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〝帝国の宗教〟に関する近刊いくつか

 今年は大学院の講義で「世界史とキリスト教」を取り上げている。その流れで--

 アラン・コルバン編『キリスト教の歴史』(藤原書店)に目を通した。キリスト教の形成期を扱った第一部(5世紀まで)は専門家たちが要点を書き重ねていてなかなかに興味深く、この〝大文字の宗教〟の成立の概観をたどることができ、いくつかの疑問についても案内をうることができる。だが、中世、宗教改革あたりから記述も構成もダレてきて、ついでに翻訳もいい加減になっていて、いただけない。

 キリスト教世界の形成過程を書くのは比較的やり易いが、問題はその後、つまり近代以降をどう書くかということだ。コルバンは「現代をよりよく理解するために」と副題をつけていて、その意図やよし、と言いたいところだが、結局それはできていないと言わざるをえない。というのは、キリスト教は近代の社会形成や人びとの意識の変化のなかに拡散するようにまぎれ込み、一見非宗教的なかたちで規範的効果を及ぼし続けており、そのために今も問題になるのだが、そのことを「キリスト教の歴史」として把握するのがむずかしいからだ。

 たぶんそれは、非キリスト教世界から見たほうがよくわかる。キリスト教世界では、近代は脱宗教化のプロセスとして捉えられてきたが、世界の西洋化は同時にキリスト教化として遂行されてきた。要するに、キリスト教はたんなる教会や信仰の問題としてより、世界を西洋的に改造する大きな原動力になってきたのである。たとえば近代国家の形成や、普遍主義的国際システムに鋳型を提供し、自由や民主主義のイデオロギーをも生み出してきた。だとしたら、近代の世俗社会の諸原理そのものがキリスト教の現世的展開だということになるが、そのことを「宗教史」として書くことはむずかしいだろう。

 ついでにふれておけば、フランスにマルセル・ゴーシェという政治哲学の〝大御所〟がいて(最近いくつか翻訳が出始めたようだ)、キリスト教は「宗教からの出口の宗教」であり、それが超越を必要としない、つまり神などを想定しない自律的な社会を生み出した、言いかえれば、民主主義はキリスト教社会からしか生まれなかった、と断言している。これも、頭の中までキリスト教で制度化された自閉的思考といわざるをえないが、こういう〝世俗歴史哲学〟こそがラテン・カトリック思想の現代版なのである。通信衛星を上げて、衛星回線で世界中にミサを届けようというローマ教皇庁の発想と同型だ。

 そんなふうに、人類史を呑みこんでしまおうとするところに、キリスト教の〝大文字の宗教〟たる所以もあるのだが、この宗教がそうしたいわゆる〝世界宗教〟になった秘密は、その教義の力によるのでも、〝聖者〟たちの功徳によるのでもなく、ほかでもない「貧者の信仰」だったこの宗教が、いつの間にかローマ皇帝の宗教になり、帝国の国教になったという〝奇蹟〟のためである。これについては最近、ポール・ヴェーヌ『「私たちの世界」がキリスト教になったとき――コンスタンチヌスという男』(岩波書店)の翻訳が出た。だが、ヴェーヌの関心は、帝国ひいては後のヨーロッパのキリスト教化についてのコンスタンチヌスの役割の方にあって、帝国の宗教となることでキリスト教がどう変わったのか、いかなる宗教ができてしまったのか、といったことにはないようだ。

 この最初のキリスト教皇帝を洗礼に導いたのがカイサリアのエウセビオスだった。辻邦生の『背教者ユリアヌス』(中公文庫)では、濃密な影のような存在がいささか不吉に描かれているが、そのエウセビオスの主著『教会史』が、まだ上巻だけだが講談社の文庫に入って手近で読めるようになった。こんな本が文庫になるとは思わなかったが、書籍出版の断末魔が語られる時代に、こういう本が廉価版になって出るというのはなんともありがたい。

 ついでに、参考のために--キリスト教というきわめて特異な主張と組織をもつ宗教の、きわめて特異なステイタス(アウグスティヌスが強調する「真の宗教」)について啓発的なのが、セルジュ・マルジェルの『迷信--キリスト教世界における宗教の人類学』(未訳)である。つい最近、長いフランス留学から帰ってきた友人が、数年前に教えてくれたものだ。Serge Margel, Superstition, L'anthropologie du religieux en terre de chrétienté, Galilée, 2005.

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2010年11月14日 02:53に投稿されたエントリーのページです。

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