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2011年12月 アーカイブ

2011年12月 8日

必読の被災の手記、『世界』増刊号「破局の後を生きる」

 雑誌『世界』の増刊号「破局の後を生きる」が出た。夏あたりから同誌で公募していた「被災の手記」の特集だ。岩手、宮城、福島で被災した人びとや、ボランティアで活動した人びと、それに原発災害で追われた人びとの経験談が集められている。

 ちょうど昨夜(7日)、数少ない40年来の友人たちとの忘年会があった。仲間のひとりは5月の連休あたりから2度ばかり、被災地にボランティアに出かけており、そのとき、避難所の人たちからこもごも体験談を聞いたという。

 「老骨に鞭打って」というわけではなく、どうやら会社の支店網から若いモンを駆り出して、自分はあまり腰を痛めず仕切っていたようだが、この男には異様な押し出しとコミュニケーション能力(古い日本語では「人情」という)がある。避難所の手伝いをしながら、そこにいる人たちはみなあの大津波を生き延びた人たちなのだとふと思い、「オバサン、よかったねぇ、どうやって生き延びたの?」と尋ねてみたのだという。

 たぶん、この男に聞かれると、自分もひょっとしたら紙一重で生き延びたのだということをあらためて思い起こし、それを確かめるように被災者の人たちは話してくれたのだろう。

 逃げようか、どうしようかと迷いながら家の外に出てみると、ウワー、空からこう、灰色のカーテンみたいなものが一面に広がって落ちてくる。これはイカン、ともう無我夢中で村の奥にある社に向かって逃げ、必死で石段を駆け上がる。そのかかとに、ピチャッと水がかかる。それでも何とか逃げおおせて、津波をやりすごしたという女川の女性の話...、等々。

 けれども、生き延びただけでは終わらない。避難所での生活が始まる。すべてを失いながらも、人びとが助け合い融通し合っていっしょに生きるときの不思議な明るさ、そして日常が戻るころにやってくる重い喪失感や生存への不安、あるいはそんな中でこそ確かめられる家族や社会の再建に向かうそれぞれの人の思いや決意...。

 この「被災の手記」にはそんな思いを綴ったことばが詰まっている。それを読んでいると、3月のころの気配がよみがえる。東北の海岸一帯が「壊滅」だという情報と、福島第一原発の成り行きが、東京に暮らす者の意識をも覆っていた。だが、届くのは概略の情報だ。現地のルポといっても、記者やレポーターのまとめたものになる。この大災害を生き延びた人びとの直接のことばがこれだけまとめて届けられたことはこれまでほとんどなかっただろう。

 年末も近づき、とにかく景気を盛り上げようと、しだいにこの3月の気配は忘れられてゆく。それどころか、政府も国会もあらぬ方を向いて、災厄に災厄を重ねようとしている。東北には厳しい冬が迫っている。ここでもう一度、3月の被災が何だったのか、人びとは何を経験したのか、何が「復興」あるいは「再生」なのか、日本はどうすればよいのか等々を考えるためにも、ぜひこの『世界』増刊号を読みたい。

 手記の公募は来年3月まで続けるという。ぜひ多くの人びとの生の言葉を聞きたい。

 通常の1月号と同時発売で、こちらは「原発、全面停止への道」の特集だ。

★別件だが、映画『ゴモラ』ではらわたが描かれているイタリアの闇組織カモッラの首領が15年間の逃亡の果てに逮捕されたという。http://jp.reuters.com/news(ページ右下)

2011年12月11日

"愕然"経済学者のマニフェストについて

 先回(11月24日の「『ユーロ危機』の茶番...」)の最後に言及したフランスの経済学者たちの刊行した小冊子について、少しだけでも紹介しておこう。この小冊子は« Manifeste d'économistes atterrés », LLL-Les Liens qui Libèrent, 2010である。

 先回は「仰天経済学者」と紹介したが、「ぶったまげ経済学者」とか「愕然経済学者」といった方があたっているかもしれない。ともかく、今の各国経済と世界経済の現状、それに対する官許経済学者たちの対応と経済学の無感覚に「愕然としている」、そういう経済学者たちのマニフェストだということだ。さしずめ日本なら、金子勝とか、東京新聞で週1のコラムを書いている竹田茂夫といった人たちの筋だ。先達としては宇沢弘文とか市橋克人とか伊藤光晴とか宮本憲一とかいった人たちがおり、その流れを汲む人たちもいるが、どうも日本では"スーパー老人"に頼りがちになるのがさみしい。(ついでに言っておくなら、「官許経済学者」というのは原発問題でよく言われた「御用学者」とまったくよく似ている。)

 見慣れないこの版元は、たぶんこの小冊子とそれに続くものを出すために作られたものだが、名前の "LLL-Les Liens qui Libèrent" は、「解き放つ絆」を意味している。「絆」が「縛る」ものだと言って「束縛を断ち切る」ことと「自由化」を要求するのが「自由主義」の主張だとすると、その逆を言っている。つまり、版元の名前そのものが、「自由主義」イデオロギーのカラクリを暴くマニフェストになっているわけだ。「絆」は人を拘束するものではなく、むしろ自立を助け、解放するものだということ、ここは見落としてはならない"ツボ"である。

 わずか60ページのこの小冊子の全体はどこかで翻訳紹介してもらうとして、ここではとりあえず冒頭の「序文」のそのまた冒頭を紹介しておこう。

[以下引用]
 2007年から2008年にかけて世界を揺るがした経済金融危機は、ここ30年来のもろもろの経済政策を牛耳ってきた思考図式の支配を弱めたようにはみえない。金融の権力はその基盤においては何ら問題にされていない。ヨーロッパではむしろ逆に、国際機構や評価機関の圧力を受けた国家が、改革プログラムや構造調整を一層厳しく適用するようになっている。これは過去において不安定や不平等を増大させるという効能を示してきたものだ。それがヨーロッパの危機を一層深刻化しようとしている。

 この明らからさまな事実に愕然としたわれわれは、理論的基盤を異にしながらも、新自由主義正統派がさらにこのうえのさばるのを看過できず、ヨーロッパにおける経済政策のパラダイム転換が必要だと考える経済学者たちの、公共的な意見表明を促したいと考えた。

 経済学者は社会に対するみずからの責任を引き受けなければならない。公共的な議論の場に登場する「専門家」の大部分は、ただ経済政策が金融市場の要求に従属する現状を正当化するばかりである。というのは、このような政策を支えている主要な仮説は、金融市場が実動因であるということと、国家の重みは邪魔だというものだからだ。

 この二つの仮説は、銀行や投資機関の危機とともに決定的に崩壊してしまった。それより先に起こった危機の例に倣うなら、この大危機は経済思想の抜本的改変を要求しているはずだ。じじつ多くの研究者がこの方向での研究に取り掛かった。われわれが本書『愕然経済学者の宣言』を起草したのは、欠くべからざるこの問い直しに一石を投じ、それを援助するためである。
 [以下は時間があったら訳して追加します]

 本文ではさしあたり10の「誤った明証」が並べられ、それに対する基本的な「処方」が示されている。そのリストだけを挙げておこう。

1)金融市場は実効的動因である。
2)金融市場は経済成長を助長する。
3)市場は国家の支払い能力の適切な判定者である。
4)公的負債の急上昇は支出過剰のせいである。
5)公的負債の削減には支出を減らさなければならない。
6)公的負債はわれわれの過剰支出を孫の代に負わせる。
7)公的負債に資金供給させるためには金融市場を安心させなければならない。
8)EUはヨーロッパ的社会モデルを擁護している。
9)ユーロは経済危機に対する盾である。
10)ギリシア危機はついにヨーロッパの経済政府形成と真の連帯へと前進させる。

 この「10の明証」が間違っているという逐一の指摘が本マニフェストの内容であり、それに630人の経済学者が署名している。現在の日本の経済問題(莫大な公的債務、復興に向けての経済政策、TPP問題、年金問題 etc.)にも大いに参考になると思われる。

2011年12月23日

冷える仙台からのメール


 寒い。冷え込むと、何ができるわけでもないが、気持ちがふと北の方に向かう。夏は東京なみに暑くても、冬はずっと寒い。ここ数日はだいぶ冷え込むという。被災地はどんなだろうかと思っていたところへ、ふと昔の教え子からメールが届いた。明治学院のフランス文学科に勤めていたころの、もう20年程前の学生で、付き合いの悪い教師だからその後のことは何も知らなかったが、今は仙台に住んでとある教育施設で教員をしているという。
 今日はそのメールを紹介させてもらう(許可済み)。

    *     *     *

 近所のショッピングモールには人があふれ、
 クリスマスイルミネーションが輝いています。
 道路の亀裂やうねりを修復するドリルの音や、
 居住できなくなった建物を取り壊すショベルカーの音がなければ、
 あの3月に起きた事は夢だったのかな?と思ってしまいそうです。

 しかし私が現在勤務する、......校の生徒たちの
 こんな話を聞くと「震災は終わっていない」ことを
 強く思い知らされます。

 東松島に住む"自称・ガキの頃から荒れていた"18歳の少年は
 「沿岸部の瓦礫はやっとなくなったけど、
 臭いがひどくて、マスクとかメガネがないととても歩けない。」

 彼が住むアパートは1階部分が津波で完全に浸水したものの
 自宅は2階だったので、危うく難を逃れました。
 避難所で出会ったおばあちゃんが
 「今仮設で、ひとりでさびしそうだから」
 時々話し相手になりに行っているそうです。

 福島県の浪江町から避難し、現在仙台市で1人暮らしをしている
 17歳の女の子は
 「一時帰宅で自分の部屋に行ったら、白かった床が真っ黒になってて、
 よく見たらウジ虫がわいてた。仕方ないから棚の上の方に置いてた
 香水の瓶とかだけ持って帰ってきた」
 
 彼女は、震災以来普通に眠れなくなってしまったので
 医師に睡眠導入剤を処方してもらっているのですが、

 「弱い薬じゃ全然効かなくて、最近強いの飲んでるんだけど
 そうするとね、寝る前の記憶がとんじゃうの。
 この間起きたらアロマキャンドルがついたままになってて
 びっくりした(笑)」

 ・・でもみんな懸命に生きている・・のですが、

 国や東電の言うことは、相変わらず信用できないし
 宮城県知事はどうも、放射能被害を明らかにしたり
 除染に取り組んだりしないことが
 県民の利益になると考えているらしいしで、
 腹の立つ事ばかりです。

 (......)

 先生のブログ、時々読ませていただいております。
 先生の益々のご活躍、心よりお祈りしております!

    *     *     *

 メールありがとう。とても...。がんばります。

2011年12月24日

何が「復興」しているのか、この年の瀬

 とうとう「八ッ場ダム」が墜ちた。治水や発電を名目に大土木工事をやって国費をつぎ込み、政治家や官僚やゼネコンが利権に群がるという構造は、自民党政権下で長い間続いてきた。八ッ場の場合は住民の根強い反対で建設省(現国交省)の計画が滞ってきたが、滞れば滞るほど計画そのものは金食い虫になり、落ちるところに金は落ちる。弱小自治体である地元や三百数戸の住民の生活は翻弄され、とうとう建設受け入れに転じたが、1952年に計画ができてから2008年までに事業費は雪だるま式に膨れ上がり、2000億から8800億円に膨張と試算されている。この間、事業関連会社に毎年数多くの官僚が天下っている。
 
 いわゆる政・官・財の癒着とその「ムダ」を象徴する事業であり、民主党政権はその中止を掲げ、政権交代直後にいったんはその中止に踏み切った。ところが国交省による再審査を受け、首相になった野田は担当大臣に省官僚上がりの前田をすえたのである。この時点で今日の結果は見えていた。

 言うまでもなく、この構造は原発設置推進の構造と同じである。原発の「安全性」とかダムの治水効果とかは、御用学者のお手盛りでどうにでも辻褄を合わせ、「金の成る木」を植え込んで、それなしには行政が立ち行かない構造を作ってゆく。

 そういう構造を断ち切るには政権交代が必要だったし、財政再建もそういうところから手をつけなければならなかった。そこに「ムダ」を生み出す病巣があるからだ。公共支出がすべて悪いわけではない。それが利権の食い物になり、中毒が止められなくなる構造を変える。その上で必要なら、増税も受け入れられるだろう。だが、仕分けも中途半端に終わり、官僚や財界に押されて構造は変えられない。そのことは原発事故対応にも確実に影を落としている。

 これで沖縄・日米安保、TPP、八ッ場と(それに子供手当や、何より派遣労働法の改正の件もあったが)、民主党の主な公約はほとんど反故になった。野田政権はそれをみずから葬った、というより初めからそんなものはやる気がないかのようである。「不退転の決意」で進めているのは、「アメリカへの気遣い」(つまり戦後日本の「自発的隷従」の更新)と消費税増税だけだ。沖縄をコケにし切った「既定路線」推進と、TPP参加表明だけでなく、最近の次期戦闘機FX選定もその表れだ。そして福島第一の事故で何十万もの人々が不安の日々に投げ込まれているというのに、財界のためにベトナムやトルコに原発を売ろうとする。

 たしかに、これならもう自民党はいらないだろう。自民党がその歴史的負い目(これについては、政権交代のときに『世界』に書いた論文を参照されたい)のためにやりたくてもできなかったことを、この民主党野田内閣は顔をつるっとなでてシャアシャアとやろうとする。これなら「大連立」で、役割の終わった自民党を吸収することさえできるだろう。

 未曽有の大震災の余韻のなかで年が暮れようとするとき、民主党というより、政権交代によって生まれた日本の政治的チャンスの命脈が、街々のイリュミネーションに紛れていまや尽きようとしている。

2011年12月25日

師走の一夕、芝を焼くー有馬記念の後

 毎年、師走も押し迫ってくると下総中山の競馬場では中央競馬会最大のレース有馬記念が行われる。ファン投票とJRAの選抜で、牡牝年齢に関係なく、その年いちばん強い馬が勢ぞろいする。距離も2500メートルと長い。

 今まで最高齢で勝ったのは、1969年と70年に6歳と7歳で驚異の連覇を果たしたスピードシンポリ(野平祐二騎手)だったが、今年は牡3歳のオルフェーヴルが勝った。この今年の3冠馬(皐月賞、ダービー、菊花賞)は1番人気で払戻金は安いが、その底力を見せつけるみごとな走りで楽しませてくれた。勝ちタイムは2分36秒0。3/4馬身差の2着にルメール騎手騎乗のエイシンフラッシュ、これで引退の名牝馬ブエナビスタは7着だった。

 始めから中盤までスローな流れで、オルフェーブルは後ろから2番手につけていた。鞍上の池添謙一騎手もかなりスローでやきもきしていたというが、3コーナー手前から徐々に流れが速くなると、外を回ってスーと進出、4コーナーを大外からまくり気味に加速すると、直線入り口では5、6番手まで押し上げた。「沈むような走りでハミを取って進んでいってくれた」と池添騎手。ハナを切ったアーネストリー、2番手のトーセンジョーダンに外から並びかけると1完歩ずつ差を広げ、馬場の真ん中を割ってきたエイシンフラッシュを一気にかわすと、外から迫るトゥザグローリーを寄せ付けず先頭でゴールに飛び込んだ。(日刊スポーツによる)

 この映像はYouTubeで観られる。
 今年はこの後でブエナビスタの引退式が行われたようだ。

 中山競馬場はこの日が一年の最後となる。有馬記念は10レース目で、弓取り式のような11レースが終わり、すべての馬と人がはずれ馬券の舞い散るなかを去ってゆくころ、競馬場の芝には火がつけられる。来春の芝を生やすために芝焼きが行われるのだ。寒風に掃かれるようにして一筋の赤と黒の線が枯れた広い芝生の馬場を渡ってゆく。

 若い頃、毎年暮れに見た風景だ(ふとした縁があって、何年間かここで働いていた)。ここには豊穣を祈る「春の祭典」はない。一年の労苦を風に委ねて静かに舞わすように、人の去ってゆく馬場の芝の上を今年も低い煙がはっていったことだろう。

2011年12月29日

被災地再訪、および仏教

 年末までにもう一度被災地をという思いを、昔の学生の便りに後押しされるようにして、26、27日とまた宮城に行ってきた。案内をしてくれたのは、以前もお世話になった山形孝夫さんと富永智津子さん、それに今年某テレビ局に入社して、何を買われてかのっけから仙台支局に配属された卒業生のIだ。

 山形さんが「"黒い海"の記憶」(『世界』8月号)に書いていた荒浜小学校、それに四月初めに訪れたとき近づけなかった閖上大橋を渡って閖上地区、そこから福島方向に下って亘理郡山元町に行った。

荒浜小・閖上中.jpg
  (左:海岸の公園から荒浜小方向を見る  右:時計の止まった閖上中学校)

閖上中・閖上港.jpg
  (左:閖上中学校の中から見る校庭   右:閖上漁港付近のゴミ集積場)

 いちごのハウス栽培が盛んなところだったようだが、低地は壊滅で、海岸近くを走る常磐線はいまも津波に襲われたまま放置されている。町は常磐線をもっと陸側に移し、新市街区を作る計画をもっているようだが、それが磯浜漁港を拠点に生活する漁民たちの利害と対立しているという。

 漁業という生業は農業や商工業、とりわけ給与生活者たちとはまったく違うようだ。山形さんのエッセイに実例が描かれているが、「海の幸」が相手であるため、土地との関係や、企業その他の組織に頼って生きるサラリーマンたちとは生き方・考え方が違う。近代社会の枠で考えれば、漁業組合や漁業権をもとに生業を成り立たせるわけだが、その結びつきと「権利」とは、企業や所有権とは違って、むしろ「コモンズ」と言われるものをもとに考えた方が分かりやすいような生活の仕方だ。

 岩手県ではそれなりに行政の配慮があるようだが、宮城県はこの機会に外部資本を導入して、企業原理で漁業を作り変えようとしているようだ。そうなると、今の主流の考えでは経済的には「復興」を目指すことになるが、地域住民の生活全体のことを考えると、津波に輪をかけた「荒廃」を生み出しかねない。漁業権を債権化して売るという話は、後に国家破産に陥ったアイスランドでも、甘い話の発端にあったことだ。
 「復興」をめぐるそんな問題の縮図が山元町にもある。

 27日は、石巻北部の大きな仮設住宅を訪ねた。そこで、お寺の坊さんたちが移動式の「カフェ・デ・モンク」を開いていたからだ。釈迦の説法をするのではなく、被災した人たちにコーヒーや茶をふるまいながら愚痴や「モンク」をひたすら聞く、というカフェだ。道具一式を軽トラックに積んで、夏の間は青空カフェ、今は仮設住宅の集会所などで店開きする。

仮設・モンク.jpg
  (左:石巻北部の大仮設住宅の一画   右:カフェ・デ・モンクの一隅)

 ガンジー金田と名乗る和尚を中心に、曹洞宗や真宗の坊さんたち、それにキリスト教の牧師さんたちも混じってやっている。「心の相談室」をやっているその道の専門家もいるようだ。ガンジー金田に聞いたところ、曹洞宗の寺の住職だが、このカフェではもう宗派は関係ないし仏教も捨てた(!)と言っていた。気持ちはわかる(!)。会ったとたんに冗談全開でポンポン話のできる「モンク」だった。

 東北にはお寺が多いと聞く。今度のような大災害のとき、もちろん多くの人が寺の世話になる。だが、それに以外に寺に何ができるのだろう。多くの新興宗教の活動もあるだろう。だが、伝統宗教に何ができるのだろうか。いわゆる葬式仏教として存続してきた日本の仏教者たちは、いま試されているのではないかと感じてきた。それに、若い(といっても中年が多いが)僧侶たちがこんなかたちで活動を展開している。そしてその活動はそれなりに受け入れられ、機能しているようだが、そこから日本の仏教の新しい展開ができるだろうか。

 福島でも、放射能の不安と地域のしがらみとの間で苦しむ母親たちを支援する坊さんたちに出会った。「原子力行政を問い直す宗教者の会」(⇒)や「放射能から子供を守る宗教者ネットワーク」でも宗派を超えた多くの僧侶たちが活動している。秋には、永平寺の僧侶有志が原発を問うシンポジウムを開き、真宗大谷派は「原発を問う公開研修会」を開いた。また、臨済宗妙心寺派は「原発に依存しない社会の実現」を謳った宣言を採択し、そうした動きを受けて、12月1日には全日本仏教会が「原子力発電によらない生き方を求めて」という宣言文(⇒)を出した。

 宗派を超えて個人で動く僧侶たちの活動があり、おそらくそれが宗派組織にも影響を与えて、いま仏教界からさまざまな動きが現れている。これが日本の一般的な宗教意識をどのように更新してゆくのか、見つめてゆきたい。

 ついでに言えば、年明け早々の1月7日(土)午後1時半から、明治学院大学横浜キャンパスで、「震災と宗教」をめぐるシンポジウムが開かれる。日本近代史の原武史さんの企画で、阿満利麿さん、島薗進さん、V・アレキサンダーさん、それに私が参加することになっている。(⇒案内


2011年12月31日

2011年の終わりに、福島から沖縄を

今年初めのブログには、沖縄ヤンバルの勝山から八重岳を望む集会場屋根のシーサーの写真を掲げた。昨年が日米安保五〇年で、政権交代後の沖縄が日本の政治の焦点になっており、普天間基地移設問題が膠着したまま年が明けたからだ。(その記述のなかに「原発」の二文字があるのを確認した。)
 だが今年は3月以来、日本はもうひとつ大きな未曾有の事態に直面することになった。

 たしかに数ヶ月の間は緊急の対応に明け暮れる日々が続いた。けれども夏を区切りに、退陣した菅内閣を引き継いだ新しい野田政権は、官僚たちの描く路線に乗って旧来の政治体制の「復興」に邁進するとともに、アメリカに対する「自発的隷従」路線を更新しようと、大きな世論に逆らってTPP参加を表明し、年末には普天間基地の辺野古移設のための段取り(環境影響評価書提出)を――ほとんど意味がない茶番にしかならないにもかかわらず――、ひたすらアメリカ向きのアピールとして強行した。それも、95年の沖縄での事件を「よく知らない」と発言して大ブーイングを浴びた防衛相をすえたままでだ。

 この「泥鰌」内閣は、福島第一原発の事故は「収束」したと宣言を出し、ベトナムやトルコに原発を輸出する協定は予定通り進め、八ッ場ダムの中止は反故にし、武器輸出三原則もほとんど無効にし、さらに今回の環境影響評価書の空き巣のような未明の持込みと、利権掃除なしの増税プランを、「泥をかぶるのは朝飯前」とばかり、ツルリと顔をぬぐってやってみせる。官僚や財界や日米安保マフィアたちにとっては何とも心強い味方だろう。安保マフィアは去年の沖縄民衆の度重なる意志表示によって、そして経産官僚や財界は今年の原発震災で、ともに致命的な打撃を受けたはずなのだが、それが野田内閣のもとでここに来て「復興」し始めている。震災やとりわけ原発事故の影響で、被災者はいつ終わるとも知れない苦境に陥っているというのに。

 「がんばろう日本!」などという掛声でメディアを埋め尽くし、人びとの耳目が東北に向くその背後で、沖縄をめぐっては再び「国防の先端」として再編すべくさまざまな策動が進んでる。八重山における教科書問題(石垣市教委が中学の公民教科書に「つくる会」系の育鵬社版を採択)はそのひとつだ。

 原発と軍事基地の設置や維持をめぐる、国と地方との関係は実はよく似ている。
 沖縄の米軍基地はもちろん戦中・戦後に占領軍によって置かれたものだが、日本復帰後、それでも沖縄に米軍基地を維持するために、長い間、基地がないと経済的に成り立たないということが言われて、それが基地を維持させる口実にもなってきた。だが、来年で40年にもなる復帰後の長い経験を通して、基地の代償としての経済援助はむしろ沖縄の自立的発展を阻害するということが明白になっている。依存や従属の構造を再生産しそこから脱け出せなくするだけだ。だからいま沖縄は保革の区別なく一丸となって基地撤去を求めている。

 一方、原発に関してはつい最近まで、原発があるから地域経済が潤うという言い方が生きていた。核燃料再処理施設のある六ヶ所村についても同じだ。他に生業の道がないとみなされた人口の少ない地域に、原発と一蓮托生という経済・社会構造が植えつけられてしまう。

 そういうかたちで地方を操ることを日本の政治はやめるべきだった。自民党政治はそのような構造を張りめぐらすことで支持基盤を維持してきた以上、それを変えることはできなかった。だからこそ政権交代が必要だった。また、このような国内の統治構造は、国際社会における日本の指導層のアメリカへの「自発的隷従」の構えと結びついていた。政権交代はその二つを変えることを歴史的意味としていたはずだった。

 去年は沖縄で、期待を裏切る新政権への広範な反発が表明され、今年は東日本を大規模な災害が襲った。それは言ってみれば、骨抜きになりかかった非自民政権への「警告」でもあった。ところがいま野田政権は、その双方をやりすごし、問題の解決をあらぬ「復興」ですり替えようとしている。そこで息を吹き返すのは、他でもないダメだしをされた「旧い日本政治」の担い手たちだ。だが彼らこそ、日本を今日の苦境に導いた張本人たちなのである。

 東電にメスを入れ、電力生産流通のシステムを変えなければならないように、旧来の利権構造とそれが硬直化させる日米関係や米軍基地のあり方を変えなければならない。それが復帰40年目にあたる来年に残された課題になる。
 
★最後に朗報ひとつ--今年初めのブログで紹介した比嘉慂さんの作品集がフランス語でも刊行された。『砂の剣』を軸に編んだもので"Soldats de Sabre"(Le Lezard Noir)という。すでにイタリア語版は出ていたが、フランス語でも読まれるようになったことを喜びたい。

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