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シンポジウム「震災と宗教」(明治学院大学)所感

 1月7日に明治学院大学横浜校舎で、「震災と宗教」をテーマとしたシンポジウムが開かれた。同大学国際学部の原武史さんの企画・司会で、阿満利麿さん、東大の島薗進さん、明学のV・アレクサンダーさん、それにわたしが参加した。わたしが呼ばれたのは阿満さんの推薦によるものだ(以下、敬称略)。

 大震災で自然の猛威が襲いかかり、2万人近い人が亡くなって、夥しい人びとが住む家や生活の基盤を失って、剥奪と悲嘆のなかに投げ出された。物質的な支援ももちろん必要だが、喪の営みや慰めや救いや癒しが、いわゆる「心のケアー」が求められる。だからそこに「宗教」が引き寄せられるのはすぐにうなづける。

 けれども「宗教」と一口に言っても、そこにはさまざまなアプローチがある。よく耳にするのは、不幸や困難に見舞われて孤独のなかで苦しんでいる人びとに近づいて勧誘し、組織に取り込むというある種の宗教団体のやり方だ。

 ナオミ・クラインは、戦争や大災害によって既存の社会状態が瓦解し、人々が茫然自失に投げ出されて無力化する状況を好機として、通常なら受け入れられない剥き出しの市場原理を一気に導入するという、ここ30年来世界のいたるところで繰り返された新自由主義の荒療治を、行動主義心理学の「ショック療法」との方法的親近性から「ショック・ドクトリン」と呼んだ。

 それに似た現象が「災害と宗教」との関係でも起こりうる。つまり社会の激変で、それまで人びとの通常の生存を支えていたさまざまな仕組みや関係が崩壊し、人々が何の保護もない剥き出しの剥奪状態に投げ出されると、一方ではそれ自体を規範化して束縛のない「自由」な市場原理にあらゆるものを委ねるという社会システムを導入することもできるし、また他方ではその不幸と孤立を「救済」の夢想のうちに回収するという信仰組織の活動の好機にもなる。

 ついでに言っておけば、メディア社会で「絆」とか「助け合い」が強調されるのもそれと並行的な現象だということだ。

 今回の明学のシンポジウムで、企画者の原武史がとくに念頭に置いていたのは、被災地を巡行する天皇・皇后の姿だったようだ。たしかに、天皇・皇后が避難所の床に被災者とともに膝をつき、手を取って慰め勇気づけるといった姿は史上初めて出現した光景だろう。とりわけ原はそこでの皇后の存在に注目していた。今回の巡行でも、また日々行われているだろう宮中の儀礼でも、現皇后の役割は特別のものがあると言われている。

 原はそこに平成の皇室の「宗教的」役割のめざましい更新を見出して、日本の宗教状況におけるその意味を論じる(少なくとも参加者の間で意見交換する)ことを、シンポジウムの眼目のひとつとしていたようだ。だから、前半は「震災と宗教」全般、後半はこの問題をテーマとすることになっていた。

 実際には事態はそうは進まなかった。阿満も島薗も「天皇制」の問題(原発事故の問題も含めて、丸山真男が指摘したような「誰も責任をとらない」という日本社会の構造を支えてきた)を脇においたままそのような議論をすることを斥けたからである。

 わたしなりに言うならば、天皇・皇后はたしかに皇室儀礼の祭司の役割を担っているが、それは単なる「宗教儀礼」として抽り出すことはできない。というのも、皇室儀礼が国家的祭祀であるかどうかはまったく不分明であり(日本国憲法下で)、まさにそのために、皇室の「宗教的営為」は社会化されることでただちに「政治的」意味を強く帯びることになるからだ。それは天皇・皇后の「私的」(私的存在であるかどうかもまた問題だが)な意図とは関わりなく、その法的・象徴的ステイタスによって規定されている。

 そしてその「曖昧さ」は、いわゆる東北の巡幸がたしかに現地の被災者たちに強い印象を与え、原の注目するような側面をもっていたとしても、それが現在の日本社会に広く意味をもつようになることを根本的に妨げていると思われる。

 このシンポジウムで発言するに際してわたしが念頭に置いていたのは、福島も含めて何度か被災地を訪れて、あちこちで仏教諸派の僧侶の活動に出会ったことだった。それも、宗派組織としての活動ではなく、たいていは宗派や宗教を超えて協力し合うポランティアの僧侶たちだ。そういってよければ、彼らは個人として、教団の枠を抜けた宗教者として活動していた。

 日本の在来仏教の僧侶たちは、それぞれ宗派の系列の寺に入り、檀家の葬祭を仕切ってその上がりで生活するのが習いだったが、とりわけ都市化によってその構造が徐々に崩れ、多くの問題に直面している。そして勃興し拡張するいわゆる新宗教諸派の前に、「生きた宗教」としての存在意義も問われている。

 今回「千年に一度」と言われる災厄に見舞われ、そのうえ現代社会の生活を足元から揺るがす原発災害に直面して、多くの僧侶たちが、仏教者としてあるいは広く宗教者として、自分たちがこの社会で何ができるのか、何をなすべきなのか、何をもって宗教者(仏教者)たりうるのかを、あらためて問い、その問いをさまざまな支援を実践するなかで深めているのではないかと思われる。少なくともそれが、わたしが接しえた多くない僧侶から得た印象である。

 つまり、震災や原発災害の支援活動を通して、宗教者自身がみずからを問い直しているということである(その意味では皇室も同じかもしれない、天皇が宗教者であるならば)。

 永平寺で僧侶有志が「脱原発」の視点からのシンポジウムを開いたり、全日本仏教会が「原子力発電によらない生き方を求めて」という宣言文を出したり(12月12日)、あるいは比叡山と高野山の座主が初めて会談したり、とこのところ仏教会での組織的動きが目立っているが、そのような組織的動きを促しているのも、個々の僧侶たちの「現代における仏教」のあり方を求める実践的活動ではないかと思われる。

 これは「期待外れ」をいったん棚上げして言えば、自然の出来事に促された「千年に一度」の仏教更新の機会であるかもしれない。それだけの出来事が起こったのだと考えてもよいだろう。いずれ人間の営みは「自然」のなかで、「自然」とともになされるほかないものなのだから。

 「震災と宗教」、ともかくもここには長く考えてゆくべき課題が詰まっている。

★この機会に、ひとつ「公開学習会」のお知らせを――
 《宗教者として取り組む原子力問題》~原発立地の苦しみを分かち合い、共に生きるために~
 講師:長田浩昭(原子力行政を問い直す宗教者の会 事務局長/真宗大谷派僧侶)
 日時:1月17日(火)午後7時~9時 (開場6時30分)
 会場:文京シビックセンター4F シルバーホール(東京都文京区春日1-16-21)

【おさだ・ひろあき】石川県珠洲市生まれ。同県能登町長慶寺住職在任中に計画された珠洲原発に対し仏教者として反対行動に関わる。1993年、高速増殖炉「もんじゅ」の初臨界を受け「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成に参加。現在同会事務局長。3・11以降、福島県の子どもたちの避難・保養事業など、子どもや若者・妊婦などを被曝から守るための活動に積極的に取り組む。全国各地で原発が持つ問題について講演を行なっている。現在は兵庫県篠山市法傳寺住職。

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2012年1月10日 12:05に投稿されたエントリーのページです。

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