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2012年4月 アーカイブ

2012年4月 6日

原発だけは「再稼働」

 あちこちで「この夏の電力不足」キャンペーンが張られ、その一方で東電が「ゆすり・たかり」のように電気料金の値上げをし、政府はいまなにがなんでも大飯原発の再稼働に道を開こうとしている。この連中はまったく懲りない。

 1月23日の毎日新聞は、「今夏の電力需給について、全国で約1割の不足に陥ると公表した昨夏の政府試算が再生可能エネルギーをほとんど計上しないなど実態を無視したものだった」ということを報じていた。それを含めて試算すると、実は電力使用制限令を発動しなくても最大6%の余裕があったとする別の試算があったが、これが発表されなかったというのだ。

 こういう「つごうの悪い情報」隠しが、この一年でもどれだけくりかえされてきたことか。「火力は高い」という嘘も、福島事故の賠償を東電がとても賄いきれず2兆円にも及ぶ政府資金(税金)がつぎ込まれねばならないことではっきりしている(原発が安いというのがどんな空想非科学的な嘘かも、この間いやというほど知らされてきた)。

 原発再稼働を求める(そしてそのためにあらゆるキャンペーンに金や圧力を使う)財界は、私企業の目先の利益しか考えておらず、社会や国の行く末のことなどおかまいなし、「あとは野となれ山となれ」というわけだ。ついでに言っておけば、それが「私欲」だけをよしとする「新自由主義」だということだ。

 原発再稼働に向けた条件が閣議で決まり、来週には再稼働が決定されるそうだ。惑わされないために最低限次のことだけを確認しておきたい。

-「安全対策・安全性確認」というが、ストレステストをしたとして「問題なし」と言っているのは依然として経産省・安全保安院だ。この役所はそのずさんな管理と電力業界との癒着によって、福島第一の事故に大いに責任があることが明らかになった。機構改革を棚上げにして、この役立たずどころか電力業界・財界とグルの経産省・保安院がまだ審査をしている時点ですでに、事故に対する何等の反省の気配もない。

-事故の想定を厳しくするというのは程度の問題にすぎない。「想定外」を想定しないその姿勢は変わらない。リスク管理というのは、管理できる項目だけを並べる。だが、実際の問題は、原発の設置・運営・管理体制そのものにある。

-「リスクと経済への影響との兼ね合い」ともいうが、震災以来、経済をすべてに優先させる姿勢が問われている。だいたい、大企業(輸出企業)の業績が上がっても失業や労働状況はよくならない。コストダウンばかりで、そういう仕組みを作ろうとしないからだ。

-それに、福島第一でも四号機の使用済み核燃料プールがいちばん危ないと言われている。これ以上原発を動かして使用済み核燃料を増やし、どこに処理するというのか。福島事故はいまだ収まらず、日々被曝労働で手当てを続ける(それも日々、新たな漏れが発覚する)一方で、数十万の人々が住処を追われて困苦している。

 野田政権は、こういう根本的な問題に向き合おうとせず、「取りはぐれのない」消費税上げと原発再稼働という財界の要求実現だけに邁進している。そして北朝鮮の「人工衛星問題」を針小棒大に取り上げ、この機に乗じて今までできなかった自衛隊の沖縄展開を図っている。「核抜き本土並み」と偽った「復帰40年」を目前にして。

2012年4月 9日

沖国大上映会とシンポジウム

 4月8日(日)沖縄国際大学で開かれたドキュメンタリー映画『誰も知らない基地のこと』上映とシンポジウムに参加してきた。エンリコ・パレンティとトマス・ファツィという若いイタリア人監督の作ったこの映画については、『東京新聞』9日夕刊社会面に外人記者クラブでの取材記事が出ているので参照されたい()。

 内容を簡単に紹介しておこう。2007年にイタリア北部のビチェンツァで、米軍基地拡張の是非をめぐって住民投票があったが、国は民意を押し潰して(裁判所があらかじめ住民投票の無効を宣告した)基地拡張に踏み切った。この出来事をきっかけに、若い二人のイタリア人(正確に言えばイタリア系アメリカ人とイギリス系イタリア人)が、戦争が終わって60年以上、冷戦が終わって20年経つのに、なぜ米軍基地がなくならないのか、という基本的な問いを抱えてその答えを求める。

 まずコソボの基地を訪ね、ディエゴ・ガルシアの基地建設で追い出された元住民を取材し、そして沖縄に至りついてその問題の深刻さにあらためて驚き、辺野古や高江でと長期にわたって抵抗を続ける人びと、園児が戦闘機やヘリの爆音に耳をふさぐ普天間基地近くの保育園などを訪ねる。

 チャルマーズ・ジョンソン、ノーム・チョムスキー、ゴア・ヴィダルなどへのインタヴューを通じて、二人が発見するのはアイゼンハワーが警告した軍産複合体の巨大な力であり、アメリカの世界統治戦略における軍事と経済との不可分の結びつきだった。

 戦争に備える、あるいは戦争を防ぐために基地があるのではなく、戦争をするたびに基地が増え、基地が増えることで巨大な産業が増殖し、それがまた資源確保の安全保障と結びついて、逆に戦争の危険を呼び込むという、後戻りのできないサイクルである。

 結局この映画は、沖縄に大きな部分を割くことになり、沖縄の米軍基地の問題をグローバルな統治連関に位置づけ直させるものになっている。とはいえ、理念的ではなく、現地の人びとの言葉に多くを語らせている。なかでも、轟音に耳をふさぐ女の子の不安な表情や、半世紀にわたる抵抗を続けながら、基地内の土地を取り戻したら大根を植えて島民みんなに配るという古老の言葉は心に残る。

 原題はストレートに"Stnding Army"つまり「駐留軍」ということだ。「駐留軍」が軍需産業を肥大させ、戦争の機会を作り出す一方で、ローマの歴史が示すように国家自体の人的物的負担を増大させる病巣となるという意味で、実は帝国的秩序のなかの「がん細胞」のようなものだという観点が、この映画の軸になっている。

 ただ、そのままでは通りの悪いこの原題に変えて、日本の配給会社は『誰も知らない基地のこと』という邦題をつけた。このタイトルはその曖昧さで示唆的な喚起力をもっている(このことは沖国大での会場からの質問であらためて気づいた)。そもそもこの作品は、オキナワのことをまったく知らなかったイタリア人たちが作ったものだ。世界中に米駐留軍は展開されているが、米軍の戦略は公表されても、その具体像や全体の連関はまったく公にされない。沖縄のことも、日本では大きな政治問題になっているが、それでも基地に苦しめられる人びとの実情は理解されていない。イタリア人の作ったこの映画が、日本で注目され、また広く世界に知られるようになることには、この「無知(無視)の壁」を破るうえで大きな意味があるだろう。

 この上映会とシンポジウムを準備してくれたのは沖国大の桃原一彦さんや、例によって仲里効さんだが、折しも自衛隊によるPAC3配備の騒ぎのさなかということもあって、会場には予想を超える大勢の人たちが集まった。新川明さんとか川満信一さん、伊波洋一さんの顔もあった。めったに見られないチュン・リー監督(南大東島出身と聞く)の『コンディション・デルタ』(イラク戦争直前の沖縄基地周辺を撮った短編)を皮切りに、基地に押し潰されることを拒否する人びとの思いをストレートに映した映画の上映と、その後に続いたシンポジウムには、ことのほかの熱気が漂っていた。

 このシンポのために久しぶりに行った沖縄で、いま何かが大きく変わりつつあることを強く感じた。2007年に東京外大で『沖縄・暴力論』と題する2日間のシンポジウムを行ったとき(記録は同題で翌年未来社から刊行)、「沖縄・揺れる活断層」という言葉で「本土」との関係を表現してみた。それから「政権交代」があり、鳩山政権の「迷走」があったが、ここ2、3年を経て、いまは地熱が熱いことを感じる。マグマが流れ出ているかのようだ。その「熱気」の中身についてはまた別のところに書きたいと思っている。


☆ このシンポジウムについては、9日の地元紙『琉球新報』と『沖縄タイムズ』がともに紙面を割いて報告している。『琉球新報』の記事『沖縄タイムズ』の記事。 

☆ 実は前日の7日(土)、東京外大でも非公開の特別上映が行われ、中山ゼミの拡大セッションに両監督も来場して討論会が行われた。イメージフォーラムでの封切日であったため非公開だったが、両監督と学生たちとの活発なやりとりが行われた。その模様は『誰も知らない基地のこと』公式ホームページで見ることができる。

2012年4月11日

東京新聞の蛮勇?ー「チーム仙谷」報道

 またまた東京新聞がやってくれた。今日の朝刊一面は「『チーム仙谷』再稼働主導、首相・閣僚4者協議 形だけ」という横ぶち抜き記事だ。(Web版はこちら⇒

 この間の原発再稼働工作で、誰がどういう役割を果たしているか不分明だったが、その仕組みや、これに官僚(経産省、財務省)と財界の一致した後押しがあることまで書いている。東京新聞売り物の「こちら特報部」では7日にも「再稼働、政権まっしぐら、"結論ありき"ひた隠す、"ゼロでも乗り切れる"避けたい」とストレートな記事を出しているが、今日は一面トップだ。

 事情通の記者なら誰でも知っていることだろうが、他の新聞は記事にしない。政治家・メディア間の「それは言わないお約束」なのだろう。だが、福島第一の事故以来、最も求められながら依然としてごまかされているのは「責任の所在」の明確化である。

 もちろん、スケープゴートを探せなどという話ではない。福島第一原発の「安全対策」に最も責任のあった経産省・安全保安院は、国際原子力機関(IAEA)にもその不適格(泥棒と警察の両方の役割をしている)を指摘されながら、今もその責任を問われずに再稼働の適格審査をしている。「安全なんて言っていたらきりがない」と暴言を吐いていた斑目某も、原子力安全委員会の長をやめてはいない。

 そんな具合だから、何が起こっても、いつまで経っても、世の中は変わらず、見えないところでうごめく連中が幅をきかす。もっと「透明」にやってもらおう。いま誰が無原則な原発再稼働を推し進めているのか、それははっきりさせておく必要がある。その意味で、今日の東京新聞の報道は快挙である。

 ただ、心配されるのは、ただでさえ原発維持にはとてもつごうの悪い情報を惜しげもなく流す東京新聞が、かつての毎日新聞のように見えない強力な圧力を受けることだ。毎日は、沖縄返還交渉の密約を暴いたために、あらゆる手で徹底的に叩かれ潰された(それまで朝日と二強と言われた毎日新聞が、「西山事件」のあと不買運動などで倒産に追い込まれたことを想起しておこう。そのとき、他のメディアは「密約スクープ」より「情通スキャンダル」に群がって毎日叩きに血道をあげたことも覚えておこう)。

 たまに妙な記事を載せたりもするが、いまは東京新聞の姿勢に支持を寄せ、声援を送りたい。


[追い書き]4/16

 ここ数日の出来事やいろいろな人物の発言をみていると、この記事、ほんとうかな?と思わせる。あまりに単純な図式だ。そんな疑問をもつと、去年の3月以来これまでの管見にふれた限りでの発言や振舞いから、事情は少し違うのではないかと思われる。そんなわけで、タイトルに「?」をつけさせてもらった。

 仙谷は今日の名古屋の講演で「(原発を全部止めたら)日本が集団自殺するようなことになってしまう」と発言し()、とうとう公然と脅しにかかっている。それははっきりしているが、枝野は「原発が一時ゼロになる」といった発言()をしている。「チーム仙石」?ムムム? といったところだ。

 東京新聞、「こちら特報部」はいいが、政治部はどうか??

2012年4月25日

40年後、若い世代の"I'm Okinawan"

 しばらく更新が滞ったが、先週末から五日間ばかり、また沖縄に行っていた。今度は映像アーカイヴを使ったあるテレビ番組の制作に立ち会うためだ。

 仲里効が言うように、沖縄は「復帰」前後から、日本の中でもっとも多くの視線にさらされる場所になってきた。写真の特権的な対象になっただけではない。テレビ放送が本格化して半世紀になるが、そこでも沖縄という場所はとりわけ多くの番組の素材を提供してきた。逆に言えば、沖縄はいつもメディアの関心を引き付ける「問題」を抱えた場所だったということでもある。この5月15日で沖縄の「本土復帰」以来40年になる。その40年を映像アーカイヴを媒介にして振り返ってみようという企画だ。

 多くの発見があった。発見というより、あらためての確認と言ってもよい。もっとも印象的だったのは、最近の沖縄の「自信」のようなものだ。端的な例で言えば、ある若い出演者は、外国に行くことが多いが、「お国はどちら?」と訊かれると、「沖縄です」とか"I'm Okinawan"と答えるという。"I'm Japnese"というより"Okinawan"と。その方が素直に出てくるようだ。

 これを聞いてなるほどと思った。山之口獏という詩人がいた(「獏さんを知っていますか?」というすぐれたドキュメンタリーがあった)。1903年生まれで、昭和の初めからずっと本土に住んで、苦労しながら詩を書いた。その詩のひとつに、女性から「お国は?」と聞かれて、戸惑いながらいろいろと韜晦を重ね、その韜晦が自分のうちにだけ南洋の光景を広げる、という詩がある。沖縄だとストレートには言いにくかったのだ。

 明治時代には大阪の勧業博覧会で「沖縄人」がアイヌや朝鮮人やアフリカ人とともに「展示」されて物議をかもしたこと(「人類館事件」)まであった。沖縄の人びとは本土ではあからさまに差別され、戦後にもその気配は濃厚にあった(沖縄だとわからないように苗字を少し変える人たちもいた)。獏の詩には、そんな事情が自己戯画的に取り込まれている。

 ともかく本土で沖縄の人びとの立場は厳しかった(だから原発労働にも流れた)。集団就職の若者たちも、本土の人間の無理解や偏見に失望した(そんなドキュメンタリーもいくつかある)。「沖縄出身者」はその意味では差別の「犠牲者」だった。日本の遂行した戦争とその後の米軍統治の「犠牲者」であるだけでなく、「復帰」後の日本の安保体制の「犠牲者」でもあり、そうであるがゆえに「偏見」もあり、「同情」もあった。

 そんな歴史を経験的に生きてきた世代の人びとは、本土のヤマトンチューとの関係で複雑を思いを抱かざるをえない。ところが、今の若い世代は「ウチナンチュ」(沖縄の人)であることをむしろ前に押し出す。その人たちに、「きみたちは犠牲者なんだよ」と言っても通用しないだろう。謝ったりすればむしろ迷惑がられること請け合いだ。

 「復帰世代」(「アメリカ世」に生まれ、若いころ「復帰」を経験した世代)の人でさえ、たとえばアメリカ留学の長かった友人は、「お国は?」と聞かれたときに答えるのに戸惑ったと語っていた(「日本だ」と答えることへの複雑な躊躇か?)。

 この変化の意味は大きいし、たぶん深い。「本土」の出身者なら迷わず「日本」と答え、こだわりのある人なら「遠州森の...」と踏み込むところだろう(もちろんそれは国内向けでしかないが)。けれども若いウチナンチュは最初から「オキナワン」と答える。それはかれらのアイデンティティの核が国家としての日本より、地域としての沖縄にあるということ、そして沖縄であることにもはや何のひっかかりもない、むしろそれがポジティヴに担われている、ということの表れだ。そしてその地域は、世界のなかでの地域だ。

 「本土並み」と空約束された「復帰」以来、ことあるごとに日本政府から統合の圧力をかけられ、そのたびに自分たちの苦難の経験(とくに沖縄戦の体験とその後の労苦)を、つまりは共通の体験の核を否定される不当さを感じ、思い出したくないことをあえて掘り起し(とくに日本兵による虐殺や「集団自決」)、公然と語って「否認」にあらがい、いつまでも基地はなくならないどころか、アメリカの言うなりで(というより「対米従属」を国是として)基地問題を解決する意志も工夫も努力もなく、工夫といえば「振興策」で援助漬けにして沖縄に原発依存と同じような「基地依存」の構造を植え付けるだけの日本政府をとうとう見限って、最近の沖縄はもう自力でこの状況を打破しようと動き始めている。

 そんな「親」しかいなかった。あるいは「親はあっても子は育つ」。

 そんな40年の事態の推移を象徴するような、若い世代の"I'm Okinawan"だ。彼らは自分が"Japanese"であることを認めないわけではないが、"Okinawan"に何より自分の足場を見ている。そしてその足場が"Japan"との葛藤を経てきたことを意識してもいる。
 
 沖縄という「揺れる活断層」は「政権交代」以後の「大山鳴動」で動き出し、東日本大震災と原発事故以来の日本政府のドタバタを尻目に、沖縄はしだいに「自立」の地勢を作り出しているかに見える。政府がパニックを起こす(国民ではなく)なか、被災者の受け入れを最も早く(たしか3月17日に)表明し、手厚い準備をしたのが沖縄県だったということも思い起こされる。

 いま沖縄に行くと足元が熱いと感じる。気温だけではない。ここには「地熱」がたぎり始めているようである。

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