2019年度 活動日誌

3月 活動日誌

2020年3月31日
GJOコーディネーター 竹森 帆理

三月ともなればすでに寒さはやわらぎ、本来であれば行楽日和です。しかし世界中を震撼させているコロナウィルスのせいで、春を迎えるムードには水が差されてしまいました。一月まではオランダなどのヨーロッパ諸国はコロナウィルスは対岸の火事と見ていたと思います。イタリアで患者が急増しているというニュースもどこか他人事の感覚がありました。その時、私たちは日本の情勢を見て、このままではライデン大学日本語科の二年生の四月から三か月間の日本への短期留学が中止になるのではないかと恐れていましたが(日本語科の二年生はほぼ全員短期留学に行くことになっていました)、自分たちの今いるところは安全だと思っていました。それが2月27日にオランダで初めての患者が出て以来、あっという間に人口比率どころか実際の数字でも日本を越してしまいました。

三月は二週目の土曜日に日本大使館主催の日本語弁論大会が開催される予定でした。前週の金曜日に最後の練習会がありました。弁論大会に参加するのは六名でしたが、その日に現れたのは二名だけでした。その数日前に二年生の日本への短期留学の中止が決定していました。その中止の告知は授業中にメールであり、休み時間にメールを見た学生が泣き出したり憤ったり教室は大騒ぎになったそうです。練習会に現れた人数が少なかったのは二年生がそのショックにより欠席したのだろうと、不思議ではありませんでした。なのでそこにいた唯一の二年生のJさんが「今日は人が少ないですね」と言った時も特に心配していませんでした。しかしJさんは「先生は聞きましたか、弁論大会が延期になりました」と続けて言いました。私にとっては寝耳に水でした。その日に丁度その延期の連絡が大使館から参加者に通知されたそうです。今振り返ってみれば当然の処置だったと思いますが、当時はまだコロナウィルスがそれほど大きな問題であるという実感が少なかったため、私は驚きました。

週が明け、他の先生方とも話し合った結果、このまま弁論大会が中止になる可能性もあるので、その週の木曜日に予定されていたリハーサルを「仮本番」として行うことになりました。当日は三名が堂々としたスピーチを披露してくれました。先生方や集まってくださった日本人の聴衆の方が本や便箋、駄菓子といった景品を用意し、三名に順位をつけ景品を授与しました。集まってくださった日本人の方々は留学生や他の先生、外務省の方などで、みなさん発表者に渡すフィードバックシートに丁寧なコメントを書いてくださり、また的確な質問とコメントをしてくださり会は暖かなものとなりました。

会が終わり、解散となった時に一人の学生が明日授業がなくなったようだと突然言いました。僕たちは耳を疑いました。慌てて大学のホームページを見ると、確かにその通りの決定がなされたと書かれてありました。僕たちは不安の中で週末を過ごしました。日曜日にhoreca(ホテル・レストラン・カフェ)をこれから少なくとも四月の初めまで閉めるという政令をオランダ政府が出しました。月曜日に大学はこれから授業を事態が鎮静化するまでオンラインでやるという決定をしました。その日の晩、オランダの首相Mark Rutteが全国民に語り掛けるスピーチを行いました。国のトップが国民に直接宛てたスピーチをするのは1973年の石油危機以来のことだったそうです。そのつい数日前まで人々はのんびりと普通の日々を送っていると思っていました。それがまったく違っており、気付いた時には事態はもう深刻な域に達していました。

しかしオランダにいてまだよかったのはフランスやイタリアなどのように外出禁止令は出ていないことです。三月の後半の二週はオランダのいつもの雨の多い天気が嘘のように晴れて、連日快晴続きです。こうなるといつも日差しを狙ってカフェのテラスでのんびりと過ごすことを習慣としているオランダ人が外に出ることを止めることはできません。カフェやレストランが閉まっても、家々の中庭や歩道でテーブルと椅子を出して日向ぼっこをしながら友人や家族とお酒を飲み語らっている人々をよく見かけます。

しかし当初は緩やかな処置を取っていたスーパーなどのお店も今ではプラスチックの板をレジ員の前に置き、客と接触しないようにし、店によっては人との距離を1.5メートル空けるという規定に従うために大型のショッピングカートを客が押すことが義務付けられたりしています。これから事態がどこまで深刻化するかは誰も予測を立てられません。

もっとも外は春真っ盛りで、レンギョウの黄色い花やマグノリアが咲き誇っています。大学の近くにある聖ピータース教会(Pieterskerk)の前では桜がすでに満開を過ぎました。その写真を最後に添えます。

2月 活動日誌

2020年2月29日
GJOコーディネーター 竹森 帆理

オランダの二月は気温は依然として十度以下の日が続きますが、日が長くなり、あちこちに花が咲き始めて、一月と比べて一気に春らしくなります。一月までは花と言えば、laurustinusの小さな白い花やオウバイ(winter jasmine)の黄色い花ぐらいしか見かけませんでしたが、二月も終わりごろになると運河沿いの緑地や公園に鮮やかな黄色いラッパズイセン(daffodil)や紫や白のクロッカス(crocus)が一斉に咲き、街に彩を添えます。

日中は日が照っていると暖かくなったこともあり、バーやカフェのテラス席は昨年の夏を思わせる賑わいを徐々に取り戻しつつあります。

二月はまた冬休みが開け、二学期目が始まる月でもあります。一月の終わりごろから会議また会議と準備が始まり、二月になると授業、授業の準備、授業と一週間が矢のように過ぎて行きます。私が教えているライデン大学のハーグキャンパスでは一年生は二学期目から語学の授業が始まるのですが、始めはやる気と元気さに溢れていた彼らも二月の終わりごろになるとヨーロッパの言語と構造的にかけ離れており、文字も違う日本語と苦闘し、疲れが見え始めています。三月の中間試験の週は日本語の授業は試験も授業もやらないので、そこで学生も私達教師も一息つけるでしょう。

二月のGJOの活動は二点です。一つ目は在オランダ日本国大使館主催の日本語弁論大会が三月に開かれるのでその準備です。この大会では毎年のようにライデン大学の学生が入賞しています。始めは締め切りになっても応募者が皆無という危機的状況でしたが、締め切りを延長し、最終的に六名が集まりました。それを受け、私の方で手伝いをしていただける日本人留学生を募り、始めに全員集まってミーティングをし、今後の練習方針、初稿の締め切り、練習会の日時を決めました。その後、二月は21、28と練習会を重ね、原稿を磨き、実際にスピーチの練習をしています。スピーチの内容には日本留学の時にヘビーメタルバンドに参加したことやよさこいソーラン祭りに参加したことなどユニークなものが含まれており、スピーチを聞いていて楽しいです。

二つ目は2月25日にFujiyama 55というライデンの日本料理店が日本語会話クラブと協力して手巻き寿司のワークショップを開いたことです。当日はライデン大学のオランダ人学生七名が参加し、楽しく手巻き寿司の作り方を教わったそうです。「そうです」というのは、実は私は当日時間の関係でそこに行けなかったからです。日本人留学生で会話クラブを運営している二名がそこに行き、会の様子をあとで報告してくれました。プロの方から手巻き寿司の作り方を教わる機会は貴重な経験で、みな熱心に参加していたそうです。

来月は弁論大会の本番があります。また日本語会話クラブ主催で音楽をテーマとしたワークショップも行われる予定です。

1月 活動日誌

2020年1月31日
GJOコーディネーター 竹森 帆理

オランダの年末から年始は花火に彩られます。打ち上げ花火が簡単に手に入るので運河沿いや公園で気ままに人々が花火を打ち上げています。聞くところによれば日が暮れる前の花火は禁じられているそうですが、そんなことはお構いなしに真昼間から花火や爆竹の音が聞こえてきます。大晦日の夜は戦争でも起きているかのような轟音に包まれ、あちこちのバーや家の前にはワイングラスを片手に持ち、花火を見上げている人々がたたずんでいます。運河の側に出てみると、今まさに花火を打ち上げている集団もいれば、路上には焚き火が点々と数十メートルの間隔で見えます。遊び終わった花火を燃やしているのです。

この多少狂った季節が終わるとすぐに日常に戻ります。しかし大学はまだ始まりません。一月の半ばになり、徐々に新学期の準備が始まります。再試があり、会議があり、ぼんやりとしているとすでに二月です。

というわけで一月は活動の季節というよりはこれからの計画を練るために与えられています。今月のGJOの活動は大使館主催の弁論大会の準備が予定されていましたが、やや予定が遅れて二月の頭になりようやく応募者が出そろいました。これから留学生の方たちと練習会やリハーサルをしていく予定です。

会話クラブの方は二月の終わりにライデンの日本料理屋の方がお寿司のワークショップを開く予定です。報告は来月までお待ちください。

12月 活動日誌

2019年12月31日
GJOコーディネーター 竹森 帆理

十二月に入ると、すぐにテストが始まります。僕が受け持っているクラスでいうと、ハーグキャンパス(Campus The Hague)では十二月の第一週に、ライデンでは第二週にテストがありました。九月から始まって、授業があるのが実質三か月なので、かなり早く学期が終わるスケジュールだと言えるでしょう。

テストの間からすでに街にはクリスマス休暇の雰囲気が漂い始めます。ライデン市ではまず、スケートリンクが市役所の前の運河の上に設営されました。こういうお祭りのための施設の設営の速さには目をみはるものがあります。十二月の初めだったと思いますが、ハーグキャンパスに行くためにその横を通ると、運河の上に足場を組み始めていて、夜にはもう完成し、翌日にはもう開場していました。それに続き、今度はクリスマスマーケットが同じくその隣の運河の上に建てられました。クリスマスマーケットとスケートリンクは運河の上で小さな橋の下を通ってつながっており、これらの施設がライデンにおける祝祭ムードの主な舞台でした。クリスマスマーケットの本場と言えばドイツです。ライデンのクリスマスマーケットは残念ながらそれほど規模の大きいものではなく、また出ているお店も竹の繊維を使った枕や、3Dマスカラ、アクセサリー、マッサージクッションなど、クリスマスとなんの関係があるのか全く分からないものもありました。

クリスマスマーケット
スケートリンク

今月はテストが終わるとすぐ休暇に入ったこともあり、GJOとしての活動はあまりありませんでした。日本語会話クラブは全体で行うワークショップなど以外は小さなグループに分かれてやっており、その一つが日本語を使った骨牌をするというので参加したかったのですが、残念ながらその日は僕はハーグで試験監督をしなければなりませんでした。

来月は三月にある予定の日本国大使館主催のスピーチコンテストのための準備が始まる予定です。

11月 活動日誌

2019年11月30日
GJOコーディネーター 竹森 帆理

十一月になるとシンタクラース(Sinterklaas)という不思議な存在がオランダに上陸します。シンタクラースはサンタクロースに似て非なるものですが、後者の起源と言われています。このシンタクラースは今年は11月17日にオランダに上陸し、各地を回りました。スペインからやって来るという設定のこの白髪に長いひげをたくわえ、赤いミトラ(Mitra)を被ったこの老人は、例年は蒸気船でやって来るのですが、今年はなんと陸路を辿って蒸気機関車でオランダに入国したというニュースが流れ、人々を驚かせました。

学生にこのシンタクラースについて聞いてみると、一様にみな子供のころに信じていたという返事が返ってきます。シンタクラースが国内にいる間はシンタクラースハウスというものが各地に設営され、ライデンでは例年Waagというカフェの中にこれがつくられ、この期間そこに行くとシンタクラースに会うことができます。私は入っていませんが、カフェの前を通ると今しがたシンタクラースとの接触を楽しんたばかりと見られる小さな子供が頭に紙製のミトラを被っている姿を見ることができます。

さて、今月は1日金曜日に待望の日本語会話クラブの初会が行われました。参加者が多いこともあり、初級と中・上級の二部に分かれ、それぞれフルーツバスケットやジェスチャーゲームなどをして楽しみました。この会以後は会話クラブは十人ずつぐらいの小さなグループに分かれ、それぞれのペースで集まり、日本語の会話やゲームを楽しん行くことになります。この初会ではみなが集まり、和気藹々とした雰囲気で、フルーツバスケットの様子を見ていた同僚のM先生は学生たちの楽しそうな様子に、いくらでも見ていられると感想を述べておられました。

今月はもう一つイベントがありました。11月30日土曜日のワークショップです。30人ほどが参加したこのワークショップでは始めにオランダと日本のクリスマスの祝い方の違いや天候の違いなどについて小さなグループに分かれディスカッションをしてもらい、その結果をポスターに書き、そのポスターを見ながら簡単な発表してもらうという活動を行ったのち、全体を二つに分け、二つの教室を使って交替で書道と茶道のワークショップを行いました。私は主に茶道の様子を見守っていましたが、高校の時からお茶を習っているという留学生のおひとりが和服を着て、PPTも準備し、茶道について紹介してくださったのち、実演をして見せてくれました。実演の際、その方が近くで見たい人はもっと近くで寄ってくださいと言うと、オランダ人の学生は多くが間近にすり寄り、彼女がお茶をたてる様子を興味津々といった様子で眺めていました。日本人にとって抹茶を飲むことは日常的な経験ではないとはいえ、ここまで熱心に凝視するほど珍しく思う光景でないことを考えると、異文化の持つ吸引力や魅力というものの大きさを教えられた気がしました。

書道ではお手本も用意されていましたが、最終的にはみな漢字の表示されたスマホを片手に思い思いに自分の好きな字を書き、日本地図や自分の名前を漢字で書いた学生もいました。

学生が書いた字

11月が終わるともうテスト期間に入り、すぐにクリスマスに入ります。街ではもう家々の壁にクリスマスの飾りが付けられ(ユーモラスなものでは家の壁に、壁をのぼろうとして失敗したのか、逆さまになったサンタの人形が飾られていたりします)、スーパーや花屋の店先でクリスマスツリーが並び始めています。

10月 活動日誌

2019年10月31日
GJOコーディネーター 竹森 帆理

十月の幕開けは十月二日の夜から三日ほど続いた「十月三日祭 3 October Festival」でした。ライデン市がかつて八年戦争の間に包囲して来たスペイン軍を撃退したことを記念したこのお祭りの間は、町は普段と完全に様相を異にします。駅前を中心に屋台が立ち、風車博物館の前の広場などには即席で遊園地が作られ、運河の上ははしけが組み立てられてクラブと化します。ライデン中の人口が外に繰り出し、日本でいえば花火会場のように身動きがとれないほどの人出で、場所によっては馬に乗った警官が渋い顔で交通を規制していました。

図 1 即席で出来た遊園地

今月は他にも民衆のパワーを感じる出来事がありました。環境問題への対策として窒素の排出を規制するという政府の政策に対して、農家が抗議をしたのです。ハーグで行われたデモの際は私も見物することができましたが、何百台ものトラクターがクラクションをリズムよく鳴らしながら戦車のようにハーグ市内に乗り込み、農業が国の要であることを訴えながら行進していました。沿道の群衆の中にも拳を振り上げ応援する人々がおり、曇り空で霧雨が降る中、周囲は熱気に包まれていました。トラクターの上部についた排気管からは煙が勢いよく立ち上がり、環境問題に先進的というイメージのある欧州も一枚岩ではないことを痛感しました。抗議活動は何日間かに分けて行われ、道路がトラクターで占領されたせいで授業に行けなくなってしまったという学生もいました。

図 2 トラクターの行進

平和な話題に移りましょう。今月は日本語会話クラブが始動しました。初回の顔合わせが10月8日にライデンキャンパスのLipsius(古い建物が多いライデンキャンパスの中では珍しいモダンな建物です)の教室で開かれました。日本人留学生の有志の皆さんがPPTを準備し、この会話クラブでどんなことをやりたいのか、オランダ人の学生から意見を聞きました。

集まったのは一年生が圧倒的に多かったのですが、少ない二年生からも意見が数多く出ました。二年生はあと数か月すると日本に短期留学することになっているので、オランダと日本の間にある日常生活の上でのちょっとした文化的違いなどを知りたいという意見があり、印象的でした。奇抜な意見では、楽器を弾ける人たちでバンドを組みたいというものもありました。

今学期の会話クラブの基本的なアイディアは、レベル別にグループ分けをして、各グループができれば毎週活動し、月に一回くらい全体でワークショップをするというものです。オランダ人学生のために毎週活動があったほうがいいですが、全体の人数が多すぎることもあり、少人数ならば無理なく高頻度で活動できるだろうという、会を中心となって企画してくださっている日本人留学生の方々の知恵です。

日本人留学生の方々は熱心で数も多く、今年のオランダ人学生は幸せだというのが、会話クラブに関わってくださっている同僚のY先生の意見です。

今月のその他の活動としては、10月18日にハーグキャンパスでInternational Studiesの学生が二学期から専攻の言語を選ぶために(この学生たちは一学期は基礎科目だけで、二学期から専攻を選びます)Language Marketというイベントが開かれました。このイベントは各言語や地域で小さなブースを持ち、訪れる一年生に、どんなことが学べるのか説明するという趣旨のものです。私と同僚のM先生は日本のお菓子などを用意し参加しました。一年生は必ずしもこの地域をやりたいと固い決意を決めている人が多いわけでもなく、二つの言語の間で迷っているといった人も多いようです。他の言語のブースも、魅力的な食べ物や飲み物を用意したり、大きな国旗を掲げたりと賑やかな会場でした。

図 3 Language Market

9月 活動日誌

2019年9月30日
GJOコーディネーター 竹森 帆理

8月の終わりから9月にかけて、オランダの天気は不安定です。日中Tシャツ姿の人を見かける日もあれば、ダウンを着る必要のあるほど寒くなる日もあります。またオランダの秋らしい天気というのは嵐やにわか雨で特徴づけられ、同僚のあるオランダ人は日本はそういう意味では秋の天気にそれほど特徴がないと言っていました。

9月28日、ロッテルダムへ行ったときのことです。私と同僚のM先生はとあるカフェの河に面したテラス席に座ろうとしました。するとお店の人がそこはやめた方がいいと言いました。すぐに雨が降るからというのです。その時は晴れていましたが、オランダ人にとって秋というのは今どれだけ晴れていてもすぐに雨が降り風が吹く季節なのです。

ロッテルダムへ行ったのはカメラジャパンフェスティバルというすでに十年以上の歴史を持つ日本映画祭を訪問するためでした。ハーグキャンパスで国際関係学を専攻し日本語を学んでいる二年生の学生と日本人留学生に呼びかけて、このお祭りを訪れる企画を立てていたのです。当日は日本人留学生二名と国際関係学の学生九名が参加しました。映画祭でしたが、私たちの訪問の主な目的は村上春樹の翻訳者であり、博論では大江健三郎を研究した日本文学研究者でもあり、作家であり、映画会社でも働いていたという多才な経歴の持ち主であるLuk van Haute氏という方の忠臣蔵についての講演を聞くためでした。私たちはロッテルダムの地下鉄Wilhelminaplein駅から会場に向かい、まず同僚の日本人S先生がお茶を売っている屋台を訪問しました(S先生はお茶の先生でもあるのです)。会場は殷賑(いんしん)としており、特に屋台の周りは客が絡繹(らくえき)として絶えず、私たちの学生もたい焼きや日本酒などを買い求めていました。

講演は氏の忠臣蔵との関りを語るもので、「忠臣蔵からAKB48まで」という講演の題の通り、忠臣蔵の説明から始まり、現代の芸能界にまで話を広げ、事務所への「忠」、ファンへの「忠」という現代まで残る日本の「忠」文化について興味深い示唆を与えてくれました。映画の映像も多用し(初期の歌舞伎の製作者たちが作っていたものから近年のキアヌ・リーブス主演のハリウッド映画まで)、忠臣蔵だけでなく、忠臣蔵の浪人たちを批判した武士道についての書である『葉隠』との関連から三島由紀夫が著し自ら映画に主演もした「憂国」の切腹の場面の映像や、「24時間戦えますか」のコピーで有名なリゲインのCMなど豊富なイメージで聴衆をひきつけていました。

他の活動としては9月6日に日本人留学生たちとの顔合わせの会が開かれ、そこでは日本語会話クラブで何をするかについて活発な意見が飛び交いました。ただ座って会話をするのでは面白みに欠けるということで、一緒に市場に行って買い物をしたりするのはどうかといった楽しい意見が多く出ました(ライデン市には毎週水曜日と土曜日に市役所の前あたりで市が立ちます)。会話クラブの活動は十月から本格的に始まる予定です。何をしたいかについて現地学生についてアンケートを取り、これから活動の内容を確定していきます。ライデンキャンパスの日本学の学生をとりあえず対象とすることにしていましたが、ハーグキャンパスの学生からも会話クラブに対する需要の声が上がり、これから体制を整えていく予定です。

6月 活動日誌

2019年6月30日
GJOコーディネーター 大山 祐李

6月のオランダは日差しが強く、外出時はサングラスと日焼け止めが欠かせません。先日、日焼け止めを塗らないでパンプスを履いて出かけたら、笑ってしまうくらい見事に足の甲が靴の形に日焼けしてしまいました。6月下旬は日中の最高気温が三十度を超える日もあり、暑い日が続きました。

今月は9日にライデン市シーボルトハウス前にて第12回ジャパンマルクト2019(日本祭)が開催されました。ラペンブルフ通りという運河沿いのストリートいっぱいに雑貨や食品の出店や屋台が立ち並び、大勢の人でなかなか前に進めないほど賑わっていました。参加者の中には、浴衣を着ている人やコスプレをしている人もいて、皆さん日本文化を楽しんでいるようでした。

たこ焼きや寿司などの食べ物の屋台は大人気で、店の前には長い行列ができていました。寿司の屋台では職人さんがその場で寿司を握ってくれるので、写真を撮っている人もたくさんいました。

食べ物以外の日本の物を売っているお店もたくさんありました。日本の有名なキャラクターのグッズを売っているお店や、浮世絵、和食器、手ぬぐい、盆栽、染物などを扱っているお店があったほか、珍しいものでは暖房便座を売っているお店までありました。また、中には中古のランドセルを売っているお店もあり、話を聞くと、ランドセルは日本のアニメや漫画のファンからファッションとして人気があるのだそうです。そういえば、日本学の学生の中にも、ランドセルで大学に来ていた学生がいたのを覚えています。

日本で育った私からすると、ときどき思いもよらないものがオランダで「日本文化」として人気があることを知り、驚くことがあります。今回は、オランダでは何が「日本文化」だと思われているのかを知ることができ、大変興味深かったです。

5月 活動日誌

2019年5月31日
GJOコーディネーター 大山 祐李

オランダは5月になり、日照時間がどんどん伸びてきました。21時を過ぎても明るいため、夜になってもなかなか眠くなりません。しかし太陽が見える時間が増えて外が明るくなったとはいえ、気温はまだまだ低いです。朝方は10℃いかないくらいで、薄着をして外に出たら思いの外寒いことに気がつき、もう一枚上着を取りに家に戻ることもしばしばあります。

今月で今年度の授業が全て終わり、私もライデン大学での最後の授業を終えました。学期末ということで、ハーグキャンパスで日本語を勉強している1年生は1学期間の、そして2年生は日本語のコースの集大成として、期末エッセイを書きました。

エッセイを書かせるにあたって、学生が書いてきた下書きの添削を行いましたが、ときどきどのように直せばよいか悩むこともありました。特に初級の学生は、オランダ語や英語をそのまま日本語に直訳したような文を書く傾向があります。ある1年生の学生は、以下のような文を書いていました。

(面白いところがたくさんあるので)「アムステルダムは退屈することができません。」

上の文は、日本語母語話者にとって不自然に感じられる文だと思います。英語の“I cannot get bored.”という表現をそのまま日本語に訳したような文ですが、学生に聞くとやはりGoogle Translateを用いて日本語に訳したのだそうです。しかし、これは日本語では意味が通らないため別の表現に直さなければいけません。私はこの箇所について、「アムステルダムは楽しい街です」とか「飽きることがありません」という文に書き換えることを提案しました。

学生が書いてくるエッセイには、このように外国語を直訳した日本語の表現がときどき出てきます。それが成功している場合もありますが、日本語では意味が通じないことも多いです。学生の書いたものにそのような文を見つけると、私はいつも、元々の外国語の表現は何だったのか?そしてその学生が言いたいことは日本語のどんな表現に当てはまるか?と悩みました。

今回の期末課題を通して、日本語を教えるためには、やはり学習者の母語の知識が必要だということを痛感しました。学生も長い作文を書くのが大変だったようですが、私にとってもやりがいのある作業となり、良い勉強になりました。

来月はいよいよ私のライデンでの最後の月になります。気合いを入れて、最後までしっかり仕事をしてまいります。

4月 活動日誌

2019年4月30日
GJOコーディネーター 大山 祐李

オランダは4月と言えどまだまだ寒く、街を歩く人も冬の装いです。私もウールのコートが仕舞えないまま、今月の終わりを迎えました。

今月27日は「Koningsdag」(国王の日)というお祭りがありました。「Koningsdag」はオランダ国王の誕生日で、国民はオランダのナショナルカラーであるオレンジの服やアクセサリーを身に着けて、この日を盛大に祝います。あいにくの雨模様でしたが、ライデンの街には特設のライブ会場やビールスタンドが並び、夜遅くまで多くの人で賑わっていました。

私は当日、首都アムステルダムに行って「Koningsdag」のお祭りを体験してきました。アムステルダムは街の至るところで音楽がかかり、大勢の人が路上でビールを片手に歌ったり踊ったりしていました。人が多すぎて全く身動きが取れなくなる場面もあり、普段とは違うアムステルダムの姿が見られて、いい経験になりました。

▲Koningsdag当日のアムステルダム

4月の日本語会話クラブには、日本への留学から帰ってきた3年生の学生が来てくれました。1、2年生の学生は、日本の様子について先輩に色々と質問していました。特に、2年生の学生はもうすぐ日本へ留学に行く学生が多く、日本での生活について気になることが多いようです。

一人の3年生の学生は、日本での食生活について話してくれました。彼女はベジタリアンで、サークルの飲み会のときには食べられるものがなく苦労したそうです。また、レストランや食堂に行っても食べられるものがないためあまり外食ができず、留学中の食事はほとんど寮の自分の部屋で自炊をしていたと言っていました。

Nu.nlというオランダのニュースサイトが2018年に2万人のオランダ国民を対象に行った調査によると、回答者のうち30パーセント以上の人が肉を食べる頻度を以前よりも減らしたと答えており、オランダでは肉を食べない食生活を送る人が増えているそうです。こうした背景から、オランダでは「ベジタリアンオプション」や「ヴィーガンオプション」が選べるレストランが増えてきています。ライデン大学のカフェテリアにも、ヴィーガンメニューが用意されています。

日本の大学にもこれからますますベジタリアンやヴィーガンの留学生が増えていくのではないでしょうか。様々な食文化を持つ学生やスタッフが利用する大学の食堂でも、ベジタリアンやヴィーガンのメニューが選べるようになるといいと思います。

春学期も残すところあとわずかとなりました。最後まで、しっかり頑張ってまいりたいと思います。

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