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オリンピックとメディアと「テロ」と...「分裂」

 マスコミではオリンピックの話題が目立つ。冬季五輪なのに、今回は「冬季扱い」ではない。6年後の東京オリンピックを見すえて、冬季でも盛り上げようという空気があるのだろう。原発の話題はいけないが、オリンピックはどんどん行けというわけだ。

 そのオリンピックがいま大詰めを迎えているソチは、グルジア西端の係争地でもあるアブハジアに隣接し、チェチェン紛争に始まったイスラーム・テロのメッカにも近い。そのため、テレビが伝える競技会場の外では、プーチン体制の威信をかけた厳戒態勢が敷かれている。
 
 これは今に始まったことではない。1972年のミュンヘン五輪でイスラエル選手団がパレスチナ・ゲリラに襲撃されたことはもうほとんど忘れられているが、とりわけ「テロとの戦争」下での2004年のアテネ五輪以来、オリンピック会場はテロに備えてミサイルまで配備することになっている。そこまで「武装」しないと「平和の祭典」はできなくなっているのだ。
 
 だが、なぜオリンピックが「テロ」の標的となるのか? パレスチナ・ゲリラの頃は、無視された災厄に世界の注目を集めるためと言われたが、今は違う。これほどの厳戒下でも国威をかけて行うというのは、逆にオリンピックが、「何の問題もなく平和な領域がある」ことを力づくで示す示威的なイヴェントになっているということでもある。さらにひっくり返せば、「平和の祭典」が君臨するところ、必ず押し潰すべき「見えない敵」がいるということだ。2020年に予定されている日本の東京オリンピックの場合には、それは不気味な汚染の拡大を続ける「フクシマ」であり、安倍政権の下で高まりつつある国内の政治的軋轢だろう。

 メディアの報道は、厳戒態勢に守られた競技場の中にしか目を向けない。そこでは、競技に打ち込む選手たちが大写しになり、かれらの「感動的」な物語がクローズアプされる。それでも、ときに報道が、この「平和」の囲いの外に繋がらざるをえないときがある。20日のフランス2のニュースは、競技を断念して帰国の準備をするウクライナ選手の決断を伝えていた。
 
 ウクライナの首都キエフでは、先週からヤヌコヴィッチ政権に抗議する市民と治安部隊との衝突が嵩じて市街戦の様相を呈している。18日からすでに死者が75人と伝えられる(毎日21日)。ウクライナでは親EU派と親ロシア派との対立が続いてきたが、最近になって現政権がプーチンの強い支持のもと、EUとの距離をとろうとしたのだ。それに対して親EU派の抗議行動が続き、それがいまや国を二分するほどの深刻な衝突にまで嵩じている。
 
 もちろん、ヨーロッパではこの出来事は重大ニュースとして報じられている。だが日本でオリンピックを見ているかぎり、開催国ロシアの圧力のもとで隣国の首都に市街戦が生じているといったことはほとんど報道されない。ソチの会場の外の厳戒態勢と同様、日本のテレビカメラの視野の外に置かれているのだ。
 
 今回のソチのオリンピック報道をみていると、東京オリンピックのときはどうなることかと今から気がもめる。いや、それまでの準備プロセスも同様である。いまさら言うまでもないが、オリンピックは誰もが受け入れるべき世界的イヴェントとして、あらゆる政治的・社会的課題を押しのける最も強力な口実になる。
 
 「ナチスに学ぶ」(麻生)とはよく言ったもので、ナチスは1936年のベルリン・オリンピックを最大限に利用した。聖火リレーのために敷かれたギリシアからベルリンへの道路は、第二次大戦時のバルカン侵攻のための道路だった。2020年の東京はどうなるのか? ただ、言えるのは、今の安倍政権がいくら「復古」を目指しても、「強国日本」の将来設計をもっているようには見えず、東京をベルリンにすることはできないだろうということだ。もっとも、ナチス・ドイツはそれで「自殺の道」を突き進んだのだが、それに「学ぶ」とすれば2020年は1940年の二の舞になるだろう。オリンピックなどよりはるかに、日本には世界に対してなすべき大事なことがある。


★以前にも挙げたが、オリンピックと現代のスポーツの意義については稲垣・今福・西谷『近代スポーツのミッションは終わったか』(平凡社)で、オリンピック、祝祭、身体、経済、メディア、にわたって、あらゆることを論じつくした。ぜひ参照されたい。


[追伸]
 ウクライナはとうとう分裂状態になった。ヤヌコヴィッチ大統領は親欧派の強い首都を明け渡して、ロシアへの出国を測ったが果たせず、支持基盤の東部に退いたようだ。投獄されていたティモシェンコ元首相も釈放されたが、どうなるのかは予断を許さない。ロシアはウクライナという「伝統的な領土」を簡単に手放そうとはしないだろう。

 ウクライナの分裂は最近のことではない。もともと帝政ロシア内部に、西洋派とロシア派との分裂があったが、ウクライナはその分裂が地理的に緩衝される場所だった。ロシアと西洋とを、分けることで繋げている。もともとロシアはこの地(キエフ)に発祥したが、モスクワに居を移すことで広大な世界に開かれ、かつ西洋からの影響から遠ざかって、独自の重みと力をもつようになったのだ。
 
 だからウクライナは、ロシアにとって切っても切れない縁がある。ウクライナは故地であるとともに、現実的に、西洋に通じる広い回廊であり、もっとも豊かな穀倉地であり、さらに黒海に開けた要衝(クリミア半島)だった。そのためこの地(とくに東部)には多くのロシア人が入植移住している。

 そのことが、この地のロシアに対する従属的位置を決定づけているが、コサック、ポグロム、スターリン時代初期の食糧収奪、戦争の惨禍、等々が、近代にはこの地の固有性をかたち作ってきた。

 今回の分裂は、その意味で「冷戦の残滓」というより、グローバル化のなかで再浮上したウクライナの地政学的位置の問題だと言える。それを超える視野をもつためには、グローバル化が世界の西洋化の延長にあることを念頭に置かなければならない。

 世界の西洋化とは、技術・産業・経済システムの世界的展開を言う。「脱・産業=経済化」への視野だけがウクライナをその宿痾から解放することができるだろうが、さもなければこの国の分裂は避けがたいだろう。

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2014年2月22日 22:50に投稿されたエントリーのページです。

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