日本語・学習支援経験者インタビュー

多文化コミュニティ教育支援室では、外国につながる子どもたちの日本語・学習支援に多くの学生が携わっています。
今回はその中から各拠点での活動を経て、それぞれ留学、就職、日本語教師の道に進む3名の学生に体験談を伺いました。


▼府中市、調布市、武蔵野市学習支援ボランティア―荒川さん(フランス語専攻)
  学生たちが府中市および調布市の小中学校に出向き、フィリピンや中国、フランスなど外国につながる子どもたちに日本語を教えたり、学校の勉強のサポートを継続しています。
武蔵野市内小学校でフランスにつながりを持つ6年生の女の子を担当してきた荒川さん(フランス語専攻)にお話を伺いました。

―昨年5月から、現在の子を担当していますが、最初はどうでしたか。
荒川さん:お母さんが日本人、お父さんがフランス人で。最初は人見知りで「うん」と「ううん」くらいしか言わなかったんですね。でも、私がフランス語を分かると知ると、話しかけてくれるようになりました。最近は、フランス語で話しかけられても、私は日本語で答える、というように意識しています。

―授業に入り込んでの支援で、難しいと思うことはありますか。
荒川さん:社会の公民分野で「憲法」や「内閣」などの言葉が出てくるのですが、住んでいたフランスでも概念自体を習ってなかったようで説明に苦労しますね。「分かった?」と聞いて「うん」と答えてくれても、少し不安になります。もうすぐ中学生なので、自信を付けてあげたいです。

―荒川さん自身、武蔵野市に小学3年生の時から住んでいるそうですね。
荒川さん:前は海外志向が強かったのですが、自分の身近なところにも気づいていないことや、できることがあると知りました。

―その武蔵野を飛び出し、今月末からフランスへ留学されます。
荒川さん:卒業論文ではフランスの移民問題について書きたいと考えています。
      なので、街でどのくらい外国につながる人と出会うのかなど統計では分からないことを実感したいですね。

―活動を続ける中で「子どもとの接し方が分かるようになった」という荒川さん。
留学先の街、アンジェとヴィシーでも温かな出会いがたくさんあると良いですね。


▼府中国際交流サロン 児童日本語教室―田向さん(スペイン語専攻)
毎週金曜日夕方 府中市役所内で行われている府中国際交流サロンの児童日本語教室。現在は16名の子どもと19名の学生が一緒に学んでいます。同教室に1年次から携わりこの春卒業を迎える田向さん(スペイン語専攻)にこれまでの活動を振り返って頂きました。

―1年次の6月頃から児童日本語教室でボランティアを始め、これまでに4人の子どもを担当してきたそうですね。
田向さん:初めて担当したのは韓国から来た女の子でした。日本語が全く分からない子だったため、いかに良い関係を築いていくかに苦労しました。

―最初は暗中模索だったんですね。2年次にはコーディネーターも務めました。
田向さん:段々と、担当している子だけでなく全体の運営に目が向くようになりました。最初は各学生と子どもという個々の関係が強かったので、教室全体で「勉強と遊びの切り替えをきちんとしよう」という風に変えていこうと言ってみたり。

―4年近く通っていると、時には気持ちが教室から遠のいてしまう・・・なんてこともありましたか。
田向さん:ありましたね。子どもとの関係が上手くいっていない時とか「厳しく言うと余計自分から離れていってしまうのでは?」など悩みました。あとは、3年次冬から4年次春にかけての就職活動中のとき。スーツ姿で疲れきって教室に行ったり・・でも行くと他の学生や子どもたちから刺激をもらえて「行ってよかった!」って元気になるんですよね。

―田向さんはこの春大学を卒業し就職されますが、教室を引き継いでくれる学生たちにメッセージをお願いします。
田向さん:学生と保護者だけでなく、国籍を越えて保護者同士のつながりも生まれる保護者会はぜひ続けて欲しいです。それと、子どもたちは遊び盛りですが、もう少し勉強に対してストイックにやってくれたらと思います。

―教室の活動を通し「全体を見る目を養えた」という田向さん。春からメーカーに勤める社会人になりますが、その視点はきっと活きるはずです。久々の同期へのインタビューに筆者も励まされました。


▼調布市国際交流協会 調布市立学校 日本語指導教室―田栗さん(ヒンディー語専攻)
調布国際交流協会が週2日運営する子どものための日本語教室にて、9名の学生ボランティアらが支援に取り組んでいます。インドへの留学経験、同教室と新宿区内での小学校での活動を経てこの春卒業を迎える田栗さん(ヒンディー語専攻)に振り返って頂きました。

―日本語・学習支援経験が長いイメージの田栗さんですが、実は始めたのは留学後の4回生3年からだったそうですね。
田栗さん:たまたま調布の日本語指導教室のチラシをみて「ヒンディー語だけじゃなく日本語も楽しそうだな」と。そこを直接訪れたら、外大生のボランティアがいて支援室とつながったという流れです。

―インドで様々なカルチャーショックも体験した分、学習支援でも最初からあまり戸惑いはなかったのでは。
田栗さん:カルチャーショックを体験した分というよりも、最初は「日本語を教えれば良い」ぐらいにしか思ってなかった分想定内でした。ですが、徐々に子どもたちにとって何が問題かというのが見えてきて、それからの方が戸惑いました。

―子どもたちにとっての問題、というと・・
田栗さん:生活言語と学習言語の違い、家庭環境、日本語指導教室では見えない学校生活の様子など。子どもたち自身が表面的に「困っている」というよりもその背景にはたくさんの問題を抱えているということです。

―そのような問題に直面すると、どこまでボランティアが踏み込んで良いのか悩んでしまいますよね。
田栗さん:小学校内でマラヤーラム語が母語の子どもを支援をしていた際、周りの子たちが偏見を含んだ言葉を掛けてきて。自分はそれを制して良いのか、それは教師など教育者がやるべきことではと考えてしまったり。

―そんな現場を見てきた田栗さん、卒業後は日本語教師を目指すそうですね。決定的なきっかけは何だったのでしょうか。
田栗さん:その世界へはいずれ関わろうというつもりで、ひとまず社会に出ようと就職活動をしていました。最終面接で上手く行かず凹んだ翌日日本語指導教室の遠足があり、担当していた子が学校で問題を抱え帰国してしまったことを知りました。ショックで多摩川に自転車を走らせていったら、無意識のうちに子どもたちの通う中学校に辿りついてしまい・・

―運命を感じてしまったというか。
田栗さん:それが直接のきっかけというわけではないですが(笑)。先の見えない道ではありますが今年はまず、専門家になれるだけの知識と経験を身につけたいですね。

―「なぜ自分が子どもたちの教育環境整備に取り組むのかに深い理由は必要ない。登山家が山に登るのは『そこに山があるから』と言うのと同じこと」と言う田栗さん。専門家としての第一歩を踏み出せる一年になると良いですね。

多文化コミュニティ教育支援室は2012年の東京外国語大学の改組にあわせ、 より広いボランティア活動をサポートするためのボランティア活動スペースとなりました。
(本サイトはアーカイブとして公開を続けています)