2020年度 活動日誌

3月 活動日誌

2021年3月31日
GJOコーディネーター 八木 はるか

新学期が始まってから1か月が経ちましたが、ベオグラード大学日本語専攻の授業は、セルビアにいらっしゃる先生方も完全にオンラインで行っています。引き続き、私はビデオによるオンデマンド型の授業と、zoomによる双方向型の授業を行っています。最近は授業のビデオにコメントをしてくれる学生が増え、非同期型でも日本語でやり取りする機会が増えたのは嬉しく思います。

今月もベオグラード大学の課外活動として、「読書の会」と「タンデムの会」を開催しました。「読書の会」は、3月7日(日)19時~20時(日本時間)に行いました。参加者は学生2名(1年生)と教員2名の計4名でした。まず、多読のルールを説明した後、八木から「今日のおすすめの本」として、NPO多言語多読の『無料の読みもの』から「雨」(レベル0)を紹介しました。この作品には日本語のオノマトペが数多く登場しますが、文字の情報だけでなく、絵やナレーション、効果音による補助もあるので、日本語を勉強し始めた初級の学生たちも作品のストーリーを理解できていたようです。その後、『Tiki’s kitchen セルビア料理』というYouTubeチャンネルも紹介しました。これはセルビア料理について、セルビア人の方が日本語で紹介しているチャンネルです。(日本語と英語の字幕もあります。)学生にとっては、セルビア料理という母国の慣れ親しんだものについて、既知の知識で補いながら、日本語の聴解及び読解の練習ができたのではないかと思います。ビデオを見た後に、「みなさんの家ではいつ、どのようにこれを作りますか?」などと学生に質問をし、会話をしながらいくつかのビデオを見ていきました。その後、また『無料の読みもの』に戻り、「おでん」(レベル0)を読みました。この日は、偶然、日本とセルビアの料理関係の本やビデオを見ることが多かったですが、食文化については学生も高い関心を持っているようで、内容が理解しやすく、発言しやすいテーマだったと思われます。

「タンデムの会」は、3月21日(日)19時~20時30分にzoomで行いました。参加者は計11名で、そのうち日本語母語話者が6名(本学の学生で、以前ベオグラード大学に留学していた学生2名、在セルビア邦人の方1名、元教員1名、教員2名)、セルビア語母語話者4名(ベオグラード大学の学生3名、カルロブツイ高校の日本語の先生1名)、中国語母語話者1名(以前ベオグラード大学に留学していて、日本語も勉強中の大学生)でした。

事前のアンケートで、タンデムの会で話したいトピックを募集し、当日投票をする際の候補にしました。その結果、1回目の投票では「日本人・セルビア人のすごいと思うところ、見習いたいと思うところ」、2回目の投票では「日本語・セルビア語のおすすめの勉強のしかた」と「私の好きなアニメ・マンガ・音楽」が同率で選ばれました。

そして、前半は日本語の時間、後半はセルビア語の時間と設定し、4,5人のブレイクアウトルームに分かれ、おしゃべりをしました。今回は、タンデムの会に初めて参加した1年生も含め、初対面の人たちもいたので、まずは自己紹介をし、そのあとトピックについて話すよう、こちらからお願いをしました。セルビアの学生の中には、日本人教師以外の日本語母語話者に会ったことがない学生も多いため、このような会が、学生にとって多様な日本語に触れる機会になればと思います。また、私が参加したブレイクアウトルームでは、当初のトピック「日本語・セルビア語のおすすめの勉強のしかた」から、「日本語・セルビア語の難しいと思うところ」というトピックへ発展していて、興味深い話を聞くことができました。セルビア語を勉強している日本や中国の学生の存在が、セルビアで日本語を勉強中の学生にとっても、良い刺激になるのではないかと思います。

最近、セルビアでも新型コロナウイルスのワクチン接種が進められています。しかし、日々の感染者数は依然として多く、セルビア政府はショッピングモールやレストランなどに対して、厳しい営業停止措置を行っているそうです。セルビアも日本も厳しい状況が続いていますが、今できることを工夫しながら、精一杯やっていきたいと思います。

写真:読書の会のポスター

2月 活動日誌

2021年2月28日
GJOコーディネーター 八木 はるか

今月から、日本語専攻の後期の授業が始まりました。今学期、私は1年生の授業を初めてzoomで行うことになりました。これまでは、授業のビデオを配信するオンデマンド型で行っていたので、双方向型の授業はまだ試行錯誤しています。初回のzoomでの授業では、自己紹介も兼ねて、私の趣味である長唄三味線を演奏しました。今後の授業でも、私が今日本にいるからこそできることも交えていければと思います。このzoomの授業を受ける1年生は、私が帰国した後に入学したので、まだ対面で会ったことはないのですが、コロナ禍の中にあっても日本語の勉強を少しでも楽しんでもらえたらと願うばかりです。今月は、日本語専攻の課外活動として、「タンデムの会」を2月14日(日)19時~20時30分(日本時間)にzoomで行いました。参加者は計11名で、その内訳は日本語母語話者が6名(本学学生でベオグラード大学に留学経験のある学生2名、在セルビア邦人の方1名、元教員1名、教員2名)、セルビア語母語話者4名(ベオグラード大学の学生2名、カルロブツイ高校の日本語の先生1名、在セルビア邦人のご家族1名)、中国語母語話者1名(ベオグラード大学に留学経験があり、日本語も勉強中の大学生)でした。

前半30分を日本語の時間、後半30分をセルビア語の時間として設定し、各15分のブレイクアウトセッションを計4回行いました。今回もzoomで投票を行い、話したいトピックを参加者に選んでもらいました。トピック候補は、「日本語・セルビア語のおすすめの勉強法」「日本・セルビアの高校・大学生活」「コロナのパンデミックが終わったらやりたいこと」「バレンタインデーの思い出」「私の好きなアニメ・マンガ」「フリートーク」の6つでした。この中から、日本語の回の投票では「バレンタインデーの思い出」、セルビア語の回では「コロナのパンデミックが終わったらやりたいこと」が選ばれました。なお、各言語の2回目のセッションでは投票を行わず、フリートークとしました。

「バレンタインデーの思い出」について話した際、私が参加したグループでは、本学の学生たちが中高時代に「友チョコ」を作るのが大変だったことを話してくれました。一方、セルビアではバレンタインデーを祝う習慣はないものの、セルビアの学生は、日本の少女漫画から日本ではバレンタインデーの習慣があることを知ったと話していました。

また、フリートークをした際は、日本のアニメで、キャラクターの台詞にある日本語のオノマトペについての話がありました。参加者が画面を共有し、実際にそのオノマトペの発話シーンを見ることができたので、他の参加者もよりクリアなイメージを持ち、理解が深まったのではないかと思います。これ以外の時間でも、参加者が画面共有やチャット機能を積極的に使用し、会話の中に出てきた物の写真や、難しい言葉の綴り、サイトのリンクなどを共有していました。

それぞれの短いブレイクアウトセッションが終わるたび、参加者は一度全体で集まり、各グループでどんなことを話したか共有する時間を設けています。これは短い休憩時間でもありますが、各グループの様子を知るきっかけとなっています。また、この時間には、もう一人の教員に次のブレイクアウトルームを準備していただいており、会を進行する上でも必要な時間となっています。

セルビアから緊急帰国して、今月で1年が経ちました。この1年で、世界では急速に授業のオンライン化が進み、ベオグラード大学でも大きな変化がありました。セルビアでもワクチンの接種が始まったものの、まだ先が見通せない状況で、セルビアにいる先生方もオンライン授業を続けていらっしゃいます。オンラインだからこそできること、そして今私が日本にいるからこそできることを日々模索していきたいと思います。

写真:タンデムの会の宣伝ポスター

1月 活動日誌

2021年1月31日
GJOコーディネーター 八木 はるか

今月はベオグラード大学日本語専攻の期末試験が行われました。今回の試験は、大学に集まり対面式で実施されました。これまでの授業は全てオンラインだったので、今回の試験で、学生たちは久しぶりに大学へ行ったのではないかと思います。今も日本にいる私は試験作成には関わりましたが、当日の採点作業などはセルビアにいる先生方にお願いすることになってしまいました。

今月も、日本語専攻の課外活動は「ペラペラカフェ」のみ行いました。「ペラペラカフェ」は1月30日(土)19時~20時(日本時間)にzoomで実施しました。参加者は計12名で、その内訳は日本語母語話者が6名(本学学生でベオグラード留学経験のある学生1名、JICA関係の方2名、元教員1名、教員2名)、セルビア語母語話者5名(ベオグラード大学の学生4名、カルロブツイ高校の日本語の先生1名)、中国語母語話者1名(以前ベオグラード大学に留学し、日本語も勉強中の大学生)でした。

今回も、日本語で話したいトピックを参加者に選んでもらいました。1回目のブレイクアウトセッションで、5つのトピック候補(「2021年にやってみたいこと・目標」、「日本・セルビアのお正月」、「私の好きな動物」、「私の好きな映画・ドラマ」、「フリートーク」)の中から選ばれたのは、「2021年にやってみたいこと・目標」でした。この日は、日本・セルビア・中国から、大学生や教員だけでなく、社会人の方の参加もありましたが、みなさんそれぞれの今年の目標を話してくれました。なお、2回目のブレイクアウトセッションでは、時間の都合上、投票を行わず、フリートークとしました。

ブレイクアウトルームでは、本学の卒業生で、現在セルビアで働いていらっしゃる方と、昨年まで本学に留学していたベオグラード大学の学生が一緒に話す場面がありました。今回、オンラインで思いがけず、本学につながりがある人たちが集まったわけですが、卒業生の専攻語の話や、日本語・セルビア語学習の難しいところの話などで盛り上がっていました。

また、以前ベオグラード大学に留学していた、本学4年生の学生さんが今回も「ペラペラカフェ」に参加してくれました。この学生さんは、セルビアの「スラヴァ」(セルビア正教の行事)についての卒業論文を、無事に完成させたそうです。卒論のためのアンケート・インタビュー調査に、ベオグラード大学日本語専攻の学生が協力したこともあり、私もこの学生さんから卒業論文を送ってもらったのですが、大変興味深く拝読しました。

事後アンケートによれば、インターネットの問題で、タイムラグが生じてしまい、発言を遠慮していた学生もいたようでした。しかし、その学生はチャット機能でコメントをしたり、画像を共有したりしてくれたので、ある程度はチャット機能でカバーできたのではないかと思います。

来月中旬からは、後期の授業が始まります。新型コロナウイルスについては、セルビアも依然として厳しい状況が続いているようで、後期もオンライン授業になる予定です。

セルビアから緊急帰国し、オンラインでの活動が始まってからまもなく1年が経とうとしている今、オンラインの良さがあることに気づく一方、まだまだオンラインでの活動に慣れず、迷いながら進めている部分もあります。今後もより良い活動ができるよう、試行錯誤していきたいと思います。

写真:ペラペラカフェの宣伝用のポスター

12月 活動日誌

2020年12月31日
GJOコーディネーター 八木 はるか

寒さが厳しさを増す12月、セルビアでも、新型コロナウイルスはその感染拡大に歯止めがかからない状態です。今月も、ベオグラード大学日本語・日本文学専攻では全ての授業がオンラインで行われました。日本にいる私は、引き続きビデオでの授業を行っています。

今月は中間試験があったので、課外活動は「ペラペラカフェ」のみを実施しました。

「ペラペラカフェ」は12月6日(日)19時~20時(日本時間)にzoomで開催しました。参加者は日本語母語話者が5名(本学学生でベオグラード留学経験のある学生1名、JICA関係の方1名、元教員1名、教員2名)、セルビア語母語話者5名(ベオグラード大学の学生2名、カルロブツイ高校の日本語の先生1名、独学で日本語を勉強中の大学生・高校生各1名)でした。今回参加した、独学で日本語を勉強している大学生は、ベオグラード大学の課外活動のFacebookグループで「ペラペラカフェ」のお知らせを見て、参加してくれたそうです。このようなオンラインでのイベントが、ベオグラード大学の学生に限らず、セルビア国内の日本語学習者の学習促進やモチベーション維持につながればと思います。

今回もzoomの投票機能で話したいトピックを選んでもらいました。その結果、1回目のブレイクアウトルームでは「日本・セルビアのお正月」、2回目は「私の好きなアニメ・マンガ」と「フリートーク」が同率で選ばれました。このように毎回トピックは決めるものの、これは参加者が日本語で話をするきっかけとして決めていて、実際はこのトピックから派生して様々な話が行われています。私が参加したグループでは、「日本・セルビアのお正月」というトピックから日本の初詣やおせち、セルビアの年越しの花火について話した後、日本とセルビアのハロウィンについても話しました。参加者の中には初対面の人もいるので、いきなりフリートークをするよりも、とりあえず決められたトピックがあることで、参加者が話しやすい雰囲気を作るきっかけになればと思います。

また、今回は日本語を学習し始めたばかりの高校生も参加してくれました。ブレイクアウトルームでは、セルビア人の大学生が通訳として、この高校生と日本人参加者をつないでくれたそうです。初級の学習者にとって「ペラペラカフェ」に参加することは、日本語で多くのインプットを得られる貴重な機会になると思いますし、通訳として参加することになる「先輩」の学生にとっても、日本語とセルビア語の両方を使う実践の場として良い経験になったのではないかと思います。 

それから、12月17日(木)21時~23時(日本時間)に、GJOコーディネーター活動報告・情報交換会を開催させていただきました。急なご提案だったにも関わらず、ご快諾くださった国際化拠点室と、ご参加くださったコーディネーターのみなさまに感謝申し上げます。

当日の参加者は韓国外大のアンさん、上海外大の高田さん、淡江大の岩澤さん、ライデン大の竹森さん、グアナフアト大のマルコさん、ヤンゴン大の今井先生、国際化拠点室の田中様、ベオグラード大学の八木の計8名でした。まず田中様から改めてGJOの活動方針などをお話いただき、その後は八木が進行役を務めました。各コーディネーターの方々から各拠点での活動報告をしていただいた後、質疑応答の時間、そしてフリートークの時間がありました。フリートークの時間には、少人数のグループで話すことができ、より活発な意見交換ができたのではないかと思います。

今回、コーディネーターのみなさんからお話を聞いて、拠点によって、コーディネーターとしての活動内容や、接する学生数が異なることが分かりました。一方、オンライン授業をする際の悩みや、日本人学生との交流会・交流授業の開催の難しさなど、一つの拠点が抱えている問題は、実は他の拠点も抱えているということも分かりました。それぞれの環境は違っても、GJOとして行う活動の基本的な方針は同じだと思いますので、今回はまずお互いの現状を知り、コロナ禍でどのような問題があり、どのような解決策があるかを考えるきっかけになったのではないかと思います。今後も継続的に意見交換をすることで、各拠点でのより良い活動につなげていきたいと思います。

11月 活動日誌

2020年12月5日
GJOコーディネーター 八木 はるか

先月から新学期が始まりましたが、セルビアでも新型コロナウイルスが再流行しているため、今月からは現地にいる先生方も完全なオンライン授業となりました。日本にいる私は引き続き、ビデオでの授業を行っています。オンラインでの授業がこんなに長い間続くとは思ってもいませんでしたが、日本語を勉強する一つの選択肢として、少しでも学生たちに何かが届いていたらと願うばかりです。

先月に引き続き、今月も課外活動として、「ペラペラカフェ」「読書の会」「タンデムの会」をオンラインで行いました。

「ペラペラカフェ」は11月15日(日)の19時から20時(日本時間)にZoomで行いました。日本語母語話者が6名(JICAの方2名、在セルビア邦人の方1名、元教員1名、教員2名)、セルビア語母語話者が4名(学生3名、カルロブツイ高校の日本語の先生1名)、中国語母語話者1名(以前ベオグラード大学でセルビア語を勉強し、日本語も勉強中の大学生)が参加しました。

今回は、事前アンケートを実施し、ペラペラカフェで話したいトピックを募集しました。そのリクエストを踏まえて、今回のトピックは、「私の好きなアニメ・マンガ」「私の好きな映画・ドラマ」「私の好きな音楽」「家の中でできる楽しいこと」「今年の流行語」「フリートーク」の中から、Zoomの投票機能を使って選んでもらいました。その結果、1回目のセッションでは「私の好きなアニメ・マンガ」、2回目は「今年の流行語」と「フリートーク」が同率で選ばれました。

事後アンケートでは、今回学生たちが話しやすいトピックで話したため、日本語での会話がとても盛り上がったという声がありました。一方、今回参加した学生は中上級の学生たちであり、全員がリピーターでした。今後は初級の学生も含め、より多くの学生が参加できるように、宣伝活動などを工夫したいと思います。

11月21日(土)の19時から20時(日本時間)には、「読書の会」をZoomで行いました。今回の参加者は1年生1名と教員2名のみでした。この日は「読み物いっぱい」というサイトを使い、画面共有を行って、日本語の本を一緒に読み進めていきました。現在はなかなか海外旅行ができない状況ですが、まるで日本へ行った気分になれるような、日本の観光地をテーマとした本が人気でした。これらの本には写真も多く掲載されているため、初級の学習者も理解しやすかったのではないかと思います。日本語での読書が、通常の授業ではあまり扱えない日本の文化的特徴に触れるきっかけにもなればと思います。引き続き、より多くの学生に参加してもらえるよう、宣伝活動にも力を入れていきたいです。

「タンデムの会」は、11月28日(土)の19時から20時半(日本時間)に行いました。参加者は日本語母語話者が5名(以前ベオグラードに留学していた本学の学生3名、在セルビア邦人の方2名)、セルビア語母語話者が5名(学生3名、カルロブツイ高校の日本語の先生と高校生各1名)、中国語母語話者1名(日本語・セルビア語の両方を勉強中の大学生)、教員2名でした。

前半を日本語の時間、後半をセルビア語の時間として設定し、3,4人のブレイクアウトルームを作って、おしゃべりをしてもらいました。話すトピックをZoomの投票機能で選んでもらった結果、「私の好きな日本・セルビアの食べもの」と「行ってみたい日本・セルビアの町」が選ばれました。参加者たちの言語のレベルの差も多少ありましたが、分からないときは英語・セルビア語・日本語を混ぜてもよいというルールにしていたので、まずは会話を楽しむことができたのではないかと思います。

もともとタンデムの会は、昨年本学の学生がベオグラード大学に留学中に私へ提案してくれて始まった、新たなイベントでした。コロナ禍以前は、大学の近くのカフェに集まり、互いの母語である日本語・セルビア語を教え合っていました。今学期はオンラインでの開催となりましたが、留学を終え帰国した本学の学生にとって、日本にいながらセルビアの人たちと話すことができる貴重な機会となっていると思います。一方、ベオグラード大学の学生たちにとっても、普段は教員以外の日本語母語話者と日本語で話すことがほとんどなく、学習のモチベーションを維持するためにも日本語で会話をする機会を作ることは重要だと思います。また、セルビア語の時間では、学生自身の母語であるセルビア語について改めて考えるきっかけにもなっていると考えられます。

今は、セルビアも日本もなかなか先が見通せない状況ですが、そんな中でもできることは何か考え、少しずつでも進めていければと思います。

写真1:ペラペラカフェの様子
写真2:タンデムの会の宣伝ポスター

10月 活動日誌

2020年10月31日
GJOコーディネーター 八木 はるか

初めまして。10月からGJOベオグラードのコーディネーターを務めます、八木はるかと申します。どうぞよろしくお願い致します。

簡単に自己紹介をさせていただきます。私は本学の日本語専攻(現在の国際日本学部)出身で、大学院では日本語のオノマトペについて研究しています。学部の4年間、日本語専攻の留学生と共に、外国語としての日本語を見つめ、さらに多くのことを学ぶために、本学の大学院へ進学しました。本学では、周りには常に世界各国からの留学生が多くいましたが、私自身は留学経験がなく、日本という外国で、日本語という外国語を勉強する学生さんたちの気持ちを経験したことはなかったので、いつか自分も外国で「外国人」になって、日本語を教える仕事をしたいと考えておりました。

そして、私は、昨年10月からベオグラード大学文学部日本語・日本文学専攻課程の客員講師、及びGJOベオグラードのコーディネーター補佐として活動をしてきました。しかし、新型コロナウイルスの影響で、今年の3月中旬に大学が封鎖され、そして私たち講師が住んでいた大学の寮も封鎖されたため、緊急帰国せざるを得ませんでした。

帰国してから7か月以上が経った今も、私はセルビアに戻ることができていません。セルビアの感染状況は一時落ち着いたものの、最近は再拡大の傾向にあります。10月からベオグラード大学は新年度を迎え、対面授業を再開しましたが、再流行している現状を踏まえ、11月からしばらくの間は全面的にオンライン授業になるそうです。

日本にいる私は、今学期もオンラインで授業を行っています。時差の関係もあるため、ライブ配信型ではなく、オンデマンド型で行っています。昨年度、講師はベオグラード大学のMoodleを使用できませんでしたが、今年度はコロナウイルスのこともあって使用できるようになったため、授業でできる活動の幅も広がりました。また、今月からは、本学の留学生日本語教育センターの藤村先生のご協力のもと、日本語eラーニング教材「JPLANG」を導入しました。JPLANGにはセルビア語訳もあるので、特に初級の学生たちの自律学習を促進させる1つのきっかけになればと思います。オンライン授業の方法については、依然として試行錯誤の日々が続いていますが、授業のオンライン化がゼロからのスタートだった今年の春に比べ、オンライン授業の体制が整いつつあることは嬉しく思います。

また、日本語専攻の課外活動として、9月に引き続き「読書の会」と「ペラペラカフェ」をオンラインで行いました。

「読書の会」は、10月4日(日)18時から19時(日本時間)にZoomで行いました。この日の参加者は計5名で、新1年生1名、セルビアの高校の日本語の先生1名、GJOベオグラード前任者1名、教員2名でした。今回参加した唯一の学生は、9月の読書の会にも参加してくれた、リピーターでした。今回は「NPO多言語多読」で公開されている「無料の読みもの」を使用し、画面共有をして、日本語の本を一緒に読んだり、本のストーリーに関わる話をしたりしました。

事後アンケートによれば、セルビアからの参加者2名は、日本語で日本語母語話者と話す機会として、この会を楽しんでくれたようでした。しかし、より多くの学生に参加してもらえるように、今後もより一層工夫していく必要があると思います。

「ペラペラカフェ」は10月17日(土)18時から19時(日本時間)にZoomで行いました。参加者は、日本やセルビアにいる日本人9名(昨年ベオグラード大学に留学していた本学の学生や、JICAでセルビアの高校で日本語を教えていらっしゃった方、在セルビアの日本人の方など)、セルビア人の学生6名、中国人1名(以前ベオグラード大学でセルビア語を勉強していて、日本語も話せる大学生)でした。ブレイクアウトルームで3,4名ずつに分け、少人数のグループになって日本語で会話をしました。話すトピックはZoomの投票機能を使って選んでもらい、1回目のブレイクアウトルームでは「私の好きな(行ってみたい)日本・セルビアの観光地」について話し、2回目はフリートークを行いました。

事後アンケートによると、参加者のインターネット環境によって、音声が聞きづらい場合があったそうですが、チャット機能を用いてなんとかコミュニケーションが取れたようです。また、今回は日本語の学習を始めたばかりの1年生も参加したため、学生間のレベル差に対応する必要がありましたが、日本語だけでなく、英語やセルビア語も併用することで、初級の学生も会話に参加できるようにしました。日本とセルビアという遠く離れた場所にいても、お互いの顔を見ながらリアルタイムで話せるということは、オンラインの良さの一つだと思います。

授業も課外活動もオンラインになったことにより、コロナ以前と全く同じ活動をすることは難しいですが、オンラインならではの良さもあるのではないかと思います。来月もより良い活動を目指して、工夫し続けていきたいと思います。

9月 活動日誌

2020年9月30日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

9月のセルビアは次第に秋の足音が近づいてきます。日本とは違って、セルビアの気候は、ほぼ太陽の日照時間に従います。ですから、9月の秋分の日を過ぎると、びっくりするほど素直に秋へと次第に移行していくわけです。

さて、今回をもって、2年の長きにわたり、つたない日本語の文章力を自覚しつつ綴ってきた私のセルビアにおけるGJO活動日誌は終わりになります。私は活動自体は活発に行っていても、次から次へと、記録を残す前に次の活動へ移ってしまうため、日誌や報告書というものがあまり得意ではありません。いつも遅れがちな私の日誌を辛抱強く待ってくださった方々へ、まずは心からの感謝の意とお詫びの意を示したいと思います。なお、GJOベオグラード大学自体がなくなるのではなく、私の任期が終わりなだけで、後任のコーディネーターとして八木はるかさんに引き継がれますので、ご安心ください。オンラインではありますが、部活も毎週のように活発に行われていきます。

◆最高の誕生日プレゼント

「セルビアのベオグラード大学へ日本語を教えに行ってみませんか?」と、勉強会で教えていただいていた花薗悟先生にお声をかけていただいたのは、2018年のちょうど私の誕生日の日でした。ベオグラード大学での新年度は10月1日からだということで、準備までほとんど時間的な余裕はありませんでしたが、なにしろ誕生日にいただいた話です。私はげんを担ぐところがあります。ですから、直感的に「これはきっと大きな誕生日プレゼントに違いない!」と思い、すぐに「行かせてください!」とのお返事をしました。理性的な判断ではないかと思われるかもしれませんが、それが私の性格であり、生き方なのです。自分を必要としてくれるところには応えていくこと、自分でなければできなさそうなことは必ず引き受けるというのが私の基本的な姿勢です。私は優柔不断な性格でもあるのですが、即断即決の時はほとんど衝動的とも言えるほどの決断力を発揮します。そうして、私のセルビア行きは、決まりました。

もちろん、すんなりとすべてが順調にいったわけではありませんでした。「行きます!」とは答えたものの、私はあまりにも貧乏で、実はセルビアまで行く旅費すらありませんでした(旅費だけは自己負担だったのです)。航空運賃も出発が近づいているので安くはありませんでした。しかし、不思議なことに必ず誰かが助けてくれるものです。頼んだわけでもないのに、飛行機代は難なく工面できてしまいました。これはもう、「セルビアに行くべし」という運命のほかありません。

とは言え、1996年に上海からロンドンまで鉄道旅行をしていた頃には行けなかった危険地域がセルビア(旧ユーゴスラビア)でした。私の頭には当時の紛争のニュースなどの記憶が残っていました。それはあくまでも偏向された報道による刷り込みでもあったのですが、やはり恐怖心はありました。ですから、実は、ポーランド航空に乗ってワルシャワに着くまでは私は不安でメソメソと泣いていたのです。しかし、四半世紀前に最初に訪れ、大の親日国であることに感動したポーランドに、その年2度目に降り立ったときに、私の不安な心はすっかり吹き飛んでしまいました。ワルシャワからベオグラードまでは、あともう1時間40分ほどしかかからないのです。一晩、ワルシャワのなじみのホテルに滞在して、次の日にはすっかり元気になって、ベオグラードに向けて飛び立ちました。

それからは、矢のように時は過ぎていきました。見ること感じること、全てが新鮮です。セルビアに着いて、すぐに「ペラペラカフェ」を開いてもらえたので、授業開始前にすでに学生たちと知り合うことができました。そして、ポーランド以上の愛日感情と、とにかく目を輝かせて日本に憧れてくれている学生たちに、すぐに私も惚れ込みました。好いてくれている相手の中に入っていくことほど幸せなことはありません。新しい国に行ったときに起きるちょっとしたトラブルは経験しましたが、まさに素敵な誕生日プレゼントとして私のセルビア生活は始まりました。

◆良いところや似たところを発見する力

もし、私になにか特技があるとしたら、それは、相手の良いところや、自分と似たところを発見する力だと言えます。あれが嫌だ、これが違うから気に食わないというような見方を私はしません。セルビアに行った時点で、29回引っ越しをし、18カ所に住んできた私なりの処世術とも言えます。私は小さな時から多文化の中で育ち、食べるものも「世界のどこに行ってもなんでもおいしく食べられるように――たとえそれが虫料理であっても!」といったように育てられてきました。ですから、セルビアにいるときは、徹底的にセルビア料理ばかりを食べました。その地の人たちがおいしいと思っているものは、安くておいしいものなのです。セルビア料理の味は、日本料理の味に例えることはできないのですが、あっという間にセルビア料理に魅せられてしまいました。私のようなある意味単純な人は本当に幸せだなと思います。

私が着任したときの1年生は、その年だけ入試の方法がちょっと違っていたようで、大人気の日本語科には80名を超える学生が集まりました。教室は36名くらいが入れる大きさなのですが、床に座ってでも授業を受けてくれました。私は元々は保育園の先生の経験もあり、日本では外国につながりのある子どもたち(私自身もそうなのですが)に日本語を教えていたものですから、大学生80名くらいは実はなんと言うこともありません。私に言わせれば、大学生80名は「魔の3歳児」2人分くらいにしか相当しません。それまでは4名くらいは同時に面倒を見てきたので、大学生80数名など、実はなんと言うこともなかったのです。

私はセルビアの学生たちの良いところと、日本人(というか私)と似ている点をどんどん見つけていきました。悪いところや違う点を見つけることは簡単ですが、その逆はちょっとコツが必要です。そのコツさえ知っていれば、おそらく、世界中どこへ行っても楽しくやっていけることでしょう。事実、私は外国で嫌な目に遭ったことは全くないのです。

◆楽しい「交換日記」

一学年の公式の定員が60名。実際にはそれ以上の学生が登録していますし、落第者もいますから、4学年同時に担当すると、ものすごい数になります。もちろん、私一人で面倒を見るわけではないものの、私の授業は私一人で行いますし、私が出した課題チェックも一人で行います。一人一人と親密な関係を築くにはどうしたらよいのでしょうか。

それは意外にも、私が特になにも意図しなくとも、自然に実現されていきました。元々、ベオグラード大学の日本語科では、日記が課題として出されてきたという伝統がありました。しかし、そもそも日記というものは、日本語教育の中ではそれほど重きを置かれるものではありません。なぜなら、使われる文型が単調になりがちだからです。でも、本当にそうなのでしょうか。

私はとにかく誰かと話をすることが大好きです。もちろん、手紙も大好きなのです。学生の日記を読んで、率直な意見や私なりの経験、そして私の個人的なことなどをユーモアやブラックジョークも交えながらコメントをしているうちに、学生たちがどんどん日記の範囲を越えて、様々なことを書いてきてくれるようになりました。それこそ、恋人の出会いから熱いデート、そして悲しい別れまで……。終いには、学生が書いてきてくれた量よりも私の返事の方が長くなることまでありました。まさに交換日記の世界です。

これは作業量としては大変なものです。私は夜に日記を読んでおいて、朝早く起きてはずーっと返事を書いていました。それは私にとっては疲れるようなことではなく、本当に楽しい時間でした。全ての学生が私の返事に喜んでくれたのかは分かりませんが、「先生、今日は朝の4時まで日記を書いていました!」などと言って提出してくれる学生もいたことから考えると、とても熱中してくれた学生がいたことは確かでしょう。もちろん、たまには「先生、先生の返事の日本語がまだ理解できません……」と言ってくる学生もいました。それは当然。一人一人の学生の日本語能力を書かれた文章から推測し、それよりちょっと高めの日本語レベルの返事を意図的に書くようにしていたからです。「そう? 1年後にもう一度読んでみてね! きっと全部分かるようになっているはずですよ!」と私が答えると、そういった学生も1年後の自分の成長を夢見ることができるのでしょう。目を輝かせながら「はい、分かりました!」と言ってくれたものです。

以上のことは、全ての国において実行可能なことなのかは分かりません。セルビアの人はとにかくしゃべり好き。自分のプライバシーも心を開いた人にはどんどん開示していきます。また、自分の意見というものをしっかり持っていて、それをちゃんと表現してきます。そういった国民性も交換日記の成功に寄与したのではないかと思っています。

学生にたくさんのことを日記で教えてもらいました。私のセルビアやバルカンに関する知識の90%くらいは、学生に日記で教えてもらったことだと思います。とにかく楽しかった!(実は任期が切れた後も、有志の学生と、毎週Zoomで授業を続けることになっています。それは授業と言うよりは、雑談みたいな楽しい時間です。)

◆言語は世界を開く素敵な窓

言語とはいったいなんなのでしょうか。なんのために言語を学習したいと思うのでしょうか。特に、セルビアではほとんど実用性がないような日本語がなぜ一番人気の言語なのでしょうか(必要性としては英語が一番なのは言うまでもないにせよ)。

それは自分の興味を持った世界をもっともっと知りたいから。そして、その国の人と心を通わせて仲良くなりたいからにほかなりません。ほかの理由は副次的なものでしょう。

実際、私はセルビアから一時帰国してからも(結局任期中には帰れなかったのですが)、ずっとセルビア語を楽しんで学んでいます。学ぶと言うよりも、セルビア語を使って、セルビアの学生たちや知り合いたちと、できるかぎりの心の至近距離でコミュニケーションをとりたくて、自然とセルビア語を使い続けているのです。相手に興味を持っているからこそ、学習の動機が自然に高まるのではないでしょうか。そんなコミュニケーション欲を私に持たせてくれたセルビアの人たちには、本当に感謝感謝です。

◆終わりに

振り返ってみて、決して自分の授業が上手だったわけでもベストだったわけでもありませんが、間違いなく言えることは、セルビアでの経験は私の人生にとってかけがえのないものになったと言うことです。私の人生の記憶からセルビアが消えてしまったら、私の心の少なくとも20%は消えてしまうようなものでしょう。もはや、セルビアは私のアイデンティティの一角を確実に占めています。

このような機会を与えてくださった関係者の皆様、そして、私の自由奔放すぎる授業や部活を容認し、いろいろと手助けしてくださった方々、本当にありがとうございます。「生きていて本当に幸せだなぁ」と思える至宝のような想い出を私は大切にして生きていきたいと思います。そしていつの日かまた、皆さんに直接お会いできることを心待ちにしています。

本当に素晴らしい「誕生日プレゼント」をありがとうございました!

日本語科の教室としては一番小さい地下の9a教室ですが、学生は輝いていました。

8月 活動日誌

2020年8月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

今年のセルビアの夏は、セルビアの学生と夏の間も続けている課外授業で話をしていて私が聞いた限りにおいては、例年よりはやや雨が多めでジメジメしている感じだということでした。8月に日本からセルビアに帰る予定の留学生に日本の気候の印象を聞いてみたところ、「日本は夏も冬も地獄なんですね……」との感想でした。確かに、日本に比べれば、セルビアのほうが、ずっと過ごしやすい気候でしょう。ほかの地域に住んでみると改めて自分の生きてきた地域の特色が分かるというものです。

セルビアの8月は、日本と同じように夏休みですので、当然、ベオグラード大学も夏休みで特に活動は行われないものなのですが、今年は東京外国語大学からの支援を受けて、日本とセルビアとをつないでの本格的なリモートでの活動がいろいろとできる環境が整いました。8月末には、ベオグラード大学へ留学を希望している外大の学生と、セルビアへの留学から帰ってきた学生、そして、ベオグラード大学の日本語講師陣(と言っても今は日本に一時帰国しているのですが)を交えて、実験的にオンラインミーティングを開催してみました。首尾よく楽しく行えましたので、9月から始める予定のオンライン部活動に向けて意欲を燃やしているところです。なお、これらのオンライン部活動は、新しいGJOコーディネーターとして10月から私の後を継いでくれる予定の八木はるか先生が率先して企画してくれています。コロナ禍だろうがどんな環境下であろうが、セルビアと日本との架け橋がなくなることがないように、あらゆる知恵を絞っていきたいと思います。

◆「セルビアからの留学生」の帰国

セルビアからは毎年十人前後の留学生が奨学金を得て留学してきています。3月にセルビアから一時帰国を余儀なくされ、その後もセルビアに戻れない状況が続いていた私は、一時帰国したことはむしろ新たなるチャンスだと捉えて、セルビアからの留学生たちと積極的にコンタクトをとることにしました。しかし、緊急事態宣言の下、なかなか直接会いに行くことはできませんでした。緊急事態宣言が解除された後、7月に入ってからは毎週のように外大へ行く機会がありましたので、少なくとも外大への留学生とは非常に濃い時間を過ごすことができました。

さて、留学生たちの大半は、8月末頃にセルビアへ帰国することになっていました。外大へ留学している学生たちは、コロナ禍以降、日常生活についてはやや「仙人風」だったようです。今回の日研生たちは寮ではなく、アパート暮らしでした。これまでセルビアから外大へ留学してきた留学生は絶対的人数が少なく、アパートをどう借りたり返したりすればよいかのノウハウがほとんど蓄積されてきていませんでしたので、帰国に際しての様々な手続きについては、本人たちの自主性を重んじながらも、ポイントを押さえて支援することにしました。(そもそも日本にいるセルビア人は200人弱で、セルビアにいる日本人も同じくらいの数に過ぎないのです。)

私は、単純に手続きを代行してしまうことは嫌いです。日本の複雑な手続きを留学生本人たちが身をもって体験することにより、実際にできるようになってほしいと考えました。ですから、まずは私が横でやってみせて、それを留学生たちも実際にやってみて習得していくというスタイルをとりました。留学生たちは、「先生は本当に楽しそうに手続きの時の電話で担当者の人と話しますよね」と言われました。これは私の話好きな性格にもよるのですが、確かにある程度は、日本の文化とも言えるかもしれません。また、極めて丁寧な言葉(回りくどい過剰な敬語表現など)が使われることが、特に電話でのリアルタイムでの手続きでは多いのですが、それはさすがに日本語学習者にとっては、敬語の点でかなりハードルが高かったようです。それでも、要は何ごとも慣れです。見よう見まねで留学生たちは電話での手続きも次第にできるようになっていき、最終的には自分ひとりでも手続きができるようになりました。とは言え、日本政府の急な方針転換のため、飛行機の国際便の発着便数が急に激減してしまい、出発予定日間近になって出発日が変更になってしまったという想定外の事態のときなどは、1日長くアパートを借りられるように大家さんや不動産屋さんに相談し、さらに、光熱費関係も手続きを再度しなければならなかったため、そういうときは、私が行いました。それでも、留学生たちにとっては、セルビアと日本との契約の進め方の大きな違いが分かったと思いますので、次にまた留学などで来日したときにはきっと自力でできることでしょう。金融機関での手続きもなかなかハードでしたが、もう大丈夫なはずです。このように、教科書とは違って臨機応変に実社会の対応の中で日本語を運用していくということこそが、苦労は多いとは言え、留学の醍醐味のひとつだと言えるでしょう。

さて、帰国に当たって何が一番大変だったのかと言えば、それは荷物の整理でした。特に書籍はセルビアまで国際郵便で送る予定だったのですが、「セルビアの国境までは届くのですが、セルビア国内には配送されないという状況が続いています」と郵便局で言われてしまったときには、どうしたものかと途方に暮れてしまいました。ちなみに、これはあるあるの話なのですが、郵便局の方には、最初は、「シベリアに送るのですよね?」と聞かれてしまい、留学生と2人で苦笑いしてしまいました。「先生、本当にセルビアはまだ日本では知られていないんですね……」と、常日頃、私がセルビアでの授業で話していたことをそのまま日本で実体験することとなりました。セルビアの人たちが持つ、日本に対する強い愛情を、日本の人たちに早く気が付いてもらって、セルビアのことを色々と知ってもらいたいものです。

結局、土壇場での欠航により、元々は(なぜか)違う日に帰国予定だった外大への2人の留学生は、同じ日に同じ便で帰国することになりました。手続きは面倒なことになりましたが、一緒なのですから、かえって心強いものです。そして、実際には、成田空港では、北海道大学に日研生として留学していた、もうひとりの国費留学生とも合流でき、最終的には、セルビアからの留学生は同じ便で3人揃って帰国するということになり、見送る私としてはとても安心できる結果となりました。

当日は、私と私の姉、そして、現在日本の大学院に留学中のセルビアの先輩、そして、日研生の同期の2人、さらには、セルビアへの元インターンシップ生(外大からではないのですが)の合計6名が引っ越しの手伝いに集まりました。車も2台出せることとなり、1台は成田空港まで留学生を送るために使い、もう1台は、処分しきれなかった粗大ゴミを含む様々なものを預かっておいて後々処分するために運び出すために使いました。セルビア人の最大の資産は人的ネットワークです。それが日本においてもいかんなく発揮された形となり、頼もしい限りでした。

空港への見送りには日本人2人が同行し、私は最後には留学生たちと3回、ハグをしながらのチークキスをしてお別れしました。セルビアでは最も親愛の情を表す挨拶です。私がセルビアから日本へ急遽一時帰国しなければならなかったときにはできなかったチークキス――その最大の親密さと信頼を表せる3回のチークキスをセルビアからの留学生たちと成田空港でできたことによって、私は、中途半端なままの夜逃げのような気持ちでの一時帰国の感覚に区切りを付けられたと共に、セルビアとの永遠の友情を誓うことができたように感じることができました。

そんなこんなで、実は8月という月は週に3日ほど、私は実家から片道2時間の道のりを通っていました。いつも片付けをしていたというわけでもなく、お昼から終電間近まで10時間以上も日本語で語り合ったり、お土産を一緒に探しに行ったりなどということもしていました。そういう心と心との通い合いのコミュニケーションはとても楽しく、きっと一生の宝となっていくことでしょう。

このように、忙しいながらも極めて充実していたのが8月でした。

また、実際には会えなかったほかの大学への留学生たちとも、全員ではないのですが、オンラインで話をする機会を持て、留学についての感想などを聞くことができました。留学生たちはたくさんの思い出と経験をセルビアに持って帰れたようで、素晴らしいことだと思います。もちろん、途中からのコロナ禍による影響は非常に大きなものでした。私が感心したのは、その中においても、決して後ろ向きになることなく、前向きに留学という経験を積んでいったということです。起きてしまったことは仕方がない。ならば、その中で最良の道を探っていこう、というセルビア流のポジティブな考え方が、今回の逆境の中でも十分に活かされたのではないでしょうか。

本来なら、私は留学生の帰りをセルビアで迎えるはずでした。それが、留学生を日本から見送るという立場に変わり、そして、留学生が日本にいる、まさに「生」のライブの状態での考えを聞け、留学生たちの生の生活も垣間見ることができました。コロナ禍によって偶然にも私の視点が大きく変わったわけですが、それは新たな気付きを私にたくさん与えてくれました。

留学生の皆さん、本当にお疲れ様でした。そして、たくさんの意見や感想を聞かせてくれてありがとう! 私はまた絶対にセルビアの地を踏んで、できれば再び皆さんと一緒に勉強をしたいと希望しています。もっと言えば、私はセルビアで余生を過ごしたいという願望すら抱いています。それほどまでに、皆さんの心意気から感じられるセルビアの魅力が大きかったのです。ぜひまたお会いしましょう!

8月30日夜の成田国際空港第2ターミナルからの出発便は、留学生たちが乗った便以外は全て欠航でした!

7月 活動日誌

2020年7月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

遅くとも7月頃になれば東京外国語大学からベオグラード大学文学部へ派遣されている私たち日本人講師たちはセルビアに戻れるだろうと、日本への「一時帰国」当初は考えていたのですが、なかなかそのようにはいきませんでした。それはそれでとても残念なことではあるのですが、待てば海路の日和ありです。体をセルビアに持っていけない間は、心を毎日セルビアに届けようと決心しました。それで、7月中旬からの本格的な夏休みシーズンに入っても、ベオグラード大学の日本語大好きな学生と共に勉強を続けてきました。それと同時に、東京外国語大学へベオグラード大学から勉強しに来ている留学生たちとも、7月に入ってからは、実際に会っていろいろと話を聞くことができました。そういったことを通じて、インターネットを中心として繋がりながら大学という場を実現して行くにあたってたくさんのことに気が付かされました。今回は、特に印象深かった点について、書き記しておきたいと思います。

◆セルビアとデジタルな授業

もうすでに様々に語られているように、新型コロナウイルスによる、大学への影響というものは多大なものだとつくづく感じさせられます。

ここでは、私が日本からデジタルな手段を使ってサポートしたセルビアの学生たち、そして、セルビアから日本の大学へ留学している学生たちを見ていての感想を述べたいと思います。そして、「教師」としての側の感想も書いておきたいと思います。

突然ですが、皆さんは、「チークキス」をしたことがありますか?

セルビアの人たちはチークキスが大好きです。親しい人と会ったとき、そして別れるとき、日常的にチークキスをします。

実際には、本当にほっぺたにキスを必ずしもするわけではなく、頬にキスをする真似をしながら口先で「チュッ」と音を出すだけのことも多いのですが(むしろそれが普通)、本当に親しい間柄や、たとえ30分ほど話した相手であってもとても楽しいひとときを過ごせたと感じたような場合は、まず左頬にチークキス、それから右頬に、そしてもう一度、左のほっぺに、都合3回チークキスをします。私はさらに4回目のキスを正面から唇にされたこともありますが、それはちょっとお酒の入りすぎでしょうか。

いずれにしてもこれがセルビアの人たちの日常です。セルビアが大好きで日本からベオグラード大学へ留学に来た学生であってもなかなかなじめないチークキスですが、私はチークキス大好き人間で、セルビアにいた間にそれこそ何百回となくしたものです。おそらく、幼少時からハグやチークキスのある文化の中でも育ったからかもしれません。

さて、日本人が普通にペコっと頭を下げたり会釈するようにチークキスをするような濃厚接触文化のもとで育ってきたセルビアの人たちにとって、果たしてコロナ禍における心情はいかがなものでしょうか。

私と言えば、3月にセルビアを離れざるを得なかったとき、誰ともお別れのチークキスをしないままだったことをひどく残念に思い、実はかなり心のなかで引きずっていました。なんだかちゃんとした挨拶もないままに生き別れになってしまったような実に心残りな気持ちなのです。

セルビアにいる学生に聞いてみても、セルビアから日本へ来ている留学生たちに聞いてみても、デジタルな授業の環境下で、やはり第一に挙げるのは、「友達と会えない寂しさ」です。ちなみに、「先生に会えない寂しさ」というのは残念ながらあまり聞いたことはないのですが、「教師」側の私としては、学生に直接会うことがなかなかできないというのはとてもつらいことです。

やはりあらためて思うのは、大学という社会は、友達などの人間関係のプラットフォームがあってこその存在なんだな、ということです。逆に言えば、そこだけしっかりしていれば、恐らくは、どのようなデジタルな形態の授業であっても楽しく意義のある大学生活は成り立ってしまうのではないでしょうか。

実際、セルビアの人たちは何千人もが英会話の先生として、日本人にオンラインでセルビアからレッスンをしています。セルビア人の英語は日本人には聞きやすく、そして、何よりも基本的なメンタリティが似ていますから、セルビア人の英会話の先生は人気があります。そして、私がちょっと聞いた話だけでも、毎年数名は、生徒である日本人と結婚にまで至っているのです。デジタルな関係だからといって障壁にはならないわけで、この場合は、むしろ対面デジタルであるからこその結果なのでしょう。

さて、私は3月に日本に一時帰国したままなのですが、その後は7月に入るまではほとんど自宅のみでベオグラード大学の学生に対する授業などをおこなってきました。ですから、ここではまず、日本からセルビアに対しておこなう場合について考えてみたいと思います。

日本からセルビアまではおおよその物理的距離が1万キロほどありますが、恐らくはインターネット上の距離はもっと遠い印象を受けます。1対1の音声通話であれば問題はありませんが、Zoomを使った場合は、学生が帰郷している地域によっては、1対1ですら途切れ途切れになってしまうことがあります。ですから、1対多のリアルタイムでのオンライン授業はもとより考えられないことでした。ですから、ベオグラード大学では「オンライン授業」と言っても、オンデマンド式も含めてほとんどおこなわれなかったのではないかと推測されます。そうすると結局は、本を指定し、課題や宿題をメールなどで提出してもらうだけという方法になってしまいます。

結果として、学生たちは、授業を受けることなく大量の課題だけを抱えさせられてしまうことになってしまいます。それはかなり大変なことだろうと想像できましたので、私は授業はオンデマンド式で提供し、課題は通常の授業のときと特に変わりなくして提出だけはメールやアップロードでおこなうようにしました。もちろん、授業は見ても見なくてもそれは成績(出席点など)には反映されません。Dropbox、Google Drive、Loom、Google Classroomなどの複数の手段を使って、画像なしの音声だけのファイルも用意し、なんらかの手段で授業が見たり聞けたりできるようにしてはおいたのですが、すべての学生が見られる保障がないからです。誰が見たかはわかりませんが、閲覧の統計記録を見てみると450名くらいのユニークアクセスがありましたので、見てくれた学生は見てくれたようです。また、一部の授業はFacebookを通じて「友達」に公開して、授業に対してアドバイスをもらっていました。ベオグラード大学自体からは全くのノーサポートで、授業のやり方は教師個人にすべてが任されていて自由でした。

とにもかくにも日本からセルビアへの細い細いデジタルの絆を頼りに手探りでおこなってきましたが、教師側として何が辛いかと言うと、やはり学生からのフィードバック情報の少なさです。いつもなら、その場で空間を共有し、表情のほんの少しの変化でも読み取って授業をリアルタイムで調整したり、ブレイクタイムに「遊び」の時間を入れたり、冗談を言ったりといろいろとできるのですが、そういうことがとてもやりずらかったことが5月くらいまでの状況でした。オンデマンド式ではリアルタイムのキャッチボールはできないので、公式の授業以外に非公式の「放送」などを作って、学生に心のこもった私なりの変化球の愛のボールも投げることでなんとか精神を保てたという感じでした。

ベオグラード大学の公式の授業は5月中旬で終わりでしたので、その後は状況が大きく変わりました。

なにせ、そこからは本当にまったく自由なのです! 私は生身がセルビアにあったときは、よく課外授業を希望者にしていました。ほとんど正規の授業と同じくらいかそれ以上の時間を課外授業や部活動に割いていたと思います。そういうことがようやっと公式の授業期間が終わったあとにできるようになりました。結局は、公式授業の期間中は私自身が慣れないデジタル授業で手が回りきれなかったのです。

完全に有志の学生だけを募ってエキストラクラスを編成できるようになってからは、基本的に1対1のリアルタイムのオンライの授業というか雑談タイムというか、とにかく学生の希望に沿って一緒にデジタルの時間を過ごせるようになりました。そこからは本当に楽しかったです。とにかくセルビアの学生というのはおしゃべりが大好きです。もともと時間があれば男女を問わずにカフェに行っておしゃべりをしているという感じです。その感じをデジタルにも移すことができました。わざわざ休暇期間中にエキストラクラスに参加してくれる学生というのはそれほど人数はいませんので、とにかく学生個人個人のことを掘り下げて知ることができました。根掘り葉掘り聞かなくてもセルビアの学生はなんでもしゃべってくれます。家族のこととか、セルビアの古代からの歴史とか、自分の趣味とか、恋人のこととか、教師側からは見えない学生たち独自のネットワークのことなど、とにかく様々なことを話してくれます。話したいことを日本語で話し、私との場合は英語やセルビア語でのちゃんぽんでもOKなのですから、学生にとっては気が楽な時間だったのではないでしょうか。私も自分のことをしゃべるのは大好きですし。なるほど、この調子だから、英語の1対1のリアルタイムの授業を通じて日本人と結婚するセルビアのオンライン英会話教師(日本語科の少なくない学生もアルバイトとしてやっている)がかくも多いのだな、と納得しました。ちなみに、「宿題をください! やりたいんです!」という殊勝な学生がエキストラクラスには多かったのには驚きました。宿題コールがあるたびに、ちょっと変わった宿題のお題を出したりするのも楽しみでした。

7月に入り、東京外国語大学に直接行く用事が毎週のようにできたことで、ベオグラード大学から外大に留学している学生たちに定期的に会える機会ができました。ここからは、外大への留学生と、他の日本の大学への留学生たちから聞いた意見をちょっと記しておきましょう。

今回の留学生たちは、日本に来たときは新型コロナウイルスのコの字もなかったころですから、前半は楽しく留学生活を送ってきました。日本で親しくなった友達も普通に持っており、その点、良かったなと思います。とは言え、その友達と物理的に会うことが難しくなってしまったことは、セルビアからの学生にとってはかなりの精神的な打撃でした。チークキスどころか、会ってご飯を食べることもできないときがあったわけですから、それは辛いのも当然です。

ただ、留学生の環境によって違いはありました。寮に住んでいる留学生は、例えば、ルームメイトと相部屋の場合は全然寂しくなかったとのことですし、寮のラウンジで他の留学生たちと会えるから問題なかったという声も聞かれました。外大への日研生は、2019年度は寮に入れなかったので、コロナ禍の中では、日本でせっかく友だちになった留学生仲間に実際に会うことがなかなかできずに、かなり精神的に参ってしまったようです。やはり、生身で触れ合うに越したことはないのです。

日本で受けたオンライン授業については肯定的な意見が多かったです。中には、「むしろオンラインのほうが先生が目の前にいないので緊張しなくて済むから自分には向いていた」という意見もありました。私が、「じゃあ、学生だけが教室に集まって、先生からオンラインで授業を受けるのは?」と、ちょっと意地の悪い質問をしてみたところ、「それが最高です!」と、セルビアの学生らしく、ブラックユーモアで返してくれました。

ただ、一方で、授業の内容そのものに関しては、色々と意見を言いたかったようで、どういう授業が楽しかったのか、教えてくれました。一番楽しい授業というのは、「外国語の授業っぽくない授業」とのことです。「あ〜外国語の授業だな〜って感じの授業だと、まぁ普通だな〜って感じです」と言っていました。セルビアから来ている留学生は上級者が多いので、もはや日本語がどうのこうのというよりも、内容第一なのでしょう。具体的にここに彼らの意見をもっと書いておきたいところですが、最後に一つだけ書いておきましょう。「授業は難しくてもいいから、課題は多すぎないほうがいい」とのことです。睡眠時間を大幅に削られたり、デジタルな暮らしの中でオンライン授業と課題に追われすぎて生活リズムを崩し、昼夜逆転の苦しい状態に陥ってしまった留学生もいましたので、生活に余裕を十分に持てる程度の課題が、デジタルの場合は良いようです。げっそりと痩せこけた青白い顔で、「デジタルになってから、正直、本当にhell、地獄でした……」と言われたときには、さすがに考え込んでしまいました。ちなみに、そういう学生も定期的に私と会って話をし、色々と溜まっているものを吐き出していくうちに「地獄」からは抜け出して元気になっていきましたので、ホッとしました。実はセルビアの人たちは、なかなか人に頼ろうとしなかったり、やせ我慢をしてしまう傾向があるのです。これはセルビアならではのプライドが悪い方向に出てしまったケースで、本人たちも自覚しているのですが、国民性ですからちょっと仕方がありません。留学生の国民性を理解している人が適切なサポートをやや強引にでもしていくことの必要性を痛感しました。

これからの世界は、言われているように、大きくデジタル化に舵が切られていくのでしょう。試行錯誤を重ねながら、それぞれの文化的な背景を大切にしつつ、皆が幸せに勉強でき、デジタルならではの良さを享受できるようにしていきたいものです。

こうやって留学生と食事しながら話すときこそが幸せそのものです

6月 活動日誌

2020年6月30日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

今年のセルビアの6月は4年に一度の国民議会の選挙で、国全体が新型コロナウイルス感染症で大きく揺れる中、大荒れに荒れながらも現職大統領が再選するという結果で終わりました。ただ、選挙活動のためということもあって、5月から規制をほぼ解除してしまっていたため、それが大きく裏目に出てしまいました。ベオグラード大学では6月と7月に学期末試験を予定していたのですが、その直前に、大学の寮を中心としてクラスターが発生してしまいました。学生数約10万人、寮の数も約10もある大きな大学であるため、その衝撃は計り知れないものでした。教室や講堂に集まっての学期末試験は、結局の所、現時点では不可能だと判断し、平常点や活動点のみから全体の点数を付けていくという非常事態措置が日本語科ではとられることとなりました。何よりも一番大切なのは学生の健康と命です。感染に対して恐怖心を抱いている学生たちも、ホッと胸をなで下ろしたとのことです。しかしながら、テニスのジョコヴィッチ選手までもがコロナに感染し、セルビアでの大会で感染を広げてしまった事件なども起き、セルビア国内の騒然たる雰囲気はまだまだ収まらないようです。

◆日本とセルビアを結ぶ糸

6月末の時点において、日本とセルビアを結ぶ糸は一見とても細くなってしまっています。そもそもセルビアへはコロナ以前から飛行機の直行便はもとよりないため、第三国を経由しなければなりません。5月末頃には7月からセルビアへの交通手段が復活することになっていたのですが、それも6月下旬にはキャンセルされてしまい、今のところ、7月下旬からの便が果たして飛ぶのか飛ばないのかという状況です。

そのような中でも、日本とセルビアを結ぶ何らかの糸は必要です。幸い、インターネットというものが今の世界では存在しますが、それだけでは実はどうしようもありません。ネットはあくまでもただの道。それそのものが何かをしてくれるわけではありません。

私がGJO(グローバル・ジャパン・オフィス)のコーディネーターとして、セルビアと日本を結ぶ役としてこの2年近く働いてきて、セルビアの人々から教えてもらったことをあらためて考え直してみますと、それは、「結び」「結ぶこと」の大切さです。人と人とを結ぶ、人と土地とを結ぶ、そして、人と時間をも結ぶ、様々な結びこそがセルビア人たちをセルビア人たらしめていることが分かります。

日本とセルビアとの結びつきは決して細いものでも弱いものでもありません。そして、その結びつきは、単純に経済的な面であったり、技術的な面であったりするにとどまりません。精神的な結びつきがとても強いと思うのです。

それは、およそ100年前のパリ講和会議において、日本が国際会議の場で人類史上初めて人種差別撤廃提案をおこなったときに当時のユーゴスラビア王国が賛成票を投じてくれたことにも見られますし、ユーゴスラビア解体にともなう紛争からの復興過程における結びつき、そして、東日本大震災、セルビアでの大水害のとき等々にも、両者の結びつきが、形式上な国際儀礼や援助を超えた、強い精神的なものとして見て取ることができるかと思われます。

そして、この精神的な結びつきが持てるかどうか、ということが、実はセルビアでは最も大切なことなのです。形だけでは駄目なのです。

セルビアの学生たちは、今のようにデジタルで細く繋がった状態であっても、例えば、私の授業やおこなっていることに対してよくこう言ってくれます。

「先生は、とても献身的です」と。

セルビアにおいては、この献身的という言葉は、単なる義務や義理といった程度を超えた、強い精神的なもの──それは愛情と言っても良いかもしれません──が、感じられる場合だけに使われます。そこまでいってこそ、セルビアでは本物の結びが成立するのです。

セルビア人の献身的な心というものは、極めて強いものです。常識的に私たちが考える以上の献身性を持っているのがセルビアの人たちです。そして、彼らは最後には必ず、より献身的な心意気を持った人たちと強い結びつきを持ち、それこそ自分の命に替えてでも一緒に何かを成し遂げたり、相手に尽くします。セルビアの学生たちが熱心に「武士道」や「葉隠れ」「五輪の書」などを読んでいるのを見ると、そういった書物に表されている何かに強く共鳴していることも分かります。

セルビアの人たちに対して本当に献身的な心をもって接している国というのは、実はまだ、その数は多くはありません。多くの国はセルビアという国を、ある意味、誤解してしまっていると言ってもいいでしょう。そういった状況下でも、本当に献身的な心を持って接してくれているとセルビアの人たちが考えている数少ない国の一つが日本なのです。相手の献身的な愛情にはそれ以上の献身性をもって返してきてくれるセルビアの人たちと、これからもあらゆる面での結びつきを大切にしていくことは、結局は我が身を助けることにすらなると、セルビアの人たちと実際に密に接してきた私には直感的に感じられます。

日本を本当に愛してくれている国というのは、世界を見回すと、実は数少ないというのが実情です。セルビアは日本を本当に愛してくれている国であることを、ぜひ覚えておいていただければと、強く思います。

そして、その窓口の一つとして、GJOベオグラード大学が存在し続けていってほしいと願います。

私が赴任した頃の学生の作品の一つ

5月 活動日誌

2020年5月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

人は未曾有の大危機に際して何を考えるべきなのか。特に、教育に携わるものは何を考えるべきなのか、日々悩み、苦しみ、実践を続けてきたのが、2020年のこの5月という月でした。第一次世界大戦ではセルビア人の5人に1人とも4人に1人とも言われる人が亡くなり、しかも、成人男子の約半分は戦死してしまったという中からすら立ち直ったセルビアですから、私はこれからも大丈夫だと信じますが、さすがに今回の新型コロナウイルス感染症の危機というものは、それに匹敵するかそれ以上の困難をセルビアにもたらすかもしれません。しかし、いかなる困難にさらされようとも、決して希望を失わないこと、決して希望を失わせないような支援を続けることが、大切です。

◆セルビアで日本語を教えてみませんか?

さて、セルビアのみならず、世界中、そして、東京外国語大学も例に漏れず、今は大変な状況下に置かれているのですが、足下だけを見ていても仕方がありません。危機はいつかは収まります。明けない夜はないはずです。ですから、ここでは将来を見据えて、私からセルビアで日本語教育に携わることの楽しさ、素晴らしさ、そして、多少の困難についてお話しし、セルビアで日本語を教えてみたいと思っていただけるように、書いていきたいと思います。

日本語教育に携わる者としては、たいていの人は、もしかしたら海外で一度は経験を積んでみたいと思われるかもしれません。幸い、日本語はほとんどすべての国で学習されており、熱心な学習者を抱えています。とても不思議な言語ですね。ほぼ日本国内でしか使用されることのない言語でありながら、1億人以上の話者を有する大言語。そして、言語と一体となった巨大で不思議な文化と社会が同時に存在しています。これは海外から見ると、ほとんど奇蹟のような存在なのです。

中でも、中東欧と呼ばれる地域では、日本を見つめる目がひときわ輝いています。日本への国費留学生数世界ナンバーワンを誇るポーランドを始め、驚くほどの親日国がひしめいています。その中においても、セルビアは図抜けています。まだまだ日本のみなさんには国名も場所もあまり認識されていないか、ユーゴスラビア解体時に欧米メディアによって一方的に流され、印象づけられてしまった「怖い」セルビア人のイメージを持っているかのどちらかのケースが、多いように思われます。しかし、セルビア人の日本への国費留学生数は、ポーランドと比べた場合、対人口比では勝るとも劣らぬ数を誇っているのです。人口は700万人程度の国ですから、絶対数では日本語学習者数はそれほど多いとは言えませんし、なによりも、在セルビア日本人は、2019年6月時点ではなんとたったの177名です。それでも、2019年のベオグラードの言語専門高校の入学試験では、日本語コースが人気第1位。入試倍率も約4倍にも達しました。大学でも中国科と日本語科は、常にトップ争いをしています。

なぜ、これほどまでに日本への関心が高いのでしょうか。内戦終結後、日本が莫大な支援をしてきたからと言うのも一つの理由には挙げられるでしょうが、私はそれほど底の浅い理由だとは思っていません。

実はセルビアで学生たちと様々なコミュニケーションを取りながら私が学び、気が付いたことに、セルビア人と日本人の精神性の親和性があります。精神性も近いなら、実は、文化の深い部分での親和性も高く、また、経験してきた歴史的体験も意外と近いのです。

あまりここでは深く論じる紙面がありませんが、精神性の近さというものは、実際にセルビア人と友人になっていくと、本当によく分かります。セルビア人は自分たちの祖先はオオカミであると信じています。そして、その魂には日本で言うならば、武士道が宿っています。とは言え、決して好戦的な人たちではありません。日常生活で、街頭で殴り合いなどのけんかは見た事がありませんし、お互いの助け合いの精神は素晴らしいものがあります。ちょっとでも困った人がいれば、すぐに助けようとします。おもてなしの心も、日本人以上に持っています。

セルビアの一番古い暦では、なんともうすでに7千数百年の時が刻まれています。古代サンスクリット語には、当時インドに住んでいたセルビアの強い部族長の名前が形容詞として残っています。今でこそ、セルビア正教がメインの国ではありますが、実は、正教の中では、私の意見ではありますが、絶妙に、古代からの自分たちの宗教観や文化的伝統を上手に保存しているのがセルビアです。

「セルビア人は気にしない」という言葉があるのですが、私のような性別に問題を抱えている者に対しても、決してなにか傷つくようなことは言いません。気にしないでそのまま受け入れてくれるのです。それはヨーロッパだから当たり前というわけではなく、他の欧米人に会うと、今でも「男ですか、女ですか?」と、会って挨拶をしただけでしつこく聞かれてウンザリし、改めてセルビア人の徹底した心遣いを認識させられます。

セルビアは過去1500年ほどの間に約200回の戦争を経験し、ベオグラードは70回ほども焦土と化し、その都度再建されたと聞きます。どれだけ天災に見舞われても諦めずに復興をし続けてきた歴史を持つ日本と、自ずから歴史的体験が似てくるのも不思議はありません。

では、言語的にはどうなのでしょうか? 実は、言語的には、日本語とセルビア語は正反対と言っていいほどの違いがあります。なにしろ、セルビア語には子音だけでできている単語がたくさんあります。しかも、子音が3つや4つではなくて、6つ以上繋がり、母音が一つも入っていない単語だってあるのです。そういういわゆる子音中心の音韻文化から母音中心の音韻文化を持つ日本語を聞いたセルビア人は、必ずこう言います。「日本語の音の美しさに魅せられた」と。逆もまたしかり。日本人にとって、セルビア語は、ハマればハマるほどとても魅力的な言語に感じられるのです。実は、セルビア語、発音はそんなに難しくはありません。なにしろ子音の連続がバンバン認められている言語なのですから、そんなに母音の数は必要がありません。だから、母音の「あいうえお」はほぼ全く日本語と同じなのです。しかも、文字体系は発音記号そのものと言っていいほどです。書いてあるとおりに読めば通じるし、聞いたとおりに書けばいいだけなのです。最初こそ、キリル文字などにはびっくりするかもしれませんが、その数はたったの30文字ほどです。ひらがなを覚えるよりずっと簡単で、ひらがなを発音するよりも音もずっと素直なのです。セルビア語を難しい!と言う人はたくさんいます(セルビア人だってセルビア語の文法は難しいと思っています)が、そうです、「セルビア人は気にしない」です。どんなに間違った文法のセルビア語を外国人がしゃべったところで、いじめられることもしつこく直されることもありません。あたたかくそのまま受け入れてくれるのです。そして笑顔でやさしく教えてくれます。間違えることを恐れる必要がなく学べるというのはとても精神的に楽なのです。

実は、日本人は言語を学ぶとき、特に人前で話さなければならないようなとき恥ずかしがってしまいますよね。それは、日本語科の学生たちも同じです。最も優秀な人材が集まっている日本語科です。タダでさえプライドの高いセルビア人にとって、そんなに親しくもないクラスメイトもいる中で間違えて恥をさらすのは嫌なのだそうです。それで日本人の目から見ると恥ずかしがってしまっているように見えます。でも、親しい友人同士や先生とだけなら決して恥ずかしがることなく、貪欲に日本語を学んでいくのもまたセルビア人なのです。ちょっとしたセルビア人気質に気が付いてしまえば、セルビア人が日本語を上手に学んでいくための支援のコツがすぐに分かることでしょう。

なにしろ、愛してくれている相手の相手をすることほど幸せなことはありません。愛には愛でこたえてあげてください。いえ、自分を好いてくれている相手には自然にそれができてしまいますよね。そうすれば、さらに何倍もの親愛の情となって返ってきます。情に厚く義理堅いセルビア人が大好きな日本語を学んでいくことをお手伝いすることほど、幸せなことはないと、私はつくづく思うのです。そして、一度できた人間関係や想い出は、一生の宝となるのです。

私がセルビアに着いて最初に思ったのは、「懐かしい!」ということでした。写真で姉に見せても「懐かしいねぇ!」と言いました。姉は昭和30年代、私は昭和40年代の生まれです。セルビアには、昭和の古き良き懐かしさや美点が今でもはっきりと鮮やかに残っているのです。

もちろん、その時代の日本の抱えていた様々な問題点も同じように抱えていますが、それは歴史の必然というもの。環境問題やリサイクル事業など、日本の政府機関や企業がセルビア人と協力して今取り組んでいます。セルビアと日本のコンビは、一見地味ではありますが、最高なのではないかと常々私は思っているのです。

さて、みなさん、こんなセルビアで日本語を教えてみたいと思いませんか。大学や高校に門戸が開かれています。教える資格のある方は、なにかビビビっと感じるものがありましたら、ぜひ、セルビアに来てください。絶対に後悔はさせませんから!

学生公園からベオグラード大学を臨む(右側が文学部)

4月 活動日誌

2020年4月30日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

4月5月頃のセルビアは、本当に素晴らしい季節を迎えます。本来であるならば、春の陽気の中、晴れ晴れとした陽気な気分で毎日の生活を満喫できるはずだったのですが、今年は残念ながら、コロナウイルスのために厳しい外出制限が国中に課されてしまいました。それでもセルビア人はあきらめません。ほんのわずかな時間しか楽しめないがゆえに、例年以上に春をここぞとばかり楽しんでいるようです。決して希望を失わない、強い精神力のセルビアの人たちが、いずれは再びあの楽しく美しい日々を取り戻すことは間違いないでしょう。

◆「授業」というものの本質

ここで大それた大議論をするつもりではありませんが、今回の世界をロックダウンに追い込んだコロナウイルスは、教育という世界に対して大きな課題を突き付けたと言えるでしょう。全世界を同一化して論じることは不可能ですから、セルビアでの体験をもとに、その課題に対して私なりにどう取り組んでいるのか、少し記録しておこうと思います。

ベオグラード大学で始まった最初のコロナウイルスの影響は微々たるものでした。「教室活動をなるべく控えるようにすること」というだけのお達しが大学当局からは下っただけであり、対応に関しては個々の教師に委ねられていました。その頃はまだ半月ほどで災禍は過ぎ去るものだと楽観的に考えられていました。ですから、「とりあえず、学生には宿題や課題という形で自宅でできるものを与えておいて、また大学が開いたらその時に、確認のためのテストをすることにしよう」というのが日本語科の考えでした。そのため、最初の対応は、課題をメールで出してもらうとか、その程度のことでした。それでも、セルビアではなかなか大変なことなのです。想像してみてください。学生によっては実家に帰ってしまえば、携帯電話の電波が入らないような環境の者もいるのです。そして、インターネットは、大学は別にして、一般的な家庭では決して恵まれたものではありません。ほぼ全ての学生はさすがにモバイルフォン(日本語で言うところのスマホです)を持っていますが、タブレットやパソコンは持っていないこともあります。プリンターを持っていることなどごくまれなことです(普通はコピー屋さんで出力してもらいます)。ですから、実は課題を提出するといっても、意外と大変なのです。結局、手書きにこだわる場合は、ノートや紙に書いた答えをスマホで写真に撮ってメールで送ってもらうというのが基本的な形になります。そして、その写真に対して教師側は十分な添削を施せる環境はないのです。そうすると、ただ提出されたことを確認し、内容を見て、全体的な講評をし、答えを配るというのが最低限の対応になってしまいます。

私はそのようなものは「授業」ではない、と当初から考えていました。あくまでも一時しのぎの対応であると。それでも事態は一時的なことだろうからと目をつぶっていました。

しかし、事態はどんどん悪い方向に展開していきました。国境の閉鎖、都市のロックダウン、外出の厳しい禁止令。街や病院は軍や警察の監視下に置かれました。公式には「非常事態宣言」ということでしたが、事実上の「戒厳令」となってしまいました。隣国の恋人を訪ねに行っていた学生は、セルビアに戻れなくなりました。当然、教科書もなにも持って行っていません。寮も急に封鎖が決まってしまったため、皆、十分な荷物も持てず、ほとんどの物はそのまま置いていかざるを得ませんでした。そうするとやはり、全部の教科書や教材はあまりにも量が多く、そして重すぎて持っていくことはできません。現代風に言えば、「スマホ一つで命からがら避難することになった」というような状況です。その辺が、日本のような高度情報社会とは本質的に異なっているということを想像してください。情報網だけではなく、交通網や物流網も残念ながら現状では日本とは比べようのないレベルです。「近くのコンビニから宅配便で送っておけばいいんじゃない?」という発想はあり得ないのです。そして、未だ電子書籍すら公式にネットの世界では全く売られていない社会でもあるのです。それが私の愛すべきセルビアの現状なのです。

ベオグラード大学は2学期制で、第2学期は2月中旬から5月中旬までです。3月中旬にはもはやコロナウイルスの猛威は誰の目にも明らかになり、大学は封鎖を余儀なくされ、少なくとも6月末までの封鎖を決めました。つまり、今学期は大学という建物を使っての授業はもはや不可能な状況に陥ってしまいました。

ここに来て、全ての教師たちは「授業」というものをどのように継続したらいいのか、厳しい現実を突き付けられることとなりました。教育省からは毎週、どのように代替授業を行ったかの報告書を求められています。教師は決して安穏としてはいられないのです。学生に対して良質な学ぶ機会を提供し続けるのが国の最高学府たるベオグラード大学の教師達の大切な役目であるのですから。

私はと言えば、寮が封鎖になることが決定されたのをきっかけに、もはや私のような病弱な日本人がセルビアの医療に負担をかけ続けることはできないだろうとの断腸の思いで、同僚たちと共に日本へ一時帰国する決断を下しました。決断から出発までの猶予は12時間もありませんでした。

授業というものは、特に大学のレベルになれば先生ごとにそのスタイルは大きく違ってきます。ある意味、授業には先生一人一人の個性が出ます。私の個性は「自由」。教科書に捕らわれずに、必要とあればいかなるものでも導入し、授業を行っていきます。そして、何よりも大切にしてきたのが、一人一人の学生といかにつながり続けるか、ということです。なにせ、一学年は一クラスしかなくて、その人数は60人から80人です。名簿上ではもっといます。通常のやり方では文法訳読法のような授業になってしまいます。しかし、課されているのは「生きた日本語を学生に学ばせる」ということ。ラテン語を教えるようにはいかないのです。

そのような、ある意味究極の環境で、私は1年以上、奮闘してきました。「あらゆる実験をしてみるといいよ」という、日本を出るときにいただいた助言を胸に、どのようにしたら学生達に最善の支援ができるのだろうかと模索してきました。そして、それはある程度、成功してきたと言えるでしょう。私なりの手応えを得ていました。

ところが、ここに来て、全てがリセットされてしまいました。もう一度、授業を作り直さなければなりません。同じやり方は決してとれないのですから。

そこで私は、「そもそも私の授業の本質はなんだったのだろうか」ということを考え続けました。セルビアから脱出していく飛行機の中でも寝ずに考え続けていました。

私の個性は「自由」だと書きましたが、それはなんのための自由でしょうか。自分勝手な授業をするための自由でしょうか。そうではないはずです。あくまでも学生の学習を支援するために良かれと思える環境を提供するためにはいかなる手段でもとっていこうという自由です。成績の付けやすさや学生の管理のしやすさなどは全く考慮しない自由です。

そして、そこから生み出された私の授業の本質は、「個人化(Personalization)」。そこを徹底的に追求するのです。人は自分とは関係のないことはあまり記憶に残せません。興味がないからです。人の話を聞くときも、話し手が本当に興味のあることを生き生きと熱く語っているときのほうが記憶に残りやすいものです。教師も学生も個人化していくこと。それを授業でも宿題でも課題でも実践していくことこそが、私の授業の本質です。汎用化、一般化を目指して作られている教科書とは全く正反対の考えであるように思えるかもしれませんが、それは違います。私は「教科書を教える」わけではありません。ただ、「教科書で教える」だけです。ですから、教科書をネタとして、いくらでも個人化は可能なのです。ですが、さらに私にはある意味手放しとも言えるほどの自由がベオグラード大学では与えられていましたから、教科書という世界から大きく離れていくことも可能だったということです。

このような考えを飛行機の中でまとめあげ、私はさっそく実践に移すことにしました。まずは私の「放送局」を作りました。日本へと脱出していくその過程自体を音声ファイルとして録音し、学生に配信を始めました。日本に着いてからは、動画も使えるようになりましたから、私の放送はどんどん私の個性の塊のようになっていきました。もちろん、作っている側としては、常に学生達の日本語の上達を意図しているわけですが、私の「放送」を聞いた学生以外の人からは「まるで深夜放送みたいだね」との言葉をいただきました。深くは説明しませんが、なるほどというようなたとえだな、と思いました。それで、深夜放送にはゲストも呼ぶようにしていきました。とは言え、日本では私は実は帰国後すぐに重い感染症にかかってしまって、病床に伏していました。病床から作る「放送」には、看病してくれる私の姉がいつもゲストになってくれました。

その他にも、通常の授業も作りました。それも既存のいわゆるオンライン授業は一切無視して、一から自分なりのスタイルを模索していきました。オフラインのデジタル授業でも、本当の教室でやっていたような授業ができるように、そしてデジタルなりの自由を生かして、アナログではやれなかったことも取り入れていくようにしました。作ったものは最低でも5回は見直します。それで自分が心から面白いと思ったら学生に配信するようにしています。レビュー版も作って一般からの意見も聞き、改善しています。

また、私の授業では学生達は宿題として日記やエッセイを出してきてくれます。元々私は大の日記好き。小学生の時に先生と交換日記のように毎日のように日記をやりとりしたときの「先生からの返事を読むドキドキ感」が私の日記好きの原点です。それを学生にも味わってもらいたい。だから、日記やエッセイへの私の返事はものすごく長いのです。もちろん、本文の日本語の修正も丁寧にしますが、それよりも重視しているのは書かれていることの内容。それに対して、私自身の経験や考えを元にして、その学生の日本語力よりほんの少しだけ難しい日本語で返事を書きます。デジタルに移行した当初は、メールの本文に返事を書いていましたが、姉が持っているタブレットが、旧いものではあるのですが、素晴らしいペン入力能力を有していることに気が付いてからは、それを借りて、すべてPDFファイルへの「デジタルの手書き」で返事を書いています。手書きでなければならないということは決してないのですが、どうしても私はまだまだ古い日本人です。手書きの文字には、たとえそれがデジタルデータであろうが魂がこもっていると考えているのです。

そんなこんなで、私のデジタルな授業は今も試行錯誤しながら、行っています。学生達も、ビデオや音声ファイルで日記やエッセイを送ってきてくれることもあります。人生に一度あるかどうかの大事態。私は学生達に「サバイバル日誌」を付けるように勧めています。そして、いつも私が声を大にして常に伝え続けているのは「希望を持ち続けること」。日本語が上手になりたいと思って入学してきた学生達の希望の火を灯し続けるお手伝いをするのが私の使命です。

デジタル手書きの実例
PAGE TOP