みもなくどの病院からも見放された人々に人間らしく生を締めくくってもらえるようにしようという気高い取り組みに「まとまるはずのない作家たち」が共鳴し、その結果できたのがこの短編アンソロジーなのである。収益はすべてヴェーラ基金に寄付されるという。

集まったのは第一線で活躍している作家ばかり。抜群の人気を誇るヴィクトル・ペレーヴィンとボリス・アクーニン、短編の名手タチヤーナ・トルスタヤ、語りの巧妙なエヴゲーニイ・グリシコヴェツと、いずれも私の大好きな作家たちである。イスラエル在住のジーナ・ルービナやカリスマ作家ウラジーミル・ソローキンも参加している。
ファンタジー作家マクス・フライの「クラコフの悪魔」が面白かった。

2011年5月 2日

古川哲 『繁茂する革命―1920-1930年代プラトーノフ作品における世界観―』

昨年12月、院生だった古川哲くんが、ロシア文学の分野ではたぶん初めてだと思うが、東京外国語大学で博士号(学術)を取得した。
博士論文 『繁茂する革命―1920-1930年代プラトーノフ作品における世界観―』 は、プラトーノフの主要作品5編を取りあげ、「飛翔する花粉」という美しいイメージを手がかりに自然と人間の関係を探ったオリジナリティあふれる力作だ。


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これは、古川くんではなく(!)、Андрей Платонов アンドレイ・プラトーノフ(1899ー1951)。

博士論文の要旨はここで読める。
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http://www.tufs.ac.jp/common/is/kyoumu/pg/pdf/Furukawa%20Akira.pdf

プラトーノフ作品は次の2冊が日本語になっている。
 『土台穴』 亀山郁夫訳(国書刊行会、1997)
 『プラトーノフ作品集』 原卓也訳(岩波文庫、1992)
前者はやや晦渋。
お薦めは、後者に収められている短編「ジャン」。中央アジアの砂漠を舞台に、絶滅しかけている少数民族ジャンを救い幸福にすべしという指令を受けた主人公が奔走し苦悩する献身と絶望の物語だ。
なお、古川くんはこの4月から東京外国語大学の非常勤講師として「ロシア語表現演習」を担当している。

2011年5月 4日

【お知らせ】ネルセシアン・ピアノリサイタル


国際的に著名なピアニスト、パーヴェル・ネルセシアンПавел Нерсесьян(モスクワ音楽院教授、2010年仙台国際音楽コンクール審査員)が、東日本大震災の被災者を支援するため、チャリティーピアノリサイタルをおこなう。売上金と出演料の一部は被災地へ送られる予定。

日時:2011年5月14日(土)午後7時より
会場:東京文化会館 小ホール (JR上野駅公園口前)
演目: ショパン ノクターン
    チャイコフスキー 「四季」全曲
    ベートーベン ピアノソナタ第32番
    スクリャービン ピアノソナタ第10番 他

2011年5月 5日

ジョレス・メドヴェジェフ 『チェルノブイリの遺産』

Жорес Медведев ジョレス・メドヴェジェフ(1925年生れ)の 『チェルノブイリの遺産』 吉本晋一郎訳(みすず書房、1992)を携えて福島に行ってきた。
メドヴェジェフはロシア出身の生物学者だが、1973年に反体制活動を理由にソ連を追放されてからイギリスで研究を続け、1990年チェルノブイリ原発事故を総括的に検証する本を上梓した。その翻訳がこれである。



いわきの「勿来の関」に泊まり、文学歴史館で素晴らしくセンスのよい展示に感銘を受けた後、海岸線を北上して小名浜や四倉をまわった。いまだに道路脇でひっくり返っている乗用車。家財道具が根こそぎ流されて空ろな表情をしている家々。ここに住んでいた人たちは今どうしているのかと思うと悲しみがこみあげ胸を衝かれた。
さらに北上すると、交通量はめっきり減り、「災害派遣」と書かれた何台もの装甲車に白い防護姿の人たちが乗っていて、ものものしい。

福島原発から30キロ圏というすぐ手前まで行って思いだしたのは、メドヴェジェフの本に、チェルノブイリ事故直後「何千人もの妊産婦が堕胎を希望していた」と記されていたことだ。そこで1986年5月キエフやその周辺の町から15歳以下の子供、母親、乳幼児、妊産婦を避難させる措置が取られたという。
もちろん単純な比較は控えるべきだが、現時点で私たちにとって何より大事なのはやはり、乳幼児や妊産婦を放射能汚染から守ることだろう(チェルノブイリの子供たちが甲状腺ガンでどれほど苦しんできたかを思いださなければいけない)。
事故現場に近い地域の学校における放射能汚染度の暫定基準を「年間被曝量20ミリシーベルト」に引きあげるなどというのはそれに逆行する愚行であると思われる。

ちなみに 『チェルノブイリの遺産』 の表紙カバーは、7歳の子供たちがガスマスクをつけている写真。

2011年5月 8日

ロシアの「物くさ太郎」?

19世紀ロシアの作家 Иван Гончаров イワン・ゴンチャロフ (1812-1891)が 『Обломов オブローモフ』 (上・中・下)米川正夫訳(岩波文庫)という小説を書いている。
主人公のオブローモフはものすごく怠惰な「ぐうたら」である。これを、日本の御伽草子『物くさ太郎』と比べてみると、けっこう似ているので面白い。
物くさ太郎は、最初まったく働かずに寝てばかりいて、垢やシラミだらけの汚い体をしている。オブローモフも寝てばかりで、部屋は埃まみれ、蜘蛛の巣が張っている。物くさ太郎は餅を落としても面倒なので拾わず、だれかに拾ってもらおうとする。オブローモフもハンカチを自分で取らず下僕に取らせる。それどころか幼い頃から靴下すら自分で履いたことがない。貴族だからである。じつは物くさ太郎もやんごとなき貴族であることが、物語の最後のほうで明らかになる。
また物くさ太郎は美しい女房を嫁にしようとし、オブローモフもいっときはオリガという女性との結婚を真剣に考える。その過程で物くさ太郎は詩の才能を発揮し、オブローモフもなかなか文才があってオリガに立派な手紙を書くのである(恋は人を詩人にする!)。

でも、共通しているのはこのあたりまでで、その後の物語の展開はかけ離れている。物くさ太郎は女房と一緒になるために猪突猛進(もうまったく「物くさ」とは呼べない)、ついには思いが叶って結ばれる上、帝の覚えもめでたい。物くさ太郎は、室町時代の庶民の出世願望が生みだした「夢の体現者」「シンデレラ・ボーイ」といえるかもしれない。
それに対して『オブローモフ』では、主人公の圧倒的な無気力を前にして恋愛は為す術もなく崩れてしまう。このようなオブローモフの性格を、ゴンチャロフ自身わざわざ作中で「обломовщина オブローモフ気質」と名づけている。19世紀ロシア文学に特徴的な「余計者」の典型である。

ちなみに、Никита Михалков ニキータ・ミハルコフ監督(1954年生れ)がこの小説(の一部)をもとに『Несколько дней из жизни И.И.Обломова (オブローモフの生涯より)』というチャーミングな映画を撮っている。

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2011年5月 9日

アレクサンドル・ペトロフ『春のめざめ』

Александр Петров アレクサンドル・ペトロフ(1957年生れ)は、ガラス・ペインティングによるアニメーションの巨匠である。
ペトロフ監督の作品は、うっとりするほど美しい場面とときに激しい幻想的な場面の交替が印象的で、ほとんどが文学作品にもとづいている。『雌牛』はアンドレイ・プラトーノフの同名の短編、『おかしな男の夢』はフョードル・ドストエフスキーの小説、『老人と海』はご存知アーネスト・ヘミングウェイの小説といった具合だ(2000年に『老人と海』でオスカー賞受賞)。
『ルサールカ(邦題は「水の精――マーメイド」)は、ロシアの現役作家マリーナ・ヴィシネヴェツカヤがシナリオを手がけている。


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2007 年に日本で公開された『Моя любовь(邦題は「春のめざめ」)』は、Иван Шмелев イワン・シメリョフの『История любовная(愛の物語)』を原作にして作られたアニメーションだが、シメリョフの小説では Иван Тургенев イワン・トゥルゲーネフの『Первая любовь(初恋)』に言及されているので、ペトロフ監督は両方の小説に依拠しているといえる。つまり、トゥルゲーネフ→シメリョフ→ペトロフという入れ子のような仕組みになっているのだ。


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19世紀末のロシアを舞台とし、レヴィタンやクストージエフといったロシアの画家たちの作品を想起させる場面も多いが、思春期の少年が「愛」に憧れと畏れを抱き、聖と穢れのはざまで揺れる姿は、時と場所にかかわりのない永遠のテーマであろう。一度見たら忘れられない名作である。


2011年5月13日

本橋成一 『ナージャの村』

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本橋成一(1940年生れ)監督の映画 『ナージャの村』は、チェルノブイリ原発事故によって汚染されたベラルーシのドゥヂチ村の「日常」を描いたドキュメンタリーだ。
この村は政府の定めた立ち退き区域にあたるのだが、少女ナージャの家族を含む6家族が残り昔ながらの暮らしを続けている。畑を耕し、豚や鶏を飼い、リンゴを採り、薪を割って。牧歌的にも見える美しい情景だが、観ている者はつねに目に見えぬ放射能を意識させられる。井戸水は大丈夫なのか? 森で採ったキノコの汚染は? ナージャの健康は?
福島第一原発の周囲にも「ナージャの村」が現われるのではないかという絶望感に襲われる。

それにしても、ベラルーシの自然と人々の暮らしぶりを淡々と撮ったこの作品は、声高にメッセージを掲げているわけでもないのに、なんと雄弁に語りかけてくることだろう。豊かな大地に慎ましく生きてきたこの愛すべき人々を、こんな理不尽な状況に追いやったものはいったい何なのか、と。
ナージャの家の近所に住む初老のニコライが Сергей Есенин セルゲイ・エセーニン(1895-1925)の詩を口にするのが印象的だ。

  Если крикнет рать святая:
  "Кинь ты Русь, живи в раю!"
  Я скажу: "Не надо рая,
  Дайте родину мою".

  たとえ神聖な軍勢が
  「ルーシを捨て天国に生きよ!」と叫べども
  私は言うだろう。「天国は要らぬ。
  故郷を与えたまえ」と。    

2011年5月15日

イリヤ/エミリア・カバコフ 『プロジェクト宮殿』

現実から逃避したくなるときがある。何か突拍子もないことを考えたくなることがある。
そんなときにうってつけの本がこれ。

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イリヤ/エミリア・カバコフ 『プロジェクト宮殿』 鴻野わか菜・古賀義顕訳(国書刊行会、2009)。
Илья Кабаков イリヤ・カバコフ (1933年生れ)は国際的に名の知られたコンセプチュアル・アーティストだ。ウクライナ出身で、ソ連時代は非公式芸術家として活動した。
『プロジェクト宮殿』は、「世界を変革するというアイディアを持つプロジェクトを集めた宮殿をつくる」というプロジェクトが記されている奇想天外なアーティストブック。しかも、それらのプロジェクトは旧ソ連の市井の人たちが考えついたものという「体裁」をとっている。いってみれば、メタ・プロジェクトである。

ここには、「自分を変える方法」プロジェクト(天使の翼を作って装着する)、「他人を信じてみる」プロジェクト(アパートの窓から、買い物を頼むメモとお金を入れたバスケットを垂らす)、「木々や石や動物たちとの共通言語」プロジェクト(レインコート型アンテナを着て自然が発するシグナルを認識する)、「どこでもマシン」プロジェクト(天井も壁もどこでも走れる乗り物)、「前向きや姿勢と楽天主義を照らす」プロジェクト(生命力あふれる絵を貼り付けたブースを公共の場に置く)、「プロジェクト育成箱」プロジェクト(アイディアが閃いたら、それを書き留めその紙片を土に埋めておく)等々といった破天荒な思いつきが詰まっていて、何しろ面白い! カバコフ夫妻は人間の想像力の限界に挑戦したかったのだろう。驚異のアイディア・ブックなのである。
これらのプロジェクトを模型にして、カタツムリのような形の「宮殿」に並べたインスタレーションが、ドイツのエッセンに常設されているという。一度訪れてみたいものだ。
鴻野・古賀夫妻が、カバコフ夫妻のこのユニークな作品をセンスのよいこなれた日本語に訳し、素晴らしい解題を付している。

2011年5月16日

【お知らせ】HPで読める卒業論文

2010年度の沼野ゼミ卒業論文は粒ぞろいだったが、東京外国語大学のHPに次の2本が掲載されることになった。

田中大輔 『ダニイル・ハルムスの生涯と美学――前衛が目指したリアルな芸術――』
これは、ペテルブルグ出身の「不条理文学の旗手」ともいうべき作家ダニイル・ハルムス(1904-1942)の数奇な生涯を紹介し、作家としての全体像を①前衛グループ「オベリウ」での活動、②児童文学作家としての活動、③不条理掌編群の作者としての活動と3つに分けて考察した卒論。
ハルムスの創作の根底にある「物語制度の否定」が秩序や論理の崩壊を目指すものとなったこと、「喪失と再獲得」こそが世界を認識するハルムスの手法だったことなどが魅力的な言葉で語られている。
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http://www.tufs.ac.jp/insidetufs/kyoumu/doc/yusyu22_tanaka.pdf


河崎裕介 『黒澤明とドストエフスキー』
これは、黒澤明監督(1910-1998)の映画作品にロシアの作家フョードル・ドストエフスキーの影響がどのような形で現われているかということを詳細に論じた卒論。
ドストエフスキーの『白痴』を原作に「実写化」した『白痴』のみならず、黒澤の他の作品、たとえば『酔いどれ天使』や『生きる』や『赤ひげ』などにも広範囲にわたってドストエフスキー作品の引用、暗示、示唆、借用が見られることを明らかにするとともに、ドストエフスキー受容の考察を通じて黒澤明自身の「作家性」を浮き彫りにしている。
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http://www.tufs.ac.jp/insidetufs/kyoumu/doc/yusyu22_kawasaki.pdf


なお、前田和泉ゼミ所属の大石千恵子 『セルゲイ・パラジャーノフ――その生涯と映画世界――』は、アルメニアの映画監督セルゲイ・パラジャーノフ(1924-1990)の作品におけるシンボルを丁寧に読み解いたもので、完成度とレベルの非常に高い卒論だ。
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http://www.tufs.ac.jp/insidetufs/kyoumu/doc/yusyu22_ooishi.pdf


2011年5月18日

【お知らせ】フィテンコ震災チャリティ・ピアノリサイタル

来る6月17日(金)19:00 銀座7丁目のヤマハホールにおいて、ニキータ・フィテンコの震災チャリティ・ピアノリサイタルが催される。



フィテンコはサンクトペテルブルグ音楽院卒業後、アメリカを中心に活躍しているピアニスト。現在アメリカ・カトリック大学ピアノ科准教授。モスクワで開かれるラフマニノフ国際ピアノコンクールなど数多くのコンクールで審査員を務める。
なお、収益金は被災者の方たちを支援するため日本赤十字に送られる。
詳しくは、Eメール:fitenko.in.tokyo@gmail.com または電話: 042-677-1948

2011年5月21日

ワシーリエフ 『ロシアン・ファッション』

Александр Васильев アレクサンドル・ワシーリエフ (1958年生れ)は、ロシアの服飾史研究家で衣装コレクター。 2009年の春、多摩美術大学の美術館で彼のコレクションによる「革命とファッション-亡命ロシア、美の血脈」 展が開かれたとき、パリでファッション・メゾンを開いた亡命ロシア人たちがいかに優雅なドレスを制作していたかを知った。これについては、彼の著書『Красота в изгнании(亡命の美)』(モスクワ、2008) 参照。

ワシーリエフのもう1冊の労作 『Русская мода - 150 лет в фотографиях(ロシアン・ファッション――写真で見る150年)』(モスクワ、2004)は、19世紀半ばから20世末にいたる150年間のロシアン・ファッションを無数の写真で追った大型写真集である。
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帝政時代の着飾った貴族、ソ連時代のお洒落な女優やモデル、現代ロシアの自由なデザイナー。
ここには、身体と「皮膚の拡張」である衣服とのさまざまな関係が提示されている。

2011年5月24日

ロックオペラ 『ユノーナとアヴォーシ』

ソ連時代ほとんど唯一だったロックオペラが 『Юнона и Авось(ユノーナとアヴォーシ)』。
1960年代の花形詩人 Андрей Вознесенский アンドレイ・ヴォズネセンスキー(1933ー2010)の作品をもとに、1981年マルク・ザハーロフの演出で上演されて以来ロシアの人たちにずっと愛されてきた。


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物語は史実にもとづいている。ロシアとアメリカの交易事業を進めていた Николай Резанов ニコライ・レザーノフ(1764-1807)が1806年スペイン領サンフランシスコに行き、総督の娘コンチータと愛しあう。でも結婚するためには、宗教上の違いからロシア皇帝とローマ法王に許可を得なければならず、レザーノフはまた航海に出るのだが、途中で悲運の死を遂げる。本当にあった国際的な悲恋の物語なのである!
「ユノーナ」と「アヴォーシ」は帆船の名前。

ふたりは別れるとき、不吉な予感を感じるのか、繰り返しこう歌う。
Я тебя никогда не увижу...  あなたとはもう二度と会えない……
Я тебя никогда не забуду...  あなたのことはけっして忘れない……

ちなみに、レザーノフとは、ロシアと日本の正式な国交樹立をめざしてアレクサンドル1世に派遣され日本にやってきた、あの全権大使である。

2011年5月26日

リュドミラ・ウリツカヤ 『嘘をつく女たち』 翻訳中

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Людмила Улицкая リュドミラ・ウリツカヤ(1943年生れ)の『Сквозная линия』 ただいま翻訳中。原題は「貫く線」というくらいの意味だが、たぶん日本語のタイトルは「嘘をつく女たち」になると思う。
6つの短編からなっているが、いずれもジェーニャというひとりの主人公を中心に話が進んでいくので、1本の線(ジェーニャ)に貫かれた「連作アンソロジー」と考えていいだろう。彼女は、お人好しで思いやりがあり、ロシア20世紀初頭「銀の時代」の詩人を博士論文のテーマにした知的な女性だ。
 
ところが、まわりに現われる女たちがじつに巧みに嘘をつくので、ジェーニャはいつも騙されてしまう。読んでいると「いるいる。こういう人!」と納得させられてしまい、なぜか嘘をつく人に対してあまり嫌な感じを抱かない。
嘘をつくというのは虚構の世界を作りあげるということである。これはまさに小説を書くことにもつながる。女たちが自分自身の人生を題材にして織りあげる虚構の世界、それは、あり得たかもしれないもうひとりの自分(悲劇の主人公、素敵な恋物語のヒロイン、才能ある詩人など)についての物語なのだろう。

2011年5月27日

エカテリーナ・ジョーゴチ 『20世紀ロシア芸術』

沼野ゼミ(4年生)の授業で読んでいるのが、Екатерина Деготь エカテリーナ・ジョーゴチ 『Русское искусство XX века(20世紀ロシア芸術)』 (М.:Тридистник. 2002) の中の「社会主義リアリズム」の章だ。


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夏の課題は、この本を参考にして具体的な社会主義リアリズムの作品にあたること。
たとえば、マクシム・ゴーリキーの長編小説 『母』(1906)、それを原作にしてフセヴォロド・プドフキン監督が制作した映画 『母』(1926)、同じタイトルのアレクサンドル・デイネカの絵画 『母』(1932)を比べてみるのも面白いかもしれない。


mother%2C%20Deineka%20aleksandr%201932.jpg デイネカ 『母』

2011年5月28日

オストロウーモワ=レーベジェワ 『自伝的回想』

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これは、ペテルブルグの画家Анна Остроумова-Лебедева アンナ・オストロウーモワ=レーベジェワ(1871-1955)が1910年に制作した木版画 「クリューコフ運河」。
彼女は『自伝的回想』で、20世紀初頭ペテルブルグの画家たちが日本の浮世絵に夢中になっていたことに触れ、彼女自身も強い関心を持っていたことを次のように書き残している。

「1900年から1903年にかけて、ペテルブルグに日本人たちが現われ、昔の日本の巨匠たちの浮世絵を売りだした。それから、マンガ(訳注:「北斎漫画」のこと)、木や象牙で作る小さな彫像ネツケも売るようになった。もちろん、これらの中で私がいちばん注目したのは浮世絵だ。浮世絵に見られる日本芸術の特徴が魅力的だと思った。現実的なものと幻想的なもの、約束事と実際のものが結びつけられ、動きの瞬間がとてつもなく軽やかに伝えられているからである」
А.П.Остроумова-Лебедева. Автобиографические записки. Ⅰ-Ⅱ тт. М.: ЗАО Центрполиграф. 2003. С.262.

つまり、この時代のロシアに「ジャポニスム」とも呼ぶべき現象が見られたということだ。ほぼ100年後の現在ふたたびロシアでは日本文化が愛されている。マンガ(マンガ違い!)、アニメ、村上春樹、日本料理。ちょっとこそばゆい感じがするけれど。

2011年5月29日

【お知らせ】日本ロシア文学会関東支部研究発表会

来る6月4日(土)11:00より日本ロシア文学会関東支部の春季研究発表会が千葉大学西千葉キャンパスで行われる。
プログラムはこちら
 ↓

2011年5月30日

「ロシアの女」シリーズ

『日本経済新聞』に、美術の「十選」というシリーズがある。特定のテーマのもとに10作品選び、連載で紹介していく欄だ。2010年6月から7月にかけて、この欄で「ロシアの女」シリーズを担当させていただいた。その中からいくつか紹介しよう。
描かれているのは、農婦、女優、公爵夫人、画家、商人の妻、労働者とさまざま。


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Алексей Венецианов アレクセイ・ヴェネツィアーノフ(1780-1847)『Девушка с косой и граблями (Пелагея) (鎌と熊手を持つ農婦(ペラゲーヤ))』(1824、ロシア美術館)
ヴェネツィアーノフは、ロシアにおける風俗画の創始者と言われる。農村に移り住み、田園風景や農民たちの肖像を手がけた。前景に置かれた大きな手が、ペラゲーヤの勤勉さと逞しい生命力をあらわしているかのようだ。


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Михаил Врубель ミハイル・ヴルーベリ(1856-1910)『Царевна-Лебедь(白鳥の王女)』(1900、トレチャコフ美術館)
プーシキンの叙事詩『サルタン王物語』を作曲家のリムスキー=コルサコフがオペラにしたとき、ヴルーベリが美術を担当し、画家の妻でオペラ歌手のナジェージダ・ザベラが王女を演じた。ここには、白鳥が王女に変身するその瞬間が刻みこまれている。


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Валентин Серов ワレンチン・セローフ(1865-1911)『Портрет княгини О.К. Орловой(オルロワ公爵夫人の肖像)』(1911、ロシア美術館)
肖像画家として名高いセローフの最高傑作とされている絵。オルロワ夫人はペテルブルグ社交界きっての麗人と言われていたが、たいへんな気取り屋だったらしく、セローフはあまり被写体に好意的ではなかったようだ。


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Зинаида Серебрякова ジナイーダ・セレブリャコワ(1884-1967)『За туалетом. Автопортрет(身支度、自画像)』(1909、トレチャコフ美術館)
セレブリャコワが展覧会に初めて出品して一躍注目を浴びた作品。女性が被写体でしかなかった時代が終わり、ようやく描く主体として活躍できるようになった。その喜びが率直にのびのびと表現されているように感じられる。


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Борис Кустодиев ボリス・クストージエフ(1878-1927)『Купчиха за чаем(お茶を飲む商人の妻)』(1918、ロシア美術館)
あまりにも有名な絵だが、豊饒な食卓を強調しながら、遠くに「古き良きロシア」を思わせる風景を配して、一種神話的な雰囲気を醸しだしている。商人の妻の肩のラインがサモワール(ロシア式湯沸かし器)の滑らかな輪廓と呼応しているとは言えないだろうか。


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Кузьма Петров-Водкин クジマ・ペトロフ=ヴォトキン(1878-1939)『1918 год в Петрограде (Петроградская мадонна)(1918年ペトログラードで(ペトログラードのマドンナ))』(1920、トレチャコフ美術館)
革命直後、プロレタリアートとおぼしき若い母親が赤ん坊をひしと抱きしめている。母子の姿は、聖母マリアと幼いキリストを描いたイコン(聖像画)を思わせる。この絵に「ペトログラードのマドンナ」という副題がつけられているのも頷ける。

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