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2011年8月 アーカイブ

2011年8月 2日

『ツナミの小形而上学』と高木仁三郎

 もう一度、ジャン-ピエール・デュピュイ『ツナミの小形而上学』(岩波書店)を紹介しておきたい。

 破局(カタストロフィ)の預言者はいつも受け入れられない。なぜなら、破局はまだ起こっておらず、それはあいまいな「未来」でしかない。人びとは現在の現実的関係のなかで生きていて、まだ訪れていない「未来」を基準に行動しようとはしない。だから予言は、事が起こったときにしか信じられない。だが、それでは遅すぎるのだ。予言には意味がなかったことになる。予言は人びとに破局を避けさせるためにこそなされるのだが、それが起こってしまっては、予言はその役目を果たさせなかったのだ。

 この「予言のパラドクス」から、人はどうしたら抜け出すことができるのか? それがこの本のテーマである。本の冒頭で「予言」を象徴しているのは旧約聖書の預言者ノア(箱舟によって大洪水を脱したノア)だが、この本が念頭においている「破局」(災厄)は神話的なものばかりではない。もちろん自然災害もある。だがとりわけこの本が扱うのは、科学技術や産業経済の仕組みとグローバル化が条件づけている人間社会全体の「システム的破局」である。

 そこでは大文字の「破局」つまり「人類の滅亡」も想定されるが、局地的「破局」もある。前者は後者の積み重ねからも起こりうる。日本を襲った自然災害が引き起こしたのもこの「破局」である。

 破局はいつも「まだ起こっていない」ものとして「未来」にある。だが、いまその「未来」がここにある。それが「大洪水のあと」ということである。その「大洪水のあと」、われわれはもはやいままでのように生きることはできない。現在の目先にかまけて「未来」を無視するようにしては。むしろ、ここに現実化してしまった「未来」を基準に、この「未来」の全面化を退けるようにしてしか「これから」を思い描くことはできないということだ。

 著者のデュピュイは、「核大国」フランスで核政策を統括する機関の倫理委員会座長を務めている。 6月末に来日した著者とのインタヴューが『世界』9月号に掲載されるので、参照いただければ幸いである。

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 この『ツナミの小形而上学』を日本の現実のなかで受けとめるために、これをたとえば高木仁三郎の『原子力神話からの解放』とともに読むことを勧めたい。

 3月11日以来、少なからぬ人びとが原子力資料情報室(CNIC)のお世話になったことだろう。事故発生の初期に、政府・保安院が「パニックを恐れて」肝心な情報を流さないなかで、頼れる情報や予測を発信してくれたのはこのNPOである。

 高木さんはこの原子力資料情報室の創設者である。この本のあとがきには2000年7月の日付がある。前年の東海村JCOの事故を受け、亡くなる少し前に遺言のようにして書かれたものだ。高木さんはこの本と前後して2000年10月8日に世を去った。62歳という早すぎる死だった。けれども、高木さんがいま生きていて福島第一原発の事故を見たとしたら、どんなに思いを抱いたことだろう。物理学者・核化学者として(プルトニウムが専門)四半世紀にわたって核技術のもたらすものを問い、原発の危険を訴え続け、その人柄と姿勢で多くの人びとの尊敬を集めて、日本では反(脱)原発運動の象徴的存在となってきた高木さんだ。

 おそらく、言いようのない無念と、やり場のない怒りと、そして無力感…。何もかも分かっていて、見透せていて、だからこそ、説得力のある論理を展開し、その研究をもとに可能なあらゆる警告を発し、日本の社会に原発への警鐘をならして続けてきた。そしてその運動(CNIC)も引き継がれてきた。にもかかわらず、起こってはならない事故が起こってしまった。

 10万を越す人びとが避難を余儀なくされ、何10万という人びとが見えない放射能汚染に脅かされて暮らし(福島ですでに子供や母親たちの内部被曝が確認されている)、いつまで続くとも知れぬ事故収束のために多くの人びとが被曝の危険に身を曝して働いている。

 こういう事故が起こらないために、人びとがこんな災厄を被らないために、高木さんは生涯をかけて原発の問題に取り組み、その廃止に向けて訴えてきた。それは「危険を叫ぶ」のとは違う、科学的な研究にもとづく根気づよい「説得」といった風でもあった。

 だが、それが起こらないためにこそ続けられてきた努力も、事故が起こるのを止められなかった…。高木さんの無念さははかり知れない。とはいえ、失意に沈んでいる暇はなく、きっと高木さんは被害の拡大を防ぐあらゆる方途を求め、救済や除染のためにすぐに奔走を始めたことだろう。なぜ自分たちの声は届かなかったのか、どうすればこれを最後にできるかを考えながら。

2011年8月 8日

神大評論「グローバル世界と中東民主化運動」

 「神奈川大学評論」69号(2011)の標記特集に巻頭エッセーを寄せました。ユニークな活動を続ける雑誌ですが、一般にはあまりなじみがないかもしれないので、ここにも掲載させていただきます。日本では大震災・原発事故によって後景に退いてしまいましたが、今年初めの世界の大きな出来事です。
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 チュニジアの「革命」は、フェティ・ベンスラマの言葉を借りれば「不意に、死角からやってきた」。さまざまな抑圧機構を備えた長期の独裁体制は、社会に閉塞感を漂わせながらも、いわゆる国際社会の支持にも支えられて、そう簡単に崩れるとは見えなかった。その崩壊をもたらしたのは、組織的な抵抗運動の結果ではない。ひとりの若者の絶望的な抗議の自殺が、日常的屈辱に甘んじていた人びとの「奪われた尊厳」の意識に火をつけ、独裁政権を倒そうとする意志が、そう、もはや抗えないツナミのように広まっていったのだ。

 それはエジプトに飛火し、2月には中東最大のこの国のムバラク政権を倒すにいたり、他のアラブ諸国にも広がった。もちろんすべての国々で同じようには進まず、半年後の今、リビアやシリアでは予断を許さない状況が続いている。それでも言えるのは、チュニジアの「火」が連鎖を引き起こす素地が中東諸国の民衆の間に広がっており、それが既存の統治体制の退場を求めたということだ。

 「革命」と括弧付きで言わねばならないのは、それがこれまでのどんな革命にも似ていないからだ。西洋の近代に発した革命と違うのはもちろん、経緯は多少似ていないでもないイラン革命ともはっきり違う。社会主義の理念やイスラーム主義に支えられたものでもなく、組織的な主導もなく、とりわけその「蜂起」は何より非暴力的だった。

 この出来事の意味を示唆しているのは、それがアラブ世界の独裁政権を倒しただけでなく、その政権を支援することで地域的安定をねらってきた米欧をもとまどわせたことだ。米欧は「自由と民主主義」を共通の価値として掲げ、「市場の自由」をもうひとつの原理としてグローバル化を推進してきた。だが、アラブの民衆が素手の「蜂起」で求めた「自由」は、米欧が力で与えようとしたそれとは違うし、また生活基盤を崩した市場の「自由」でもなかった。むしろそうした統治の意図に絡めとられず、抑圧や動員や洗脳に取り込まれずに生きる「自由」だ。

 一部のイスラーム主義が言うように、アラブ・イスラーム地域に独自の「自由」や「民主主義」の伝統があったということでもないだろう。むしろ、グローバル化が進んで諸地域が相互に干渉し、情報が行き交って平準化してゆくなかで、各地の社会はいやおうなく誰もが「自由」を求めるような状況になってゆく。それはイスラームの歴史や文化の否定にはつながらないが、また西洋的価値への同化を意味するわけでもない。世界との結びつきがもたらす状況変化が、地域の社会のあり方と人びとの意識とを基本的に変えたのだ。その意味で、この「自由」のあり方は歴史的かつ現在的である。

 5月2日に米軍はオサマ・ビンラディンを殺害したと発表した。アメリカでは歓喜の声が上がったようだが、今回の「革命」にあってイスラーム過激派は蚊帳の外だった。ビンラディンが唱えたような「聖戦」とはまったく違った形で、アラブの民衆は「解放」を手にした。要するに、アラブの若者たちにとって、「敵」は米欧ではなく、まずは自分たちの国の独裁政権だった。ただし彼らは、その独裁政権を倒すことが、彼らと米欧との関係を変えることになることも知っていた。

 ここには、これまでとは別の政治主体が登場したのである。ただし、それは恒常的なものではなく、新たな統治形態はこれから作ってゆかねばならない。その意味では課題は大きく、必ずしも楽観できる状況ではない。それはあらゆる「革命」と同じことだ。だが、この出来事が暴力による権力奪取でなかったことは、植民地化や独立闘争をとおして暴力性の呪縛を帯びてきたこの地域の歴史を塗り替える、何よりの基礎条件となるだろう。

 ここで民衆が斥けたのは独裁政権だけではない。それは、一九世紀の植民地化以来、この地域に構造化され、第二次大戦後に英仏を引き継いだアメリカによる世界統治のなかで維持更新されてきた、西洋との対立図式の歴史的負荷からの脱却であるだろう。グローバル化は世界を平準化し、その平準化のなかで育った世代は、もはや「傷ついたイスラーム」の意識を攻撃性へと転ずる「反米意識」とも、みずからの作り出した価値の鋳型を世界に当てはめようとする西洋の「普遍意識」への同化とも違う、身の持し方を知っているかのようである。

 それと時期的に重なることになった日本の大震災と原発事故は、戦後の統治を長期にわたって独占してきた自民党政権が崩壊し、それに代わった民主党政権が旧来の統治構造を変えられず、かえってそれによって骨抜きにされたそのときに起こった。この政権は大災厄を前に統治能力の欠如をさらしたが、かといって自民党時代に戻ればよいということにはならない。この災害を底抜けのものにしたのは、自民党が後先見ずに作らせてきた原発だったからだ。その意味で、いまメルトダウンを起こしているのは三つの原子炉だけではない。日本の戦後の統治構造そのものがメルトダウンを起こしている。そしてその統治構造こそは、アメリカを中心とする世界秩序の要請のなかで、この国に埋め込まれてきたものだった。

 日本ではもちろん「革命」は起きていない。しかしいま旧来の統治体系がその軸を失い、これまで疑問を差し挟むこともできなかった原発政策(や経済成長の名のもとにあらゆることを正当化する路線)が風前の灯となり、社会再編のための新たな軸を見出さざるを得ない状況にある。

 してみると、いま世界ではさまざまなかたちで統治のメルトダウンが起きていると言うべきかもしれない。その際、溶融した炉心とは、世界戦争を境目に英仏から米へと引き継がれた軍事・経済的ヘゲモニーと、さらに広く、二〇〇八年の金融危機に行き着くに至った西洋の動力機構、技術・産業・経済システムそのものだと言ってもよいだろう。
 
*フェティ・ベンスラマは一九五二年生まれ、パリ在住のチュニジア人精神分析家、パリ第七大学教授。引用は近刊の『突然、革命が!』(Fethi Benslama, Soudain, la Revolution!, De la Tunisie au monde arabe: la signification d'un soulevement, Paris, Denoel, 2011. より。

2011年8月28日

休み明け(?)10年目の9・11

 すっかりごぶさたしてしまいました。GSLのブログも夏休みモードでしたが、もうすぐ秋、そろそろギアを入れ替えます。
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  広河隆一さん編集発行の『DAYS JAPAN』が「子どもを被曝から守るために」のキャンペーンを続けながら、「9・11から10年」の特集を組んでいる。9・11後のアメリカによる「イラク戦争」強行に対抗するようにして創刊されたこのフォト・ジャーナリズム誌だから、10年目を扱わざるをえないだろう。
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 表紙に掲げられたニューヨークタイムズのチャン・リーの写真は、特集ページに見開きで見ることができる。現代文明の威容を誇る構築物が壮大な瀑布のように瞬く間に崩落した後景は強烈な印象を残したが(その跡が核惨事を想起させる〝グランウド・ゼロ〟と呼ばれたのもゆえなきことではない--原爆で最初に〝グランウド・ゼロ〟を作ったのが自分たちだということを忘れているにしても)、その報復と「再発予防」のためとして、アメリカはアフガニスタンやイラクを猛烈な勢いで爆撃し破壊し、そこを混乱と無秩序に投げ込んで何十万もの人びとを犠牲にし、あげくにようやく、長引く乱暴狼藉に飽きたのか、財政破綻のためなのか、今ごろウサマの首を挙げて「一件落着」にしようとしている。
 
 この間われわれは、アメリカの力づくがまかり通り、世界がそれに付き従うのを見てきた。それが「国際政治」であり、ひいては人間世界だ、という受止め方もあるだろう。けれども、どんな「戦争」も国家がやる以上「悪行」としては行えず、必ずそれが正しいとか必要だとかの口実をつけて行われる。それぞれの国や政治家たちが、大国のもちだす「口実」に乗るかどうかは政治の駆け引きだということもできるが、少なくとも「学者」や「知識人」たる者は、むしろその「政治」や「駆引き」の虚構から目を背けず、いったい何が起こっているのか、それが人びとの生存にとって何をもたらすのかを、政治集団やその他の利害関係とは別に、追求し明らかにしてゆくべきだろう。
 
 ところが、力の角逐が生む虚構のゲームの泥沼に自分たちもすっかり漬かり、メディアや論壇でその無様な泳ぎ振りをさらして恥じない「学者」たちが多すぎる。身過ぎ世過ぎでものを言っているのならそれでもいいだろう。誰にも「飯のタネ」は必要だろうから。だが少なくとも「学者」はそれではすまされない。
 
 そんなわけでわたしは、「テロとの戦争」の虚構と作為をとことん批判してきた。しかし、もうその必要はないようだ。アメリカももはやそれが維持できず、店仕舞しなければならないことを隠していない。ビンラディンは五月の捕り物の「獲物」になることで、アメリカに最後のご奉仕をした(オバマのアメリカにとっては、こういうことにしかビンラディンはもう役に立たなかった)ということだろうから。
 
 とはいえ、アメリカが作った図式を受け入れ、多くのメディアや言論人たちの頭に叩き込まれた「テロとの戦争」の思考様式はいまでも生きており、むしろ見えないかたちで浸透している。「リスク社会」といった考え方もそれに親和するものだろう。あらゆる「危険」を現代世界の「リスク」としていっしょくたにするから。そのひとつに鶏や豚を媒介とするインフルエンザがある。だが、ナオミ・クラインにしたがって指摘しておけば、鶏インフルの流行のたびに世界的需要で大儲けするワクチンのタミフルの製造元は、アフガンを石器時代に返すと豪語したあのラムズフェルドが重役を務め、大きな利権をもっている会社ファイザーだということだ。

 ともかく、10年目に考え直してみるべきことも多い。この機会にいくつかの雑誌が特集を組み、わたしも『DAYS JAPAN』の他、『現代思想』、『世界』に原稿を書いた。大枠の見通しは『神奈川大学評論』に書いたもの(前回ブログ参照)がベースで、それぞれの媒体の趣旨に合わせた。『現代思想』(発売中)では、このブログに書いたものをアレンジし、『世界』(9月8日刊)には近刊のナオミ・クライン『ショック・ドクトリン、惨事便乗型資本主義』(岩波書店)の紹介も含めて、少し長めの「アメリカの戦争」のまとめを書いた。
 
 詰め切れなかった(十分明確に書けなかった)のは、尻すぼみの「テロとの戦争」と「アラブ民衆革命」の歴史構造的関係で、『世界史の臨界』の観点からする後者の画期的意味についてだ(西洋の世界化の過程で生じた「革命」の諸形態を、その世界化の飽和の果てに書き換えるもので、自由や民主主義に関する問い直しの懸案をも含んでいる)。これについては、中東研究者たちの観点とは少し違った角度から、フェティ・ベンスラマの『不意に、革命が!』などを参照しながら別の機会に論じてみたい。
 
*なお、『DAYS JAPAN』のこの号には、初の福島第一原発潜入取材ルポが掲載されています。

2011年8月29日

古居みずえの見つめたガザの子どもたち

 もう終りも近いが、思い立って古居みずえさんの映画『ぼくたちは見た――ガザ・サムニ家の子どもたち』を観にいった(ユーロスペース、モーニングショー)。2008年末から2009年初頭にかけて、イスラエル軍がガザ地区へ大規模な攻撃をしかけ、1400人余りの犠牲者(うち子どもが300人以上だが、イスラエル兵の死者は13人のみ)を出した。アメリカのオバマ新大統領就任の直前を狙うかのように起きたイスラエルの侵攻で、国連の建てた学校が砲撃されたり、イラクで米軍が用いて非難された白燐光弾が使われるなど、イスラエルの攻撃でも最も残虐なものだった。

 古居は3月と8月に現地を取材して、この地域で農業を営んでいたサムニ家の生き残った子どもたちに密着してこの映画を撮った。観ながらの感想を断片的に記しておきたい。

・イスラエル軍の侵攻の後の破壊のすさまじさに慄然とする。「パレスチナ人にとって悪いことは、われわれには良いことだ!」という落書きが残されているが、この破壊の暴力には悪意があるだけに、廃墟の光景はよけいに無惨だ。

・ ガザの住民は何の抵抗もできない。しなくても殺される。この狭い土地に押し込められ、そこで生まれ育ち、いつも「災厄」の危険にさらされ、それでも生きてゆけるのは、…その理由の片鱗を、8月のラマダン前の食卓をかざったイチジクの実に見た気がした。どんなに住む場所が破壊され、家族が殺されても、それでも自然の恵みはよみがえる。初めは食べ物も救援物資しかなかったが、荒らされた畑をみんなで耕し、数ヶ月すれば野菜を収穫することができる。

・ 目の前で親が理不尽に撃ち殺されるのを見た子、飛び散る肉片を浴び、一時に家族の多くを失った子、どもたちは恐怖と衝撃と「信じられない」(そうでなければ気が狂うだろう)出来事を潜って生き、それぞれに「耐えがたいこと」に耐えながら生きている。「これからどうする」と聞かれても答えるすべがない。あるNGOに招かれて、生まれて初めてガザを出てポーランドに行った少女は、おとぎの国に行ったかのように語る、…とてもきれいで、イスラエル軍もいない、民間機しか空を飛ばない国……。
 ますます過酷になるこのような状況に置かれて、アメリカなら兵士でも手当てしてもらえるPTSD(心的外傷ストレス)など、誰も心配しない。

・ イスラエル軍は爆撃し破壊し殺害するだけでなく、家を占拠し、壊し、侮辱し、思うさま憎悪を撒き散らして引き上げてゆく。イスラエルがこのようなことを繰り返し、罰されることもなく存在するかぎり、地上に「正義」はありようがない。

 こうしたことがすべて「テロとの戦争」という言葉で正当化され、国際社会(西側世界)はそれを容認してきた。イスラエルは強力な軍隊をもつが、パレスチナは軍隊をもてず、抵抗するパレスチナ人は「テロリスト」だとされる。イスラエルで1人が死ぬと、パレスチナ人が100人殺される。選挙でハマスが支持を集めれば、米欧はそのもっとも「民主的」な選挙結果を認めない。イスラエル軍の侵攻で市民に犠牲が出れば、ハマスが「人間の盾」にしたという。こういうことがまかり通っているのが「国際社会」だ。

 だが、このような状況にもようやく変化の兆しが出始めている。パレスチナの人びとやアラブ世界の人びとが、ついに尾羽打ち枯らして「国際社会」の言いなりになろうとするからではない。そうではなく、米欧の主導する「国際社会」のご都合主義を戸惑わせるように、彼らの都合のよい「協力者」だった各国の独裁政権を、民衆の素手の「蜂起」が次々と追い落としたからだ。もはやこの地域の地政図は、民衆を無視した西洋諸国の思い通りにはならない(西洋は各国民衆を独裁政権に管理させていた)。このことは中東情勢の基礎条件を変えずにはいないだろう。パレスチナ問題(いや、イスラエル問題)の出口の可能性もそこにしかない。

 前作の『ガーダ、パレスチナの詩』でもそうだが、古居さんはたぶん、政治抗争の舞台や歴史の語りから排除されてしまう女性や子どもに視点をおいて、パレスチナの状況を〝人間が生きる〟という生活の場から写し出そうとしている。けれども、それを「弱者の視点」といった常套句でまとめてしまうのはあまりに不十分だろう。とりわけ今回の作品は子どもたちに焦点をおいている。子どもは「弱者」だから守らなければならないのではない。子どもは「われわれの未来」だから大事なのだ。世界の「未来」は子どもたちにかかっている。彼らをどう育てるのか、というより、彼らがどう育つのかが問題であり、どんな環境を今の世界が、大人たちが与えているのかが問われている。

 この映画を、ずっと脳裏に「被災地」を思いながら観ていたが、ほんとうに、福島でもどこでも、いまや人類は本気で「未来」を心配しなければならない段階に入っているのだ。

*古居さんの映画は9月2日まで。ユーロスペースで朝10時45分から。
*『現代思想』9月号「〈9・11〉からアラブ革命へ」にも、参考になる関連論文がいくつかある。
 

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