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2013年10月 アーカイブ

2013年10月14日

10・13 肥田舜太郎さん渾身の訴え、他

 昨日、1013原発ゼロ★統一行動、というのに参加し、日比谷公会堂の集会と、国会議事堂周辺のデモンストレーションに加わってきた。

 チョー久しぶりに入る日比谷公会堂は、こんなだったか!というような急傾斜の階段客席。もう半世紀以上も前だが、第一次安保闘争の時代に演説中の浅沼稲次郎が右翼少年山口二矢に刺されたのがこのステージといういわくつきの会場だ。ついでに思い出せば、それに触発されて『セヴンティーン』二部作を書いて第二の受難を味わった当人の大江健三郎さんが、「さよなら原発1000万人アクション」の発起人として泰然と律儀にこの日のメイン講演を引き受けていた。

 前回の集会の帰り(?)、疲れてベンチに腰掛け、ついウトウトしていたところを「オジイサン、どうしたの?」とオマワリさんに声をかけられ、「脱原発の国会前デモに行こうとしている」と言うと、「キケンな集会だからもう帰りなさい」と諭されて、地下鉄の駅まで送ってもらった、といったエピソードで会場を笑わせた。何度か聞いたことがあるが、この人、シャイで訥弁のようで(少なくとも若い頃は)、じつは講演の名手である。 

 とはいえ、この日最大の見もの聞きものは、御年92歳の広島の医師肥田舜太郎さんの、年齢を吹き飛ばすような怒りの呼びかけだった。肥田さんは広島の被曝者のアメリカによる「モルモット化」と、放射線障害の実態の組織的隠ぺいと歪曲を告発、さらには日本の統治者の協力と情報操作で原子力発電(核発電と呼ぶべきだろう)を押し付け、その帰結としての福島原発事故、そうして繰り返される放射線被害の隠蔽に、腹の底からの怒りを吐露し、自分が、そしてこの会場にいる人たちが、生きているうちに何としてでも原発をなくす行動をしなければならない、それが今生きている世代の使命だ(こんなものを次世代には残せない)、と強く呼びかけた。これに付け加えるべきことはなにもない。
 (この日の集会の様子はIWJの公開記録で見ることができます。その23分~40分あたりが肥田さんのお話です。⇒ココ必見!!。その前の福島鮫川村の和田さんの話も。)

 政府の方もいま急ピッチで作業を進めている。二度と「原子力ムラ」の利権構造や悪事が外に漏れたり、汚染水がダダ漏れだというだけでなく溶け落ちた燃料がいまどうなっているかもわからず、大気中への放射能の放出が日々続いている、といった「重要秘密」が関係者から漏れたりするのを防ぐために「機密保全法」を作り、国民が何も知らずにオリンピックに浮かれることができるようするか、そしてその間に国家の軍事体制化を進めて、いかに自分たちの都合で国を動かしやすくするかを策謀している。

 原発事故がいまも続いていて、溶け落ちた核燃料はただ水で冷やし続けるしかなく、そのため汚染水は満杯でダダ漏れ、もうその始末は付けられない。そういう事態を「金融の異次元的緩和」、つまり円のダダ漏れ印刷が引き起こす円安(輸出促進)株高(一時的投機の流入)で、総出来高の数値だけで「景気」が回復したかの演出をして目くらましをかけ、文句が出にくい状況を作っておいて、原発再稼働とか原発輸出とかを、ここを先途とばかり事故以前に輪をかけた勢いで推進する。その背後にアメリカの一部の強い意向が働いていると言われるが、ともかく3・11で被ったダメージをこれで徹底的に取り返そうという(「日本を取り戻す!」)、旧支配勢力(政・官・財・メディア界、ここから学界を除いたのは、彼らは単なるタイコモチだから)の強い思惑がある。

 これには、ネオリベ・ネオコンに乗って日本社会を壊しかけた小泉純一郎も黙っていられない。かれはそういう旧勢力に担がれて首相になったのではなく、その勢力と一体の自民党を「ぶっ壊す」と言って喝采を浴びた政治家だ。ところがその利権勢力が、迷彩色のヘルメットをかぶった安倍を担いで「核武装」で復興してきた。これは小泉の「ぶっ壊し」ヴィジョンを台無しにするものだ。それに「ダダ漏れ」を強権と統制法規で抑えるという政策は、タンクが満タンになれば破綻する。それが明らかだから、彼は「脱原発」に舵を切れと言い、破綻が明らかな原発推進を政治として「無責任」だと言うのだ。

 政府筋は小泉発言を、経済や雇用その他のことを考えない無責任な発言、と言うが、小泉はむしろ「政治がまず決断する、あとはその目標(脱原発)に向けてあらゆる政策を立てて行けばよい」と言う。実際、それが「政治」のやることである。今は「政治」は「経済」のシモベに成り下がり、市場の言うことを聞くとか、景気さえよければ政策がうまくいっていると思われる。だが、そんなことなら政治はいらない(「小さな政府」の行き着く先はそれだ)。実際、ドイツはその「政治」をやっている(その大目標を設定して、それに向けて動いているから、一部原発の継続も認められる)。

 オリンピックの「オ」の字を言ういとまがあったら、福島の状況(第一原発の作業現場や東電のことだけでなく、昨日も報告のあった放射性廃棄物処理施設をめぐる迷走とか隠蔽とか、福島県内外の被災地の状況を少しでも考えた方がよいだろう。


2013年10月17日

消える流通業、宅配便と原発労働

 家電量販店トップのヤマダ電機が赤字転落する見通しで、苦境に立っているというニュースがあった。ではどこがトップになるのか、といった話ではない。これは今のグローバル経済の問題を例解するような典型的なケースだ。
 
 不振の要因は、「テレビやレコーダーなど映像関連製品の苦戦。「4Kテレビ」に代表されるような高付加価商品の投入により、一定の販売単価の上昇効果は見られたが、エコポイント制度や地上デジタル放送移行後の反動減からの回復は、いまだ道半ばだ。」と解説されている(東洋経済オンライン)。つまり、売れ筋の新規商品がない、と。
 
 だが、根本の原因はそんなことではない。「アマゾンを筆頭とするインターネット通販サイトとの価格競争激化が、想定以上の採算悪化をもたらした」というのが主因だ。これはあらゆる小売業について言えるが、ネット販売は店舗を維持展開するコストがかからず、安売りができる。だから、店舗を構える小売は駆逐されてしまうのだ。
 
 ネットで価格を比較し、ネットで買えば居ながらにして商品が届く。量販店は実物を確かめに行くだけ、というのが消費者の行動だろう。だからしばらく前から量販店は閑古鳥が鳴いている。
 
 だが、いわゆる「価格破壊」を始めて、それまでの流通の仕組みを壊したのは量販店だ。これには最初の「規制緩和」が絡んでいる。規制緩和は日本の場合アメリカから来た。つまり貿易赤字に業を煮やしたアメリカが、日本の従来の仕組みの変更を求めてきた。
 
 それまで日本では、メーカーがそれぞれ特約の販売店をもち、それを通して商品を売ってきた(いまでも基本的に自動車はそうだ)。その場合、メーカーは価格を指定でき、値引きは小売店の負担になる。ただ、この場合、小売店によるアフターサービスで、買う側は安心できるし、ひとつの商品も持続的に売ることができる(消費者はしょっちゅう買い替える必要はない)。だから製品も耐久性が重要になる。
 
 ところがこの仕組みは、販売店網をもたない外国のメーカーにとっては不利になる。自由な競争を妨げる日本の不公正な商習慣だ、というわけだ。だから、自由競争を保証するものとして、流通業の切り離し、独立が要求される。それ以来、流通は製造業から分離され、量販店ができて、今度は量販店の間の競争が始まる。つまり「価格破壊」だ。大規模に店舗展開をやった方が、規模の利益でより安く売れる。そして他の量販店を駆逐する。そのおかげで、買う方は商品を安く買うことができる。
 
 一方、製造業の方は価格決定のイニシアチヴを失って、流通に頼る以上その要求をできるだけ呑まなければならない。流通は安売りのため、製造原価からではなく、競争によって価格を決める。その要求で、メーカーの利益幅は圧縮される。メーカーはいろいろ工夫して製造原価を下げる努力をするが、それにも限度があり、結局圧縮できるのは人件費ということになる。だから労働環境は悪くなり、賃金は極力抑えられる。
 
 賃金が圧迫されるから、買い手には資金余裕がなく、少しでも安いものを求めることになる。それが流通の競争をまた厳しく、それがまた製造業への圧力を...、という悪循環から抜けられなくなる。
 
 それが基本的にはデフレの構造だ(つまりデフレは構造的だから、カンフル注射のようにお金をばらまいても治らない)。家電量販店は、利益が薄くなるから、家電・カメラだけでなく他のさまざまな商品に手を広げる。すると他の商品もこの「価格破壊」の仕組みに取り込まれる。家電量販店はそれでも展示フロアを広げたり、店員の接客で客を取ろうとするが、その部分まで節約したドンキホーテのような店も登場し、さらに安値競争を展開する。そこに店舗のいらないネット販売の登場だ。
 
 量販店は、流通業の切り離しで、流通だけの競争市場の担い手として登場したが、最初は武器だった大規模店舗もコスト負担になり、店舗ももたず機能的な流通だけで商売するネット販売によって駆逐される。消費者と呼ばれる客がそちらに流れるのは、かれらの収入が競争によって圧迫されている以上仕方のないことだ。
 
 最初の小売店の消滅で多くの人が失職し、流通業がその一部を吸収しても、その流通業も人が働く店舗スペースを結局は省略するようになり、人手は不要になる。ということは失業が増えるということだ。その最後の吸収先は宅配便ということになる。パソコンとIT技術が販売業務から人を不要にしたが、最後の仕事は人手である。そしてその人手は製造と流通のプロセスから可能なかぎり人件費を削った付けのようにして押し出されてくるが、その仕事に十分な賃金が支払われているかどうかはわからない。
 
 この構造は、最高度の技術と言われる原発が、どんなに自動化されていても、結局は最も危ない部分を人手に委ねなければならない(被曝労働)のとパラレルである。
 
★何が言いたいのか? ベースの関心は「グローバル経済の仕組みと〈労働〉のの運命」である。2012年12月24日の「グローバル化とデフレ、"脱却"の幻想」も参照されたい。

2013年10月24日

Stop! 特定秘密保護法

 一昨日、FBで呼びかけながら行けなかったので、今日は官邸前の秘密保護法の閣議決定阻止を訴える集会に行ってきた。明日まで毎日やっているようだ。

 今回はあまり周知されていないので人数は多くない。一昨日は四百人と東京新聞が伝えていたが、今日は二百人そこそこか。だが、いつものことながら、周辺の地下鉄駅に警官がたむろしているのはもちろん、鑑定方向は鉄柵のバリケードを張り、装甲車を何台も並べて、いったい警備当局は何を恐れているのかと思わせる警護ぶりだ。いや、恐れているのではなく、政府(権力)に「反対」など唱えること自体を危険視して威圧している。

 かつてのスパイ防止法とほぼ同じと言われる秘密保護法などできる前から、この国では過剰警備、過剰監視だ。某有名女性タレントがブログでこの法律こわいと書いただけで、ただちに公安が動いて、背後関係の有無などを調べたという。日米安保とか原発とか改憲に反対する意思表示をする人たちは、すでに調べられていると思っていい。この国に思想統制は法律などなくても前から勝手に進行しているのだ。ただ、そういうことを「漏らす」と「特定秘密」の漏洩で、今度はお縄になるということだ。

 福島第一原発事故の直後、スピーディーのデータがあったのに、その情報は米軍にはすぐに渡されたが、国内では公表されず、そのために浪江町の人たちは、知らないまま放射線量の高い方に非難するはめになった。ふつうなら、政府・東電によるこの情報の隠蔽は犯罪ものである。市民が被曝するのを故意に放置することになったのだから。

 ところが、今度の法律ができると、放射能汚染状況も「特定秘密」とされ、それを外部に持ち出したりすれば、ジャーナリストでも処罰されることになりかねない。つまり、国民に有益な情報を隠すのは犯罪で、隠蔽した責任者が罰される、というのがまともな国の在り方だとすれば、この法律はそれを逆転して、正しいことをする者を、責任を取ろうとしない(隠そうとする)権力者が逆に処罰する、という転倒した法律である。

 ここで国の在り方が大きく変わることになる。つまり国民を守る国家から、国民を統制する国家へと変わるのだ。これまでも潜在的にその傾向は強くあったが、この法律はそのことを大っぴらに宣言する。

 この法律を求めてきたアメリカとの関係もあるが、これはまたにしよう。ともかく、今の日本の政府にとって(安倍政権にとっては言うまでもなく)、日米安保体制は日本国憲法よりも重要な、基本の枠組みなのだ。これで右翼というのだから、どこまで倒錯しているのかと思うが。

 今日、NHKの9時のニュースでは、プロ野球ドラフト会議を大きく取り上げていた。思い出すのは、安倍の祖父岸信介の「今日も後楽園は満員だ、声なき声が私を支持している」という言葉だ。テレビは「声なき声」を育てることに余念がない。彼らには「特定秘密保護法」は関係ない。なにも知ろうとしないからだ。知っておかしいと思い、少し声を上げると、例のタレントのようにたちまち公安がついてくる。そのとき、この法律がとんでもないものだとわかるが、できてしまってからではもう遅い。
 

2013年10月25日

沖縄からの要請

 基本的にはわたしが文章を書くブログですが、今は本土でもいろいろ懸案があり、なかなか沖縄のことは報道もされません。9月末に北部のヘリパット建設が行われている高江に行き、1日だけ監視行動に参加してきました。そのとき、しばしば車に寝泊まりしながら連日その場に立って行動を支えている作家の目取真俊さんの姿が強く印象に残りました。オスプレイ強硬配備と増強だけでなく、仲井真知事による「辺野古埋め立て承認申請」への回答の期限が迫るなかで、いろいろな動きがあるようです。沖縄平和市民連絡会からの「呼びかけ」を紹介しておきます。

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みなさまへ
沖縄平和市民連絡会
10.27辺野古テント・連帯行動(仮称)への参加呼びかけ(緊急)

 年末に予想される沖縄県知事の「辺野古埋め立て承認申請」への回答が迫る中で、右翼などの跳梁が激しくなっています。「辺野古推進の署名」「県内マスコミへの攻撃」「辺野古反対の政治家への攻撃」が街頭で頻繁に行われています。
 このような中で、来る10月27日(日)に辺野古公民館で「沖縄マスコミ正常化推進大会in辺野古」と「マスコミ正常化写真展」(主催:沖縄対策本部、後援:勁草会/チーム沖縄)を開催するとして名護市などでは横幕などの街宣がうるさくなっています。従来も「辺野古テント村などへの嫌がらせ」がありましたが、今回もおおいに予想されます。そこで私たちとしても「辺野古テント村」に結集して、「名護市民と連帯する行動」を行うことにしました。そのために下記の通り那覇から大型バスを出すことにしました。緊急な行動ですが呼びかけて合ってご参加ください。

      10.27辺野古テント・連帯行動(仮称)
      ・とき:2013年10月27日(日)、那覇出発時間:9時(時間厳守)
      ・出発のための集合場所:県民広場前バス停(県議会前)
      ・バスの表示は「沖縄平和市民連絡会」としてあります。
      ・バスは那覇インターから自動車道に入り、宜野座で抜けます。自動車道沿いのバ     
       ス停での乗降は可能です。
      ・バスは大型バスでバス賃は往復で1500円です。
      ・帰りの予定は辺野古出発を午後3:30として、往路と同じルートで帰ります。
      *なお、当日は日曜日で昼食の弁当をテント村で注文することは、不可能ですの  
       で、各自持参してください。
      *バスでの参加申し込みは必ず長嶺(090-2712-6486)か城間(080-1782- 
       6598)まで事前に連絡して下さい。定員に達し次第打ち切ります。
以上。

★ 目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」
☆ 沖縄平和市民連絡会のHP

2013年10月30日

ギュンター・アンダースと核の〈未来〉

 今日の明日になってしまいましたが、10月31日(木)夕方5時半から、東京外大(総合文化研究所会議室)で、フランスからクリストフ・ダヴィッド氏を迎え、標記の内容のワークショップを行うので、若干の紹介をさせていただきます。

David Poster TUFS.jpg ギュンター・アンダースについては、2011年秋に出たジャン=ピエール・デュピュイの『ツナミの小形而上学』(岩波書店)の巻頭に置かれた印象的な「ノアの寓話」で日本でも再び注目されるようになった。まず雑誌『世界』7月号に紹介されたこの寓話は、「破局の予言」はたいてい、それが実際に起こってからでなければ信用されないが、そのときにはもう遅く、予言=忠告の意味をなさない、というバラドクスを忘れがたいかたちで刻んでおり、3・11の災厄の後でわたしたちが「破局の翌日」を生きているのだということをあらためて感じさせた。

 この本の「解説」にアンダースの紹介を兼ねた部分があるので、それを転載しておきたい。

 「この本は必ずしも核の問題を扱ったものではない。とはいえ、われわれがそれをとりわけ「フクシマ」の影のなかで読むのはまったく正当なことである。というのは、ノアの寓話を語ったギュンター・アンダースが念頭に置いているのは、他でもない「アトミック・エイジ(原子力時代)」のことだからだ。本書にもふれられているように、デュピュイはアンダースの仕事を比較的最近になって知ったというが、その遅ればせの「発見」がデュピュイにとってどれほど重要なものであったかは、フランスにはまだあまり紹介されていなかったこの反時代的ユダヤ人批評家の主要著作『オフ・リミット』を、他のヒロシマ・ナガサキ関係のエッセイとともに、『ヒロシマはいたるところに』としてまとめ、自らの序文を付して刊行したことにも表れている(アンダースが、広島爆撃部隊のパイロットだったクロード・イーザリーと交わした往復書簡からなる『オフ・リミット、良心の立入禁止区』は、日本では『ヒロシマ、わが罪と罰』といういささかセンチメンタルな題名で刊行されている)。

 ギュンター・アンダースは一九〇二年ドイツ生まれで、フッサールに学び、やがてハイデガーのもとで、最初の妻となるハンナ・アレントやハンス・ヨナスとともに学んだが、アカデミックな哲学者となるよりは、時代の諸問題に直に向き合う批評家となることを選んだ。代表作に『時代遅れになった人間』(一九五六年)があるが、これは「核の脅威」を見すえながら、みずからが生み出したテクノロジーの威力によって、「人間」であることが自体が「時代遅れ」になってしまった――言いかえれば、時代がそれほど「人間」を置き去りにしてしまった――という、深い危機意識を表現したものだった。

 『オフ・リミット』の往復書簡もその延長上にある。原爆投下に参加したイーザリーは、結果的に、一瞬にして十万人の命を奪い、無数の人びとを生き地獄に突き落としたことになるが、その行為によってアメリカ各地で「英雄」扱いされることに苦しむようになり、処罰されることを求めて軽犯罪を繰り返し、やがて強盗まで働くことになるが、精神を病んでいるとみなされて陸軍病院の奥深くに幽閉され、外部への発言を封じられてしまう。米軍は、原爆投下が軍人にそのような罪悪感を負わせるという事態を封印してしまいたかったということだ。そのイーザリーのケースを報じたある雑誌の記事を見て、アンダースは彼に「病んでいるのはあなたではなく、あなたこそが正常で、そのようなまともな人間の反応を封印して、甚大な罪を何か偉大な功績のように思いなす社会の方が狂気に陥っているのだ」といったことを書き送り、文通を始めた。そして二人で「良心の立入禁止区」となった核の時代の狂気と倒錯を告発したのである。」

 クリストフ・ダヴィッド氏は、フランスでアンダースの紹介を精力的に行っている研究者で、フランスの核問題にも詳しい。氏を迎えて、アンダースの仕事とその意義を考えながら「核時代」の認識を新たにしたい。
 なお、この企画は2008年の「核と現代」、2011年の「核と未来」を引き継ぐものです。

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