2020年度 活動日誌

3月 活動日誌

2021年3月31日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

コロナウイルスの状況と対面での集まりが難しいにもかかわらず、学生の日露会話クラブ「Hey! Say!」はその活動を停止しませんでした。

さらには、通常の対面での集まりよりも多くの参加者が集まるオンラインの集まりもありました。東洋研究所の日本学科の卒業生で、修士課程「現代アジアの社会経済・政治発展」(Socioeconomic and Political Development of Modern Asia)の学生である現在のクラブの長、シャヒダ・デュシェエワ Shakhida Diusheevaに「コロナウイルスの時代」のクラブの活動について話をすることにしました。

Hey!Sei! 会話クラブ:オンラインチャレンジ

シャヒダさん、このインタビューにご同意いただき、誠にありがとうございます。まず「Hey! Say!」に入ったきっかけを教えてください。

私はほぼクラブの創立当初からクラブのメンバーでした。最初は不安で、理解もできませんでしたが、2019年半ばの頃に組織の運営に興味を持つようになりました。そして同じ年の終わりに、完全に運営チームに入りました。クラブの活動の形は徐々に変化していき、私たちはさまざまなアイデアを試しました。以前は、毎回の集まりごとにテーマを決めていましたが、今ではより自由なコミュニケーションをする場になっています。みんな興味のあるテーマについて話すことができます。

その後、パンデミックが発生しました。クラブはもともとそれぞれがお互いにコミュニケーションをとるために考案されたので、コミュニケーションをリモート形式に変換するのが難しいため、クラブの活動は行き詰まるように思われました。しかし、主催者全員の積極的な参加のおかげで、私たちはクラブの活動をリモート形式に変えることができました。ズーム会議やそのセッションルームなどを使って。もちろん、最初は非常に大変でした。技術的にも組織的にも。でも慣れたころにはHSEやモスクワだけでなく、ロシア各地や世界からもイベントに参加してくれるようになりました。日本にいる日本人も参加してくれるようになり始めました。

パンデミックの間のクラブの活動についての私の質問を先に答えられてしまいました😊それでは続けます。日本から日本人が参加し始めたとのことですが、モスクワでクラブの対面式の会合に日本人が「来てくれた」ことを覚えています。私は感動しました。

はい、とても嬉しかったです。特別な期待をせずに集まりに招待しましたが、みんな用事があることや時差が大きいことも分かっていました。でも、インターンシップでHSEに来ていた秋田大学の学生が参加してくれてとても楽しかったです。

学士号を取った後でもクラブの活動をしているのはなぜですか?

最初からクラブを離れたくありませんでした。みんなクラブ活動に興味を持っているのを感じていましたが、なぜか主催者になろうとはしていませんでした。先輩の残してくれたものをなくしたくありませんでした。なぜなら、オーディエンス、連絡先、予定のイベント(むすびクラブとの共同イベントを含む)など、集まりの基盤がすでに整っていたからです。日本人が来てくれて、2か国語のイベントも開催しました。大変でしたが、やりがいを感じました。

インタビューで聞いてみようと思っていた質問をしたいと思います。私たち全員、生徒、教師が突然オンラインに移行したとき、非常に大変でした。どんな現象にも長所・短所があります。オンラインのメリットとデメリットは何ですか? 主催者と参加者の両方の立場で。

短所について。まず第一に、技術的な部分です。オンライン会議で多数の人を組織することは大変でした。たとえば、複数のテーブルがある会で、あるテーブルで会話が行われていないことがわかった場合、参加者の席替えをしたり、質問をして会話を促したりすることができますが、オンラインでは非常に難しいです。あなたはルーム間を行き来せねばならず、ルームに入って参加者が沈黙しているとき、自分が入ったことで会話が中断されたのか、それとも参加者がずっと沈黙していたのかが分かりません。さらに、不安定なインターネット、カメラ、マイク、家族、ペットなどによって非常に気が散ります。特に、言語能力がまだあまり高くなく、自信がない場合、技術的な問題は非常に気が散り、コミュニケーションを継続することが難しくなってしまいます。さらに、物理的なコミュニケーションがない場合、多くの人が欲求不満になり、恥ずかしくなってしまいます。このような困難は特に主催者の観点で感じられることです。人を集め、集まりを開催することははるかに困難になっています。

プラス面としては、私たちのクラブが大きくなっていくことです。世界のさまざまな国からの多くの参加者が私たちの集まりに参加してくれています。HSEへの通行証を事前に注文する必要はありません。事前に参加を登録しなかった人がいて、警備がその人たちを入校させなかったことがありました。今は通行証の問題はありません😊さまざまな年齢の人々が来始めました。高校生や年金生活者の両方です。これは非常にうれしいことです。組織的な観点から、集まりの時間を見つけることがより簡単になりました。日曜日がみんなに都合のいいことがわかり、ほぼ一年中日曜日に集まりを開催しました。仕事も勉強もありませんし、急ぐところはありません。また、オンラインの方が参加人数が少し増えました。

それは都合がよいですね。日曜日は特別な許可がない限りHSEに入れませんから。

そういう意味で大変都合がよいです。

次の質問は難しい質問かもしれませんが、あなたの意見を知りたいです。一般的に言語学習とは何でしょうか? コミュニケーションの勉強です。そしてもちろん、このような長期間コミュニケーションを取ることができなかった隔離期間はありませんでした。もちろん、今ではコミュニケーションの方法が信じられないほど増えており、ますます「デジタル化」されているように思います。みんな電話でさえコミュニケーションすることが少なくなりました。交流のテストが普及しつつあります。また、学生がさまざまな状況でネイティブスピーカーと口頭でコミュニケーションをとることを想定して、私たちは古い方法で言語を学んでいます。その一方、みんなコミュニケーションを続けていますが、その形態は変化しています。つまり、私たちはお互いを実際には見ていません。顔の表情や体の動き、つまり、あまり言語がわからない時に、以前はお互いを理解するのに役立った非言語情報の大部分を見ていないため、その情報を使うことができません。これがコミュニケーションにどのように影響すると思いますか?

できるだけ早く古い形式の物理的コミュニケーションに戻る必要があるように私には思えます。私の感覚ではフィードバックの一部、感情の一部が失われているように思われます。集まりはよりドライです。オンライン会議をより活気のあるものにすることが課題です。日本語学習者が日本人と交流したいのは明らかです。しかし、これだけでは十分ではありません。人々は感情的な栄養を必要としています。ケーブルを介して、感情的なつながりが弱くなり、人々はお互いに疲れ始めます。また、集まりではある種の活動、つまりはがきを作ったり、遊んだりすることもありました。現在これは不可能です。握手、抱擁、お互いに触れたり、クッキーを共有するなど、誰もが個人的なやりとりをしたいと思っています。

このことは私もあなたと同じ意見です。4月は通常開催できます。今後の計画について教えてください。

対面の形式について懸念があります。対面式のイベントをやりたいのですが、もちろん日本人が必要です。しかし、日本人はまだロシアに来ることができないので、必要な数の日本人の参加者を集めることが非常に困難です。もちろん、ロシア人は来るでしょう。5月中旬に対面式の集まりをしたいので、今は知っている日本人全員に聞き取りを行っています。

これらが一時的な困難であり、私たちがまた通常の生活に戻ることを願っています。 シャヒダさん、インタビューありがとうございました!直接お会いできるのを楽しみにしています!

2月 活動日誌

2021年2月28日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

ご存知だと思いますが、コロナウイルスのパンデミックは、インターンシップ制度を含む世界中の高等教育制度に深刻な影響を及ぼしています。インターンシップは、語学力を向上させるだけでなく、対象言語の国を学ぶための教育プロセスの最も重要な要素です。東洋学部の日本語科では、毎年春か秋に数名の学生がインターンシップに行っていました。しかし、昨年、春と夏のインターンシップはすべてキャンセルされました。しかし、数名の学生はなんとか秋のインターンシップに参加することができました。私たちは彼らに、コロナウイルスのパンデミックの間にどのように日本を知ることができたかを尋ねることにしました。

対談「コロナウイルス時代の日本を知る」

日本の東海大学のインターンシップから帰国したばかりの東洋学部4年生3名と話をしました。インターンシップは非常に変わったものであったことが判明しました。最初の2か月間、学生はロシアからオンラインで勉強し、渡航が可能になったときに日本に行き、日本で2.5か月間勉強をしました。実は、これもオンラインでした。

対談参加者:
ユーリア・コロヴィナ Yulia Korovina(YK)、日本語教師
マリア・ティモニナ Maria Timonina(MT)、4年生、「東洋諸国の社会と文化」コース
アナスタシア・デグチャレワ Anastasia Degtyaryova(AD)、4年生、「東洋諸国の社会と文化」コース
イリーナ・クツェンコ Irina Kutsenko(IK)、4年生、「東洋諸国の政治と経済」コース

Maria Timonina / Anastasia Degtyaryova / Irina Kutsenko

YK:この対談に参加することに同意していただきありがとうございます。みなさんがロシアからオンラインでプログラムを2か月間勉強し、その後日本に向けて出発したことを知っています。オンラインでどのように勉強したか教えてください。そして、みなさんが日本に到着してから、どのように勉強を続けたのですか?

MT:実際、ロシアと日本でオンラインで勉強することはそれほど違いはありませんでした。唯一のことは時差でした。ラッキーだったのは、私が取った科目では、課題を少し遅れて提出することができたことです。確かに、1時間目の授業に間に合うように夜中に起きなければいけませんでしたが。先生が講義の一部を録音してくれたので、後で見ることができました。私のコースでは講義がほとんどで、対面式のセミナーはほとんどありませんでした。

YK:グループワークやクラスメートとのコミュニケーションがなかったということですか?

MT:ほとんどありませんでした。日本語の授業以外では。授業はHSEでのものと似ていました。先生は全員に作業をさせようとしましたが、この授業は週に1回だけでした。

AD:オンライン授業の運営は最高でした。すべてのクラスがオンラインで行われたことが嬉しかったですし、いつも日本の研究に専念することができました。全体的に、授業はその日の内か1週間以内に課題を提出するように構成されていました。それまでは自分の時間を自由に使うことができました。

IK:私たちのプログラムの主要な科目は日本語ではありませんでした。HSEでの日本語の授業に比べて、文法の説明が少なかったです。教室での授業と、1週間毎にテストがありました。

YK:興味深いですね。次の質問は言語についてです。マリアさん以外は日本は初めてでしたか?

MT:はい、私は大学に入学する前に日本にいたのですが、言葉をまったく知りませんでした。

YK:自分の日本語の知識についてどう思いましたか? HSEでの3.5年間の授業をどのように評価しますか?

MT:日本にいる間ずっと快適でした。私はほとんどすべてを理解し、交通機関の案内、口頭での会話、授業でも、ゼミでも。これは私たちがHSEで学んだ真剣な語学プログラムのおかげだと思います。それは素晴らしかったです。日本でも授業は遠隔でしたので、思い通りに積極的に言語を練習することはできませんでしたが、旅行や路上での日常の会話はすべて、私の知識で十分でした。

AD:私は逆にHSEで十分な会話の練習ができなかったので、最初のころは少し不安を感じました。しかし、ニュースを聞いたり、講義や授業に参加することは難しくありませんでした。ここでは、社会・政治翻訳の授業が役に立ちました。広告を理解するのは難しかったです。

IK:私はアナスタシアと同じです。最初のころは、これまで日本にあまり興味がなかった自分のせいで、お店での買い物が困難でした。ですから、これは私の問題です。言語に関しては、私たちの大学ではとても上手に教えていると思います。でも、ロックダウン期間中は勉強が大変だったので、日本語のレベルが少し下がりました。言語のレベルを他の大学と比較する機会があったとき、私たちのレベルは非常に高いと思いました。

YK:それは嬉しいです。日本について話しましょう。みなさんの学習の状況が普通でない状況でしたが、みなさんがそれでも何かを機会があったと願っていますみなさんは日本に行くために、この国の文化や言葉に夢中になり、長い間勉強しました。そして今、ついに日本に行きました。感想をお聞かせください。何に驚き、何にがっかりしましたか?

AD:いい感想しかありません。私は11歳の時から日本に行きたいと思っていました。私の期待は裏切られませんでした。短いインタビューですべての感想を伝えることは困難です。しかし、全体として、私は日本人の責任感に感銘を受けました。誰もがマスクを着用し、手を洗います。これは本当に日本人への尊敬を強める原因になりました。人を信頼することにも感動しました。厳密な入場制限、回転式改札口。 そして金属探知機はどこにもありません。伝統的な建築の美しさと生活水準の高さも印象的でした。また、鎌倉、京都、名古屋、横浜など、いくつかの都市を訪問することができました。江の島にも行きました。

MT:初めて行ったときは、閉塞感がありました。表面、つまりとても綺麗な明るい絵を見ているようでした。もちろん、日本のサービスは最高レベルです。相互尊重の文化は至る所に広がっており、これは時にロシアにおいて起こることとはまったく対照的でした。私はアナスタシアと同じで、日本はめちゃくちゃ美しいと思います。そして、伝統的な建築だけでなく、現代的な建築も。違いは、建物が風景に刻まれていることです。建物は互いに補完し合っています。輸送システムは全国で信じられないほど発達しています。とても便利で、それにすぐに慣れることができます。商品の包装にさえ、すべてのことに美学があります。日常での美は印象的で人目を引くものです。

IK:私が、日本のことがどれだけ気にいるかを知るためだけに日本に行きました。日本に関するステレオタイプはたくさんありますが、自分で考えたかったのです。しかし、私は日本が本当に好きになりました。日本は限りなく多様であり、この国ではみんなが何か(自分の気に入ることを)を見つけることができます。(日本の)伝統文化が私に最も近いことがわかりました。

YK:ありがとうございます!最後の質問です。みなさんのこれからの勉強または、仕事をどう考えますか?

MT:学士号を取得して、修士課程に行きたいです。それは日本でかもしれません。状況に応じて考えます。

AD:私の人生は日本に行く前と行った後で分かれました。私は自分の夢を実現ました。日本に行ったことで、最初は次に何をすべきかわかりませんでした。しかし実際には、この研修で大きなモチベーションが生まれました。新しい目標ができました。今後も日本研究を続けていきます。

IK:日本のことを研究し続けることを決心した多くの日本の専門家のように、私も能力試験を受けます。また、HSEの修士課程を含め、さまざまな国の修士課程についても考えています。状況によって変わってくると思います。

YK:全体として、この研修はみなさんに多くの前向きな経験を与えたと思います。どんな事情があっても、先や、アニメを通してだけでなく、日本に行って実際に自分の目で見られて良かったです。引き続き学業の成功、明確な目標、そして新しい夢をお祈りします。そして、もちろん、日本へ再び行けますように! どうもありがとう!

1月 活動日誌

2021年1月31日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

読者の皆さん、明けましておめでとうございます。新しい年はコロナウイルスの状況が改善し、できるだけ早く通常の生活に戻れますように!

HSEでは、新年から新学期が始まりました。しかし、これまでのところ、ほとんどのプログラムで遠隔授業が継続中です。

以前の学生へのインタビューを読んだことがある方なら、今日の学生のほとんどが世界中に広まっているアニメやマンガを通して日本を知るようになり、多くの学生が日本語を学ぶ理由が日本の若者のポップカルチャーであることに気づかれたと思います。歴史的、経済的、政治的、日本のその他の面を勉強しながら「成長」する学生にとって、日本語を学ぶ動機がどのように変化するか、そして彼らの夢がどのように変化するかを知ることは私にとって興味深いものです。そこで、最終学年を受け持つ先生と最終学年の学生にいくつかインタビューをすることにしました。

インタビュー「日本専門家の使命は両国の文化の担い手になること」

まず初めに、質問に答えてくれたのは、国立研究大学高等経済学院東洋学部日本研究学術教育科のロリ・ジャイン先生です。(Roli Jain, Head of scientific-educational section of Japan studies, School of Asian Studies, HSE)

ロリ先生、このインタビューを受けていただきありがとうございます。まず日本を知ったきっかけ、日本語を学び始めた理由を簡単に教えてください。

このインタビューにご招待いただき、誠にありがとうございます。一般的に、なぜ日本語なのかと聞かれるときには「運命だ」と答えることにしています。私は半分インド人で、母がロシア人、父はインド人で、長い間インドに住んでいました。私はインドで高校を卒業しました。高校生の時は日本には全く興味がありませんでした。私がロシアの大学に入学することが決まったとき、父はモスクワ国立大学のパンフレットをインドに持ってきました。当時、父はモスクワ国立大学所属アジア・アフリカ諸国大学(Institute of Asian and African Studies at Lomonosov Moscow State University, IAAS)でネイティブスピーカーとしてヒンディー語を教えていたのです。私は全く他の大学のことを考えませんでした。私はこのパンフレットを注意深く読んで自分の将来の専門分野を選び始め、嫌なものは取り除いていきました。そうして「アジア・アフリカ研究」と「言語学」の専門が残りました。また同じように日本語を選びました。気に入らないもの(中国語、アラビア語、その他の東洋語)を消しました。私はアニメを見たり、マンガを読んだりしたことがなく、入学時は日本文化について何も知りませんでした。

面白いですね。それにかなり変わっていますね。私の知る限り、修士課程を卒業してすぐに日本語を教え始められました。なぜ先生になろうと思ったのですか?

日本語を教えよう、とは3年生の後に1年間行った、文部科学省の日本へのインターンシップで決めました。偶然早稲田大学に行きましたが、これも運命です。ある朝目が覚めたら先生になりたいと思いました。この決定のきっかけは、敬語の使い方を習った「待遇コミュニケーション」コースでした。コースはとても面白く構成されていて、とても感動したので、私もそのように教えたかったのです。戻ったとき、私は自分の先生全員に自分も日本語を教えたいと宣言しました。すると後になって母校で教えないかと誘われました。私の最初の学生はIAASで勉強するために来た中国人でした。そしてしばらくして、2010年に私は高等経済学院に転職しました。

最初の学生は中国人だったのですか?それは信じられないです!

これも運命です!

確かに。次に、現在の学生についてお聞きしたいと思います。あなたは現在上級生だけを教えています。なぜ4年生を教えることにしたのですか?低学年生を教えることと上級生を教えることはどう違いますか?難しさ、または逆に利点は何ですか?何が楽しく、何がつらいですか?

繰り返しになりますが、私は特に上級生を教えたいとは思っていませんでした。それはまた運命です。たまたまある先生が4年生の担当を辞めたので、私は彼の代わりに教えることになりました。それ以来、私はそれが本当に大好きになりました。でも、低学年を教えることも好きです。そこにもたくさんの魅力があります。

例えば?

初心者に何かを言うと、昔からもうみんな知っていることのように思われることでも、いつも口をあんぐり開けて耳を傾け、何もかもが新鮮ですので、自分が実際に偉い先生になったように感じられます。自分が学生の中で新しい文化、言語への第一印象が生まれる瞬間に立ち会っているのです。これはとても感動的な瞬間です。そして、高学年では、学生は成長していて、自分で多くのことを知っています。時々彼らは自分が知らないことを言ってくるかもしれません。彼らとは対話が成り立ちます。たとえば、私は翻訳の授業を行っていますが、自分でどのように訳せばよりよくなるかわからない場合があります。私たちはどのように訳すべきか、みんな同じ立場に立って話し合います。これはまったく異なるレベルのコミュニケーションであり、私にとってこういった人生の瞬間は非常に興味深いものです。

では、次の質問をさせてください。今どきの学生は、マンガやアニメで描かれた日本のイメージに魅了されて日本語を勉強するために大学にやってくることは誰もが知っています。そして、言語を学ぶ動機はかなり単純です。学生は言語と文化を学び、日本に行き、国と日本人をよりよく知ることを望んでいます。上級生だと勉強する動機に変化はありますか?上級生の学生たちはすでに日本をもっとよく知っていて、インターンシップに参加した学生もいるかもしれません。おそらく、日本に対する考えを変えるのではないでしょうか?どう思われますか?

そうですね、これは私の主観的な見方ですが、実際のところ、さらに学生の動機はいくつかのグループに分かれていくと言えます。日本ででもロシアででも日本企業で働きたい、あるいは日本と関係のある仕事に就きたいという人もいます。日本を研究し続けたいという人もいます。将来の研究者です。原則として、彼らはロシアの大学院に進学するか、日本に行って勉強や研究を続けます。私のように日本語を教えたいという学生も多くはありませんがいます。また勉強をしているうちに自分の人生を日本と結びつけたくない、ただ大学を卒業して卒業証書を取得したいという結論に達する学生は常に数人います。したがって、進路によって動機ももちろん変化します。

はい、わかります。さて、最後にお聞きしたいのですが、私たち日本語の先生は、願っても願わなくても、日本語という言葉を通して日本文化の世界、さらには日本の世界すべてへの学生を導くことになります。あなたの使命はどこにありますか?また現在および将来の学生に何を望みますか?

実際、あなたはご自身で一つ目の質問に答えました。導くこと(案内人になること)、これが使命です。一般的に、私たちは学生とかなり限られた時間しか会いませんし、彼らがどのような生活を送っているのか知りません。したがって、私は日本語の教師を、各学生が自分の道を選ぶ助けをする、2つの文化の仲介者であると考えています。方向を示したり提案したりすることしかできません。それぞれが独自の道を進む必要があります。そして、私は日本語の「先生」という言葉が本当に好きです。先生は「先に生まれている」ため、当然のことながら人生経験が豊富です。したがって、私はこの経験を利用して道半ばの学生を支援したいです。時には彼らが私の過ちを繰り返さないように、彼らが私の作業ツールを使えるように。

そして、私は次のことを望みます。今、私たちは皆、世界がどのように劇的に変化しうるかを理解しています。私は2つの文化の担い手であり、こういった変化は私にとって非常に憂慮すべきことです。今、各国は自己隔離を目指して努力しているようです。何十年にもわたる活発なグローバリゼーションの後、今わずかな後退があり、一部の国は現在、より大きな孤立を求めています。これは、ブレグジット、またアメリカ、ヨーロッパ、ロシアの政治の例で見られます。そして、私は自分の存在全体でそれに反対しています。孤立してしまうと、私は存在しなくなってしまいます。私は2つの文化の担い手であり、自分の半分を切り落とすことはできません。実際のところ、あなたが外国語を学び始め、また外国の文化をより深く研究し始めると、あなたは本当に2つの文化の担い手になります。新しい現実、新しい宇宙を発見するのです。そして、あなたは新しい文化的個性を創造し、あなた自身が人として変化します。そして、私の願いはこのような担い手を存在させることです。学生だけでなく皆さん全員への私の願いは、外国語を学び、外国文化学び、異文化をオープンに受け入れてください。自分の国の文化だけに閉じこもらないことです。そのように閉じこもることは最終的にファシズムや人々の間の関係を破壊することにつながってしまいます。そうならないようにしましょう。

ロリ先生、このような魅力的で深いインタビューをありがとうございました!

12月 活動日誌

2020年12月31日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

私たちのオンライン生活は続きます。 試験期間は通常20日ごろから始まるため、HSEの12月は短い月です。ほとんどの学部および大学院のプログラムでは、試験はオンラインで行われました。

東洋学部では、高等経済学部東洋学部教授のアレクサンドル・ドーリン先生と共に、日本の詩をテーマにした小さいながらもとても居心地の良いイベントを開催することができました。

ZOOM「ドーリン教授との文学の夕べ」(12/10)

私たちはこの文学の夕べを「2020年のまとめ:コロナウイルスの時代に出版された5冊の詩集」と名付けました。

アレクサンドル・ドーリン先生は、ロシアの有名な東洋学者であり、文化学者、作家、詩人であり、古典および現代の詩や短編の翻訳者です。彼は20年以上にわたり、東京外国語大学、そして秋田国際大学で教鞭をとっていました。彼は、学術的およびポピュラーサイエンスのモノグラフを含む70冊以上の本の著者であり、日本の詩と詩学に関する基礎研究も行っています。また、この数には、10世紀の日本の詩のアンソロジー「古今和歌集」の翻訳など、古代から現代までの日本の和歌や詩の翻訳が多数含まれています。彼は現在、高等経済学部の東洋学部の教授であり、日本文学を教えています。

コロナウイルスの大流行の間、ドーリン教授は4冊の本(古典の和歌のアンソロジー)を準備して出版し、日本、ヨーロッパ、ロシアについて彼自身が様々な言語で作った詩の5冊目の本を出版する準備をしました。アンソロジーは、中世の仏教詩、中世初期の和歌、7-16世紀の和歌、そして近代の短歌、俳句、近代詩といった作品を特徴としています。

私たちはドーリン教授と、彼が比較的短期間で非常に多くの本を出版することに成功した方法、COVID-19による制限期間中の創造的および学術活動が一般的にどのように異なるかについて話しました。さらに、教授は彼の新しい本についてかなり詳細に話してくれました。どのような原則でアンソロジーのために詩を選んだか、仏教的中世が何を意味するか、そしてなぜこの仏教詩が現代の読者に興味を持たれるのか、などについて話されました。

また、教授の日本での生活にもテーマがおよびました。ドーリン先生は秋田大学で働いていた時期の秋田県での人里離れた生活が、彼の世界観、学術研究、創造的な生活にどのように影響を与えたかを話してくださいました。

夕べの終わりに、ロシアや世界における俳句人気の現象について、俳句コンクール、外国語への翻訳について詳しく話されました。夕べを通して、ドーリン先生は自分の翻訳した詩集から、そして彼自身の詩からいくつかの詩を読み上げました。

最後に、聴講生は質問をすることができました。この会はとても興味深く、温かいものであったため、一部の聴講生から来年もこの夕べを続けたいという希望が出ました。ドーリン教授も賛成してくれ、さらに数回のこの夕べが開かれることを願っています。

11月 活動日誌

2020年11月30日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

11月16日、HSEは再びオンライン形式に戻ることを余儀なくされ、ほとんどすべての学生と教師が再びズームに移行しました。制限は今年の終わりまで続きます。

バーチャルライフに多少の疲れはありますが、引き続きオンラインでイベントを実施し、多数の参加者を集めています。

日本学科新入生の「日本学忠義式」(11/27)

11月27日、日本クラブ「むすび」はすでに日本学科の良い伝統となっている最も重要な毎年恒例のイベントの1つを開催しました。これは新入生に象徴的に「捧げられる」イベントであり、将来の日本人学者の「洗礼」と言えます。このイベントの目的は、まず、日本学科の教師に新入生を紹介し、学生たちに大規模で友好的な日本研究家の家族の一員のように感じてもらうことです。オンライン形式のおかげで、ほぼすべての1年生の日本人学生と多くの教師が会議に出席することができました。

冒頭、教育プログラム「東洋学」の主任であるウリヤナ・ストリジャック(Uliana Strizhak)先生と日本科のローリ・ジャイン(Roli Jain) 学科長が歓迎のスピーチを行いました。

さらに、さまざまな分野の教師が賢明なアドバイスや指示を共有し、日本の専門家になるための幸運と勇気を願いました。

その後、先輩と卒業生が短いプレゼンテーションを行いました。東洋学部が主催する日本の様々な大学でのインターンシップについて話し合い、研修コースだけでなく、日本での滞在全般についての感想を共有しました。それから夜の娯楽の部分が始まりました。クラブのメンバーは新入生のためにさまざまな活動を準備しました。みんな日本の文化と歴史に関するクイズに参加したり、折り紙を折ったり、外来語の読み方を推測してカタカナの知識を競ったりしました。夜は友好的な雰囲気で終了しました。😊

イベントはとても暖かく友好的な雰囲気の中で行われました。多くの学生が素晴らしいコメントを残し、イベントを「捧げてくれた」主催者に感謝しました。私たちにできることは、彼らが日本語を学び、日本を学ぶのに最善を尽くすことを願うことです。そしてもちろん、テスト期間がんばって下さい!

「ゆかり」オンライン講義室 (11/28-29)

11月最後の週末に、東洋学部はユニークなイベント、「ゆかり」オンラインレクチャーが開催されました。これは、東洋学部の学生と、HSE高等学校の日本コース学生が他のモスクワの大学の学生と一緒にすべてを作成した学生のプロジェクトです。プロジェクト参加者は、日本の歴史を愛し、江戸時代の日本をメインテーマとした本格的なレクチャーを実質的に自分たちで開催しました。

当初、レクチャーはHSE東洋学部の講義室で開催される予定でしたが、新たに導入された制限により、イベント全体を完全にオンライン形式に移行する必要がありました。2020年11月28日から29日まで、高等経済学院東洋学部、高等経済学院東洋・古代研究所、モスクワ国立大学アジアアフリカ諸国研究所、ロシア科学アカデミー東洋学研究所、ロシア国民経済行政アカデミーなどの主要な科学教育センターの教師と従業員によって11のオンラインレクチャーが開催されました。世界経済学部と世界政治学部の支援のおかげで、すべての講義は無料で聞くことができました。

レクチャーのテーマは本当に多様でした。江戸時代の原典や現代の科学文献を基にして、聴衆は旅行や木版画、外の世界との相互作用や知的潮流、仏教と武士、戦後の日本社会における徳川家康のイメージ、そして俳句、死生観、日本の17-19世紀の日本における歓楽街吉原と歌舞伎について学ぶことができました。 17〜19世紀の吉原劇場と歌舞伎劇場。

2日間で、Zoom、VKontakte(ロシア最大のSNS)など、さまざまな場所で約1000人の参加者がレクチャーを「訪問」しました。総視聴回数は35,000回を超えました。これらの数字は、伝統的な日本の歴史と文化に対するロシアの聴衆の消えることのない関心を示しています。

レクチャーに加えて、聴衆はコンクールに参加することができました。レクチャーの資料をもとに「江戸のある日」というテーマでエッセイを書いてもらいました。大会の結果は12月6日に発表されます。

来年もレクチャーの開催が予定されています。次回主催者はどの歴史的期間を選ぶのでしょうか?

参考リンク
YouTube: https://www.youtube.com/channel/UCurbgXpBpJ_Ovx96rfNswsA/featured
VKontakte: https://vk.com/yukarium
(ロシア語のみ)

10月 活動日誌

2020年10月31日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

HSEは、大きな制限はありますが、引き続きオフライン形式で活動しています。

追加教育「東洋言語」プログラムにおける日本語学習グループ

10月は、HSEのすべての学部で多数の追加教育プログラムが開始される時期です。そして今年、のウイルスの厳しい状況にもかかわらず、東洋学部 (School of Asian Studies) は日本語を習得したい愛好家のグループを形成しました。そして 10月13日、無事授業を開始しました。

もちろん、新しい参加者に会うたびに、なぜ日本語を学ぶことにしたのかを尋ねます。新入生の場合、答えはかなり予測可能です。多くはアニメに夢中になり、日本語の知識を必要とする専門を選びました。他の専門分野の学生、さまざまな大学の卒業生、主な仕事にプラスして日本語を勉強することにした働く人々のグループへの参加者の本当の動機を知ることは常に興味深いものです。結局のところ、こういった人々の関心は日本のアニメーションへのつかの間の愛ではなく、新しい言語スキルを習得するという長年の決意、こういった自分の仕事以外に大変な活動に時間(とお金)を割こうという意欲です。追加教育「東洋言語」プログラムの「日本語」グループのプログラムの受講者の数人の答えは、それを知るに値するように私には思えました。

アイシャ・エズベーエワ Aisha Ezbeeva、学士課程1年「外国語と異文化間コミュニケーション」プログラム

こんにちは!私の名前はアイシャです。私は2か月近く日本語を勉強していて、上達をしてきています。月並みに聞こえるかもしれませんが、アニメのおかげでここに来ました。日本は、私が行きたい場所のリストで、2年前からずっと一番です。失望しないために期待し過ぎてはいけないと言われますが、日本は私、私の性格、人生観に非常にとても近いように思えます。いつか私は間違いなくこの美しい国を訪れることができるでしょう。それまでの間、私はこの非常に複雑で美しい言語を少し学ぶ時間があります。

アンナ・アファナシエワ Anna Afonasieva、HSE卒業生、エコノミスト

日本に行ってしばらく住むことを夢見ています。もう少し自信を持って、まずは言語を学びたいと思っているので、HSEのコースに来ました。平日の夜に行われるのでとても便利です。大学を卒業して数年の仕事を経て、次第に日本への興味が芽生えてきました。村上春樹の本を読んだり、寿司を食べたり、夜に日本の文化や歴史についてのオンライン講義を聞いたりするのが本当に好きです(特に現代のロシアの日本学者A. メシシェラコフ Alexander Mesheryakov、A.サドコワ Anastasia Sadokova、A.ラエフスキーAlexander Raevskiyの講義が好きです)。また、日本のあみぐるみ技法を使って少しかぎ針編みをしているので、まもなく雑誌の編み方の説明を訳して新作を作れると思います!

アナスタシア・グルズノワ Anastasia Gruznova、芸術評論家

私の名前はアナスタシアです。私は芸術評論家で、セラミックアートの修復と検査の分野で研究を行っています。私の日本との出会いは、大学で受けた東アジアの芸術コースでした。当初はあまり興味がありませんでした。しかし、私は日本の建築、陶器、そしてもちろん浮世絵が好きでした。私はかつて「ドナルド・キーンによるヨーロッパの日本の発見」The Japanese Discovery of Europe by Donald Keeneという本からの抜粋を読んだことがありました。この本で提示された視点「世界の異なる認識と完全に異なる伝統のプリズムを通してのなじみの文化」は私を驚かせ、これが日本の美術を研究するきっかけになりました。

大学卒業後の最初の仕事の一つは、日本の磁器の修復に関する学術論文の執筆でした。日本の磁器生産の中心地について読んだり、古事記からの抜粋を翻訳したり、日本の芸術のシンボルを学んだり、うるしや金継ぎの資料を探したりしました。 そして、日本の陶磁器や磁器の歴史だけでなく、この国の文化についても学びたいと思いました。 言語を学ぶことは、私にとって新しい知識への第一歩です。

キリル・リャブコフ Kirill Ryabkov、起業家

私の名前はキリルですが、日本語で「キラ」と呼ばれています。

3年前、全くの偶然で、私は日本語を勉強し始めました。珍しい看板「桜花塾」のある建物を通り過ぎたところ、日本語学校であることが判明しました。私は好奇心で実際にいくつかのレッスンに参加しました。私には言語を学ぶ能力がまったくないので、勉強をしようという計画はありませんでした。それに私の年齢(31歳)では、それは一般的に非生産的な仕事であり、多くの自由な時間を必要とします。それは私の職業ではありませんし、仕事になることもありません。しかし、最初の先生達のおかげで、いつも若いクラスメートに追いつく必要があったにもかかわらず、学習を進めることができました。レッスンでは私たちはまさに子供のように遊んだり、冗談を言ったり、競ったりしました。従業員の運命に常に大きな責任を負っている私のような人にとって、それは大きな気分転換であることがわかりました。

このように2年半過ごしましたが、コロナウイルスのせいで日本語の勉強を諦め、全力で自分の事業を救わなければなりませんでしたし、残念ながら学校も閉鎖されました。しかし、日本語能力試験の N4に合格するまで日本語をあきらめないと先生に約束したことを覚えており、約束を守ろうと思っています。そのため、私は高等経済学院のコースに来ました。そしていつの日か、私は最初の先生に再び会い、純粋な日本語で、灰色の日常生活の中で新しい趣味を見つけるのを手伝ってくれたことに感謝したいと思っています。私の新しい先生であるユリアさんがこれを手伝ってくれることを願っています!

9月 活動日誌

2020年9月30日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

9月1日高等経済学院では新学期が始まりました。

ほぼ半年の休校の後、ほぼすべての教師と学生がようやく教室に入ることができました。 65歳以上の教師とまだロシアに入国できない外国人学生はオンラインのままです。さらに、すべてのHSEキャンパスには重大な制限があります。学校にいる時にはマスクを着用しなければならず、ソーシャルディスタンス1.5メートルを取らなければなりません。聴講学生は50人以下でなければならないので、大規模な講義は現在、混合形式で行われるか、学生をいくつかのグループに分けられます。そして、最も重要で悲しい制限、それはすべての課外活動は、学長の特別命令で禁止されています。これは、多数のプロジェクトの中で、学生の組織、クラブ、会議、セミナー、その他のイベントはすべてオンラインでのみ開催できるということになっています。

この制限は、日本学科のクラブを含む東洋学部のすべてのクラブに適用されます。

今年の秋にどのようなイベントを開催するかを考えているのですが、まずは新入生について少しお話ししましょう。

日本語科の新入生:彼らはどんな学生

今年は、初年度の入学者数の減少の懸念があったにもかかわらず、45人が日本科に入学しました。毎年ほぼ同数の応募があります。 初めて男子と女子の数がほぼ同じになったことは注目に値します。今年は20人の男の子が4つの言語グループに属しています。

私のグループには12人の学生がいます。最初のレッスンでは、伝統的に学生たちに日本に夢中になった理由や、なぜ日本語を学ぶことにしたのかを尋ねます。また、いつもと同じように、ほとんどの人が子供の頃にアニメを見たり、マンガを読んだりしたからだと答えました。そしてそのおかげで彼らは日本について知る機会を得ました。しかし、いくつかの答えは本当に素晴らしかったです。ある女の子は、数年前に文字通り日本の文学に夢中になったと言いました。夏目漱石、安部公房、谷崎潤一郎、三島由紀夫などの作家や、村上春樹、吉本ばなななどのより現代的な作家の作品によって彼女は日本の文化や日本人の心理について知り始めました。それで、彼女は自分の好きな作家の作品を原作で読めるようになりたいと思っています。もう一人の女の子は本を書いています。彼女は世界、特に日本の音楽、スポーツ、アートの優れた個性に興味があり、日本のアスリート、ミュージシャン、文化や芸術の担い手について、日本語で情報を収集したいと考えています。一人の青年は日本の経営の詳細に興味を持っています。彼は日本で働き、日本の管理システムの詳細を直接体験したいと思っています。鮮やかなピンクの髪をした女子学生は絵を描いていると言い、彼女は本物のマンガの描き方を学びたいそうです。

授業の後、私たちはカジュアルな雰囲気でもっとお互いを知るため、カフェに行きました。

もちろん、みんな日本に行って、アニメやマンガで知った現実を自分の目で見たいと言っていました。また、東洋学部で日本に向けて勉強することへの期待を共有しました。

最近、ロシア、特にモスクワでは、違った日本への関心の波が起こりつつあります。私たちはすでに、日本料理を提供するさまざまなカフェやレストランの出現に慣れています。毎年、日本大使館や国際交流基金の支援などによって、日本伝統と現代の文化をテーマにしたイベント、フェスティバル、展示会が数多く開催されています。フィクションの翻訳が本棚に並ぶだけでなく、アパートを掃除する方法、記憶を訓練する方法、または日本人のように子供を育てる方法を説明するノンフィクションも並べられています。つまり、こんなに遠くて近い日本の文化を知る機会がますます増えているのです。

多くの学生が、日本で政治がどのように機能しているのか、世界政治や、世界経済において日本がどのような役割を担っているを知るために政治に興味を持っていたり、共同事業や社会事業で自分の力を試すために、日本人の長寿の理由や、どのように社会問題を解決しているのかを理解し、その自分の経験をロシアに生かしたいと考えていることを知ってさらに嬉しかったです。彼らは、学習が言語を習得するだけでなく、彼らが選んだ難しい専門分野の真の専門家になるのに役立つことを願っています。

彼らに幸運、忍耐、そして自信を願うだけです。 夢を叶えましょう!

8月 活動日誌

2020年8月31日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

この夏、コロナウイルスの感染防止対策により、東洋学部の学生はインターンシップ等のために日本へ行くことができませんでした。 しかし幸いなことに、数名の学生は素晴らしいオンラインプロジェクトに参加できました。そこで彼らにプロジェクトに参加した感想を報告してもらいました。

オンライン TUFS 日露サマースクール 2020

2020年7月27日から8月7日まで、東京外国語大学による「オンライン TUFS 日露サマースクール 2020」がオンラインで開催されました。

2週間の間、日露の学生はお互いに助け合い、両国の文化について学び、ロシア語と日本語のスキルを向上させました。

プログラムの一環として、ロシア人学生は日本語での会話、読み、書きのスキルを高めるだけでなく、JIC 旅行センターのインバウンド部 課長のデニス・モロゾフ氏(Denis Morozov)から東京へのインバウンドツーリズムに関する講義を聞きました。マリア・プロホロワ氏(Maria Prokhorova)による日本文学の講義、そしてJVTA(Japan Visualmedia Translation Academy)の字幕翻訳ワークショップにも参加することができました。

東洋学部の学生の感想

●デュシェーエワ・シャヒーダ (Shakhida Dusheeva)、修士課程1年、専攻:近代アジアにおける社会経済と政治の発展

東京外国語大学のサマースクールのお陰で、退屈な隔離の夏が非常に興味深く、役に立つ日本語の実践をすることができました。タンデム語学学習に加えて、プログラム内の講義は非常に有益で、本当に興味深いものでした。日本文学を別の角度で見ることができたので、これからはもっと熱心に日本語を読もうと思います。オンラインと制約があったにもかかわらず、日本人の参加者とロシア人の参加者の両方と友達になれたことを嬉しく思いました。 2週間で、プログラムに登録したときに自分で決めたすべての目標を達成することができました。発音の改善、日本語テキストの読解速度と理解度の向上です。すべてのプログラムをとてもスムーズに行ってくださったプログラムの主催者に感謝します。

●ツベトコワ・タチアナ(Tatiana Tsvetkova)、学部3年、専攻:東洋学

この2週間の喜びを言葉で伝えるのは難しいです!「ZOOM授業」という名のHSEでの4か月間の遠隔学習に少し疲れていましたが、1日3〜4時間のタンデム学習はあっという間に過ぎてしまいました。 私にとって、このプログラムへの参加は言語の壁を乗り越える道にようやく踏み出すためのよい機会(実際非常に効果のある)になりました。

日本人パートナーとの言語学習の他に、この間に素晴らしい講義も行われました。例えば専門家のお陰で、その場に居ながら現代日本文学の世界へ本格的な旅をすることができました。講義はロシア語でしたが、基本的な情報はすべて日本語でも繰り返してくれたため、「純文学」や「大衆文学」などの役に立つ用語を書きとめたり、日本人作家の氏名を読む練習もできました。

もう1つのユニークな体験は、字幕翻訳ワークショップです。 ソ連時代のコメディ映画の日本語字幕を作りました。このことは忘れられません!

精巧に考えられたプログラム、丁寧に質問にも答えてくださり、学生の快適さをきめ細かく考えてくださった主催者と先生方に大変感謝しています。

●オブエドコワ・ソフィア(Sofia Obyedkova)、学部3年、専攻:東洋学

授業中、今年の授業に特有の問題が何度か起こりました。ご存じのようにウイルスのせいで、国境が封鎖されました。しかし、主催者は責任を持って仕事に取り組んでくださって、問題を認識し、言語学習のプロセスをできるだけ効果的にするために問題を解決しようとしてくださいました。

主催者や先生方が、学習プロセスに適した快適で親しみやすい雰囲気を作り上げてくれて、とても嬉しかったです。 講義は眠くなるどころか、例えば、現代の日本文学に親しむように促してくれました。小グループで静かな環境でコミュニケーションを取ることで、自分の考えや対話者の発言に完全に集中でき、周りに気を取られませんでした。

それ以外に、字幕翻訳ワークショップに参加できて嬉しく思います。短かったけれどもとても情報の詰まった字幕の入れ方の説明、有名なソビエト映画と日本アニメの一部の翻訳案についての興味深い議論、ロシア人と日本人学生とリラックスした環境での会話。そしておそらく、プログラムのこの部分が私の記憶に最も強く残っています。

残念ながら、日本人の友達を見つけることはできませんでしたが、言葉の壁に悩まされ続けている私にとっては貴重な体験でした。

●チモニナ・マリア(Maria Timonina)、学部3年、専攻:東洋学

タンデム語学学習プログラムに参加できたことを嬉しく思います。この濃密な2週間の間に、私は自分のスキルを高める練習をするだけでなく、活力を与え、やる気を起こさせる多くの情熱的で創造的な人々に会うことができました。ほとんどの情報を初めて聞いたので、講義は非常に面白かったです。そして、教室ではあまり取り上げられないトピックについて「内側から」の視点を知ることができたのは素晴らしいことです。そして、文学に関する講義は、メンタリティの特徴をよりよく理解し、身近なものを再発見するために、作品を読む価値のある現代作家がかなりいるという考えに至りました。サマースクールに参加した貴重な経験によって、言語学習の過程でさらに努力し、新しい目標を設定しようと思いました。また、前向きな意識と自信が、自分の間違いから学び、今よりも自分のスキルを改善することに役立つことが分かりました。

●ドゥビク・クセニヤ(Ksenia Dubik)、学部3年、専攻:東洋学

オンラインのサマースクールを修了し、私は個人的に大きな進歩を遂げました。

このプログラムは、まず何より、自分の知識を疑わず、間違いを恐れないようにということを教えてくれました。間違いはあらゆる言語学習に当たり前のことです。ロシア語を勉強している日本人学生と連絡を取り、その人の間違いを修正して正しい表現をすることを助け、言語を学習するプロセスは厄介な道だと分かりますが、大切なことはあきらめないことで、ただ会話をし、チャレンジし、尋ねることであり、最終的に、自分に成長する余地があると認めることは素晴らしいことです。勤勉な日本人の対話者によって、特にそのような考え方を認識させられました。

このプログラムは語学の実践だけでなく、さまざまな講義を聞くことで、将来の日本専門家の知識を生かす可能性について学び、いつか働きたい新しい分野に目を向けることができました。

こんな素晴らしいプログラムに参加できてとてもうれしいです。 プログラムを終えた後もたくさんのことを学び、たくさんのことに興味を持ち、新しい友達を作ることができました。授業の最初の数日間は技術的な問題がありましたが、新しいオンライン形式への移行により、サマースクールは問題なく進み、誰もが自分自身のために多くの有用で興味深いものを見つけることができました。

●ワセニョワ・エカテリーナ(Ekaterina Vasenyova)、学部3年、専攻:東洋学

タンデム語学学習プログラムへの参加は、おそらくこの夏で最も明るい体験です。3年目の終わりに、私は日本語を習得する上での自分の主な壁である、間違うことを恐れていることに気づきました。このサマースクールでは、言語学習への自分のアプローチを再考することができました。タンデム語学学習では、与えられたトピックについて日本人とコミュニケーションをとり、時には課題を超えた議論が行われました。何人かの日本人の友達と知り合うことができ、サマースクールの後も友達とコミュニケーションを取り続けています。私は自分の能力に自信をもち、この「心理的な」障壁がなくなりました。たった2週間ですが、定期的なコミュニケーションをすることで、具体的な自分の進歩に気づくことができました。言語能力のレベルだけではなく、それを認識することができました。

タンデム学習以外に、講義とワークショップについて強く述べたいと思います。 誇張ではなく、それらはすべて明確で、面白く、刺激的であり、同時に有用でした。それぞれの講義の後、エネルギーの爆発を感じました。ロシアと日本の間の観光客の流れの回復とさらなる拡大の見通しを考え、現代の日本人作家による本を私の棚に置き、映画の好きな場面を日本語に翻訳の仕方を考えました。

その他、タンデム学習で日本人学生と交流し、言葉や会話を実践することで、自分の国、その文化に関する様々な考え方が生まれる理由や、その考え方を変える可能性について考えさせられました。

全体として、授業の結果、私は言語力とモチベーションが真に高まり、日本語をさらに勉強したいという願望を感じました。新しい単語を学び、読み、聞き、話し、会話し、日本について新しいことを学びました。プログラムに参加する機会を与えてくれた東洋学部と、その経験と知識を与えてくださったサマースクールの主催者にとても感謝しています!

●ジガン・ミハイル(Mikhail Zhigan)、学部3年、専攻:東洋学

このプログラムへの招待状を受け取ったとき、私はまず、この夏モスクワにほとんどいなくなってしまった日本人とのコミュニケーションを念頭に置いて、すぐに同意しました。しかし、2週間のプログラムの期間中、講義はネイティブスピーカーとの会話に劣りませんでした。日本へのインバウンド観光に関する最初の講義は、様々な特徴のあるロシア市場に集中した話でした。 2つ目は、ロシアではほとんど知られていない現代の日本文学を紹介してくれて、講師がテーマを非常に興味深く話し、一般にフィクションに無関心な私でさえ、いくつかの作品に関心を呼び起こしました。しかし、私にとって最も興味深い日は、字幕の翻訳に携わった日でした。一般的に、大学の日本語コースで翻訳の時間が十分にできていないとは言えません。定期的に行っています。それでも、予想はしていましたが、翻訳用ではない素材を使った作業は、特に主催者がロシア語に翻訳する作品にアニメのシーンを選んだので、特にエキサイティングでした。全体的に、このサマースクールは興味深いものでしたが、最も重要なのは、この夏の最も明るい印象の1つであるやりがいのある体験でした。

7月 活動日誌

2020年7月31日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

HSEの学生と教職員の休暇が始まりました。 残念ながら、この夏はコロナウイルスの蔓延の脅威により、ロシア人は海外で休暇を取ることができません。学生はサマースクールに参加したり、インターンシップに参加したりできなくなり、教師は学会やセミナーに参加できません。 しかし、みんな可能な限り良い気分を保ち、オンラインイベントに参加し、ロシアで休暇を過ごします。

私たちは、日本の専門家になるための道のりについてのまた別の話を共有することにしました。高等経済学部東洋学部の日本科出身で最も成功した卒業生の一人であり、現在はロシアNIS貿易会(ROTOBO)の従業員であるダリナ・ブンコワさん(Darina Bunkova)が、自分の日本研究について語ってくれました。

わたしの日本

私は13歳の時に日本について知りました。私はアニメを見るのが好きで、当時月曜日から金曜日まで毎日15時から16時30分までロシアのテレビで日本のアニメが放映されていました。新年のプレゼントとして宮崎駿のアニメコレクションのDVDをもらったので、おもしろい字幕やオリジナルの音声を入れて見たりしました。そのとき初めて日本語を聞きました。それは私の耳に流れこみ、そのメロディーは私を魅了しました。徐々に、私はこの複雑でありながら信じられないほど美しい言語を自分で話したいと思い始めました。その時から、私は日本語と日本に興味を持ち始めました。それ以来、私は日本の映画とアニメを原語のみで見てきました。

アニメを見れば見るほど、日本の伝統文化や歴史、日常に触れられる機会が増えました。 私はロシアの東洋学者や日本の文学を読み始めました。そして、私が本を読むたびに、「日出処る国」の新しい側面を発見しました。

高校で、東洋学者という職業について知り、日本語の知識のある東洋学者・記者として働くことを夢見るようになりました。 私は周りの人に日本について語り、私の日本に対する愛や知識を人に伝え、両国間の架け橋を築きたいと思いました。10年生のとき、私は高等経済学院の若い東洋学研究者の学校 (School of Young Orientalists, SYO)の聴講生として一年生に入ることができました。こうして、私が最初の東洋学の講義を受けた時は女子高生でしたが、7年後にやっと専門家の卵として、学士号を手にしました。

授業は内容が濃く、目を開くものでした。しかし、言語は私にとって難しいものでした。私はグループの中で優秀な学生では決してありませんでした。でも、私が学んだすべての文章、覚えた漢字、正確なフレーズ、正しい翻訳というのは、私の中で自分に対する勝利でした。これらは夢に向かう頼りない一歩でした。それは日本語を学び、日本を見て、そしてロシアと日本の関係の中で自分の場所を見つけることでした。

私はHSE高等経済学院で勉強している間、3回日本を訪れることができました。北海道、滋賀県では2回ボランティアとして、千葉大学では交換留学生として。驚くべき出会い、仕事と勉強の新しい経験、国内でのクレイジーなヒッチハイク、信じられない発見と素晴らしい言語の実践がありました。日本は相反する美しさと多様性のすべてにおいて、私の前にその姿を明らかにし続けてくれました。

同時に、勉強においては、自分の本当の能力と欲望を意識するのが困難な時期でした。勉強すればするほど、自分が誰になりたいのか、どのように人の役に立つことができるのかが理解できなくなりました。

学士号取得後、修士号取得のため大学院に入学しました。2年間の勉強の間に、私はさらに2回インターンシップに参加しました。1つ目は三井物産の製品に関するもの、2つ目は筑波大学での6ヶ月の留学でした。修士課程を修了し、日本とも日本語とも関係のない会社で働きました。再生可能エネルギーと電気技術のプロジェクトコーディネーターとして働いたのです。

仕事は面白く、学生時代に想像したものとは異なりました。私は日本とは何の関係もない新しい分野を発見して驚きました。でも、日本が恋しくなり始めました。私は目を閉じて、素晴らしい日本人の知り合い、いつも礼儀正しく、思いやりがあり、謙虚で聡明な人々との交流が快適で面白かったことを思い出しました。素晴らしい日本の風景と東京の賑やかな通り、音、匂い、感覚を思い出し、再び日本語を味わい、日本語を使う機会を探しました。憧れが限界に達したとき、もう帰る時だと気づきました。そして、ほぼ1年間、私は日本ロシアNIS貿易会(ROTOBO)で働いており、夢見たように、ロシアと日本のビジネス間の架け橋の構築を支援しています。

私はロシア人とも日本人とも交流し、双方に協力したいという熱意と欲望を感じています。どのような場合でも、すべての決定において、普通の生きている人々が参加し、お互いに引き付け合い、共通点を模索していることは、喜ばしく刺激的です。そして、私の仕事は、この探索において彼らを助けることです。

私はしばらくの間、自分の専門分野で働いていなかったことを後悔していません。それは良い経験でした、そして獲得したスキルと知識は確かに将来の専門家の道で重宝するでしょう。

今、私はまた再考の段階にいます。そして、この段階は一生ずっと互いに入れ替わるでしょう。私は変わってゆき、日本は変わり、私と日本の関係も変わります。最初の熱狂的な愛から深い愛、受容、そして尊敬へと。

しかし、最も重要なことは、日本は永遠に私の一部であり続け、私の人生に常に存在するであろうということです。私が現在の自分になったのは、日本とまさに高等経済学院東洋学部での勉強のおかげです。そして、時計を戻し、もう一度選択する機会があれば、私は再び日本専門家の道を選びます。

6月 活動日誌

2020年6月30日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

6月はHSEでは忙しい時期です。試験と卒業論文の質疑応答審査があります。イベントを行うことはほとんど不可能ですので、生徒たちが日本とどのように出会ったか、そして豊かな歴史と文化を持つこの素晴らしい国への愛を仕事にすることにした生徒たちの興味深い話をいくつかお話しすることにします。

年の初めに生活安全の授業で新入生は、東洋学部の教師にインタビューするという課題を与えられることがあります。そこで新入生は自分たちの将来の教師に彼らがどのように東洋学者になったかを尋ねます。職業の選択は、見た目ほど単純で簡単ではないことがよくあります。しかし時には、東洋学部の学生が自分の将来の専門分野に向かう道は、それと同様に曲がりくねっていて厳しいものです。「東洋学」科での初年度の学習から、専門分野を選択した経験と感想を日本語コース専攻のダイナ・ボリエワさん(Diana Barieva)が話してくれました。

なぜ日本?

私にとって東洋への愛は、おそらく言語への愛から始まりました。もちろん高校では、他の多くの仲間と同じように、アニメを見たりマンガを読んだりしましたが、自分の将来の人生や仕事を東洋と関連させることに決めたのは、語学を学び始めた後でした。10年生で出会った最初の東洋の言語は中国語でした。ちなみに、大学では日本語を選択しましたが、中国語にはまだやはり優しい気持ちがあり、学習をやめようとは考えていません。言語を学ぶと、常にいつの間にかその地域と、その文化と歴史に没頭し、人々と彼らの生活についてどんどん新しい詳細を知り、「自分」の世界と「彼ら」の世界を比較し、両者の関係性を探します。一言で言えば、私は入り込んで、とても早く入り込んでいきました。そして、ご存じのように中国は近隣諸国の文化に大きな影響を与えているため、ロシアだけでなく、インド、日本、韓国、ベトナム、東南アジアの国々への関係性の糸口をどんどん見つけていきました。こうして、一つの国の言語に対する私の興味は、地域全体に対する興味へと成長しました。

その頃、趣味を希望の職業に変える機会を探し始め、若い東洋学研究者の学校 (School of Young Orientalists, SYO)に出会いました。この学校の学生になるチャンスを逃したくなかったので、自分のモチベーションに関係したエッセイを書いて選考に合格しました。SYOで1年間授業を受ける過程で、東洋学とはなにか、またどのようにして仕事になるのかが次第に明らかになりました。私の知識は体系的な性格を帯び始めただけでなく、私がかつて残念なことに(!!!)あまり注意を払わなかった、それらの国々についての新しい事実で満たされてきました。講義は東洋学の非常に様々な側面をカバーしていました。その地域の言語、文化、宗教、政治、経済、歴史。また、学術論文の形式でのレポート執筆や質疑応答の審査を受けたことは私にとって非常に貴重でした。また、大学での学び方を知ることができ、学生と話したり、友達や志を同じくする人を見つけることができました。つまり、SYOでは退屈する間はありませんでした。これらすべてが可能になったのは、SYOの担当先生と、後で判明したのですが、最高の日本語教師であるユーリア・コロヴィナ先生のお陰です。ありがとうございます。

一年が経ち、東洋は私に合っていると分かりました! そして今、私は東洋学部の学生としてHSEで学んでいます。実は、HSEに入学し、またこのように真剣で困難な学科ですので、私は教育課程に適応するためには、長くストレスの多い期間、教師との「摩擦」、年に4回の試験期間を乗り越え、その他の困難を克服する必要があると予想していました。実際、一生懸命勉強しなければなりませんでした。でも、私は喜んで勉強しました。そして、覚悟していたストレスは気づかず通り過ぎました。それは、入学後、最初の学期全体を穏やかな陶酔の状態で過ごしたからだけでなく、大学の雰囲気のお陰です。HSEのような親密な学生の仲間を見つける場所は他にはありません。

ここでは、誰もが互いに助け合っています。すべての問題は協力して解決され、いつでも、誰もが誰かを見捨てたりはしません。同じことは、教師と教務課にも当てはまります。ウイルス感染の際、教務課は教師と一緒に奇跡を起こしました。オンライン授業を確立し、試験もオンラインで実施したのです。もちろん、意見の相違がある時もありましたが、双方の歩み寄りのおかげでそれらの問題は遅かれ早かれ解決されました。教育課程自体については、退屈で単調だと思ったことはありません。HSEでの勉強は無限の挑戦であり、一種の障害物競走のコースのようです。時間を配分し、不安に対処し、自分の将来のために自分を改善し続け、勉強をし、また、課外活動にも参加することが重要です。幸いなことに、大学はこのための多くの機会を提供してくれます。インターンシップ、クラブ、学術研究についてなど、最高級の教育について限りなく話し続けることができます。今は何も後悔していません。そして、先に進めば進むほど、私が正しい選択をしたと確信しています。

5月 活動日誌

2020年5月31日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

自宅待機という制限にもかかわらず、私たちは通常どおり授業をするだけでなく、学生と受験希望者のために通常の活動も行っています。

日本語会話クラブ「Hey!Say!」

コロナウイルスの状況により、モスクワの大学で勉強している多くの日本人学生は日本に帰らなければなりませんでした。当初は、日本語を勉強するHSEの学生だけでなく、独学で語学を学ぶ参加者も積極的に参加している会話クラブの活動をどのように行っていくか悩みました。クラブでは活動を行っている間に、日本人の友人ができましたが、彼らもまた快適で意欲的なクラブの雰囲気の中でコミュニケーションする機会を失ってしまいました。しかし、くよくよしない学生たちはオンラインを試すことを決め、5月1日と31日にクラブのズームのミーティングを開催しました。

驚いたことに、モスクワと日本の時差にもかかわらず、オフラインのミーティングよりもオンラインの方が参加者を集めることができました。加えて、すでに日本に戻った過去数年間の参加者もクラブのことを忘れずに、遠隔形式で活動に再び参加することができました。

ミーティングでは、いつものように日本語またはロシア語の練習をするだけでなく、コロナウイルスの現在の状況について話し合い、ロシアと日本の状況を比較し、意見を交換したり、また単純に会えたことを喜び合いました。危機的状況にもかかわらず、クラブは現代の情報技術の助けを借りて、ロシアと日本の2国の代表者をつなぎ、異文化間コミュニケーションを発展させるという主要な任務を継続して遂行することができました。これはクラブが創設された当初からの目標です。

オンラインミーティング「東洋学デーの思い出」

5月の第3日曜日は、通常、東洋学部(School of Asian Studies, SAS)の最大のイベントである「東洋学デーOriental Crazy Day」です。これは大きなイベントであり、HSEの学生と教師が準備をし、多くのゲスト(HSEの学生と教師、経済高等学院付属高校の生徒、東洋学部の受験希望者、他の大学の学生と一般の東洋愛好家)をお迎えします。このイベントの内容と昨年の様子については、この日記またはHSEのWebサイト(https://www.hse.ru/en/news/275060364.html(英語版))で読むことができます。

今年でオリエンタルデーは7年目となりました。イベントの主催者は、今年開催することが不可能であることに落胆するのではなく、誰もが自分の思い出や感想を共有できる思い出ミーティングを用意することにしました。

5月24日、Zoomで、イベントの創案者と主催者、東洋学部の教師ユーリア・コロヴィナと、教師、学生、School of Young Orientalistsの生徒、そして以前このイベントの企画に参加したり、観客として参加した東洋学部の卒業生さえもが集まりました。参加者は、過去のイベントの写真やビデオを見せ、そのイベントに関する個人的な思い出を話したり、おかしな事件、予期しない出会い、楽しいサプライズやそう楽しくないサプライズだけではなく、失敗したアイデアや成功したアイデアなどを話しました。多くの人が毎年、イベントはさらに大きく、より興味深く、よりカラフルになり、参加者とゲストの数が増えていると述べました。オンライン形式のミーティングにもかかわらず、HSEの素晴らしい伝統を継続する素晴らしい思い出と希望に満ちた雰囲気をミーティングに作り出せました。

来年、大変動が私たちのイベント開催を妨げず、そして東洋の国々とその文化を学ぶという私たちの活動がいかに刺激的であるかを改めて証明できることを願っています。

4月 活動日誌

2020年4月30日
GJOコーディネーター ユーリア・コロヴィナ

みなさん、こんにちは!

コロナウイルスの状況により、HSEは今学期の終わりまで、つまり6月の終わりまでリモート授業が続いています。したがって、すべてのイベントをキャンセルするか、可能であればオンラインで行う必要があります。

しかし、私たちは現在の傾向に対応し、Zoomでの講義を試みることにしました。

4月24日 テーマ「日本文化のカラーコード」の講演

4月24日、日本クラブ「結び」にて「日本文化のカラーコード」をテーマとした公開講座が開催されました。

これはオンライン形式での最初の講演だったので、170人近くが聴講に来るとは想像もしていませんでした! 講演には、東洋学部の日本語専攻の学生だけでなく、日本文化に興味を持つ高校生、高等経済学院(HSE)の他の学部の教師や学生、さまざまな都市の日本文化愛好家、さらには日本美術の有名な芸術専門家も出席しました。

講演は哲学博士であり、文化史家、日本専門家、国立モスクワ言語大学の准教授であるアンナ・シマンスカヤ先生(Anna Shimanskaya)によって行われました。

まず、先生は色とは何か、文化でそれが果たす機能、特定の文化を研究する際に色の象徴性を知ることが重要である理由、そして文化研究のさまざまな専門家(文化史学者、文化学者、言語文化学者など)が色を研究する方法について話しました。例えば、いくつかの色合いを作るのは非常に高価であることが知られているので、そのような珍しい色合いで染色された布は、貴族階級のみが使用することができました。さらに、異なる文化ではさまざまな時期に、特定の階級による特定の色の使用が禁止されていました。

その後、講師は日本文化の色について話し、日本文化の5つの原色(赤、白、黒、青、黄)を挙げ、それぞれの意味を簡単に説明しました。

講演では、日本文学における色の名前の興味深い使用例を、特に万葉集や古今和歌集から挙げて紹介しました。これは、日本人が古くから色に大きな象徴的意味を付けていたことを示しています。講演の後、シマンスカヤ先生は質問に答えました。講演はとても面白かったので、学生たちは先生の講演を再び行って欲しいといいました。今後の講演で、シマンスカヤ先生が5つの原色とその色合い、これらの色がどのように作られたか、どこで使用されたか、それらが何を意味し、どのような役割を果たしたかについて詳しく説明してくれることを願っています。

4月22日 School of Young Orientalists にて「現代世界における日本の対外政策」の講義

若い東洋学研究者のスクールはその仕事を継続しています。 4月22日、東欧諸国の外交政策に関する講演会の一環として、近代日本の外交政策の特徴に関する講義が開催されました。 講義は、高等経済大学東洋学部の教員であり、日本の外交政策と露日関係の専門家であるイゴール・ラズモフスキー先生 (Igor Razumovsky)によって行われました。

若い東洋学研究者のスクールの学生は、日本と近隣諸国の主要なパートナー、日本のエリートと一般市民がそのパートナーをどう考えているか、そして現在の日本の外交政策の目標と目的について学びました。さらに、講師は、それらを実施するためにどのような形式と方法が使用されているか、日本の外交政策の主要な優先事項は何か、そして現在の日本の外交の成功と失敗は何かについて話しました。最後に講師は質問に答え、講義のテーマについて読める文献の推薦をしました。

自宅待機遵守の必要性によって引き起こされる明らかな困難にもかかわらず、現代のテクノロジーは私たちが連絡を取り合い、日本について最も興味深いことを伝え続けるのに役立っています。

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