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2012年5月 アーカイブ

2012年5月 5日

高速ツアーバス事故と「経済」の倒錯

 野田首相が民主党政権初の「公式訪米」を果たしたという。アメリカ大統領に会うことが「成果」だというのだが、それなら「ワシントン参内」と言えばいい。日本の代官がアメリカの殿様のもとに詣でて手もみしてきたというだけの話だが、自民党政権ではないだけに何とも薄ら寒い梅雨の前ではある。それはさておき...

 連休初めの28日早暁(4時半過ぎ)関越自動車道藤岡ジャンクション付近で、金沢から46人の乗客を乗せて東京ディズニーランドに向かう高速ツアーバスが、道路左側の防音壁に突っ込み、7人死亡、3人重体、11人重傷という大惨事になった。

 ブレーキの跡もないから、誰もがすぐに居眠り運転だとわかる。と同時に、これが「安くて便利」で最近人気の夜行バスの落とし穴だと思い至る。運転手にしわ寄せが行っているのだ。さらに、これが夜行バスにかぎった話ではなく、あらゆる業界に見られる近年の経済の特徴を絵に描いたようにみせた事故なのだ、ということにも思い至る。

 2000年に高速ツアーバスが規制緩和され、以来現在までにツアーバス事業者は倍増した(2300社から4400社へ)。スケジュールや運賃を自由に決められるため格安の運行が可能になり、それで利用客も急増、種類やクラスもさまざまになった。規制緩和(自由化)で新規業者が参入し、安売りで増える利用者を奪い合って競争が激化し、「安くて便利」の「商品」がさらに顧客を増やして「成長」分野になるというわけだ。

 事業者は競争を勝ち抜くために、極力経費を削ろうとする。だがモノや手続きにかかる費用の削減には限度がある。いきおいしわ寄せは「柔らかい」人件費に行き着く。そこで給料は減らされ、業務は増えてきつくなる。もちろん削れる人員は削り、必要なら派遣や臨時雇いで回してゆく。

 高速ツアーバスなら現場で働くのは運転手だ。今回のケースでは、金沢から東京まで高速を一人で運転していたという。夜間だというのに交代もいない(まともな会社なら二人で二時間交代といったところだろう)。つまり要員の数も削られ、その分、勤務状態も過重になっている(業界では9日間連続勤務といった例もあるようだ)。だから運転手はいつも睡魔と闘いながら冷や汗まみれで仕事にあたる。運ぶのは、ただの荷物ではなく人なのだ。

 監督官庁の国交省は、一日の運転を670キロ以内に「抑えていた」(そんなに認めていた!)そうだが、総務省が出した改善要求を、業界の意向を汲んで無視していた(原発を管轄する経産省と同じだ!)。

 運転手はこの事業のかなめだ。それが常勤ならまだましだが、しだいに明らかになったのは、事故を起こした運転手はバス会社の正規雇用の社員ではなく、「日雇い(アルバイト?)」だったということだ。それに、この運転手は93年に来日帰化した中国出身者だという。日本語もたどたどしいと報道された(さらに分かったのは、どうやら彼はふだんは中国人観光客向けの「闇営業」をしていたらしいということだ)。

 こういう事故があると、運転手がまず逮捕され、事業主のところに査察が入る。バスの運行状況や、人の働かせ方に違法行為があれば、事業者の責任が問われることになる。こんな無理な運行をやっていた...、こんな条件で働かせていた...、悪質な業者だ、というわけだ。そして「悪質な業者」が処罰されれば一件落着ということになる。防音壁の隙間をなくす(!)とか、業者の安全管理を徹底させるとかが「安全対策」として打ち出されて、もう「安心」です、というわけだ。

 でも、そういうことか?

 いちばんの問題は、ここで不問に付されてよしとされる「仕組み」と「考え方」の方だ。商売の規制をなくして「自由な競争」をさせる。すると「商品」の価格は下がり品質はよくなり、消費者のためになる、という。たしかに、ゆったりシートで金沢―東京3500円は安くて魅力だろう。だがどこで安くなっているかといえば、圧縮されているのは人件費だ。バスを造るにも同じことだ。

 切り詰められない経費はある。そこで薄利多売と人件費の徹底削減。働く人間の労働は強化され、賃金は極限まで切り詰められる。その結果、雇用条件も労働の環境も悪化し、常勤は減らされ、臨時雇いが多くなる。その方が、必要な時にだけ雇う(賃金を払う)という事業者の「自由」が利くからだ。

 それぞれの事業者は余分なことをしない。アレンジその他は「外注」だ。だから、パソコンだけで右から左をつなぐ斡旋業(仲介業者)が増える。今回の事故でも、ツアー企画会社とバス運行会社の間に二つの仲介業者が介在し、四社が関わっていた。臨時雇いの運転手はその下請けということだ。そこにチケットを売る業者まで加えると六段階だ。その段階ごとに斡旋料が取られ、末端の労働者にわたる分け前は微々たるものになる(どこかで聞いたような話だ――そう、誰に雇われているかも分からなくなる原発労働者!)。

 大型ツアーバスの車体と車輪をつなぐアエ・クッションのように人権費は圧縮され、そのおかげでバスは「快適」に走る。「快適」な車内で「消費者」たる乗客は眠る。そして車体の外は「闇」。なんといっても夜行バス!だ。だが今回はエア・クッションも疲れて眠りこけてしまった...。

 「快適消費」の向こうは闇、まるで『ゴモラ』の世界だ(11年11月7日参照)。だが、そういう条件を整えないと企業が参入しない(経営が成り立たない)という。そして経済を活性化させる(景気がよくなる)ためには、企業を優遇しないといけないという。原発を再稼働させるのも、電力事情が整わないと企業が逃げてゆくからだ、それでは日本経済は危ない、と業界は脅す。

 グローバル市場とその影響下で、あらゆる企業は薄利多売と人件費の削減を常套手段としている。企業が優遇されても人間は酷使され使い捨てられる(それをグローバル規模でやっているのがユニクロのような会社で、われわれは「安くて良質な」衣服についつい頼りがちになり、ふと気がつくと自分もこの経済社会に使い捨てられる身になっている)。

 「経済」を活性化するとされる「競争・安価・大量生産」は、結局「人間にかかる経費」の切り詰めで成り立っている。つまり、「経済」の拡大(成長)のために雇用は不安定化し(労働力の「自由化」とか「流動化」と言う)、労働条件は悪くなる。するとみんなお金がなくなるから買い渋るというより、買いたくても買えなくなる。そして一方では安いものが大量に供給される。安いものしか売れない。だからデフレはあたりまえだ。明らかなのは、いまや「経済成長」によってデフレを脱却することはできないということだ。

 かつては「経済成長」が人間の社会を豊かにしたとしても、いまでは「人間」(にかかる経費)を削除することでしか「成長」が考えられない仕組みになっている。それに、企業だけに金が集まって、若者も育たない。この「経済」は目先の利益のために「未来」を食っている。これでは何のための「経済」あるいは「経済成長」なのか? 

 今度の事故の背景を考えると、ユニクロから原発まで(原発を必要とする仕組みと原発労働者の条件)、現在の「経済」と言われるものの倒錯が絵解きのようにして浮かび上がってくる。この倒錯がどうしたら解消されるのか、われわれ「門外漢」も考えているが、とりわけ「経済学者」と言われる人たちにはぜひとも考えてほしいものだ。

2012年5月 7日

子供の日(1) 日本の原発ゼロ

 ようやく日本列島のすべての原発が停止した。大震災+福一事故から1年2か月目。

 ただしこれは日本の政策的決定によってなされたわけではない。単なる運転スケジュールで最後に稼働していた泊原発が定期点検に入ったからだ。とはいえ、これまでなら大飯はじめいくつかの原発がすでに運転を再開していたはずである。財界の大きな圧力と、それになびく政府にもかかわらず、その再稼働ができていないのは、原発を廃止しようとする「世論」が無視できないほど大きいからだ。

 福島と全国の女性たちによる経産省前座り込みやハンストもあった。昨日・今日と東京でも各地でもデモや集会が繰り広げられている。この間、少なからぬメディアもこの「世論」を支え後押ししている(東京、毎日、朝日、それにNHKの一部番組、雑誌世界など)。

 原発をもうやめなければならないのははっきりしている。事故の危険のためだけでなはい。それを防ぐための「安全対策」というのが、まったくのご都合主義でしかないのが明らかになっている。事故が起こらないうちは、起こらないから「安全です」ですまされてしまうからだ。

 ①各地で近い将来の大地震が予想されている。②使用済み核燃料の処理の展望がまったくできていない(貯蔵する場所さえ確保できていない、国内はどこも受け入れず、外国に捨てにゆくことも問題外)。③「核燃料サイクル」も、「経済」という馬を走らせるだけの「絵に描いたニンジン」だったということが明らか(もんじゅ君参照)。④稼働すればするほど後の放射性物質の処理が手に余る。⑤使えば使うほど、解決できない問題(放射能汚染)を将来に蓄積する(後の世代に押しつける)ことになる。

 「トイレのないマンション」とはよく言ったものだ。⑥そのことをごまかすために嘘と隠ぺいを重ねなければならなかった。それでないと原発は維持できないのだ。
 
 原発がないと「経済」がもたないというのはまったくの本末転倒だ。何のための「経済」か。誰もが生きられなくなるような世界にするために「経済」を動かさなければならないのなら。人はじっさいに飢えて死ぬ前に、不安や不信や恐怖や無気力や怒りや自暴自棄で精神的に生きられなくなる。

 それでも原発再稼働を主張する財界人や、その使い走りをやる官僚たちがとんでもない悪党に見える。悪党というよりロボトミー手術でも受けたのだろうか。アメリカでも目端が利く連中は原発産業に未来がないことがわかっているから、加圧式軽水炉のウェスティングハウスを売りに出した。それをなんと去年9月になって日本の東芝が買ったのだ(株を買い増した)。これはアメリカ経済を助ける「トモダチ作戦」なのか、それとも単にババをつかまされたのか(東芝の株価はこれで暴落したそうだが、ともかくわたしはこれ以後、東芝製品は買わないことにしています)。

 ただ、いまも韓国や中国では原発を建設中だ。そこで事故が起こったら被害はその国だけにとどまらない。日本もきっと文句を言うだろう、「安全管理」の不備を批判して。

 野田政権は自分の方針を示さず、財界になびきながらも地域等の強い反対で身動きできず、ともかく議論を避けている。だから、福島第一周辺の被災地への対応にも明確な方針を出せず、15万といわれる被災者も放置されている。この政権は消費税増税だけに血道をあげ(いや対米従属の更新も忘れていない)、去年の事故後の対策というもっとも重要な政府の役割を忘れている。

 日本で原発稼働が0になった日に、あらためて確認しておきたいのは、半世紀続いた「アトミック・エイジ」の後始末はこれからで、長く長く続くということだ。その間、核を処理する至難の技術を作り出さなければならない。だから、核に関する多角的な研究はこれからますます重要になる。そしてその実用化と普及も必要になるだろう。原子力研究が若者から敬遠されていると言われるが、優秀な研究者や技術者がこれから必要になる。

 あるいは、広く技術の問題として、核技術に走ったのとは違う技術との関係を作り出さなければならない。そして、原発をとめどもなく増やしてきた、政治・経済・社会のしくみの問題もある。

[この項、長くなりすぎるから以下別項に]

子供の日(2) フランスの脱ネオ・リベ

 フランスでは政権交代が起こった。第二回投票で社会党のフランソワ・オランドが現職のニコラ・サルコジを破って当選した。

 不動産で儲け、治安対策で名を挙げ、「社会のクズ」たちを罵倒し、金持ちのお友達に囲まれ、大統領になるとすぐに金満パーティー、そして芸能界好き、強いものと権力には目がなく、社会的弱者はけっして甘やかさず、教育は財政的統制で締めつけ、大統領だが下卑たところが一定の大衆に受ける。そしてなにより「市場」の代弁者(それが権力の支えだ)。手本は元英首相のトニー・ブレアー(ブッシュのプードルと言われた)、それにベルルスコーニ(サルコジにイタリア女を贈ったと自慢)。治安で辣腕をふるうところはプーチンに習ったとも見えるが、筋肉自慢のマッチョ・プーチンに対して、サルコジは腹の脂肪を写真修正でごまかすだけだ。

 そんな人物を大統領に戴くことに我慢できないフランス人が増えたということだろう。もっとも、東京都知事にならなれるだろう。三百万票ぐらいはとれる。

 いわゆるイラク戦争の頃、侵攻に反対するヨーロッパ諸国に対し、ブッシュは「古いヨーロッパ」をくさし、「新しいヨーロッパ」が味方だと言いえた。それはかつてのソ連支配への反動でアメリカの「自由の幻想」に転んだ東ヨーロッパ諸国のことだったが、ハンガリー移民二世のサルコジは、フランスにその「新しいヨーロッパ」を持ち込んだと言えなくもない。その「自由」とは「市場の自由」、つまりネオ・リベラリズムの「自由」だ。この考えのもとでは、「市場」がすべてを決定し、権力はその「自由」の障害を排除するために働くする。

 いま、EUは独仏(メルケル+サルコジ)が主導してこの体制を推し進め、ユーロ危機もこの路線で乗り切ろうとしている。ところが実は、ネオ・リベラリズムが不可避にこの危機を引き起こしているのだ。そのことにフランスの有権者は気づき、違う経済政策(財政規律の押しつけではなく社会的支援ベース)を掲げたオランドが当選することになった。

 すると興奮気味に(その場の空気に呑まれているのだろう)バスチーユ広場から報告する日本のテレビ局(TBS)のレポーターは、オランドがユーロ債務危機対策の要とされているEU財政協定のやり直しを公約していることにふれ、「収まりつつあったユーロ債務危機ですが、その先行きは不透明さを増しています」と結んでいる。

 その先は、「この結果はやがて市場が判断するでしょう...」となるだろう。有権者がどう選択しようと、ともかくそれに「市場が判断する」というわけだ。メディアの語り方はすでにネオ・リベに枠をはめられている。こういうのを「単一思考」(そうとしか考えられない)というのだが、債務危機問題も実は「収まりつつ」などはなく、ギリシア、スペイン等で社会的危機は深まっている。

 市場は金を欲しがる。自由に投資して利潤を回収するための自由な金を。だがそうするためには、投資家ではない一般の人びとのすでに乏しい財布は絞られ、生身の体や心まで、果ては命まで絞りとられることになる。もうこのやり方から脱却しなければならないのだ。

 オランドは先回サルコジに敗れた初の女性候補セゴレーヌ・ロワイヤルの元の伴侶だ。先妻の仇をここで取ったということにもなるが、そんな逸話もかすむほど、今回の選挙の懸案は重要だった。ヨーロッパの行方がかかっている。ひいては世界の行方も。この選挙にはマリーヌ・ルペン(国民戦線)とジャン=リュック・メランション(左派党)という二人の牽引車がいた。じつはこの役割もなかなかに重要だった。オランドの路線が明確になったのも、メランションの存在が大きかった。だがこれについてはまたの機会に。

[追記]
 「ネオ・リベラリズム」と書いたが、「市場原理主義」と言った方が的確かもしれない。何でも最後は市場が決める、という考え方だ。そこは欲望が自由に表明されるアリーナ(闘技場)で、匿名の喝采がすべてを決める。だから、もっとも「民主的」でもある、というわけだ。だが、そこには「民主主義」と「全体主義」の区別がなく、「持てる者」の享楽と「愚民統治」の意図とが一体化する。

2012年5月10日

法曹ハラスメント? 小沢「控訴」の意味

 東京地裁で無罪判決を受けた小沢一郎氏を、検察官役の弁護士が控訴した。このしつこさに、ともかく小沢一郎を政治の中枢から遠ざけようとする執拗な意図が働いているのを感じざるを得ない。

 もともと検察特捜部が見立てで組立てたシナリオが、周辺逮捕を進めてみても詰め切れず、立件できないとして検察が起訴を諦めた案件だ。これをマスコミは「陸山会事件」などと呼ぶが、検察が「事件」にできなかったというのにどうして「事件」なのか?

 新しい検察制度は、検察が訴追すべき案件を十分に吟味せず起訴しなかった場合に、「市民感覚」からして起訴すべきとみなされるものを「強制的」に起訴することで、立件に値するものだったかどうかも含めて裁判所に判断を仰ぐ制度だ。

 その裁判所が「無罪」の判断を下したのである。つまり検察の不起訴は正当だったということだ。にもかかわらず、検察役の指定弁護士は控訴するという。そこには何とか「黒」にしたいという思いがあったとしても、この成行きからして「無罪」を覆すのは難しい。それは指定弁護士たちもわかっているはずだ。としたら、控訴の意味は小沢氏にさらに一年近く「刑事被告人」の拘束をかけ続けることしかない。

 立件できなかったこの「事件」のために小沢一郎はすでに三年近く(その間に政権交代もあった)その活動を拘束されている。この案件は、検察が起訴すべきなのに起訴しなかったというケースではない。検察は「事件」にしたかったのだが、そう仕立てるには無理があってできなかったのだ。

 その間に、元厚労省の村木厚子局長の「事件」のような、検察特捜による結果的なフレームアプ(でっちあげ)も明らかになり、検察の見立て捜査そのものが「事件」になっている。

 検察が立件を諦めたその案件を「強制起訴」に持ち込ませた「市民」とはいったい誰だったのか? それがまったく明らかでない。この「強制起訴」は検察の不備を補うというより、検察の勇み足に手を貸して相手を土俵から落そうとしたようなものである。

 この3年間に政権交代があり、有権者の期待を集めた民主党マニフェストの作成を導いた小沢氏は選挙前に党代表を退き、強制起訴されてからは仲間内から党員資格まで剥奪され、政治的に手足を縛られていた。その間に自民党との「大連立」を語って増税(財政再建)を目指し、官僚にもアメリカにも受けがいい野田が首相になる。

 政権交代後、中国に議員団を連れて行った小沢一郎はアメリカに強く警戒された。それは鳩山元首相の「東アジア共同体」構想のこともあったが、これをマスコミは「対日不信を煽った」とか言う。要するに「アメリカのご機嫌を損ねた」ということだ。それにTPP、消費税 etc.

 野田首相は民主党マニフェストをほとんど反故にし、官僚+アメリカに拠りかかるという自民党政治に実質的に回帰している(だから「大連立」しても問題ない)。そして一方の自民党にとっては、小沢一郎は自分たちを政権から追い出した不倶戴天の敵だ。野田政権はいま被災者救済や原発問題を棚上げにしてともかく消費税増税(税と社会保障の一体改革とごまかして)に血道をあげている。それにまったをかけようとしているのが小沢一郎だ。

 そういう状況のなかで、指定弁護士団は(どうやら嫌々ながらのようだが)小沢控訴を決定した。この控訴がきわめて大きな政治的意味を含むことになるのを彼らは知らないわけではないだろう。

* 東京新聞はこれと同趣旨の社説を載せているが、読売は「小沢一郎もう終わり」と見出しを打っている。この差は何か。

2012年5月16日

ETV特集「テレビが見つめた沖縄...」

 5月13日(日)の夜、NHK教育テレビで「ETV特集、テレビが見つめた沖縄・アーカイヴ映像からたどる本土復帰40年」が放映された。

 4月25日にアップした「40年後、若い世代の"I'm Okinawan"」は、じつはこの番組の収録過程での所感である。実際にそう言ったのは、この番組でわたしと共にナビゲーターを務めた知花くららさんだった。できあがった番組では終りの方、辺野古での場面にこの発言が出てくる。

 自分も出演した番組で、事前に告知するのは気が引けたが、この番組の制作スタッフの重ねた労と工夫、出来上がった番組の内実を見ると、やはり多くの人に見てほしいと思う。ダイレクトに「復帰40年」を扱ったドキュメンタリーではない。半ば眠っているテレビ・アーカイブを掘り起こして、テレビは沖縄をどう伝えてきたかを振り返りながら、「復帰40年」を問い直すという作りだ。

 NHK放送文化研究所の『放送メディア研究』第8号(2011年3月)に発表された七沢潔論文「記録された沖縄の"本土復帰"―「同化」と「異化」のはざまで―」がベースになっており、同じ号に「現代史ドキュメンタリーの展開―「戦争責任」をめぐる番組の分析から―」を発表している東野真も製作スタッフに加わっている。その意味で放送文化研究所発の番組だといってよい。

 だから、40年にわたる「復帰後」の出来事をじかにたどるというのではなく、テレビ・メディアについての自己批評が入っている。番組が沖縄報道の草分けともいうべき森口豁さんのインタヴューに始まり、最後も森口さんのコメントで終わるのも、その反映だといえる。当初のプランはそうではなかったが、まとめあげてゆく結果そうなったということだ。番組では『沖縄の18歳』が使われたが、「復帰」ということで言えば、『激突死』というきわめつけの作品もある(これについては仲里効『オキナワ、イメージの縁』未来社刊に詳しい)。

 わたしも外大での授業の収録から始まって、森口さんへのインタヴュー、5日間にわたる沖縄ロケ、最後にナレーションの収録と、製作過程につきあった。那覇では、40年前の「沖縄返還」をめぐる番組で平和通りの街頭討論に参加していた二人の人物に、40年ぶりに同じ場所に来てもらいその感想を聞くという場面も収録した。この場面は40年の時をダイレクトに凝集してたいへん興味深いものがあったが、この二人が共に、来月に予定されている沖縄県議選に関係していることがわかり、公正さに配慮して残念ながら使えないということになった。

 使われなかった部分を言えば、かつてコンディション・グリーンというハードなロック・バンドで鳴らした「オキナワン原人」カッチャンと、コザの夜の街をヤンキーを振り向かせながら大声で歌って歩いた幻のシーンは、個人的には忘れがたい。

 ともかく、扱うドキュメンタリーも精選し、収録した場面も厳しく取捨選択し、長い会話や座談もポイントを拾って、すべてを1時間半にまとめあげる。4、5人の製作スタッフが連休返上で1秒1秒のカットを入れ替え差し替えしながら凝縮したものである。そこにあらゆるたぐいの目配りと繊細な配慮が込められている。

 5月20日の日曜日、午前0時50分(つまり土曜の夜中過ぎ)から再放送がある。
 番組ホームページはこちら

[追記]
 昨日の「復帰40年」の記念式典には、元県知事の太田昌秀さんたちは欠席したという。元沖縄開発庁長官の上原康介さんは式典でこの日の雨を「悔し涙」と言ったそうだ。『沖縄返還』という72年のドキュメンタリーは、元全軍労委員長で当時沖縄選出の国会議員だった上原さんが、5月15日、降りしきる雨の中で「復帰」の欺瞞を訴える怒りの演説で始まるが、昨日も沖縄は雨。そんな思いがたぎるなかで、もはや「本土」にどんな期待も幻想ももたない世代が育っているように見える。

2012年5月26日

仲里効の沖縄文学論『悲しき亜言語帯』

 仲里効『悲しき亜言語帯』が未来社から刊行された。副題は「沖縄・交差する植民地主義」。沖縄をめぐって撮られた映像を、とりわけ「復帰」前後の時期を中心に論じた『オキナワ、イメージの縁』(2007年)、やはり沖縄を写した写真を論じた『フォトネシア』(2009年)に続いて、今度は仲里が沖縄の文学を論じている。これを、迷惑なことにわたしと同姓の未来社の社主は「仲里効沖縄批評三部作」と呼んでいるようだ。

 最初のタイトルが、仲里の批評活動が本格的に始まった稀代の雑誌『EDGE』と韻を踏み、二つ目が島尾敏雄の「ヤポネシア」に響きあうとしたら、今度の著書はレヴィ=ストロースの名高い書名を想起させる。だが、「悲しき熱帯」でもなければ「亜熱帯」でもなく「亜言語帯」であり、本歌とはだいぶねじれた関係にあるうえに、「ゾーン」の響きまで伴っている。

 沖縄は、本土で詩人となった山之口獏が、女に「お国は?」と聞かれて言いよどみ、「ずっとむかう」と言ってはぐらかし、ついで「南方」と言い逃れ、やがてたどり着く「亜熱帯」にある。そこには「日本語の通じる日本人たち」が住んでいるのだが、そう言われる以上は彼らには彼らの「日本語以外」の言葉がある。それがいわゆる「島クトゥバ」だ。だが、島(島々)の人々がそれを通して生きる島クトゥバ(それ自体、それぞれのシマによって異なる)は、まずは「日本語」との関係で「方言」の位置に置かれ、「正す」べく運命づけられ、「日本人になる」ために習得を義務づけられた「日本語」によってしだいに「喰い」尽くされて、今では生活のなかでも稀薄になってしまっている(だからこそ、記録したり、学んだりする言語になっている)。

 島クトゥバは島の人びとにとっては、文字どおり乳のように身を育て養う母語であり、存在が声をもつとき最初にまとう産着である。ところがその言葉が、近代国家に統合されることによって「非公式」の言語、あるいは島でしか通用しない方言という「亜言語」化され、この島々の日本への統合と分離と再統合という歴史を潜りながら、干潟が陸に変えられてゆくようしだいに日本語に呑み込まれてゆく。この「亜熱帯」は未来をもたないそんな言葉がしだいに影を失ってゆき、また日本語もその影に浸潤されてゆく「亜言語帯」なのだ(と仲里は言う)。

 そこで沖縄の詩人や作家たちは何語で表現するのか? 日本語でか? たしかに。だが彼らはあたりまえのように日本語で書くことはできない。それは生来の言葉ではなく、習い覚えた言葉だ。みずからを養い育てた母語ではなく、義務化された言葉、あるいは権威をかざして君臨する「父語」、もっとはっきり言えば支配と統治の言葉である。だから彼らの言語意識の基底には、存在の根をこぐかのように島クトゥバに圧しかかる「標準」日本語との葛藤がある。

 そこには苦渋もあれば悲しみもあり、憤怒もあれば韜晦もあり、血が流れ肉が避けることさえある。狂気や窒息もある一方で、それを掠めて反撃する言葉の戦略もある。とまれそこは「悲しき亜言語帯」なのだ。

 仲里はこれまで、沖縄をめぐって撮られた映像(映画、写真)を読み解きながら、そこに写らない「見る/見られる」という視線の力学を多面的にあぶりだしてきた。そして今度は、カメラをもつまでもなく、ものを言うときに、言葉で表現するときに、すでに主体の意識にかかる圧力の政治性を暴き出し、沖縄の詩人・作家の表現をめぐる格闘の痕をひとつひとつ洗い出そうとする。

 「沖縄文学論」、とはいえそれは、沖縄という観光地に独特の色合いを添える「地方の特産品」を解説したものではなく、近代日本語による言語表現の成立の「エッジ」を克明にたどる、これまで明るみに出されなかった言語表現論であり、日本文学そのものの自足性に「亜言語帯」からの問い直しを迫る、誰もなしえなかった批評的考察である。

 そこでおそらく仲里は、日本語で語ってもなおそのこと自体が日本語に象徴される支配と同化の力学に屈することのない「自立」の思想的拠点を探りあてているとも言えるだろう。(この項、また何らかの形で捕捉したいが、今日は紹介まで。)

*論じられているのは、山之口獏、川満信一、中里友豪、高良勉、目取真俊、東峰夫、崎山多美、知念正真、儀間進など。個人的に言えば、中里友豪の章が印象深い。断っておけば、これはけっしてドゥルーズ流の「マイナー文学論」ではなく、むしろそれに対する異論である。

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