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2013年1月 アーカイブ

2013年1月 3日

2013年、ヘビ年の年頭に

 それでも年は明けるので、星辰のもとなる人の世への敬意を表して、年頭のご挨拶をさせていただきます。

 とはいえ、今年ばかりは年の改まりを嘉する気がまったく失せてしまいました。あれだけの大災厄を経験しながら、日本の社会は改まらないばかりか、諸悪(年金破綻、格差社会、財政赤字、原発推進、etc. etc.)の元凶だった連中がさらに劣悪化しながら息を吹き返し、まんまとこの国を「取り戻した」つもりでいるようです。

ascrepios2.jpg 今年はヘビ年だとか――。それならば、古代ギリシアの医神アスクレピオスの顰みに倣って、脱皮によって"死と再生"を演じるヘビの功力を呼び起こしてもよいでしょう(この医神の杖には大蛇が宿っています)。

fukki.jpg あるいは、中国における人の世の始祖、蛇身人頭の兄妹神、女媧(ニョカ)と伏羲(フッキ)のもつ陰陽の力を頼むのもよいかもしれません。失われた〈未来〉を再生するためです。

 アブラハムの一神教は、人間を堕落に誘ったという科を被せてヘビを地に呪いました(旧約聖書にそう書いてあります)。けれどもその功力はもともと大地に由来するもののようです。ヘビがこの世に導く大地の力を、神の似姿をもつと思い上がった人間が支配することで成り立つユダヤ・キリスト教的産業文明(技術・産業・経済システム)には、しかしどうやらもう年季が来ているようです。

 ヘビの年ならば、〈未来〉を掻き曇らせたわたしたちの今の時間も衣替えすることができるかもしれません。今年はぜひそんな〈脱皮〉の年にしたいものです。

2013年1月 7日

やがて2年の「ゾーン」の縁

 年の初めにまた少しばかり被災地の様子を見てきた。

DSC01525'.jpg 津波をかぶった仙台の沿岸部では、田んぼの土の入れ替えが進んでいるところもある。塩を被った土を取り除くためだが、ただ、ショベルカーで深く掘ると田のよい下土が失われ、新しい土が耕作に適した状態になるまで何年もかかるという。それに、もともと農家の高齢化が進んでおり、何年も十分な収穫ができないとなると若者たちはなおさらそこに留まれず、ますます高齢化が進むおそれもある。農業の行方もかかっているようだ。(写真:貞山堀側から荒浜小学校方向を望む)

 それでも、荒浜小近くの一角では、若者が数人、流された住宅跡の土台を使ってスコップで何かを作っていた。遊び場もなく集まる場所もないので、自宅跡にスケボーの練習場を作るのだという。このあたりは、何年か前に市が分譲住宅として売り出した地区だそうだが、その市が今度は、同じこの場所を居住不可の地域に指定しているという。

 元の場所に戻って住むのか、あるいは別の場所に移るのか、それも地域ごとにまとまるのか、各戸ばらばらになるのか、それもなかなかまとまらないそうだ。閖上あたりでは、元の場所に盛り土をして町内がまるまる戻るという計画もあるというが、その盛り土のサンプルを見ても、地震でそれがもつのか(液状化)と不安になる。

 百年に一度(あるいは千年に一度)の災害と言われたが、その災害の前には長期の見通しなしに開発が進められ、災害の後もまた、自然の時間を背景にした人の生きる時間や社会を変える時間が、復興のプランに取り込まれているとは思えない。けれどもじつは、幾重にもあるその時間を折り込むことが、大災害の基本的な教訓だったのではないだろうか。

 仙台市のメディアテークで、志賀理江子の一風変わった写真展「螺旋階段」を観てきた。名取市北釜に住む写真家の、大判紙焼きの写真そのものによる「被災=異界」の創出(ないしは演出)ともいうべき「異様」な展示だ。これについては消化に時間がかかりそうだ。その対極というか背面におそらく、ちょうど6日の朝NHK仙台で放送された「カフェ・ド・モンク」(2011年12月29日「被災地再訪、および仏教」の項参照)の僧侶たちの活動がある。

DSC01539'.jpg 帰りに、原発事故の被災地がどうなっているか見てみたいと、福島から浜通りの浪江町方面に向かった。114号線(富岡街道)を行き、川俣町の途中から山中に入ると人の気配がなくなる。薄雪におおわれた道を進むとやがて浪江町の町境を過ぎ、その先に津島の集落が現れる。だが、小学校の先がすでに通行止めになっていた。機動隊が厳しく守る検問所で、その先は一歩も入れてくれない。(写真右:川俣町山間部、下左:津島の進入禁止地点)

DSC01558'.jpg 昨年5月に放映されたNHKの『ネットワークで作る放射能汚染地図』で有名になった最初の「ホットスポット」赤宇木はそのすぐ先の北側、そして南に行けば葛尾村のはずだ。だが、どう迂回してみても、特別の許可なしにはこれ以上先には進めそうもない。仕方なく引き返す。福島第一原発から30キロ地点をわずかに入ったところだ。

 津島の集落は、畑も荒れ、雑草が伸び放題だ。立ち去った住人が残していったのだろう、ふたを開けた猫のエサの缶詰が散乱していた。この先もこんな無人地帯が広がっているのだろう。ただ、わずかながら住んでいる人たちもいるようだ。

DSC01546'.jpg 県道12号(原町川俣線)で飯舘村経由で行けば、南相馬市には入れる。だが、そこも6号線(陸前浜街道)で南に降りると23、4キロ地点ですぐに通行止めに合う。いずれにしても、一般の人が入れない約30キロ半径の「ゾーン」がここにある。
 機動隊はここで何を守っているのだろうか。「警戒区域」を定めた法律を守っている、という答えが返ってくる。その法律は何を守っているのか。被爆から人を守る、というわけではないだろう。とにかく立入が禁止され、その中の実情を知ることができない状況が作られている。情報の遮断された立入り禁止区、その「禁止」だけが守られているのは確かだ。(写真:津島の集落)

DSC01564 2.jpg
(津島診療所という看板のある建物の窓にはこんな張り紙が何枚もあった。)


 

2013年1月15日

中山さんの新著『経済ジェノサイド』

中山.jpg 同僚の中山智香子さんが新書を書いた。『経済ジェノサイド――フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書)という。この人、前著が『経済戦争の理論――大戦間期ウィーンとゲーム理論』(勁草書房、2010)だから、どうも物騒なタイトルばかりだが、それは著者のせいではなく、おつに澄ました経済のことをまともに考えると、まったく物騒な話がボロボロ出てくるからだ(ふつうの経済の本は、その部分に目をつぶって書かれている)。

 帯に、「経済学者はいったい何をしているのですか」という、リーマンショック(2008年秋)の際にエリザベス女王が発した言葉が引かれている。そう、グローバル化した世界で今ではどの国も「経済が最重要課題」として、お抱えの経済学者たち(あるいは経済に強いとされる金融・財界人)の言うことを権力を使って実行しようとするが、それが世界規模の恐慌を引き起こすのを経済学者(専門家)たちは防ぐことができないし、その破綻の責任をとらないだけでなく、シャーシャーと「やり方が足りなかったからだ」と居直る始末だ。だからエリザベス女王ならずともそう言いたくなるだろう。

 また、あとがきには「経済は君臨すれども統治せず」という至言も登場する。経済は「最重要課題」として君臨し、政治に使いっ走りをさせているという、現在の世界に広まった状況を突いている。[後追いです:本文では「君臨せずとも統治する」とモジッてあるけれど、政治の上におカネが君臨するという意味では、もとのままでも通用するようだ。]

 何の本かは、タイトルが雄弁に語っている。1976年にノーベル経済学賞という、いかがわしい賞を手にして、つい最近まで(いや、今でも)グローバル化した世界の鼻っ面を引き回したシカゴ学派の総帥ミルトン・フリードマンの理論(マネタリズム、新自由主義のもと)が、いかにして世界に広まり、その「お金だけが大事」な考えによって一部の階層を魅了し、世の中をたぶらかし、社会構造を変えるだけでなく、ときには文字どおりの「ジェノサイド」を遂行してきたのかを、この時代の主要な経済論議や、世界各地に実際に起こった事態に即して、描き出したものだ。

 新自由主義批判はいろいろあるが、この本は主要な経済学者たち(フリードマン、ガルブレイス、ドラッガー、スティグリッツ、そしてポラニーなど)がどのような主張をし、時代の国家的・社会的課題に対する処方箋として提案し、実現していったのか(あるいは押しのけられたのか)を、自由市場の形成、企業の社会的責任をどうみるか、変動相場制における国家と貨幣の関係は、さらに金融化とレント(不労所得)と年金問題との関係は、といったトピックに絡めて説明する。

 そうしてこの理論が、マルクス主義とはまったく違ったかたちで世界中にそうとは見えない「革命」(お金の全面的「解放」、金持ちの「自由」のための)を広げていった実態を描き出すのだ。もちろんこの「革命」では、それが1973年9月11日のチリで始まったように、実際に大量の血も流れる。

 これは経済学者たちがふつうは書かない経済学の「振舞い」の話でもある。経済学は市場やお金の話しかしせず、政治や軍事は別のこと、といった顔をしているが、じつは経済はそういうものと不可分であり、そこを見なければ経済学の振舞いはわからない。この本は、経済学とその振舞いに目を向けている。だから「ジェノサイド」というのは誇張した比喩なのではなく、文字通りの事態なのだ。

 レントや年金の話など、多少込み入ったことも出てくるが、この人一流の軽妙な語り口と明快な論の運びが、多少面倒なことも一気に読ませてしまう。とはいっても、内容は盛りだくさん、通読したあと、いろいろに咀嚼したい。今の日本で、とりわけ自民党政権下で鳴り物入りで進められようとしている経済政策が、いかにとんでもないものであるかを理解するにも大いに役立つ本である。

2013年1月19日

「貨幣」と「お金」、経済学における「信」

 これは中山さんの本に触発されて――

 英語の"money"は、通常の経済学では「貨幣」と訳される。『資本論』の第一篇も「商品と貨幣」だし、ケインズの有名な論文は「雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936年)だ。そしてこれはたとえば「商品交換を媒介するもので、価値尺度、流通手段、価値貯蔵の3つの機能をもつ」といったかたちで定義される。

 それはそれで「学問的」ではあるが、"money"を「貨幣」と言ってしまうと、どうもそのいかがわしさも含めて生きた語感が失われてしまい、なにか日常生活とは別の、むずかしい理論の中の存在といった印象を与える。

 「貨幣」は後漢の時代から文献に出てくる表現のようだが、これが幕末明治の頃に"money"の訳語として採用されたのだろう。「お金」ではあんまり俗っぽくて、西洋伝来の経済学用語の翻訳としてはそぐわないと思われたのだろうか。

 けれどもハイルブローナーがいみじくも言ったように(『入門経済思想史 世俗の思想家たち』ちくま文庫)、経済学とはもともと「世俗の哲学」なのである。ただ、そこで重要なのは「世俗の」というところだ。だから"money"が物欲などと絡んで重要なテーマになるのであり、俗な言葉で論じられてこそその意味も明快になる。としたら、やはり"money"は「お金」と訳すのがよいだろう。

 ところで...、と「貨幣」という語の字面をつらつら眺めてみると、なんと、「貝が化けたヌサ」と書いてある。柳田國男の『海上の道』ではないが、東アジアでは昔から宝貝が通貨として使われていた。つまり、貝は貝ならず、お金だったということだ。そしてヌサとは神の依りしろ、姿なき神がそこに降りつく、あの白い紙(金色だっりもするが)だ。「信」のたつき、方便だと言ってもよいだろう。

 だとすると、この「貨幣」という漢字はそれだけで、「ぼく、貝じゃないよ、化けてるから、幣なんだよ」と言っていることになる。これはこれでこよなく能弁ではないか! なんでもよい仮のものが、みんなの「信」を担って「一般的価値(等価物)」として通用する、まさしくそれが「貨幣」だ。

 だが、残念なことに、なんでも簡便にすまそうとする今のご時世では、だれもそこまで耳を傾けて漢字熟語が文字どおり体を張って表現していることを読み取ろうとはしない。ありがたがられない「貨幣」である。だったら「お金」ですませておこう。

 ところで、ドル札の裏側には"IN GOD WE TRUST"という表現が刻んである。1ドル札にも100ドル札にも。札はこういう呪文を背負って世に通用している。ここに神が依ると刻んであるようなものだ。つまりは、西洋の札も幣(ヌサ)なのである。だとすると、「経済」とは世俗の信仰のうえに成立っているということだ。だからカネの亡者が後を絶たず、「拝金」が習いとなるのもむべなるかなということでもある。だが、その「信」が世俗の領域に収まるものなのかどうか、そして計算だけで制御できるものなのかどうか、そこがとくと考えるべきところである。

2013年1月24日

M・フリードマンと徴兵制廃止

 もうひとつ中山さんの本から、経済学理論がたんに経済の話にとどまるものではなく、強力な組織作用を伴うという典型例を――

 この本のなかでとりわけ注意を引いたのは、ミルトン・フリードマンの台頭にアメリカの徴兵制廃止が絡んでいたというくだりである。

 フリードマンはもともと主著『資本主義と自由』(1962) のなかで政府がやる必要もない項目リストに「平時の徴兵制」があげていたが、ベトナム戦争がしだいに激化し、アメリカの若者の間で反戦運動が高揚して徴兵忌避の機運も広まるなか、フリードマンは志願兵でいいじゃないか、という提言をして若者たちに支持されたという。

 この提言はニクソン大統領の採用するところとなり、結局アメリカでは一九七三年に徴兵制が廃止される。もちろん、軍からは大きな反発があった。参謀総長のウェストモーランドは「金目当てで集まった傭兵の指揮などしたくない」と抵抗したが、フリードマンは「志願兵がどうして無理やり連れてこられた奴隷の兵士より役立たないというのか」とやり込めたそうだ。

 このエピソードはフリードマンの考えの典型を示しているというにとどまらず、その後の国家と戦争のあり方を考えるうえでもなかなかに意味深い。
 
 もともと徴兵制は、ナショナリズムを統合原理とする近代国民国家の制度的根幹にある。国民が義務として国を守るということだ。兵役に就くのは国への奉仕であり、国民の義務だとされてきた。この徴兵制を廃止し、志願兵(あるいはリクルート兵)で間に合わせるということは、軍隊を他の職業と同じ選択肢として扱うことを前提にしており、この「職業」を他とひとしなみの「選択の自由」に委ねるということだ。だから、軍隊が魅力的な「職場」であれば、志願者に事欠くことはないというわけだ。

 もともと、国民軍の主力は志願兵だった。そして志願兵は自分がなぜ戦うかを知っており、納得ずくで進んで危険に身をさらす。だから、ナポレオン軍は当時の傭兵からなる他国の軍隊を蹴散らしてヨーロッパを席捲し、その強さを分析することからクラウゼヴィッツに『戦争論』を書かせることになったわけだ。

 ただ、そのときの「志願」の動機は、「自由か、しからずんば死か」という、フランス革命後の民衆の「自由=フランス」への愛国心だった。そしてそれがやがて国民皆兵へと制度化され、近代国民国家の軍隊に編成されてゆく。

 ところが、兵役への同意が空洞化する一方で、ベトナム戦争のような大義が疑われる戦争の場合には、国民的合意が崩れて徴兵制度が破たんし始める。そのときにフリードマンは、そんな戦争はやめようと言うのではなく、やりたい(いやじゃない)者だけ集めてやればいい、と提言する。そしてそれを「志願兵」と言うのだが、実はそれはナポレオン軍の前に潰走した「傭兵」の方に近い。「志願兵」は戦うことを志願してくるが、「傭兵」は働き口を求めて集まる(フリードマンはその点をごまかして、ウェストモーランドをうまくやりこめた)。

 フリードマンは「自由」を導入すると言い、多くの若者がこれを支持したというが、ここにはいくつもの論点がある。

 兵士を集めるのに国民の義務や強制は必要ない。軍隊に職を求める者を集めればよい。人は適性や意欲に応じてこの職業を選ぶ。軍の方では、この職業をできるだけ魅力的なものにするように意を尽くす(沖縄やディエゴ・ガルシアのリゾートetc.)。

 その職務内容は、戦争で戦うこととその訓練などだが、その行為から「お国のため」という論理は外れる。それは好きで選んだ職業なのだから。ということは、フリードマンは戦争のナショナリズムを解体したことになる。戦争は国民の義務ではなく、好きな者が戦争をやればよい、ということだ。軍隊というのも、国家に必要な機構ではあるとしても、それに暴力装置という機能以外の意味はなくなる。少なくともフリードマンの考えではそうだ。

 徴兵制廃止と兵士のリクルートは、その後に顕著になる軍のアウトソーシングや軍事の「民営化」の端緒でもある。軍隊の維持、とりわけその基礎である「人材」部門に「民間活力」を導入し、「選択の自由」という市場の原理をもちこんだのだ。

 兵士のリクルート制は、必要に応じて採用を伸縮できるし、人材派遣会社を間において徴募をさらに柔軟にすることもできる。そして何より、労働市場の事情を最大限活用することができる(つまり不景気や貧民層の増大で、人集めは容易になる)。

 それは経営効率上も、合理性の観点からも「適合的」だろうが、軍隊の仕事は特殊である。破壊、殺人、強奪etc.と、なにひとつ「生産」には寄与しないばかりか、熟練者を育てると、社会に対するネガティヴ効果も大きい。事実、軍は下層の求職者や犯罪常習者の吹き溜まりになる(イラクの米軍を扱ったブランアン・デ・パルマの映画『リダクティッド』が示していたように)。あるいは、この職種の「ホワイトカラー」層は、毎日アメリカ国内の基地に出勤し、そこから無人爆撃機を指令して意図なき破壊と殺人の仕事をこなすサラリーマンになる。

 結局、「自由」は分断する。関係を断つ。戦争をするという国家の専権事項だったものをも分解し、機能的なセクターの組み合わせに解体する。いま、それをつなぎとめるのは「最適化」だけを求める「マネージメント」であり、そこに覆いかぶさるのは、メディアで流布される「テロとの戦争」とか「領土問題」とかいった粗雑な物語だけである。

2013年1月26日

緊急!27日(日)午後3時より日比谷野外音楽堂で

 沖縄から「オスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会」の代表団が、翁長那覇市長をはじめ総勢約150人で東京行動を行うために上京するそうです。

 27日(日)午後3時から日比谷野外音楽堂で「オスプレイ配備撤回」を求める集会を開き、その後、銀座をパレードします。翌28日(月)には政府要請を行う予定で、防衛相、外相、沖縄担当相との面談は決まっていますが、首相は合わないつもりのようです。

 以下、『琉球新報』によれば、「参加するのは、実行委と県内全41市町村長(代理7人)、議長、県議らで、基地問題に関しては1972年の日本復帰後、最大規模の政府要請行動となる。政府へ手渡す建白書は、オスプレイ配備撤回と、今年夏に普天間飛行場で予定されている新たな12機の配備中止、嘉手納基地への配備計画撤回、普天間飛行場の県内移設断念を求める。」となっています。

 つい最近、沖縄の知人からメールを受け取りました。昨年4月、イタリアの若い監督が作った『誰も知らない基地のこと』というドキュメンタリーの上映と討論会でお世話になった、沖縄国際大の桃原一彦さんですが、「シンポジウム以降、沖縄の米軍基地の状況は悪い方向へと進んでいます。私の研究室の目の前では、オスプレイがエンジン調整で爆音を撒き散らしており、疲れ果てています。」とありました。

 いろいろ論じるべきことがありますが、ともかく、明日の日比谷野音の集まりにはぜひ合流したいものです。

 以下の『琉球新報』のサイトで、25日に開かれた那覇の市民集会の模様(翁長雄志市長のあいさつ)が動画で見られます。そこで、翁長市長は、森本前防衛相の3年前の著書に、12年にまず12機のオスプレイを普天間に配備、13年にはさらに12機、そして最終的には普天間の移設先にされている辺野古新基地に、「未亡人製造機」と言われたあの欠陥機が100機配備されるだろうとの記述があることを紹介しています(⇒『琉球新報』)。

2013年1月27日

オスプレイ配備撤回要求・東京行動

IMG_0255'.jpg 冷え込んだ真冬の日曜日、どのぐらいの人が来るだろうかと心配したが、日比谷公園の野外音楽堂の座席はほぼ埋め尽くされ、周囲も人でごった返していた。壇上には沖縄から来た市町村長や議員たち130人の代表団が、赤のシンポルカラーのチョッキ(?)を着てならび、那覇の翁長市長を先頭に次々と挨拶に立って、オスプレイ配備の撤回と普天間基地の県外移設を訴えて、28日に政府に建白書を渡すことを表明した。

 上京したのは、去年10月に沖縄で10万人余の「オスプレイ配備に反対する県民大会」を開いた実行委員会の代表団だが、これには沖縄の41市町村すべての長(一部代理)が加わっている。つまり、もう保守も革新もなく、全自治体の長がそろって、オスプレイの配備に関して日本政府とアメリカ政府にノーを突きつけていてるということだ。

 この沖縄の一致した意志を、末期の野田民主党政権も、代わった自民党安倍政権も、日米間の既定方針だからと取り合わぬ姿勢でやりすごそうとしてきた。だから、沖縄の積りに積った日常的な怒りを知らない本土、とくに首都東京や政府周辺に、この「ノー」は本物だということを示すため、この「東京行動」が企画された。

 これは復帰運動以来(71年秋のいわゆる「沖縄国会」の最中に屋良朝苗主席以下の代表団が対米再交渉の建白書をもって上京したとき以来)の異例の行動だ(しかし40年前は、代表団上京の翌日、佐藤政権は「返還協定」を強行採決した)。

 安倍首相は代表団との面会をまだ躊躇しているようだが、会っても会わなくても、これは一大事である。沖縄の全市町村の長が、去年の県民大会で示された沖縄の抗議を無視して押し付けられたオスプレイの、配備撤回を求めているのだ。それをさらに無視して配備を続ければ、日本政府は(それにアメリカ政府も)沖縄県の一致した強い民意をさらに踏みにじることになる。これは「統治」の破綻である。沖縄に強権を発動しているのと変わらない。

 そのことの重大さにウヨクは敏感に反応し、今日は最大限の動員で対抗行動にやってきた(かれらはしばしば、統治権力に対してではなく、権力をもたずそれに抗議や批判を向ける運動に対して行動を起こす)。日比谷野音の周辺には、日の丸を掲げて「オスプレイは尖閣防衛に必要だ」とか、「沖縄の代表ではなく中国のスパイだ」とか、「売国奴だ」とか書きなぐったプラカードを手にした集団がたむろしているし、銀座パレードが鍛冶橋を通るあたりでは、道の両側にびっしり日の丸を並べて野次を飛ばし、街宣車を走らせてパレードに対抗しようとしていた。「在特会」というものらしい。

 「沖縄タイムズ」と「琉球新報」は「東京行動特別版」を配っていたが、それを「朝日新聞」と並べて(どうも朝日はウヨクに評価が高い)、「腐った売国メディア」が沖縄を惑わしていると言い立てる。

 これで、石原が去年4月にアメリカに行って、その後ろ盾で「尖閣購入」を打ち出し、対中関係を悪化させて領土問題に火をつけたことの効果が、はっきりと見えてきた。尖閣は沖縄にあるから、領土争いということになると、沖縄は再び前線に立たされることになる。すると、米軍のオスプレイ拒否どころか、国防強化に協力しろ、というわけだ。それに、日本のウヨクは自民党と同じ対米従属だ(そんなウヨクはよそでは聞いたことがないが)。だから、米軍は頼りになる味方で、日本の国防の重要な一角であり、オスプレイはその米軍に必要なだけでなく、日本軍にも必要で、当然ながら沖縄に配備する、という理屈(今の防衛相の理屈)になる。あとは「売国奴!四の五の言うな」というわけだ。沖縄県民はみんな「売国奴」にされる(このことは下掲の本に詳しく書いた)。

 だが、オスプレイはアフガニスタンのようなところの「対テロ戦争」向きで、海上の島嶼地帯の戦闘向きではない。日本にもってくるのはアメリカ国内で訓練ができないからだ。そのために沖縄の人たちは、これまでにも増して騒音被害や事故の不安に悩まされる。現にそういう事態が始まっているのだ。

 沖縄は復帰以来40年間、ずっと耐え続け待ち続け、いまだに基地の島から脱却できない。それを約束しながらそのつど反故にし、沖縄を裏切ってきたのは米軍というより日本政府だ。だからもはや基地に関して沖縄は、日本政府を信頼できない。そんな状況のなかでオスプレイを強引に配備するというのだ(今年も12機増やすという)。だから沖縄はもう我慢ができない。そのことを明白に示すべく、すべての市町村の首長が政府に直訴にやってきた。
沖縄と日本.jpg
 この事態の重大さを一気に押しつぶそうというのが、仕掛けられた領土問題だ。日中間が曲がりなりにも安定していれば(田中・大平が周恩来と手を打ったように)、沖縄には火の粉は飛ばないし、アメリカで飛ばせないオスプレイをここに持ち込む道理もない。ずっと米軍基地の重圧にあえいできた沖縄が基地から解放されるようにするのは、沖縄戦までやらせた日本政府の基本的な責務ではないのか。

*今日の「東京行動」についてはそれなりの報道がある。
 たとえば毎日新聞(集会ビデオあり)、また沖縄タイムズにはオスプレイ関連の詳細な情報がある。
*領土問題と沖縄に関して、再度、去年の暮れにまとめた本を参照されたい。西谷編『〈復帰〉40年の沖縄と日本、自立の鉱脈を掘る』(せりか書房)。

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