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2011年11月 アーカイブ

2011年11月 3日

経産省前で座り込む「女たち」と、「代官」志願の首相

 10月27~29日までの「原発いらない福島の女たち~100人の座り込み~」アクションに続いて、11月5日まで、原発の即時全面廃棄を求めて「全国女たちのアクション」が霞ヶ関の経産省前に座り込んでいます。
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(こちらのサイトも参照⇒http://d.hatena.ne.jp/onna_suwarikomi/ およびhttp://www.labornetjp.org/news/2011/fukusimaw1029a
 
 そんなとき、「やらせメール」のゴタゴタの決着もつかないまま首脳陣の居座る九州電力が、玄海原発4号機を抜き打ちで再開した。社長居座り(つまり会社はなんら悪いと思っていないこと)に経産相さえ「不快感」を表明しているのに、佐賀県知事や九電はまるで福島第一の事故などなかったかのように、これまでとまったく変わらないやり方をしている。だから昨日は、「全国女たちのアクション」は夕方、霞ヶ関から有楽町駅前にある東京電気ビル内の九電支店に移動し、抗議文を突きつけた。

 一方、福島第一では、二号機でどうやら局所臨界が起きているとのニュース。おそらく一号機、三号機でも調査すれば同様の事態が出てくるだろう。だが、経産省安全・保安院も政府(細野)も、年内「冷温停止」の予定に支障はない、と繰り返す。この春からずっと繰り返されたことだが、「わが方の損害軽微なり」という大本営発表だ。
 そのために、子供も含めてどれだけの人たちが避けられた被爆を強いられたか、「パニック(風評?)を恐れて」のスピーデー情報隠蔽も含めて、まずかった対応への反省もない。

 そしていま、野田政権はTPPに踏み込もうとしている。新しい時代への対応とか、ルール作りに積極的に参加するとか、アジアの成長を日本に取り込むとか、いろいろ理屈がもち出されるが、アジア諸国などほとんど関係なく、要は民主党政権下でぎくしゃくした日米関係を修復する(つまりアメリカの覚えめでたくしてもらう)ために、アメリカさんの言うとおりにいたします、ということに尽きる。TPPはもともと、アジア諸国主導のネットワークに対して、アメリカが自分の仕切りでやると打ち出した協定であり、中国は排除されていて、アジア諸国の市場規模はほとんどとるに足りない。アメリカは日本(やアジア諸国)と中国を分断する一方で、自分ではこれを取引材料に中国とはうまくやるという、自国中心政策をとっている。TPPはそのためのカードでもある。

 日本の歴代首相は、日本で支持をうるより、アメリカに認められそのお墨付きをうることの方に重きを置く。そうすることで国内でも官僚や政治家たちにつぶしがきくようになるからだ。要するに、日本の首相はアメリカ政府の日本統治のための「代官」にすぎないということだ。代官は「お上」に認められないと身がもたない。そして「お上」の後ろ盾があれば「悪政」もできる。国を売ることも辞さない。「お上」に褒められるからだ。日本の政治家はこういうことでいいのか、ということだ。
 元大蔵省財務官として、長く日米交渉にあたった榊原英資氏もこういっている(朝日新聞11月2日)。
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 とりわけ今は、TPPなどより、原発震災からの社会の立て直しが急務で、それにまともに取り組んでゆけば、TPPとはまったく別のこれからの社会の展望が開けてくるだろう。
 
 ギリシアでパパンドレウ首相が「国民投票」を言い出して、EU首脳があわてている。それを見て、日本のテレビのキャスターや解説者が、自分もEU首脳になったような口ぶりでギリシア首相を非難する。国民投票をやるとEUのギリシア救済策は否定されかもしれない。だからやるな、ということだ。それは要するに、「国際協調」するためには国民の言うことなど聞いていてはいけない、ということだ。つまり、少数の指導者が決定して、反対する国民は弾圧すればいいということだ。

 これは実は他人事ではない。世界の信用不安が日本にも及ぶからということではなく、原発政策も、福島の事故を抱えながらベトナムに原発を輸出することも、国のトップが国民の意思を無視して進めればよい、TPPもどんなに国内に反対があっても「国際協調」のために進めなければならない(それでないとアメリカが怒る)、というのと同じことになるからだ。
 パパンドレウはそうはしなかった。だからEU首脳を肝を冷やすのを承知で、国民に問うという賭けに出たのだ。グローバル化と「成長の限界」の明らかな時代に、どのような国のかたちをとってゆくのかということが、どの国でも真剣な課題になっている。

 TPPについて、早期に結論を出すのは、早く決めないとルール作りに参加できないから、というのが理由にされるが、2日付けの東京新聞の報道によれば、日本の当局(つまり外務省)には、日本が参加を決めてもアメリカ国内でそれを承認する手続きに3ヶ月程度かかり、さらに実質参加するために時間がかかり、結局日本が加われるのは来年夏ごろになる、という通知がアメリカから来ているそうだ。その一方で、TPPの中身のつめは夏までには終わるとされており、そうなるともはやどんな口実をつけても日本が交渉に参加を表明することには意味がないということになる。唯一意味があるとしたら、「はい、どこまでもアメリカさんに従います」という意味だ。

2011年11月 7日

『ゴモラ』、『サウダージ』、“経済成長”が生む“産廃”の闇

映画『ゴモラ』

 渋谷のイメージフォーラムイタリア映画『ゴモラ』を上映している。南仏の港湾都市ナポリの犯罪企業組織カモッラを扱ったロベルト・サヴィアーノの小説が原作で、著者みずからこの組織に潜入して取材したこの作品は、イタリアで百万部を売ったという。

 この小説にはいささか縁があった。09年にフランスに滞在したとき、研究所の若い同僚だったイタリア人のルイジが、わたしの誕生日にくれたのがこの本の仏訳だった。現代社会の「全面的計数化」の思想的意味をハイデガーを参照しながら論じる一方で、少女買春スキャンダル渦中のベルルスコーニのニュースを日々ネットで追いながら「イタリアはポストモダン政治の最先端だ」と嘯いていたこの若いイタリア人研究者は、「おまえ、イタリアってこういうところなんだよ」と言いいたげに、わたしにこの本をプレゼントしてくれたのだ。
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 冒頭から、桟橋に高く吊り上げられたコンテナから、バラバラと積み荷が落ちこぼれる…、人間だ、“密輸品”の中国人だ…。といった具合のエグ~い小説だ。とはいえ、このプレゼントはわたしに対するルイジの最大の好意の表明であったことを疑わない。このときすでに仏訳本の表紙には映画の1シーンが使われていたが、その映画がとうとう日本でも見られるようになった。

 以上は私的なエピソードにすぎない。映画は小説とは少し仕立てが違って、姿の見えない“組織”の網の目に覆われた地域に生きる人びとのバラバラの群像といった作りだ。名だたる名優もいるが、刑務所のアマチュア劇団や現場でスカウトされたという素人役者、とくに少年やイカレタ若者がすごい。

 といった映画評風のコメントもさておき、こちらの関心に引きつけてみると、この映画には、グローバル経済のもとで生み出される“アウトローの郊外”とか、周辺化される地域の様相が活写されている。

グローバル経済のカーテンの向こう

 グローバル化が促す企業の価格競争が、すでに産業化によって周辺化し貧困に陥った地域に、生産の底辺基盤とあらゆる類の「廃棄物」を押し付けてくる。クールな商品が流通し消費される「市民」たちの社会と、その背後でそこから締め出される「裏」社会との分化が進行する。それをつないぐ見えない「組織」カモッラ、その蜘蛛の巣に絡まるようにして生きるしかない若者たちの「生態」がここにある。

 生産・流通プロセスのなかに、いくつもの市場取引がある。セリや入札で請負が決まる。その請負から先のことは、製品流通の表には表れてこない。それが合法性の敷居だ。強引に競り落としたその先は、請負の世界。そこでは無理が道理を押しのける。

 オートクチュールの下請け製造であれ、産業廃棄物の処理であれ、請負から先のことに発注企業は関与しない。その先の闇が、非合法労働の半地下社会であったり、国境の外の劣悪環境であったりする。この構造によって基礎工程を安価に仕上げ、「良質」な製品を消費者と呼ばれる世界中の買い手に「安価」に供給し、競争相手を駆逐しながら生き残るのがグローバル企業だ。

 2005年に紹介した映画『ダーウィンの悪夢』(フーベルト・ザウパー監督)が思い出される。この映画に扱われた魚の食品産業も、衣料品製造も、構造的には変わらない(西谷編『グローバル化と奈落の夢』せりか書房、参照)。

 そして今なら、原発の下請け労働を思い起こしてもよいだろう。東電と東電系3社、それに日立・東芝があり、それが元請となってその下に見える下請け、さらにその下には派遣会社など幾層もの下請け構造があり、労働実態は見えなくなる。それについて東電は“われ関せず”を決め込むのだ。

日本の“郊外化”とTPP

 予告編で、富田克也の近作『サウダージ』をやっていて、これも連想を誘う。『サウダージ』は長引く不況でシャッター街化し、それでも“国際化”(ブラジル人労働者、タイやフィリピンから来た女性たち)の余韻の残る甲府の街の話だが、時々暴動の起こるフランスの“郊外”や、ナポリの物騒な閉塞に、もはや日本も無縁ではないことを思わせる。

 こういうものを見ていると、グローバル化を利して企業の業績を上げ、それで実現される“経済成長”というものがどういう事態を引き起こすのかがよく分かる。スティグリッツも言っていたように「トリクルダウン理論」(富裕層が現れればそのおこぼれが全体を底上げするという主張)には根拠がない。それどころか、社会を華やかなショーウィンドーと汚泥の闇とに分化する。“安全”が強調されるのは、この種の“繁栄”が必然的に不穏の種を生み出すからだ。一方の“安全”のために他方が“無法”に排除され、その間に“分離壁”と監視装置とが据え付けられる。

 世界中がしだいに一様になる。どこもがしだいに豊かに発展するのではなく、貧富の差が拡大し、社会の分断が進行し、カーテンの背後に汚泥のゾーンが広がる。日本でもすでに、90年代以降の日米構造協議による国内改造と、それに輪をかけた「小泉改革」によって、このプロセスは大いに進んだ。TPPはそれをさらに推し進めるものだ。
 
 今また野田政権は、政権交代で止まりかけたこのプロセスにTPP参加によって踏み込もうとしている。アメリカの高官はTPPの目的はアジア太平洋地域にアメリカのルールを広げることだと臆面もなく言っている。だが、アメリカはもはやどんな意味でもモデルたりえない。アメリカ社会はボロボロになり、“持たざる99パーセント”によるウォール街の占拠運動が起こっている。アメリカ式ルールが“経済成長”をもたらす(それも2008年の金融恐慌で破綻しているはずだが)としても、その“成長”は“1パーセントの富裕層”を益するだけだということは、もはや歴然としている。そんな“成長”とは違うものを目ざさなければならないのだ。とりわけ震災後の日本は。

★TPPについては、金子勝が『世界』12月号に「平成の“属国”化、TPPの嘘」で、これぞ極め付け!の批判を、簡潔かつ明快に書いている。また『東京新聞』は、政府が隠している交渉の中身や米高官の話などを記事にしている。

2011年11月20日

「すべて世はこともなし...」

 『北緯37度25分の風とカナリア』(弦書房、2010年)という詩集がある。このブログでも一度(7月29日)言及したことがある南相馬の詩人、若松丈太郎の詩集だ。最近、ある文章でふれる必要があって、もう一度とりだした。巻末からふたつめに「みなみ風吹く日」という詩がある。目次には「原町市(現南相馬市)」という注記がついている。そのなかごろに、次のような一節がある。

  南からの風がここちよい
  波間にただようサーファーたちのはるか沖
  二艘のフェリーが左右からゆっくり近づき遠ざかる
  気の遠くなるような時間が視える
  世界の音は絶えて
  すべて世はこともなし
  あるいは
  来るべきものをわれわれは視ているか

 海を眺める想念のなかに、福島第一原発周辺での日々の小さな異変や、チェルノブイリの記憶の断片と、東京電力の事故隠しの記録が織り込まれた一篇だ。全体を紹介したいが、この箇所だけにとどめておこう。

 震災原発事故からはや8か月、最初の1、2か月の動転と狼狽はどこへやら、実直なサラリーマンよろしく目立たぬように仕事する首相のもと(ただし、国外では勝手なことをやり、とりわけアメリカにはいい顔をしたがり、全体としては、歴史のしがらみを引きずる自民党ができなかったことを自分たちはできるとばかり、政権交代を無意味化するような政策をとろうとしている)、日本の社会を今日の状態にまでもってきた「戦犯」たちが、またぞろ蠢きだしている。彼らにとっては、戦後日本のいま一度の「敗戦」も、しばらく頬かむりしてやり過ごせば、何をどう変える必要もない一時の混乱でしかなかったことにできるかのようだ。

 東京電力は相変わらず涼しい顔で存続し、なんとか被害補償を免れようとあの手この手を打っているし、「やらせ」の九州電力や北電は何を反省すべきかさえわからず居直り続けるありさまだ。総務省は相変わらず予算を使って「反原発」の言論調査をやっており(20日付東京新聞1面参照)、経産省は何を考えてか、国の「除染」作業の仕切りをあの西山元審議官にやらせるという。どういう神経をしているのか。

 時が経つにつれ、「千年に一度」の東日本大震災も「レヴェル7」の福島第一原発事故も、大した出来事ではなかったかのように、元に変わらぬ仕組みが頭をもたげ、従来のやり方が修復されてくる。かれらはそれを「復興」だと言いくるめるつもりのようだ。地震や津波の責任はとれないが、少なくとも原発事故とその膨大な被災に関しては、その責任が問われなければ社会は何も変わらない。

 そんな事態が進行していると、すでに空しく出来事に呑み込まれてしまったかに思われる上の詩句も、あらためて別の意味を帯びてくるようだ。

  世界の音は絶えて
  すべて世はこともなし
  あるいは
  来るべきものをわれわれは視ているか

 「来たるべきもの」つまり「未来」はすでにきてしまった。ただ、それでも変わらずに響くのは「気の遠くなるような時間が視える」という一句だ。そう、目にも見えず音も立てない「10万年単位」の時間にわれわれは向き合っている。

★冒頭にふれた拙文は「地震(なゐ)に破れ、解き放たれた時間、または手ざわりのある未来」として、近日発売の『世界』臨時増刊号(原発震災手記特集)に掲載される。

2011年11月24日

「ユーロ危機」騒ぎの茶番、マッチ・ポンプの金融界

 「ユーロ危機による世界経済の混乱」とか言われる(23日「NHKスペシャル」のキャッチフレーズだ)。ギリシアやイタリアをはじめとするEU各国の財政赤字と、国債金利の上昇のためEU圏の緊縮財政が求められ、それが景気低迷を招いてさらに財政状況を悪くするという「負のスパイラル」に入っていると言われる。

 それが日本にも影響する局面として、Nスペは輸出産業のキャノンと大阪の年金運用機構を取り上げていた。キャノンは冷え込む市場をにらんで、工員の手足の動きを0.5秒単位で切り詰め、生産効率をあげることで対応しようとする。ただでさえ緻密な作業プロセスのさらなる締め上げという実質的な労働強化を、現場がすすんでやるのが日本の「カイゼン」システムだ(30バーセント以上「向上」できたというが、これには円高対応もあるだろう)。年金運用機構の方は、欲がないのが取柄の風の年配の責任者が、カバンをもって右往左往し、20パーセント以上の資産の目減りを憂慮しながら、来年はどうしようかなどと悠長に悩んでいる。目減りが続けば、年金の減額も考えねばならない。

 だが、この危機を好機として、弱みをもつ国をハゲタカのように狙いながら、CDS(クレジット・デフォルト・スワップで国債金利の上昇を仕掛けて高値で売り抜け、ボロ儲けし回るヘッジ・ファンドがある。ヘッジ・ファンドだけではない。国債の価値を決め、動かしているのは世界の金融市場だ。そこにだぶつく余剰資金が、甘い利益を求めてあらゆる金融商品を売り買いし、値を吊り上げたり引きずり落としたりして利ザヤを稼ぎ、マネーゲームで世界中の経済を翻弄している。

 物を作る製造業も、時間と手間暇のかかる農業も、人から年金用に預かった金を悠長に運用する年金機構も、敏捷で貪欲なヘッジ・ファンドや投機筋の前では、プロレスラーに赤子のようなものである。

 間違えてはいけない。「世界経済の混乱」は「ユーロ危機」によって起こっているのではない。国が潰れて多くの国民が路頭に迷うことなどおかまいなしに、コンピューターによるマネーゲームだけで荒稼ぎしようとする連中が跋扈する、こういう金融市場のために起こっているのだ。

 2008年の恐慌は、ウォール街が挙げてこういうゲームに走っていたことから起こった。
ウォール街だけでなく、アメリカの金融政策全体がそれを助長していた。そこには「金融市場の不可侵の自由」という、金持ちだけを徹底的に守るルールがある。融資がないと経済が動かない。景気もよくならない。だから投資家を優遇して資金の流れをよくする。そのためには金融市場の「自由」が必要だという。それは、株式会社の株主優遇と同じだ。アメリカの裁判所は、会社の経営者は業務内容や商品を買う顧客にではなく、投資した株主に対して責任を負うという判決を出した。つまり会社の経営は、資金を出した株主の利益のために行わねばならないということだ。アメリカはそれを世界標準にしようとした。

 もともと、投資家が利益をうるのはどうしてか。会社が良いものを作って売るからではないのか。投資家は企業のおかげで儲かる。ところが、これが逆転して、投資家がボロ儲けをするために投機し、企業も労働者も恣意的な資金操作に揺さぶられながら青息吐息で働くことになる。そして民間(私)企業だけでなく、いまでは国家さえ投資家の利益を守るために財政運営し、税金を駆り集める企業に成り下がっている。だから行政府の政治責任でも行政責任でもなく、「経営責任」なるものが問われることになる。

 これが「自由主義経済」とそのグローバル化の行き着く果てだ。

 *  *  * 

 もちろん、財政事情に頬かむりして金融市場から資金を調達し、赤字財政を続ける政府も悪いが、それにハイエナのように群がる投機筋を野放しにしている金融システムはもっと悪い。中毒患者は強制的に病院に入れるが、麻薬取引は「自由」に任せるというような話だ。2008年のメチャクチャなアメリカ発金融恐慌でその破綻があからさまになったにもかかわらず。

 このひと月の間にも、まずギリシアが財政破綻寸前(事実上は銀行を半分踏み倒す破綻状態)になり、パパンドレウ首相が辞任してパパデモスが代わった。その危機のさなかにイタリアも「危篤状態」に陥り、わがイタリアの友人に言わせれば「ポストモダン政治」を長らく体現していたベルルスコーニがついに退場して、ここも「財政のプロ」とされるマリオ・モンティが首相になった。そのついでに、イタリア出身のマリオ・ドラギが欧州中央銀行の総裁になった。

 そして次の破綻候補と目されていたスペインでは、不況や失業問題が好転しないなかで、7年ぶりの政権交代が起こった。ザバテロの社会労働党が下野し、国民党が返り咲いたのだが、この国民党はかつて日本の小泉とともにブッシュのプードルと言われたアスナールの率いていた政党だ。政策は当然「新自由主義」である。イタリアはIMFの監視下に入ったが、IMFの要求するのも「構造調整」であり、かつて多くの発展途上国を苦しめた歳出削減と市場開放がその処方箋だ。

 その結果は、社会的基盤はボロボロになり、貧富の差は激しくなって社会不安は増大する。それはもう検証済みだ。しかし現在の「経済危機」「財政危機」にはそれしか処方箋がないというなら、EUもどこもしだいに「途上国化」してゆくことだろう。アメリカも国内では実質的にそうなっているようだ(日本では相変わらずアメリカが手本のようだが)。

 危機のなかで舵取りを担うべく登場した上記の3人はたしかに「財政のプロ」のようだが、じつは3人が3人とも、2008年のアメリカ発金融恐慌の影の主犯格ともいえる最大の投資銀行ゴールドマン・サックスのヨーロッパ法人の関係者だという(『ル・モンド』11月14日)。アメリカ政府と結びつきが深く、何人もの財務長官を輩出してきたこの会社の関係者が、破綻EU国家の再建をやるのだという。

 まったくマッチ・ポンプとはこのことだが、「大きすぎて潰せない」金融機関は、自分たちの破綻の尻拭いを国の「公的資金」(つまり税金)で埋めさせておいて、そのお蔭で立ち直ると(つまり重役たちの巨額のポーナスが回復すると)、今度は国家まで直接経営しようというのである。もっとあからさまに言えば、金融界の連中が世界危機を引き起こし、その責任も取らずにつけを諸国家に払わせて、それで行き詰まる国家がでると、政治家たちは頼りないからといってまんまと政権につき、とうとう国家まで乗っ取ってしまったということではないか。

 (ついでに言うなら、じつは日本でも同じようなことは起こっている。福島第一原発の事故や日本の原発政策にもっとも責任のある経産省・東電が、なんの責任もとらずに事故処理をし、補償のスキームを作り、原発政策の「復興」まで行っている。泥棒に警察や裁判所の役目まで全部任せているようなものである。)

 現在の世界の状況はこんなばかげたことになっている。破綻しているのは金融システムだけでなく、そのベースになっている"経済"なるものの考え方だ。そのことを指摘するために『"経済"を審問する』(せりか書房、2011年)という本を編んだが、最近フランスで心ある経済学者たちが、自分たちもビックリ!というので、とうとう『仰天経済学者たちの宣言(仮題)』という小冊子を出した("Manifeste d'economistes atterres", Les liens qui liberent, 2010)。次回はそのさわりを紹介したい。

2011年11月27日

原発をめぐるフランスの近況その他

 初めに別件――仙台の河北新報社が震災津波直後の新聞発行のためのにどのような奮闘をしたのかを再現した『河北新報のいちばん長い日』(文芸春秋)が、今年の新聞協会賞をもらったようだ。「すべて世はこともなし...」に流されてゆきそうな昨今、もう一度3月11日とそれに続く日々がどうだったのかを生々しく思い起こさせる、そして現地の報道を支える人々がどう格闘したのかを伝え、紙媒体の何たるかを教える必読の記録だ。

 残念なことは、福島第一原発は初めから報道陣を完全にシャットアウトし、今も現場どころか周辺にさえ人が入れない。3月11日以来、日本には情報を外に出さずそこからの情報がほとんど出ないブラックホールがあるということだ。被曝の恐れがあって危険だというのなら、事故処理の作業さえできないはずだろう。この徹底的な情報管理を、メディアが諾々と受け入れているのも不思議だ。「知らせる」ということ、メディアはそれを真剣に考える必要があるだろう。河北新報の記録を読んで、あらためてそのことを思う。
(この件、冒頭にもってきました。11/30)

*     *     *

 日本では、細野原発相が高速増殖炉もんじゅを廃炉も含めて検討と踏み込んだ発言をする一方で、東芝がアメリカに新設原発向け機器を輸出するといったニュースがある。今日は、日本でほとんど報道されていないフランスでの状況について少し。

 核大国フランスでもフクシマ以後の世論調査で初めて「原発撤退」への賛同が「即時、漸次」を合わせて60%を超し、この件が来年前半にある大統領選の主要な争点になってきた。

 折しも、ノルマンディーのラ・アーグ工場(アレバ社)で再処理された核燃料・廃棄物が、23日あたりから抗議行動とそれを上回る厳戒態勢のなか、鉄道でドイツに移送されている。11個の巨大なコンテナを11輌の貨車が、1000キロにおよぶ行程を運ぶ(日本も同じようにラ・アーグで再処理を頼み、核燃料・廃棄物をあかつき丸で地球を半周して運んできた。映画『東京原発』はそのことを背景にしている)。

これがドイツに委託された最後の分だという。貨車は26日北ドイツのダンネンベルクに到着し、そこから先は最終目的地ゴルレーヴェンまでトラック輸送になる。核廃棄物の長距離輸送の危険のアピールと、地元への「長期中間貯蔵」に抗議する反対派の国際連携運動で、輸送はすでに予定より遅れているが、この日はダンネンベククでは大規模な集会と抗議行動があり、l万9千人の警官隊が出動したという。(Le Monde 24/11/2011
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 来年の大統領選は、現職のニコラ・サルコジと社会党統一候補となったフランソワ・オランド(セゴレーヌ・ロワイヤルの元夫だ)との一騎打ちになりそうだが(国民戦線ルペンの娘マリーヌ・ルペンも第一回投票では10%以上の得票が見込まれる)、ヨーロッパ緑の党(EELV)からはアイスランド国家破綻の法的処理で活躍し、その後フランス政界に転進したノルウェー出身のエヴァ・ジョリが出ることになっている。

 社会党は今後15年から20年で現在75%の原発依存率を50%まで下げ、電力多様化を図るという政策を掲げ、緑の党との選挙協定を提案した。緑の党はこれを受けて、第一回投票では独自候補でゆくが、決選の第二回投票では社党候補オランド支持に回り、連立政権に加わる方針を立てた。

 ところが、エヴァ・ジョリはそれに従わず、第二回投票でオランドへの投票を呼び掛けることはしないと表明、現実的路線をとろうとした党の方針と食い違ってしまった。エヴァは政財界の汚職の追及で名を挙げた元判事で、ひるまず屈しないことで信望を得てきた。そのエヴァはこのところ「脱原発」の姿勢を鮮明にしている(つい最近、非公式に福島も訪問した)。ところが、緑の党は国際連携や他のエコロジー勢力(原発よりも温暖化や他の環境問題を重視する勢力もある)との関係もあって、「柔軟」な対応をしようとしたのだ。

 党はエヴァ・ジョリを担いだが、エヴァは党の思うようにはならなかった。エヴァは今では「わたしのフランス語が下手で誤解を招いてしまったが他意はない」とショゲている。選挙の大勢はあまり変わらないだろうが、この件でエヴァと緑の党双方がダメージを受けたことは否めない。

 フランスの原発政策は、19世紀の普仏戦争以来つねに隣の「遅れた国」ドイツに苦杯を嘗めさせられてきたこの国の、悲願と矜持のかかった国家政策でもある。だからドイツが撤退するからといって、フランスの国家意思はやめるという選択をしにくいだろう。とはいえ、フクシマ以後フランスの原発もすでに二度も事故を起こしており、原発に対する市民の不安は広がっている。世論調査では、次期大統領選ではオランドが当選し、久しぶりの左派政権が誕生するとみられているが...。

 それに追い風を吹かせる事態も生じてきた。ニューヨークのソフィテルで不始末をしでかして、大統領選本命候補を棒に振った元IMFの専務理事ドミニク・ストロース・カーンの事件で、新たな事実が出てきた。ソフィテルがこれまで非公開にしてきた事件当時のホテルの監視ビデオに、妙な場面が写っていたというのだ。

 DSKが空港から、携帯電話(ブラックベリー)が落ちていなかったかという電話をホテルにかけたとき、すでに客室係の女性の訴えでホテルには警察がいて、「携帯はあるから空港まで届ける」と応対し、空港で待たせたDSKをまんまと逮捕したのだが、その電話でDSKが空港で捕まることが確実になったとき、その場にいた関係者2人が突然はしゃいで踊り出したのが写っている。その二人が間接的ながらフランスの警察関係者だったというのだ。さらに、実はこのブラックベリーは依然として行方不明なのだ。(Le Monde 26/11/2011

 思い出されるのは、サルコジがフランス内務相として地位を築いたということだ。この事件の直後、強敵の突然の失墜に、大統領のサルコジは周囲に対し「あまりはしゃぐんじゃない」と釘を刺したという話はすでに伝わっていた。先回以来、フランス大統領選にはインボウの匂いが付きまとっている。


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