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2011年7月 アーカイブ

2011年7月 7日

核技術のゆくえ(2)

 人間は核技術を作りだし、その桁外れの威力に怖れをなしつつ魅了された。そして半世紀の間に数千回の核爆発実験を繰り返して放射能汚染を広げ、一方で「平和利用」として発電用原子炉を世界に400機以上を作ってきた。
 
 冷戦下では相互確証破壊(略称MAD)の論理で核兵器は「抑止の兵器」とされていたが、冷戦後、この構造が崩れてコントロールの利かない拡散が怖れられるようになった。問題はもはや通常の国家ではなく「ならず者国家」や「テロリスト」だというわけだ。そうなると、「平和利用」の原発もありうべき「攻撃」の対象とみなされ、原発や核処理施設がミサイルで守られるという事態になる。
 核をもつ国は自国の保有そのものは問題にしないが、兵器であろうが原発であろうが、いまやもつこと自体が安全保障上の問題を引き起こすことになっている。そのうえ、核技術を使う国は、その「副産物」つまりは「核廃棄物」の処分に手を焼くことになる。
 
 福島第一の事故以来、ドイツやイタリアが原発撤退を決め、日本でも点検中の原発の再稼動が難しくなっている。だが、核技術を使おうが使うまいが、世界はもはや「核」と縁が切れない。というのは、すでに十分蓄積された「廃棄物」の処理が、人類共通の厄介な問題になっているからだ。
 (その一方で、アメリカや日本、それにフランスは、いわゆる途上国に核技術を売ろうとし、早手回しにモンゴルなどに廃棄物処理場まで作ろうとしている。言うまでもなくそれは、国内で、人口過疎の収入のない地域にカネで危険な原発を押し付けようとする構造の国際版だ。また、核燃料サイクルというものが考案されている。使用したウランからまたウランやプルトニウムを抽出し、それをまた発電用に用いるというもの。19世紀に挫折した永久機関のような話。これは危険な上に、最終廃棄物は出続ける。いまや、これを惰性で進めているのは日本だけである。)
 
 何万年と放射線を放出して崩壊を続ける「核廃棄物」、これに関しては今のところ「隔離」という以外に打つ手がない。けれども、安全に「隔離」するのもたいへんな作業だ。実際、そういう試みが始まっている。最近注目されたフィンランドの映画『10万年後の安全』(マイケル・マドセン監督、NHKBSでは『地下深く永久に』のタイトルで放映された)が扱っているオンカロという施設がそうだ。
 地震からも津波からも守らねばならないし、不慮の爆発に備えなければならない。それも10万年の射程で。そのため、地質学的にもっとも堅い岩盤を選び、そこを掘削して地下五百メートルの深さに〝隔離施設〟を建造する。十万年後に人類はもう地上から姿を消しているかもしれないが、それでも他の生物から放射性物質を隔離する配慮をしなければならない。
 
 地震や津波はひとたび襲ってきて過ぎ去ればそれで終わりである。だが、原発災害はそこが違う。事故が起きたときが始まりなのだ。通常の災害は過ぎれば過去になる。だが、原発事故は「これから」が問われる。どれだけ汚染が広がるのか、その影響はいつまで続くのか…。セシウムの半減期30年、プルトニウムは2万4千年…。土壌をひっくり返しても、汚染は地中に残り続ける。地下水に浸透すれば、水脈をたどってどこまで広がるかわからない。
 
 福島第一原発は今後、何年にもわたって、いや何十年にもわたって近づけない場所になるだろう(一号機は炉心が溶け落ちるメルト・ダウンではなく、溶けた核燃料が圧力容器を破って落ちるメルト・スルーを起こしていると言われる以上、その見通しにも果がない)。そこには宇宙服のような防護服を着た技師や作業員しか近づけない。「不可蝕」なものを怖れながら扱わねばならない。まるで「廃棄物」が未開の聖性であるかのように。

 いま行われているのは、応急作業にしかならないだろう。長期的な対応としては、手のつけられない放射性物質の崩壊過程を、隔離し、封印するような作業が必要になる。そのとき福島第一周辺は立ち入り禁止の「ゾーン」になるが、これからの原発に関わる技師たちの仕事は、そのゾーンを隔離し護る、どこか神官にも似たようなものになるだろう。
 
 これまでの技術はハイデガーの言う「ゲシュテル」つまり自然を「堰き立て」て「開発する」たぐいのものだった。いわば、自然を責めて人間にとって有用なものを吐き出させるような技術だ。だが、これから必要なのはそれとは逆の、とめどなく吐き出されるものを「収め」「鎮撫し」自然へと帰らせるそんな技術だろう。それでなければ文字どおり「収まり」がつかない。そしてそれは実に実に息の長い、何世代にも引き継がれるべき作業になる。
 
 そのための国家的事業を、いまからでも始めなければならない。

2011年7月11日

山形孝夫「〝黒い海〟の記憶」をぜひ…

  8日に発売された『世界』8月号に山形孝夫「『黒い海』の記憶」が掲載されている。3月11日の大震災後、政府の機能不全と政治の「脳死」状態のなかで、多くの人びとのおびただしい発言があり、怠惰にしてそれをあまりフォローしているとは言えないが、それでも山形のこの一文は、恐るべき災害とそれが引き金を引いた福島原発事故の衝撃とを、現代の人間的経験としてその具体相に付き合いながら全幅に受け止め、余念なくその意味を開示しようとした、稀有の印象深い文章である。

 この文章は具体的な三人の「記憶」を軸に書かれている。仙台市荒浜小の元教師多田智恵子さんの「黒い海」の記憶と、対象のない、それだけに癒しがたい「喪失」の思いはエンブレム的だが、塩釜の二人の「漁の民」佐藤栄二さんと小泉善雅さんのそれぞれの思いは、一方で独立した小生産者としての漁民の「自由」と、それとは条件を異にするいわば移民の「自由」との相克を照らし出し、被災からの復興の現実的な課題を浮かび上がらせる。そして最後に、現代の社会システムが、個々の人びとの「犠牲」のうえに「安全神話」を建立することで成立した別種の「カルト社会」であるとして、「黒い海」がそのからくりを暴いた以上、復興の行方が奈辺にあるかを示唆している。

 山形さんは仙台在住の宗教人類学者で、わたしがこよなく愛読した『レバノンの白い山』『砂漠の修道院』『聖書の起源』『治癒神イエスの誕生』等の著者である。
 
 また、遠からず、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』の翻訳が出ると聞いているが、さまざまな災害(自然災害から大事故、政治的災害まで含めて)を利用してハイエナのように被災地に群がり、地場産業の瓦礫にブルドーザーをかけて「自由市場」の「特区」を作りだし、それを巨大資本が利潤をむさぼる漁場にしてしまうことで、この間どれだけ世界が荒廃したかが、この本にはごまんと描き出されている。被災地の復興がどんなふうであってはいけないかを肝に銘じるうえでも、一刻も早い翻訳が待たれる。参考サイト⇒http://cybervisionz.jugem.jp/?eid=59

2011年7月13日

16日シンポ《核と未来》の準備進む

 土曜のシンポジウムの準備のために、先週金曜の夜、キエフ出張帰りの中山さんとともに、都内某所で萱野稔人さんと打合せをし、そのときYouTube担当の学生がビデオ収録したものが、YouTubeに上がっています。舞台裏のヨタ話ではありますが、どうぞご覧下さい。
 ★YouTube「萱野稔人×西谷修、―「核と未来」に臨んで―」です。

 また、昨日火曜の夜、Days Japan 編集部近くのカフェで広河隆一さんとも打合せをしました。Days Japan の人事案件や毎号の編集作業を抱えながら、そのうえ校了間際の本のゲラを抱えた広河さんは、さすがにお疲れの様子でもありました。しかし、あれほど警告してきた「大惨事」が現実のものになってしまい、チェルノブイリを知り尽くして「フクシマ以後」が、つまり「われわれの未来」が見えてしまうだけに、無念さと怒りを秘めて、馬車馬のように活動しておられる様子がうかがわれます。
 16日のシンポジウムが終わったら、すぐその足で福島に入り、17日に予定されている「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」による「こども福島情報センター/市民放射能測定所」の設立講演に備える、とのことです。
 広河さんは「チェルノブイリこども基金」を設立し、チェルノブイリの子供たちや母親たちの支援活動に尽力してこられましたが、今回、その経験を生かし、国によって放置されている福島の子供たちを守るための活動にもイニシアチヴを発揮しておられます。

 また、5月末に小学館から出版された『暴走する原発』は、「チェルノブイリから福島へ、これから起こる本当のこと」をテーマとした必読の本です。この本の版権はすべて上記の「こども福島情報センター・市民放射能測定所」のために使われるそうです。
 義捐金が日赤に集まってもろくな使われ方はしません。まだ配布も進まないし、最後は余って記念物でも作って終わりです。篤志は身のある使い方をしてもらいましょう。

 以下に、いくつかの関連サイトをあげておきます。

 ★ Days Japan
 ★こども福島情報センター・市民放射能測定所
 ★こどもたちを放射能から守る福島ネットワーク・イヴェント情報
 ★チェルノブイリこども基金

2011年7月18日

《核と未来》盛況御礼(+追加)

 7月16日(土)のGSLシンポジウム《核と未来》は、折からの酷暑の日でしたが、いつものように調布や三鷹など近隣の市民の方々、それにGSL企画にいつも関心をもってお運びいただける方々、そして学生や卒業生諸君などの参加をえて、226教室がいっぱいになる盛況のうちに実施することができました。

 お忙しいなか、お時間を割いて講演をいただいた広河隆一さん、萱野稔人さん、それにわれわれのメンバーではありますが、神戸から日帰りで参加し的確なコメントをいただいた土佐弘之さんに、あらためてお礼申し上げます。

 《核》はそこに人間の《未来》がかかるほど全面的な問題であるため、これを取り上げて論じようとするときわめて多角的なアプローチが必要になります。けれども今回は、むしろそのことを強調して、われわれが直面する課題をまずわしづかみにするために、現在の福島原発事故の実際の《核汚染》状況を、チェルノブイリの経験をベースに取材し、もっとも危険にさらされるこどもたちの支援のための活動にもいち早く取り組んでおられる広河さんの報告をいただき、もう一方で“脱原発”論議が起こるなかで、“核発電”の社会構造的な意味を批判的に検証し、将来の展望を提起する萱野さんの報告をいただきました。そして、その課題の広がりをさまざまな角度から、土佐、中山、西谷が繋ぎながら広げてゆく(埋めてゆく)というかたちで議論を行いました。
 
 また、5月15日ごろ放映されて大きな話題になったNHK・ETV特集「ネットワークで作る放射能汚染地図」の制作スタッフの七沢潔さんも来場され、取材した汚染地域の状況や情報コントロールの問題などについて、会場から発言していただきました。なお、七沢さんは『世界』8月号にたいへん興味深い取材ノートを寄稿しておられます。また、今週の土曜に、この番組をめぐって七沢さんと木村真三さんのトークが明治大学であるようです。

 [22日追加]シンポの様子はこんな具合でした。
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(撮影はフリージャーナリストの牧良太さん)

 約220名の皆さまのご参加をいただきましたが、パレスチナやチェルノブイリでも「こども基金」作って支援にあたってこられた広河さんが、福島のこどもネットなどと協力して市民放射線測定所を作るという趣旨に賛同し、会場出口で篤志を募ったところ、約15万円の寄付が集まりました。この募金は22日(金)にわたしたちがDays Japanの事務所に広河さんを訪ねて直接手渡ししてきました。ご協力たいへんありがとうございました。

 今回のシンポジウムも、遅くならないうちに記録を制作する予定でおります。

2011年7月29日

中国、若松、デュピュイなど

 前回からだいぶ日数があいてしまった。
 
 7月22日に北欧ノルウェーから極右青年による爆破・銃乱射事件のニュースが届き、翌23日には中国温州で高速鉄道の大事故のニュースが届いた。オスロの事件はさておき(これも2011年の幕開けとなったアラブ民衆革命の余波かもしれないことについては別に考えるとして)、中国の「新幹線」事故には思い当たる節がいろいろある。
 
 中国は、最近の飛躍的な経済発展を象徴するものとして「新幹線」網を、文字どおり超特急で作り運行にこぎつけたが、技術盗用問題に加えてトラブルが続出、とうとう停止中の先行車に列車が突入して何輌も高架から墜落するという大事故を起こしてしまった。

 にもかかわらず、1日半で運行再開とか、当局がすぐさま墜落車輌(それも先頭車)を重機で裁断して現場に埋めてしまったとか、証拠隠しを非難されて中央の指令でそれがまた掘り出されたとか、あまりに荒っぽいやり方にはあきれるほかないが、この出来事、まるで他人事とも思われない。というのは、中国にとってのこの事故は、日本にとっての原発事故と同じような意味合いをもっているだろうからだ。
 「安全神話」を掲げて推進する政策の破綻が大事故として露呈し、それを当局が「洗い流し(埋め)」、口を拭って居座りながら規定路線を続けようとする。そのうえ情報統制され、さすがに民衆は怒らずにはいられない。

 自国の技術の「安全と信頼」が問われ、そんな無茶な政策を後先見ずに推し進めてきた利権集団が明るみに出る。日本の原発事故で「原子力ムラ」が裸にされたように(それでも姑息に隠れようとしているが)、中国でも圧倒的な利権をもつ「鉄道王国」(独自の警察や裁判組織までもつ鉄道省)が槍玉にあがる。
 
 日本(や米欧)では、中国のメディア統制がいつも批判されるが、日本でも経産省の資源エネルギー庁が、原発に関するメディア情報を監視してきたことが報じられた(東京新聞7月23日)。一般市民のツイッターやブログも監視しているようだ。本年度は補正予算で8300万の予算がついている。外注で、去年までは電力会社社員らが理事を努める財団が受注していたという。「不正確で誤った情報」があると、それに反論したりするのが仕事らしい。やり方は中国よりはおとなしいが、利権が絡んでいることまで含めて、構造やメンタリティは中国と基本的には変わらない。

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 久しぶりにもんじゅ君(@monjukun)のツイッターをのぞいてみたら、7月27日の参議院厚生労働委員会での児玉龍彦さんの証言のことにふれていた。児玉さんは東大先端研でシステム生命医学という最先端医療の研究をしている(東大教授にもいろいろある)。南相馬市でいま緊急の除染活動をしていて(「違法」なのだそうだ)、現場の危機状況をデータで具体的に示しながら、国会や政府の怠慢を厳しく告発し対応を要請する「怒りの証言」である。これはぜひYouTubeで見てみてほしい。⇒こちら

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 26日(火)夜は、新宿朝日カルチャーセンターでもう五年以上続けている半年に一度の小森陽一との対談だった。半年に一度、日本の政治や社会と世界の情勢について総括し展望を探るという企画だが、今回は当然ながら「3・11後」に話題は集中する。その冒頭に小森氏は南相馬の詩人若松丈太郎の詩を朗読した。「みなみ風吹く日」という詩だ。2007年3月に福島第一原発の数々の事故隠しが露見したときの「風景」を淡々と厳しく歌っている。

 このとき小森氏がもっていたのは、最近出版された『福島原発難民--南相馬市・一詩人の警告、1971~2011』(コールサック社)だったが、この詩は『北緯37度の25分の風とカナリア』(弦書房、2010年)という詩集に含まれている。この緯度のあたりに、福島第一と柏崎刈羽、それに実現しなかった能登の珠洲原発候補地があるだけでなく、水力発電のダムも集中し、この地帯が日本のエネルギー供給地帯となってきたという。その「ゾーン」の各地をうたったのがこの詩集だ。これもお勧めしたい。
 
 また、『世界』5月号に冒頭を紹介したフランスの科学哲学者ジャン-ピエール・デュピュイの『ツナミの小形而上学』(岩波書店)が刊行された。ギュンター・アンダースによる「ノアの破局の予言」を引いて、「破局」の頻発する現代に(中国にもノルウェーにも!)、人間にとって何が緊急に必要とされているのかを論じて、「未来との関係」の問い直しを迫る、きわめて刺激的な小著だ。
 6月に著者が来日したときのインタヴューも、来月8日発売の『世界』9月号に掲載される。併せてお読みいただければ幸いです。

2011年7月30日

原発維持のあらゆる口実は破綻…

 昨日(27日)の東京新聞社説は、与野党でまとまった東電原発災害補償法案について厳しいコメントを出していた。株主や金融機関の責任を不問に付したこの法案は、株式会社の原則を無視し、東電に「絶対安心の生命維持装置」をつけて延命させ、電力供給の地域独占も許したまま東電と霞ヶ関に既得権益を守らせ、市場経済の根幹を踏みにじるような妥協でお茶を濁したものと評している。まったくその通りで、これで東電はシャアシャアと企業活動を続けることができるようになる。

 そして今日(28日)の朝刊、一面トップは例の経産省・原子力安全保安院が、2007年に国際原子力委員会(IAEA)の評価を受けた際、その役割の不明確さ(推進機関なのか、監督機関なのか)を指摘されながら、好評価の部分だけを和訳して発表していた、との記事。原子力安全委との役割の不分明などを指摘されたこの部分を、保安院は握りつぶしていたことになり、今度の福島第一原発の事故調査のときにあらためて注意を受けている(IAEAは世界の原発を推進しようとする組織なのに、その組織からもおかしいと言われているわけだ)。

 さらに今日(28日)の夕刊トップは、07年8月の浜岡でのプルサーマル計画をめぐる国主催のシンポジウムで、保安院が中部電力に「やらせ」を要請していたとの記事。経産省・保安院は、人が集まらないとカッコウがつかないからと動員を求め、それに反対派だけにならないよう「やらせ質問」を要請したという。
 
 ……、とこの件について書こうとして一日延ばしにしていたら、さすがにこれは各紙で「炎上」しているようだ。夕刊は毎日も読売も取り上げて、今日の朝刊でも大きく問題にしていた。

 自民党政権と経産省と電力会社と学会とメディアが「原子力ムラ」を作って原発推進政策を進めてきたということは、福島の事故以来いろいろ報道されてきたし、民主党政権でも電力労組などが絡むだけでなく、「政権病」とでも言うような権力の体質が、事故の情報隠しや後出しをしてきて、政府の信用はすでに地に堕ちているが、原発の安全を守るべき監督機関が、率先して電力会社に原発推進キャンペーンの「やらせ」までさせていたとあっては、さすがに賛成派でも見て見ぬふりはできないということだろう。
 国家の機関がまったく「公正さ」を無視して無法行為をやっているのだから。さすがに中部電力は、コンプライアンスに照らして、それはできないと断ったという(実情はわからないが)。
 
 われわれにしてみれば、何も驚くべきことではない。国や企業関連団体主催のシンポジウムとかタウンミーティングなどというものは、実情はたいていそんなものだからだ。電力会社もそんなことには慣れているだろう。だから、先日の玄海原発再開のためのテレビ会合で「やらせメール」が問題になったとき、九電にとってはそれは「あたりまえ」のことでしかなかったのだろう。
 
 だが、もうそうはいかない。そういう「合意」や「賛同」の作り方がこれだけ問題になると、政府機関はそこまで「市民」を欺いている、そして原発政策はそんなことによって進められてきた、ということが明るみに出る。
 
 (ついでに触れておけば、これも数日前のことだが、経産省・資源エネルギー庁がここ数年で一億数千万の「調査費」を計上している。それは原発に関するメディア情報を調べるという事業のためだが、その事業はたいてい電力会社OBが天下る団体に委託されてきた。今年は補正予算で8千万が付き、広告業界三位のアサツー・デーケーが受注して、ツイッターやブログまで調べているという。そして「誤った情報や偏った情報」は訂正するのだという。そんなことに大金を投じて情報管理をしている。こんなことで、どうして中国の情報統制を笑えるのか。)
 
 だから、今度はもう少しもって回ったキャンペーンが静かに張られる。原発を止めると電気料金が上がり、電力供給にも不安が出て、経済が打撃を受ける、とくに製造業は海外に出て行ってしまう、といった脅しだ。

 だが電力が足りないというのもどうやら嘘のようだ。むしろこれまで原発の稼働率を確保するために、火力や水力の発電所を止めているし、原発は一定の発電をし続けなければならないから融通がきかない(そのために揚力発電もやる)。それに今度の事故で現実的になったコストを考えれば、原発はまったく経済的に成り立たない。それをやり続けようとするのは、強固に組み上げられた利権構造のためでしかないし、最終的には国家政策だけが支えている(その裏には核兵器への欲望がある)。

 「経済への悪影響」を言うなら、原発に伴う「生活への根本的な悪影響」はどうするというのか。「経済」的繁栄は何のためか? 「よりよい生活」のためではないのか? ますます放射能汚染に脅かされる結果になる「経済成長」は誰のためになるのか? それに、核技術に頼らない電力供給の道を模索し、これまで原発維持のために投じてきたあらゆる膨大な投資を他の手段のために投入すれば、可能性は格段に広がり、「経済」活性化のためのいわゆる「ビジネス・チャンス」も膨大に生まれる。だから、ソフト・バンクの孫正義はその勝負に打って出たのではないのか。原発の停止が「経済」に悪影響を与えるのは、そういうふうにこの国の経済システムが仕向けられてきたからに過ぎない。その元凶が一部の政治家と経産省である。
 
 もはや原発を維持しようとするあらゆる論理は破綻している。あとはつまらない脅しに乗らないだけだ。「原発の代わりは停電だ」とか、「原発がないと経済が…」といった脅しに。
 

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