2012年5月16日

ETV特集「テレビが見つめた沖縄...」

 5月13日(日)の夜、NHK教育テレビで「ETV特集、テレビが見つめた沖縄・アーカイヴ映像からたどる本土復帰40年」が放映された。

 4月25日にアップした「40年後、若い世代の"I'm Okinawan"」は、じつはこの番組の収録過程での所感である。実際にそう言ったのは、この番組でわたしと共にナビゲーターを務めた知花くららさんだった。できあがった番組では終りの方、辺野古での場面にこの発言が出てくる。

 自分も出演した番組で、事前に告知するのは気が引けたが、この番組の制作スタッフの重ねた労と工夫、出来上がった番組の内実を見ると、やはり多くの人に見てほしいと思う。ダイレクトに「復帰40年」を扱ったドキュメンタリーではない。半ば眠っているテレビ・アーカイブを掘り起こして、テレビは沖縄をどう伝えてきたかを振り返りながら、「復帰40年」を問い直すという作りだ。

 NHK放送文化研究所の『放送メディア研究』第8号(2011年3月)に発表された七沢潔論文「記録された沖縄の"本土復帰"―「同化」と「異化」のはざまで―」がベースになっており、同じ号に「現代史ドキュメンタリーの展開―「戦争責任」をめぐる番組の分析から―」を発表している東野真も製作スタッフに加わっている。その意味で放送文化研究所発の番組だといってよい。

 だから、40年にわたる「復帰後」の出来事をじかにたどるというのではなく、テレビ・メディアについての自己批評が入っている。番組が沖縄報道の草分けともいうべき森口豁さんのインタヴューに始まり、最後も森口さんのコメントで終わるのも、その反映だといえる。当初のプランはそうではなかったが、まとめあげてゆく結果そうなったということだ。番組では『沖縄の18歳』が使われたが、「復帰」ということで言えば、『激突死』というきわめつけの作品もある(これについては仲里効『オキナワ、イメージの縁』未来社刊に詳しい)。

 わたしも外大での授業の収録から始まって、森口さんへのインタヴュー、5日間にわたる沖縄ロケ、最後にナレーションの収録と、製作過程につきあった。那覇では、40年前の「沖縄返還」をめぐる番組で平和通りの街頭討論に参加していた二人の人物に、40年ぶりに同じ場所に来てもらいその感想を聞くという場面も収録した。この場面は40年の時をダイレクトに凝集してたいへん興味深いものがあったが、この二人が共に、来月に予定されている沖縄県議選に関係していることがわかり、公正さに配慮して残念ながら使えないということになった。

 使われなかった部分を言えば、かつてコンディション・グリーンというハードなロック・バンドで鳴らした「オキナワン原人」カッチャンと、コザの夜の街をヤンキーを振り向かせながら大声で歌って歩いた幻のシーンは、個人的には忘れがたい。

 ともかく、扱うドキュメンタリーも精選し、収録した場面も厳しく取捨選択し、長い会話や座談もポイントを拾って、すべてを1時間半にまとめあげる。4、5人の製作スタッフが連休返上で1秒1秒のカットを入れ替え差し替えしながら凝縮したものである。そこにあらゆるたぐいの目配りと繊細な配慮が込められている。

 5月20日の日曜日、午前0時50分(つまり土曜の夜中過ぎ)から再放送がある。
 番組ホームページはこちら

[追記]
 昨日の「復帰40年」の記念式典には、元県知事の太田昌秀さんたちは欠席したという。元沖縄開発庁長官の上原康介さんは式典でこの日の雨を「悔し涙」と言ったそうだ。『沖縄返還』という72年のドキュメンタリーは、元全軍労委員長で当時沖縄選出の国会議員だった上原さんが、5月15日、降りしきる雨の中で「復帰」の欺瞞を訴える怒りの演説で始まるが、昨日も沖縄は雨。そんな思いがたぎるなかで、もはや「本土」にどんな期待も幻想ももたない世代が育っているように見える。

2012年5月10日

法曹ハラスメント? 小沢「控訴」の意味

 東京地裁で無罪判決を受けた小沢一郎氏を、検察官役の弁護士が控訴した。このしつこさに、ともかく小沢一郎を政治の中枢から遠ざけようとする執拗な意図が働いているのを感じざるを得ない。

 もともと検察特捜部が見立てで組立てたシナリオが、周辺逮捕を進めてみても詰め切れず、立件できないとして検察が起訴を諦めた案件だ。これをマスコミは「陸山会事件」などと呼ぶが、検察が「事件」にできなかったというのにどうして「事件」なのか?

 新しい検察制度は、検察が訴追すべき案件を十分に吟味せず起訴しなかった場合に、「市民感覚」からして起訴すべきとみなされるものを「強制的」に起訴することで、立件に値するものだったかどうかも含めて裁判所に判断を仰ぐ制度だ。

 その裁判所が「無罪」の判断を下したのである。つまり検察の不起訴は正当だったということだ。にもかかわらず、検察役の指定弁護士は控訴するという。そこには何とか「黒」にしたいという思いがあったとしても、この成行きからして「無罪」を覆すのは難しい。それは指定弁護士たちもわかっているはずだ。としたら、控訴の意味は小沢氏にさらに一年近く「刑事被告人」の拘束をかけ続けることしかない。

 立件できなかったこの「事件」のために小沢一郎はすでに三年近く(その間に政権交代もあった)その活動を拘束されている。この案件は、検察が起訴すべきなのに起訴しなかったというケースではない。検察は「事件」にしたかったのだが、そう仕立てるには無理があってできなかったのだ。

 その間に、元厚労省の村木厚子局長の「事件」のような、検察特捜による結果的なフレームアプ(でっちあげ)も明らかになり、検察の見立て捜査そのものが「事件」になっている。

 検察が立件を諦めたその案件を「強制起訴」に持ち込ませた「市民」とはいったい誰だったのか? それがまったく明らかでない。この「強制起訴」は検察の不備を補うというより、検察の勇み足に手を貸して相手を土俵から落そうとしたようなものである。

 この3年間に政権交代があり、有権者の期待を集めた民主党マニフェストの作成を導いた小沢氏は選挙前に党代表を退き、強制起訴されてからは仲間内から党員資格まで剥奪され、政治的に手足を縛られていた。その間に自民党との「大連立」を語って増税(財政再建)を目指し、官僚にもアメリカにも受けがいい野田が首相になる。

 政権交代後、中国に議員団を連れて行った小沢一郎はアメリカに強く警戒された。それは鳩山元首相の「東アジア共同体」構想のこともあったが、これをマスコミは「対日不信を煽った」とか言う。要するに「アメリカのご機嫌を損ねた」ということだ。それにTPP、消費税 etc.

 野田首相は民主党マニフェストをほとんど反故にし、官僚+アメリカに拠りかかるという自民党政治に実質的に回帰している(だから「大連立」しても問題ない)。そして一方の自民党にとっては、小沢一郎は自分たちを政権から追い出した不倶戴天の敵だ。野田政権はいま被災者救済や原発問題を棚上げにしてともかく消費税増税(税と社会保障の一体改革とごまかして)に血道をあげている。それにまったをかけようとしているのが小沢一郎だ。

 そういう状況のなかで、指定弁護士団は(どうやら嫌々ながらのようだが)小沢控訴を決定した。この控訴がきわめて大きな政治的意味を含むことになるのを彼らは知らないわけではないだろう。

* 東京新聞はこれと同趣旨の社説を載せているが、読売は「小沢一郎もう終わり」と見出しを打っている。この差は何か。

2012年5月 7日

子供の日(2) フランスの脱ネオ・リベ

 フランスでは政権交代が起こった。第二回投票で社会党のフランソワ・オランドが現職のニコラ・サルコジを破って当選した。

 不動産で儲け、治安対策で名を挙げ、「社会のクズ」たちを罵倒し、金持ちのお友達に囲まれ、大統領になるとすぐに金満パーティー、そして芸能界好き、強いものと権力には目がなく、社会的弱者はけっして甘やかさず、教育は財政的統制で締めつけ、大統領だが下卑たところが一定の大衆に受ける。そしてなにより「市場」の代弁者(それが権力の支えだ)。手本は元英首相のトニー・ブレアー(ブッシュのプードルと言われた)、それにベルルスコーニ(サルコジにイタリア女を贈ったと自慢)。治安で辣腕をふるうところはプーチンに習ったとも見えるが、筋肉自慢のマッチョ・プーチンに対して、サルコジは腹の脂肪を写真修正でごまかすだけだ。

 そんな人物を大統領に戴くことに我慢できないフランス人が増えたということだろう。もっとも、東京都知事にならなれるだろう。三百万票ぐらいはとれる。

 いわゆるイラク戦争の頃、侵攻に反対するヨーロッパ諸国に対し、ブッシュは「古いヨーロッパ」をくさし、「新しいヨーロッパ」が味方だと言いえた。それはかつてのソ連支配への反動でアメリカの「自由の幻想」に転んだ東ヨーロッパ諸国のことだったが、ハンガリー移民二世のサルコジは、フランスにその「新しいヨーロッパ」を持ち込んだと言えなくもない。その「自由」とは「市場の自由」、つまりネオ・リベラリズムの「自由」だ。この考えのもとでは、「市場」がすべてを決定し、権力はその「自由」の障害を排除するために働くする。

 いま、EUは独仏(メルケル+サルコジ)が主導してこの体制を推し進め、ユーロ危機もこの路線で乗り切ろうとしている。ところが実は、ネオ・リベラリズムが不可避にこの危機を引き起こしているのだ。そのことにフランスの有権者は気づき、違う経済政策(財政規律の押しつけではなく社会的支援ベース)を掲げたオランドが当選することになった。

 すると興奮気味に(その場の空気に呑まれているのだろう)バスチーユ広場から報告する日本のテレビ局(TBS)のレポーターは、オランドがユーロ債務危機対策の要とされているEU財政協定のやり直しを公約していることにふれ、「収まりつつあったユーロ債務危機ですが、その先行きは不透明さを増しています」と結んでいる。

 その先は、「この結果はやがて市場が判断するでしょう...」となるだろう。有権者がどう選択しようと、ともかくそれに「市場が判断する」というわけだ。メディアの語り方はすでにネオ・リベに枠をはめられている。こういうのを「単一思考」(そうとしか考えられない)というのだが、債務危機問題も実は「収まりつつ」などはなく、ギリシア、スペイン等で社会的危機は深まっている。

 市場は金を欲しがる。自由に投資して利潤を回収するための自由な金を。だがそうするためには、投資家ではない一般の人びとのすでに乏しい財布は絞られ、生身の体や心まで、果ては命まで絞りとられることになる。もうこのやり方から脱却しなければならないのだ。

 オランドは先回サルコジに敗れた初の女性候補セゴレーヌ・ロワイヤルの元の伴侶だ。先妻の仇をここで取ったということにもなるが、そんな逸話もかすむほど、今回の選挙の懸案は重要だった。ヨーロッパの行方がかかっている。ひいては世界の行方も。この選挙にはマリーヌ・ルペン(国民戦線)とジャン=リュック・メランション(左派党)という二人の牽引車がいた。じつはこの役割もなかなかに重要だった。オランドの路線が明確になったのも、メランションの存在が大きかった。だがこれについてはまたの機会に。

[追記]
 「ネオ・リベラリズム」と書いたが、「市場原理主義」と言った方が的確かもしれない。何でも最後は市場が決める、という考え方だ。そこは欲望が自由に表明されるアリーナ(闘技場)で、匿名の喝采がすべてを決める。だから、もっとも「民主的」でもある、というわけだ。だが、そこには「民主主義」と「全体主義」の区別がなく、「持てる者」の享楽と「愚民統治」の意図とが一体化する。

子供の日(1) 日本の原発ゼロ

 ようやく日本列島のすべての原発が停止した。大震災+福一事故から1年2か月目。

 ただしこれは日本の政策的決定によってなされたわけではない。単なる運転スケジュールで最後に稼働していた泊原発が定期点検に入ったからだ。とはいえ、これまでなら大飯はじめいくつかの原発がすでに運転を再開していたはずである。財界の大きな圧力と、それになびく政府にもかかわらず、その再稼働ができていないのは、原発を廃止しようとする「世論」が無視できないほど大きいからだ。

 福島と全国の女性たちによる経産省前座り込みやハンストもあった。昨日・今日と東京でも各地でもデモや集会が繰り広げられている。この間、少なからぬメディアもこの「世論」を支え後押ししている(東京、毎日、朝日、それにNHKの一部番組、雑誌世界など)。

 原発をもうやめなければならないのははっきりしている。事故の危険のためだけでなはい。それを防ぐための「安全対策」というのが、まったくのご都合主義でしかないのが明らかになっている。事故が起こらないうちは、起こらないから「安全です」ですまされてしまうからだ。

 ①各地で近い将来の大地震が予想されている。②使用済み核燃料の処理の展望がまったくできていない(貯蔵する場所さえ確保できていない、国内はどこも受け入れず、外国に捨てにゆくことも問題外)。③「核燃料サイクル」も、「経済」という馬を走らせるだけの「絵に描いたニンジン」だったということが明らか(もんじゅ君参照)。④稼働すればするほど後の放射性物質の処理が手に余る。⑤使えば使うほど、解決できない問題(放射能汚染)を将来に蓄積する(後の世代に押しつける)ことになる。

 「トイレのないマンション」とはよく言ったものだ。⑥そのことをごまかすために嘘と隠ぺいを重ねなければならなかった。それでないと原発は維持できないのだ。
 
 原発がないと「経済」がもたないというのはまったくの本末転倒だ。何のための「経済」か。誰もが生きられなくなるような世界にするために「経済」を動かさなければならないのなら。人はじっさいに飢えて死ぬ前に、不安や不信や恐怖や無気力や怒りや自暴自棄で精神的に生きられなくなる。

 それでも原発再稼働を主張する財界人や、その使い走りをやる官僚たちがとんでもない悪党に見える。悪党というよりロボトミー手術でも受けたのだろうか。アメリカでも目端が利く連中は原発産業に未来がないことがわかっているから、加圧式軽水炉のウェスティングハウスを売りに出した。それをなんと去年9月になって日本の東芝が買ったのだ(株を買い増した)。これはアメリカ経済を助ける「トモダチ作戦」なのか、それとも単にババをつかまされたのか(東芝の株価はこれで暴落したそうだが、ともかくわたしはこれ以後、東芝製品は買わないことにしています)。

 ただ、いまも韓国や中国では原発を建設中だ。そこで事故が起こったら被害はその国だけにとどまらない。日本もきっと文句を言うだろう、「安全管理」の不備を批判して。

 野田政権は自分の方針を示さず、財界になびきながらも地域等の強い反対で身動きできず、ともかく議論を避けている。だから、福島第一周辺の被災地への対応にも明確な方針を出せず、15万といわれる被災者も放置されている。この政権は消費税増税だけに血道をあげ(いや対米従属の更新も忘れていない)、去年の事故後の対策というもっとも重要な政府の役割を忘れている。

 日本で原発稼働が0になった日に、あらためて確認しておきたいのは、半世紀続いた「アトミック・エイジ」の後始末はこれからで、長く長く続くということだ。その間、核を処理する至難の技術を作り出さなければならない。だから、核に関する多角的な研究はこれからますます重要になる。そしてその実用化と普及も必要になるだろう。原子力研究が若者から敬遠されていると言われるが、優秀な研究者や技術者がこれから必要になる。

 あるいは、広く技術の問題として、核技術に走ったのとは違う技術との関係を作り出さなければならない。そして、原発をとめどもなく増やしてきた、政治・経済・社会のしくみの問題もある。

[この項、長くなりすぎるから以下別項に]

2012年5月 5日

高速ツアーバス事故と「経済」の倒錯

 野田首相が民主党政権初の「公式訪米」を果たしたという。アメリカ大統領に会うことが「成果」だというのだが、それなら「ワシントン参内」と言えばいい。日本の代官がアメリカの殿様のもとに詣でて手もみしてきたというだけの話だが、自民党政権ではないだけに何とも薄ら寒い梅雨の前ではある。それはさておき...

 連休初めの28日早暁(4時半過ぎ)関越自動車道藤岡ジャンクション付近で、金沢から46人の乗客を乗せて東京ディズニーランドに向かう高速ツアーバスが、道路左側の防音壁に突っ込み、7人死亡、3人重体、11人重傷という大惨事になった。

 ブレーキの跡もないから、誰もがすぐに居眠り運転だとわかる。と同時に、これが「安くて便利」で最近人気の夜行バスの落とし穴だと思い至る。運転手にしわ寄せが行っているのだ。さらに、これが夜行バスにかぎった話ではなく、あらゆる業界に見られる近年の経済の特徴を絵に描いたようにみせた事故なのだ、ということにも思い至る。

 2000年に高速ツアーバスが規制緩和され、以来現在までにツアーバス事業者は倍増した(2300社から4400社へ)。スケジュールや運賃を自由に決められるため格安の運行が可能になり、それで利用客も急増、種類やクラスもさまざまになった。規制緩和(自由化)で新規業者が参入し、安売りで増える利用者を奪い合って競争が激化し、「安くて便利」の「商品」がさらに顧客を増やして「成長」分野になるというわけだ。

 事業者は競争を勝ち抜くために、極力経費を削ろうとする。だがモノや手続きにかかる費用の削減には限度がある。いきおいしわ寄せは「柔らかい」人件費に行き着く。そこで給料は減らされ、業務は増えてきつくなる。もちろん削れる人員は削り、必要なら派遣や臨時雇いで回してゆく。

 高速ツアーバスなら現場で働くのは運転手だ。今回のケースでは、金沢から東京まで高速を一人で運転していたという。夜間だというのに交代もいない(まともな会社なら二人で二時間交代といったところだろう)。つまり要員の数も削られ、その分、勤務状態も過重になっている(業界では9日間連続勤務といった例もあるようだ)。だから運転手はいつも睡魔と闘いながら冷や汗まみれで仕事にあたる。運ぶのは、ただの荷物ではなく人なのだ。

 監督官庁の国交省は、一日の運転を670キロ以内に「抑えていた」(そんなに認めていた!)そうだが、総務省が出した改善要求を、業界の意向を汲んで無視していた(原発を管轄する経産省と同じだ!)。

 運転手はこの事業のかなめだ。それが常勤ならまだましだが、しだいに明らかになったのは、事故を起こした運転手はバス会社の正規雇用の社員ではなく、「日雇い(アルバイト?)」だったということだ。それに、この運転手は93年に来日帰化した中国出身者だという。日本語もたどたどしいと報道された(さらに分かったのは、どうやら彼はふだんは中国人観光客向けの「闇営業」をしていたらしいということだ)。

 こういう事故があると、運転手がまず逮捕され、事業主のところに査察が入る。バスの運行状況や、人の働かせ方に違法行為があれば、事業者の責任が問われることになる。こんな無理な運行をやっていた...、こんな条件で働かせていた...、悪質な業者だ、というわけだ。そして「悪質な業者」が処罰されれば一件落着ということになる。防音壁の隙間をなくす(!)とか、業者の安全管理を徹底させるとかが「安全対策」として打ち出されて、もう「安心」です、というわけだ。

 でも、そういうことか?

 いちばんの問題は、ここで不問に付されてよしとされる「仕組み」と「考え方」の方だ。商売の規制をなくして「自由な競争」をさせる。すると「商品」の価格は下がり品質はよくなり、消費者のためになる、という。たしかに、ゆったりシートで金沢―東京3500円は安くて魅力だろう。だがどこで安くなっているかといえば、圧縮されているのは人件費だ。バスを造るにも同じことだ。

 切り詰められない経費はある。そこで薄利多売と人件費の徹底削減。働く人間の労働は強化され、賃金は極限まで切り詰められる。その結果、雇用条件も労働の環境も悪化し、常勤は減らされ、臨時雇いが多くなる。その方が、必要な時にだけ雇う(賃金を払う)という事業者の「自由」が利くからだ。

 それぞれの事業者は余分なことをしない。アレンジその他は「外注」だ。だから、パソコンだけで右から左をつなぐ斡旋業(仲介業者)が増える。今回の事故でも、ツアー企画会社とバス運行会社の間に二つの仲介業者が介在し、四社が関わっていた。臨時雇いの運転手はその下請けということだ。そこにチケットを売る業者まで加えると六段階だ。その段階ごとに斡旋料が取られ、末端の労働者にわたる分け前は微々たるものになる(どこかで聞いたような話だ――そう、誰に雇われているかも分からなくなる原発労働者!)。

 大型ツアーバスの車体と車輪をつなぐアエ・クッションのように人権費は圧縮され、そのおかげでバスは「快適」に走る。「快適」な車内で「消費者」たる乗客は眠る。そして車体の外は「闇」。なんといっても夜行バス!だ。だが今回はエア・クッションも疲れて眠りこけてしまった...。

 「快適消費」の向こうは闇、まるで『ゴモラ』の世界だ(11年11月7日参照)。だが、そういう条件を整えないと企業が参入しない(経営が成り立たない)という。そして経済を活性化させる(景気がよくなる)ためには、企業を優遇しないといけないという。原発を再稼働させるのも、電力事情が整わないと企業が逃げてゆくからだ、それでは日本経済は危ない、と業界は脅す。

 グローバル市場とその影響下で、あらゆる企業は薄利多売と人件費の削減を常套手段としている。企業が優遇されても人間は酷使され使い捨てられる(それをグローバル規模でやっているのがユニクロのような会社で、われわれは「安くて良質な」衣服についつい頼りがちになり、ふと気がつくと自分もこの経済社会に使い捨てられる身になっている)。

 「経済」を活性化するとされる「競争・安価・大量生産」は、結局「人間にかかる経費」の切り詰めで成り立っている。つまり、「経済」の拡大(成長)のために雇用は不安定化し(労働力の「自由化」とか「流動化」と言う)、労働条件は悪くなる。するとみんなお金がなくなるから買い渋るというより、買いたくても買えなくなる。そして一方では安いものが大量に供給される。安いものしか売れない。だからデフレはあたりまえだ。明らかなのは、いまや「経済成長」によってデフレを脱却することはできないということだ。

 かつては「経済成長」が人間の社会を豊かにしたとしても、いまでは「人間」(にかかる経費)を削除することでしか「成長」が考えられない仕組みになっている。それに、企業だけに金が集まって、若者も育たない。この「経済」は目先の利益のために「未来」を食っている。これでは何のための「経済」あるいは「経済成長」なのか? 

 今度の事故の背景を考えると、ユニクロから原発まで(原発を必要とする仕組みと原発労働者の条件)、現在の「経済」と言われるものの倒錯が絵解きのようにして浮かび上がってくる。この倒錯がどうしたら解消されるのか、われわれ「門外漢」も考えているが、とりわけ「経済学者」と言われる人たちにはぜひとも考えてほしいものだ。

2012年4月25日

40年後、若い世代の"I'm Okinawan"

 しばらく更新が滞ったが、先週末から五日間ばかり、また沖縄に行っていた。今度は映像アーカイヴを使ったあるテレビ番組の制作に立ち会うためだ。

 仲里効が言うように、沖縄は「復帰」前後から、日本の中でもっとも多くの視線にさらされる場所になってきた。写真の特権的な対象になっただけではない。テレビ放送が本格化して半世紀になるが、そこでも沖縄という場所はとりわけ多くの番組の素材を提供してきた。逆に言えば、沖縄はいつもメディアの関心を引き付ける「問題」を抱えた場所だったということでもある。この5月15日で沖縄の「本土復帰」以来40年になる。その40年を映像アーカイヴを媒介にして振り返ってみようという企画だ。

 多くの発見があった。発見というより、あらためての確認と言ってもよい。もっとも印象的だったのは、最近の沖縄の「自信」のようなものだ。端的な例で言えば、ある若い出演者は、外国に行くことが多いが、「お国はどちら?」と訊かれると、「沖縄です」とか"I'm Okinawan"と答えるという。"I'm Japnese"というより"Okinawan"と。その方が素直に出てくるようだ。

 これを聞いてなるほどと思った。山之口獏という詩人がいた(「獏さんを知っていますか?」というすぐれたドキュメンタリーがあった)。1903年生まれで、昭和の初めからずっと本土に住んで、苦労しながら詩を書いた。その詩のひとつに、女性から「お国は?」と聞かれて、戸惑いながらいろいろと韜晦を重ね、その韜晦が自分のうちにだけ南洋の光景を広げる、という詩がある。沖縄だとストレートには言いにくかったのだ。

 明治時代には大阪の勧業博覧会で「沖縄人」がアイヌや朝鮮人やアフリカ人とともに「展示」されて物議をかもしたこと(「人類館事件」)まであった。沖縄の人びとは本土ではあからさまに差別され、戦後にもその気配は濃厚にあった(沖縄だとわからないように苗字を少し変える人たちもいた)。獏の詩には、そんな事情が自己戯画的に取り込まれている。

 ともかく本土で沖縄の人びとの立場は厳しかった(だから原発労働にも流れた)。集団就職の若者たちも、本土の人間の無理解や偏見に失望した(そんなドキュメンタリーもいくつかある)。「沖縄出身者」はその意味では差別の「犠牲者」だった。日本の遂行した戦争とその後の米軍統治の「犠牲者」であるだけでなく、「復帰」後の日本の安保体制の「犠牲者」でもあり、そうであるがゆえに「偏見」もあり、「同情」もあった。

 そんな歴史を経験的に生きてきた世代の人びとは、本土のヤマトンチューとの関係で複雑を思いを抱かざるをえない。ところが、今の若い世代は「ウチナンチュ」(沖縄の人)であることをむしろ前に押し出す。その人たちに、「きみたちは犠牲者なんだよ」と言っても通用しないだろう。謝ったりすればむしろ迷惑がられること請け合いだ。

 「復帰世代」(「アメリカ世」に生まれ、若いころ「復帰」を経験した世代)の人でさえ、たとえばアメリカ留学の長かった友人は、「お国は?」と聞かれたときに答えるのに戸惑ったと語っていた(「日本だ」と答えることへの複雑な躊躇か?)。

 この変化の意味は大きいし、たぶん深い。「本土」の出身者なら迷わず「日本」と答え、こだわりのある人なら「遠州森の...」と踏み込むところだろう(もちろんそれは国内向けでしかないが)。けれども若いウチナンチュは最初から「オキナワン」と答える。それはかれらのアイデンティティの核が国家としての日本より、地域としての沖縄にあるということ、そして沖縄であることにもはや何のひっかかりもない、むしろそれがポジティヴに担われている、ということの表れだ。そしてその地域は、世界のなかでの地域だ。

 「本土並み」と空約束された「復帰」以来、ことあるごとに日本政府から統合の圧力をかけられ、そのたびに自分たちの苦難の経験(とくに沖縄戦の体験とその後の労苦)を、つまりは共通の体験の核を否定される不当さを感じ、思い出したくないことをあえて掘り起し(とくに日本兵による虐殺や「集団自決」)、公然と語って「否認」にあらがい、いつまでも基地はなくならないどころか、アメリカの言うなりで(というより「対米従属」を国是として)基地問題を解決する意志も工夫も努力もなく、工夫といえば「振興策」で援助漬けにして沖縄に原発依存と同じような「基地依存」の構造を植え付けるだけの日本政府をとうとう見限って、最近の沖縄はもう自力でこの状況を打破しようと動き始めている。

 そんな「親」しかいなかった。あるいは「親はあっても子は育つ」。

 そんな40年の事態の推移を象徴するような、若い世代の"I'm Okinawan"だ。彼らは自分が"Japanese"であることを認めないわけではないが、"Okinawan"に何より自分の足場を見ている。そしてその足場が"Japan"との葛藤を経てきたことを意識してもいる。
 
 沖縄という「揺れる活断層」は「政権交代」以後の「大山鳴動」で動き出し、東日本大震災と原発事故以来の日本政府のドタバタを尻目に、沖縄はしだいに「自立」の地勢を作り出しているかに見える。政府がパニックを起こす(国民ではなく)なか、被災者の受け入れを最も早く(たしか3月17日に)表明し、手厚い準備をしたのが沖縄県だったということも思い起こされる。

 いま沖縄に行くと足元が熱いと感じる。気温だけではない。ここには「地熱」がたぎり始めているようである。

2012年4月11日

東京新聞の蛮勇?ー「チーム仙谷」報道

 またまた東京新聞がやってくれた。今日の朝刊一面は「『チーム仙谷』再稼働主導、首相・閣僚4者協議 形だけ」という横ぶち抜き記事だ。(Web版はこちら⇒

 この間の原発再稼働工作で、誰がどういう役割を果たしているか不分明だったが、その仕組みや、これに官僚(経産省、財務省)と財界の一致した後押しがあることまで書いている。東京新聞売り物の「こちら特報部」では7日にも「再稼働、政権まっしぐら、"結論ありき"ひた隠す、"ゼロでも乗り切れる"避けたい」とストレートな記事を出しているが、今日は一面トップだ。

 事情通の記者なら誰でも知っていることだろうが、他の新聞は記事にしない。政治家・メディア間の「それは言わないお約束」なのだろう。だが、福島第一の事故以来、最も求められながら依然としてごまかされているのは「責任の所在」の明確化である。

 もちろん、スケープゴートを探せなどという話ではない。福島第一原発の「安全対策」に最も責任のあった経産省・安全保安院は、国際原子力機関(IAEA)にもその不適格(泥棒と警察の両方の役割をしている)を指摘されながら、今もその責任を問われずに再稼働の適格審査をしている。「安全なんて言っていたらきりがない」と暴言を吐いていた斑目某も、原子力安全委員会の長をやめてはいない。

 そんな具合だから、何が起こっても、いつまで経っても、世の中は変わらず、見えないところでうごめく連中が幅をきかす。もっと「透明」にやってもらおう。いま誰が無原則な原発再稼働を推し進めているのか、それははっきりさせておく必要がある。その意味で、今日の東京新聞の報道は快挙である。

 ただ、心配されるのは、ただでさえ原発維持にはとてもつごうの悪い情報を惜しげもなく流す東京新聞が、かつての毎日新聞のように見えない強力な圧力を受けることだ。毎日は、沖縄返還交渉の密約を暴いたために、あらゆる手で徹底的に叩かれ潰された(それまで朝日と二強と言われた毎日新聞が、「西山事件」のあと不買運動などで倒産に追い込まれたことを想起しておこう。そのとき、他のメディアは「密約スクープ」より「情通スキャンダル」に群がって毎日叩きに血道をあげたことも覚えておこう)。

 たまに妙な記事を載せたりもするが、いまは東京新聞の姿勢に支持を寄せ、声援を送りたい。


[追い書き]4/16

 ここ数日の出来事やいろいろな人物の発言をみていると、この記事、ほんとうかな?と思わせる。あまりに単純な図式だ。そんな疑問をもつと、去年の3月以来これまでの管見にふれた限りでの発言や振舞いから、事情は少し違うのではないかと思われる。そんなわけで、タイトルに「?」をつけさせてもらった。

 仙谷は今日の名古屋の講演で「(原発を全部止めたら)日本が集団自殺するようなことになってしまう」と発言し()、とうとう公然と脅しにかかっている。それははっきりしているが、枝野は「原発が一時ゼロになる」といった発言()をしている。「チーム仙石」?ムムム? といったところだ。

 東京新聞、「こちら特報部」はいいが、政治部はどうか??

2012年4月 9日

沖国大上映会とシンポジウム

 4月8日(日)沖縄国際大学で開かれたドキュメンタリー映画『誰も知らない基地のこと』上映とシンポジウムに参加してきた。エンリコ・パレンティとトマス・ファツィという若いイタリア人監督の作ったこの映画については、『東京新聞』9日夕刊社会面に外人記者クラブでの取材記事が出ているので参照されたい()。

 内容を簡単に紹介しておこう。2007年にイタリア北部のビチェンツァで、米軍基地拡張の是非をめぐって住民投票があったが、国は民意を押し潰して(裁判所があらかじめ住民投票の無効を宣告した)基地拡張に踏み切った。この出来事をきっかけに、若い二人のイタリア人(正確に言えばイタリア系アメリカ人とイギリス系イタリア人)が、戦争が終わって60年以上、冷戦が終わって20年経つのに、なぜ米軍基地がなくならないのか、という基本的な問いを抱えてその答えを求める。

 まずコソボの基地を訪ね、ディエゴ・ガルシアの基地建設で追い出された元住民を取材し、そして沖縄に至りついてその問題の深刻さにあらためて驚き、辺野古や高江でと長期にわたって抵抗を続ける人びと、園児が戦闘機やヘリの爆音に耳をふさぐ普天間基地近くの保育園などを訪ねる。

 チャルマーズ・ジョンソン、ノーム・チョムスキー、ゴア・ヴィダルなどへのインタヴューを通じて、二人が発見するのはアイゼンハワーが警告した軍産複合体の巨大な力であり、アメリカの世界統治戦略における軍事と経済との不可分の結びつきだった。

 戦争に備える、あるいは戦争を防ぐために基地があるのではなく、戦争をするたびに基地が増え、基地が増えることで巨大な産業が増殖し、それがまた資源確保の安全保障と結びついて、逆に戦争の危険を呼び込むという、後戻りのできないサイクルである。

 結局この映画は、沖縄に大きな部分を割くことになり、沖縄の米軍基地の問題をグローバルな統治連関に位置づけ直させるものになっている。とはいえ、理念的ではなく、現地の人びとの言葉に多くを語らせている。なかでも、轟音に耳をふさぐ女の子の不安な表情や、半世紀にわたる抵抗を続けながら、基地内の土地を取り戻したら大根を植えて島民みんなに配るという古老の言葉は心に残る。

 原題はストレートに"Stnding Army"つまり「駐留軍」ということだ。「駐留軍」が軍需産業を肥大させ、戦争の機会を作り出す一方で、ローマの歴史が示すように国家自体の人的物的負担を増大させる病巣となるという意味で、実は帝国的秩序のなかの「がん細胞」のようなものだという観点が、この映画の軸になっている。

 ただ、そのままでは通りの悪いこの原題に変えて、日本の配給会社は『誰も知らない基地のこと』という邦題をつけた。このタイトルはその曖昧さで示唆的な喚起力をもっている(このことは沖国大での会場からの質問であらためて気づいた)。そもそもこの作品は、オキナワのことをまったく知らなかったイタリア人たちが作ったものだ。世界中に米駐留軍は展開されているが、米軍の戦略は公表されても、その具体像や全体の連関はまったく公にされない。沖縄のことも、日本では大きな政治問題になっているが、それでも基地に苦しめられる人びとの実情は理解されていない。イタリア人の作ったこの映画が、日本で注目され、また広く世界に知られるようになることには、この「無知(無視)の壁」を破るうえで大きな意味があるだろう。

 この上映会とシンポジウムを準備してくれたのは沖国大の桃原一彦さんや、例によって仲里効さんだが、折しも自衛隊によるPAC3配備の騒ぎのさなかということもあって、会場には予想を超える大勢の人たちが集まった。新川明さんとか川満信一さん、伊波洋一さんの顔もあった。めったに見られないチュン・リー監督(南大東島出身と聞く)の『コンディション・デルタ』(イラク戦争直前の沖縄基地周辺を撮った短編)を皮切りに、基地に押し潰されることを拒否する人びとの思いをストレートに映した映画の上映と、その後に続いたシンポジウムには、ことのほかの熱気が漂っていた。

 このシンポのために久しぶりに行った沖縄で、いま何かが大きく変わりつつあることを強く感じた。2007年に東京外大で『沖縄・暴力論』と題する2日間のシンポジウムを行ったとき(記録は同題で翌年未来社から刊行)、「沖縄・揺れる活断層」という言葉で「本土」との関係を表現してみた。それから「政権交代」があり、鳩山政権の「迷走」があったが、ここ2、3年を経て、いまは地熱が熱いことを感じる。マグマが流れ出ているかのようだ。その「熱気」の中身についてはまた別のところに書きたいと思っている。


☆ このシンポジウムについては、9日の地元紙『琉球新報』と『沖縄タイムズ』がともに紙面を割いて報告している。『琉球新報』の記事『沖縄タイムズ』の記事。 

☆ 実は前日の7日(土)、東京外大でも非公開の特別上映が行われ、中山ゼミの拡大セッションに両監督も来場して討論会が行われた。イメージフォーラムでの封切日であったため非公開だったが、両監督と学生たちとの活発なやりとりが行われた。その模様は『誰も知らない基地のこと』公式ホームページで見ることができる。

2012年4月 6日

原発だけは「再稼働」

 あちこちで「この夏の電力不足」キャンペーンが張られ、その一方で東電が「ゆすり・たかり」のように電気料金の値上げをし、政府はいまなにがなんでも大飯原発の再稼働に道を開こうとしている。この連中はまったく懲りない。

 1月23日の毎日新聞は、「今夏の電力需給について、全国で約1割の不足に陥ると公表した昨夏の政府試算が再生可能エネルギーをほとんど計上しないなど実態を無視したものだった」ということを報じていた。それを含めて試算すると、実は電力使用制限令を発動しなくても最大6%の余裕があったとする別の試算があったが、これが発表されなかったというのだ。

 こういう「つごうの悪い情報」隠しが、この一年でもどれだけくりかえされてきたことか。「火力は高い」という嘘も、福島事故の賠償を東電がとても賄いきれず2兆円にも及ぶ政府資金(税金)がつぎ込まれねばならないことではっきりしている(原発が安いというのがどんな空想非科学的な嘘かも、この間いやというほど知らされてきた)。

 原発再稼働を求める(そしてそのためにあらゆるキャンペーンに金や圧力を使う)財界は、私企業の目先の利益しか考えておらず、社会や国の行く末のことなどおかまいなし、「あとは野となれ山となれ」というわけだ。ついでに言っておけば、それが「私欲」だけをよしとする「新自由主義」だということだ。

 原発再稼働に向けた条件が閣議で決まり、来週には再稼働が決定されるそうだ。惑わされないために最低限次のことだけを確認しておきたい。

-「安全対策・安全性確認」というが、ストレステストをしたとして「問題なし」と言っているのは依然として経産省・安全保安院だ。この役所はそのずさんな管理と電力業界との癒着によって、福島第一の事故に大いに責任があることが明らかになった。機構改革を棚上げにして、この役立たずどころか電力業界・財界とグルの経産省・保安院がまだ審査をしている時点ですでに、事故に対する何等の反省の気配もない。

-事故の想定を厳しくするというのは程度の問題にすぎない。「想定外」を想定しないその姿勢は変わらない。リスク管理というのは、管理できる項目だけを並べる。だが、実際の問題は、原発の設置・運営・管理体制そのものにある。

-「リスクと経済への影響との兼ね合い」ともいうが、震災以来、経済をすべてに優先させる姿勢が問われている。だいたい、大企業(輸出企業)の業績が上がっても失業や労働状況はよくならない。コストダウンばかりで、そういう仕組みを作ろうとしないからだ。

-それに、福島第一でも四号機の使用済み核燃料プールがいちばん危ないと言われている。これ以上原発を動かして使用済み核燃料を増やし、どこに処理するというのか。福島事故はいまだ収まらず、日々被曝労働で手当てを続ける(それも日々、新たな漏れが発覚する)一方で、数十万の人々が住処を追われて困苦している。

 野田政権は、こういう根本的な問題に向き合おうとせず、「取りはぐれのない」消費税上げと原発再稼働という財界の要求実現だけに邁進している。そして北朝鮮の「人工衛星問題」を針小棒大に取り上げ、この機に乗じて今までできなかった自衛隊の沖縄展開を図っている。「核抜き本土並み」と偽った「復帰40年」を目前にして。

2012年3月31日

グローバルな「世俗哲学」の胎動

 少しブログの更新を留守にしたが、この間、3月19日(月)にISC・21(稲垣正浩主催)の研究会でナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』をどう読むか、について講演、21日、22日には立命館大学で開かれた国際会議「カタストロフと正義」に参加、主に招待講演者のジャン=ピエール・デュピュイと、彼の持論「啓発的破局予言論」について議論した。そして23日から一週間は主として研究打ち合わせのためフランスに行っていた。

 ISC21の研究会では、まず、アメリカの行動主義心理学と新自由主義的経済体制の適用に見られる人間観・社会観の共通性を説明し、ついで、市場の自己調節機能に信を置く自由主義経済の考え方と、西洋近代の「自由」の観念を準備したキリスト教的世界観(アウグスティヌスの「悪の弁神論」からカルヴァンの救霊予定説、アダム・スミスの「見えざる手」まで)との関係の概略を示し、さらに現在の新自由主義経済のグローバル化と、3・11以降の日本の復興についてのコメントをした。

 立命館では、デュピュイの「未来の破局の予言」のキリスト教的枠組みを指摘して相対化し、かつ世界戦争以後の「人類」観念の普遍的現実化にともなって「啓発的未来予言」が万人のものになったことに同意し、そのうえで「われわれの未来との関係」の劇的変化について、「未来がすでにここにある」(ロベルト・ユンク)ことについて、先日『世界』増刊号に書いた「地震に破られた時間、または手触りのある未来」を念頭に置きながら論じた。

 その直後にフランスに出かけたということもあって、向こうでもその種の議論が目についた。というより、人に会うたびに話題がそちらに向かった。今回は、以前このブログでも著作を紹介したことのあるダニー=ロベール・デュフールに会うことができたが、とくに自由主義の公理とキリスト教教義論との関係の見取りをつけてくれたのは彼の著作である(『倒錯の国』La cité perverse, Danoël, 2009、これがちょうど文庫化されていた)。

 デュフールの仕事は日本ではほとんど知られていないが、この数年『頭を切り詰める技法』(いかにして考えないようにさせるか、L'art de réduire la tête, danoël, 2003)、『神なる市場』(Le divin marché, danoël, 2007)と上記の『倒錯の国』の三部作で「ポスト・モダン=新自由主義経済」のもっとも興味深い思想的批判を展開している。

 この哲学者がどういう系譜から出てきたのか知りたかったが、案の定、フランスの哲学界の主流あるいは「花形」の流れには属さない一匹狼(それも謙虚な)だった。哲学や文化人類学や言語学を渡り歩き、ブランショやバタイユに触発され、レヴィ=ストロース、ラカン、べェンヴニストの批判的検討を経て象徴的次元や第三項の変容をあつかう『三位一体の秘儀』(Mistère de la Trinité, Gallimard, 1990)を書き、それで理論的地歩を作り上げて、以後、民主主義や現代世界での人間のあり方を検証する仕事をしながら、上記の三部作にたどり着いた。大学でも哲学科ではなく教育学部で教えている。

 ここ10年ばかり、見えてきたのは、いわゆるフーコー・ドゥルーズ・デリダの流れがアカデミズムの訓詁学に堕してゆくなかで(それは彼らを単なる研究対象にしてしまう研究者のせいばかりでないだろう)、その流行によって周辺化されていた少なからぬ重要な仕事があったということだ。イヴァン・イリッチやアンドレ・ゴルツ、あるいはカストリアデスやクロード・ルフォールの流れを汲み、マルセル・ゴーシェやアラン・カイエを横に見て、いわゆるポスト・モダン現象に批判的な距離を置き、それぞれ分野横断的な仕事を独自に展開していた人々だ。ジャン=ピエール・デュピュイもそのひとりだ。

 そのデュピュイも『経済(学)の未来』(L'avenir de l'économie, Flammarion, 2012)という新著を出している。彼自身のこれまでの議論を踏まえて、経済学と宗教(あるいは市場と信仰)との関係を扱ったもので、アプローチは少し違うが、デュフールの議論とかなり重なっている。デュフールは『神なる市場』で、キリスト教的な信の「世俗化」が別のクレド(信)の場としての市場を生み出したことを論じているが、かつてアメリカの経済学者ハイルブローナーがその経済思想史を直観的に「世俗哲学」と題したことを思い出させる(日本語訳はちくま文庫『入門経済思想史・世俗の思想家たち』)。

 経済学者の方でも、主流派=新自由主義の鉄面皮な市場支配と自分たちの無力さに愕然として、これに屈すまいと『マニフェスト』を出した「愕然経済学者たち」も、一般市民も巻き込んで活発な活動を展開し、続編『盲目の20年、奈落の淵のヨーロッパ』と『経済に変化を! 2012年の提言』を刊行していた。その様子はウェブサイト"Les Economistes Attérés"で知ることができる。

 いずれにしても、いま新しい「世俗哲学」が生まれつつある。宗教、技術、経済も含めて、近代と西洋キリスト教世界を抜本的に相対化する哲学だ。それには全世界のアクチュアルな思想が(帰依するのではなく)合流することができる。それがグローバル化が生み出した状況の所産だろう。もちろんグローバル化はあちこちで「危機」を引き起こしている。だがその「危機」が何であるか、その出口が那辺にあるかを明らかにするのは、いま熟しつつあるこれらの思想的営為だろう。

 EUの全般的経済危機や、大統領選を来月に控えたフランス政治の溶解状況、激震災害後の日本の状況などを背景に、ピエール・ルジャンドル、アラン・シュピオ、デュフール、アラン・カイエ、フェティ・ベンスラマらと議論しながら、そんな思いを強くした。

2012年3月19日

女性たちよ、公務員になろう!

またまた保安院の悪行が

 最近になってまた経産省原子力安全・保安院の「悪行」が明るみに出た。2006年に原発事故に備えた防災重点区域の拡大を検討していた原子力安全委員会に反対意見を送り、断念に追い込んだという件だ。当時の保安院長広瀬研吉が、安全委の委員たちに「なぜ寝た子を起こすのか」と直接圧力をかけていた。本人は取材に対して「記憶にない」と答えたという。

 今さらとも思うが、原発の安全を管轄するはずの部局のトップが「安全への配慮」を潰そうとしていたということだ。そのうえ彼は福島第一の事故後に内閣府参与になっている。事故対応にどんな「貢献」をしたのか明らかにしてほしいものだ。

 経産省にしろ財務省、文科省にしろ、いつも対応に出てきて「東大話法」ならぬ「官庁話法」で、鉄面皮で杓子定規の受け答えをするのは(そうして昇進してきたのだろうが)、この広瀬某とか西山某とかいった連中である。いつも男だ。こういう組織はいつも男ばかりである。

男ばかりの変わらぬ官庁

 つい最近、情報筋からこんな資料を見せられた(「府省別女性国家公務員登用状況」)。これによると、日本では国家公務員のいわゆる指定職(給料が別格になっている審議官級以上の上層部だ)が約970人いるが、そのうち女性はわずか19人だという。たったの2%だ。いちばん多いのが厚労省で、それでも103人中わずか7人、総務省が3人、外務・財務・防衛(それに環境省も!)にいたっては0だ。

 いささか愕然とした。国は男女共同参画社会をめざすといいながら、国家公務員からしてこのありさまだ。日本の官僚機構の体質がいつまで経っても変わらないのは、このことと無関係ではないだろう。ちなみに国家公務員全体を見てみると、約17万人のうち、女性は2万7千人、17%ということだ。われわれが知っている女性官僚といえば最近では、これも男社会の検察のでっちあげで公文書偽造事件の被告にされた元厚労省の村木厚子さんぐらいのものである。

 いうまでもなく日本の国民の半数は女性である。公務員は国民生活のあらゆることに関与する。女性の社会進出は、当たり前すぎていまでは話題にもならない。それに国は若年労働力減少の埋め合わせに、女性の「潜在的」労働を使おうとしている。にもかかわらず官僚の世界では女性は17%、幹部となるとたったの2%だというのだ。これでは国も社会も変わらないだろう。官僚機構が男たちの既得権益の巣窟になっている。

国の半分は女性に

 選挙の男女比指定というものには留保があるが、公務員は別だ。野田内閣は消費税上げのおためごかしで、国家公務員の大幅削減を打ち出しているが、そんなバカなことをやるより、公務員こそ男女均等に採用するということをやるべきだろう。急にはむりだとしても、上層部に女性がわずか2%という、それこそ「国際的」にもあまりに恥ずかしい状態を可及的速やかに改善すべきだろう。

 そうなれば、日本の社会は確実に変わる。これだけ原発政策のずさんな実情が明らかになり、さらには虚偽と隠蔽とやらせなしには原発が維持できないというだけでなく、どう経済的に見てもとても採算は合わないということまで明らかになったにもかかわらず、政府や経産省がいまだに保安院にものを言わせ、何が何でも原発再稼働をもくろむなどという事態は、確実に変わることだろう。事故があまりに多く弊害しか予想されない柔道を、あらゆる批判も受け流して厚顔に学校に導入するなどということも起こらないだろう。

 フェミニストに怒られそうな言い方をすれば、男は種付けをして朽ちるだけだが、女は「未来」を抱える資質をもっている。その女性たちを社会に参画させないで何の「未来」か。そして共同参画をめざすというなら、まず国から率先して女性を登用すべきだろう。国家公務員の半数は女性を採用すべきである。

 だから若い女性たちには勧めたい。ぜひ公務員(国家公務員でも地方公務員でも)になりなさいと。それはあなた方の権利を広げる権利だと。そして、この国と人類の「未来」はあなた方にかかっている、と言いたい。


★これを素材に映画を作ったら、とても面白いものができるだろう。「居座り男がダメにする日本」とか。伊丹十三あたりに作ってほしかった。少なくとも「女性たちよ、官僚になろう!」というプロモーション・ビデオは作りたい。きっと面白いものができる。

2012年3月16日

吉本隆明氏の逝去に合掌

 昨日(15日)はさんざんな一日だった。

 朝、気が付いてみると、前日アップデートしたiphone が不具合で、何度やってもいつもの画面にならず、電話も使えない。だからこんな不便なものはいやなんだ、と苛立ちながら会議のために大学に出かける。そして帰り、夜都心で会合の予定があったので、オートバイを置くためにいったん帰宅してみると、キーホルダーがない! 大学のどこかに忘れたのだ。ところが電話が使えず、家人に連絡することも(携帯の番号はiphone に入っている)、大学の同僚に連絡することもできない。会合の連絡先だけはメモしてあったので近くの公衆電話で断りを入れ、ともかく大学に戻ることにした。共同研究室の鍵を自分で開けて入ったまでは覚えているので、あてはあったのだ。
 案の定、鍵は見つかり、そこにいた会議流れの同僚たちと久しぶりに食事をして帰ったが、厄が一度に来たような一日だった。

 そして今朝、吉本隆明氏の訃報を受けた。

 人は誰でも死ぬ。だから吉本氏が特別だというわけでもない。それに、おそらくもう20年来吉本氏には縁がなかった。以前、駒込に住んでいたときは何度か、駅の近くで白山方向に自転車で走る吉本さんに出くわしたものだった。吉本さん!なんですかいま頃、と声をかけると、あぁ、運動不足だから朝ここまで新聞を買いに来るんですよ、と答えた。だが、いまの住所に引っ越してからはばったり出くわすこともなく、それ以後吉本氏の書くものや発言にとり立てて関心をもつこともなかった。

 それでも吉本さんの死にただならぬ感慨を抱くのは、若いころ一方的に受けた大きな恩義を感じているからだ。わたしやもう少し上の世代の多くの者と同じように、1960年代から70年代にかけて、あらゆる混乱と喧騒のなかで、ものを考えるということ、それも「自立」的に考えることを教えてくれたのは、吉本隆明の著作だったからだ。

 『芸術的抵抗と挫折』『抒情の論理』『擬制の終焉』『言語にとって美とは何か』『自立的思想の拠点』『共同幻想論』『源実朝』『最後の親鸞』『悲劇の読解』『心的現象論』...、政治状況から思想的議論、戦後の日本を揺さぶった激動と混迷のなかで、世界のさまざまな書物を読み、状況と格闘しながら、この人は何ものにも依拠しない「自立」の思想的基盤を、みずからの営みの根本である「言語表現」に認め、言葉の発生から日本の現代の表現までを一貫して考察する『言語にとって美とは何か』を書き上げた。そして日本の制度性・政治性の基盤をなす「共同幻想」に取り組み、やがてさらに個的・私的な「心的現象」を扱う。それは日本という世界の片隅で、「輸入思想」に身を預けず(あるいは憑依せず)、文字通り「独力」で全世界に拮抗する思想を構築しようとする壮大な野心の展開だった。

 吉本さんはマルクスには基本的に同意しながら、その方法を言語表現や心的現象に応用し、ソシュールやニーチェやフロイトや、当時はやりのフランス実存主義の向うを張ろうとした。わたしがまったく無根拠にフランス文学の世界に踏み入り、フランス思想などをやるようになったについても、実はひそかな機縁がある。少なくともわたしは、当時の外国文学者に対する吉本さんの厳しい批判を呑み込むことから、いまにいたる仕事の道に入った。

 戒めのひとつは、ひとの褌で相撲を取らない(外国の虎の威を借る狐にならない)こと、もうひとつは、知的探求をアクチュアルな課題と切り離さないこと、等々。

 いまではわたしは吉本さんの行き方に同意していない。それは基本的には、「近代」の世界化状況のなかでの思想的交錯やその展開について、そしてそのなかに自分をどう位置づけるかについて、わたしが吉本さんとは違う考えをもつようになったからである。

 それについては、1984年にわたしがモーリス・ブランショの思想的遺書とも言ってよい『明かしえぬ共同体』を訳したことが契機となって、翌年雑誌『ユリイカ』で「共同性」をめぐる議論を行ったことからしだいに明瞭になった。このとき幸運にもわたしは6時間近くにわたって吉本さんとかなり密な議論をする機会をもった。

 『悲劇の読解』でバタイユにふれ、『最後の親鸞』では「非知」をキータームとしていた吉本さんに、「大衆の原像」という独自の概念と「非知」との関係、それも西洋現代の思想に登場する「非‐知」との関係について、両方の読者としてわたしは延々と語り、吉本さんが日本でこの地の知的状況にあくまでとどまりながら展開している議論の世界的共時性について、その相互照応について、自分の理解をとことん語った。けれども吉本さんはそれを受け入れなかった。わたしは誠心誠意、全力を傾注して説得したが、吉本さんは自分の議論はそんなものではないと否定して、ついにその孤塁を出ようとはしなかった。

 そのときにわたしは、吉本さんとは道が違ってしまったと思わざるをえなかった。だから、親しく突っ込んだ話しをしたのはそれが最初で最後になった。その後吉本さんは、ある人に言わせれば「大きなトラックに引っ越し荷物を満載して、狭い十字路で舵を切った」(つまりマルクス主義を捨てたということだ)が、もはやわたしには身近な話ではなかった。それでも『世界史の臨界』を書くとき、『アフリカ的段階について――史観の拡張』(1998年)には目を通した。西伊豆の海で事故があった後に出た著作だ。

 自分で言うのも恐縮だが、かつて酒井直樹さんと『〈世界史〉の解体』(以文社、1999年、増補版2004年)という本を作ったとき、酒井さんはあとがきでこんなことを書いてくれた。

 対談を始めて最初に私を襲ったのは、西谷さんが私とは異質な存在であるというどうしようもない感覚だった。彼には、庶民的なものとの繋がりへの固執、根をもつことに関する熟考、庶民の感性的な生活に根差した保守主義に対する意識された配慮、があったように思った。いわゆる「サヨク」の知識人が鈍感であり、ともすれば看過しようとする「庶民」の多様性としたたかさに共感する彼自身の能力への確信が彼にはあった。宮古島への彼の関心やクレオール文学への彼の思い入れは、その点を見事に示している。(...)

 わたしには過分なことばだと思えるが、酒井さんがそういうものを敏感に感じ取ってくれたとしたら、わたしが自分の経験からそういう傾向を身につけたというだけでなく、それを意識的に学んだのは吉本隆明の「大衆の原像」という観念があったからである(ただし、この表現については誤解が蔓延し、あるいはわたしが自分流に「曲解」しており、80年代の吉本氏と話がずれたのもその「曲解」に関係している)。

 上に挙げたような吉本さんの著書は、いま読むとほとんど理解しがたいものもある(例の『共同幻想論』にしてからがそうだ)。けれども、わたしだけでなく日本の戦後の一時代の若者に、詩とは、批評とは、思想とは何か、考えるとはどういうことかを示してくれたのは、70年代までの吉本隆明のこれらの著作だと言ってもよいだろう。もちろん、人それぞれに学んだことは違っているだろうが。
 
 言葉から始めて、共同性、法(規範性)、主体の意識、政治思想、古典から現代の文学表現、そして宗教まで、一貫して考えることを示したのもこれらの仕事だ。それは比類ない力業だった。その吉本さんがとうとう逝った。87歳だという。心から冥福を祈りたい。

 これからおびただしく出されるだろう追悼の言葉の末端にこの一文を添えておきたい。