2019年度 活動日誌

3月 活動日誌

2020年3月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

新型コロナウイルスによるセルビアへの影響は極めて大きく、ヨーロッパで恐らく唯一の事実上の戒厳令が敷かれ、国全体が軍政下に置かれることに事実上なってしまいました。一歩外に出れば、例年通り美しくセルビアの桜が咲き誇る中、医療的に極めて脆弱な国として、これらの措置は、恐らくは最善の解であるとは思われるものの、国民、及び、外国からの留学生や教師にとっては、極めて厳しい環境となってしまいました。しかし、その日がまるで青天の霹靂のごとく到来するまでは、実にのどかで楽しい春だったのです。そして、素晴らしいイベントが続いていました。その楽しかった日々をお伝えしたいと思います。

◆Japan Bowl Balkan

本年度のベオグラード大学は、特別に学期を前にずらしてはじまりました。そのため、3月に行われるJapan Bowl Balkanも例年よりも2週間ほど早い、3月1日に開催されました。それが非常に幸運な結果をもたらしたといえるでしょう。

昨年度の3度目のJapan Bowlも大盛況のうちに閉会しましたが、問題文が不自然であったり、文学部の学生に非常に有利な問題が多かった点など、若干の問題も抱えていました。元々がアメリカのイベントであり、そのライセンスであるため、やはりバルカン地方の事情にローカライズしなければならないのではないかという問題意識を持っていました。

そこで、本年度からは、問題作成委員会を独自に組織し、2名の日本人と1名のセルビア人により、アメリカ側の問題以上にバルカン独自の問題、そして日本に関する問題としてより自然となるような問題を作成し、バルカン地方の参加者や観覧者たちが何よりも楽しめるように工夫を凝らしました。そのためには、1週間以上にわたる徹夜に近い作業の連続が続きましたが、結果として、全ての人に楽しんでもらえるような、本当の意味でのバルカン大会になったことを非常に喜ばしく思っています。

今年は高校生のチームも2チーム参加し、国際交流基金による支援のお陰もあり、バルカン地方からの参加者には交通費も引き続き支給されましたので、幅広い参加者を集めることができたことも特筆すべき点でしょう。バルカンに広く開かれた大会として認知されるようになるにつれ、日系企業や地元企業による協賛も増え、今後とも発展が大変期待できる楽しいイベントとして定着していくものと思われます。

さて、Japan Bowlは朝から厳しい予選が行われます。20チームほどの参加がありますが、本戦に残れるのはたったの3チーム。非常に狭き門ではあるのですが、参加者一同、楽しみながら、そして問題に苦しみながら、一生懸命チャレンジしてくれました。予選とは言え、参加者には記念品や認定証も配られ、とても満足のいく午前の部となりました。

お昼にはお弁当の配布、そして、地元のGO寿司さん提供によるお寿司のバーやケーキバーが設けられ、楽しいお昼の一時をゆっくりと過ごすことができました。Japan Bowlはバルカン全体から集まってきますから、これはもう立派な社交の場として成立していると言えるでしょう。様々な方々とお会いし、交歓していけることほど素晴らしいことはありません。

そして、午後になり、ついに本戦です。本戦は会場も一番広い、サラ・ヘロヤと呼ばれる、600名近く収容できる威厳ある講堂に移ります。ここで選ばれし3チームが熱戦を繰り広げました。

そして、それだけではなく、セルビア人による合気道のデモンストレーションや合唱、ゆかたを着てのJapan Bowlの踊りなど、様々な催しも同時に行われます。単なるクイズ大会ではない面白さが、Japan Bowlのなんと言ってもの特徴でしょう。日本の文化に興味を持っている人ばかりが集まっている熱気ある会場で、その場にいる者たちの日本熱はさらに上がっていったものと思われます。

もちろん、日本人として参加している者たちにとってもここは感動の場です。こんなに多くの方たちが日本を愛してくれているということを間近に実感できる機会はそうそうありません。誇らしくもあり、少し気恥ずかしくもなってしまうほどの、私達に注がれる熱気に、なんだか魔法にかけられたような気持ちになりました。

さて、結果はなんと、今年は、3年生が4年生を下して優勝しました。実は、その3年生は私の無料のプライベートレッスンに出ていてくれていた学生たちでした。もちろん、何も事前に問題は一切漏らされていません。私が知っているのは、彼らの日本語に対する愛情のみです。その彼らの熱い情熱が、このような大舞台で実際に実るのを見ることほど、教師冥利に尽きることはありませんでした。

もちろん、私にとっては、全ての学生が大切な学生です。それでも、さらにもっともっと上を目指してがんばる学生を支援することは私の使命だと感じています。それがJapan Bowlというクイズ大会とは言え、目に見える形として発揮されるのを見ることは大変に嬉しいことです。いえいえ、実は本当のことを言えば、たまにはハラハラさせられることありました。文法の問題がなかなかできないときなど、自分の教え方が悪かったのだろうかと、本当にドキドキしてしまいました。そうやって、成果を目の前で見せてもらえることにより、授業にも良い変化をもたらしていくことでしょう。

Japan Bowlは準備、本番、その後を含め、本当に長くて大きな大会です。たくさんのボランティアの力で成り立っている大会です。このような、皆が一丸となって実現していける大会が、今後とも続いていくことを祈りつつ、今の苦しい国難もきっとセルビアの人たちは乗り越えていけるはず、一緒に乗り越えていこうと、強く心に誓うのでした。

Japan Bowl Balkanの様子

2月 活動日誌

2020年2月29日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

2月になって、初めて雪が積もりました。今年の冬は本当に不思議です。さて、1月末頃から増えてきた新型コロナウイルスによるアジア人(主に中国人と日本人)に対する迫害ですが、日に日に大きくなっている気がします。2月下旬にブダペストでの中東欧日本語教育研修会へミニバス(日本で言えば乗り合いタクシーのようなもの)で行ったのですが、真夜中の国境検問所で、顔を見られるなり、「中国人と日本人は2週間以内に来たやつは出ていけ! 空港へ行け!」と怒鳴られ、パスポートすら見てもらえませんでした。もちろん、こちらも一応世界一周はしてきた身、その程度のすごみにおずおずと退散するわけもなく、「わたしはずっとセルビアに住んでいるんです! パスポートを見てください!」と怒鳴り返して事無きを得ました。しかし、そう言えない人はどうなってしまったのでしょうか。国境で下ろされてしまって、はるかかなたの空港まで、一体全体、真夜中にどうやって行けというのでしょうか……。私たちはもはや一歩間違えばすぐにでも難民になってしまいそうです。ちなみに、帰り道は、ブダペストから友人のセルビア人と一緒のミニバスに乗れたため、余裕で通過できました。「ほら、私と一緒だと大丈夫でしょ!」と友人は力強く言ってくれました。

◆日本からのお客様

2月のセルビアは、新学期の始まりです。日本の大学ではだいたい春休みに当たりますので、毎年、多くの日本人がベオグラード大学を訪れてくれます。

そういった方々から声をかけてもらったり、声をかけたりして、部活動や授業でワークショップなどをしてもらうのもとても大切なことです。なにせ、日本人が200名もいないセルビアにおいて、学生たちが日本人と触れ合って、日頃学んでいる日本語でコミュニケーションできる数少ない機会なのですから。

今年は、まず、例年通り、元々ベオグラード大学で日本語を教えていらっしゃった、私の先輩に当たる高橋亘先生が来てくださいました。まだ学期は始まる前だったのですが、多くの学生が亘先生の多読セミナーに出席してくれました。

やはり日本からのお客様効果は絶大で、日頃は読書の部活をサボりがちな学生たちもいそいそとやってきて、楽しそうに参加してくれました。いえ、亘先生の笑顔と指導方法が素晴らしいからこそなんですけどね。

高橋亘先生から多読の指導を受ける学生たち

ほかにもたくさんのワークショップが開かれました。

特に下旬以降は多く、兵庫県豊岡市からは、中貝尚子さんが日本語科の授業を訪問してくださり、豊岡市のこうのとりの復活プロジェクトのお話や、時節柄、ひな祭りについて紹介してくださいました。学生たちのためにたくさんのお土産を用意してくださっていたのですが、残念ながら飛行機のロストバゲージでその場でお土産を学生たちに渡せなかったものの、後の授業で学生に私から配ったところ、その心のこもったお土産に学生たちは大感激していました。中貝さんは大学では国語の教員免許を取得されたものの、実際に教壇に立てる機会はなかったそうで、今回、初めて日本語科の授業に立つことができ、いたく感動されていたお姿が、大変印象的でした。

中貝尚子さんからこうのとりやひな祭りの説明を受ける学生たち
中貝尚子さんからのお土産を手に喜ぶ学生たち

この後にも、早稲田大学から李在鎬教授が「良い文章とは」という特別授業をしてくださり、インタラクティブな面白い授業に学生たちは喜んでいました。まだほんの初級でしかない1年生までもが参加してくれ、「全然分からなかったけれども、これから分かるようになりたい!」と学習意欲を高めてくれていたのがなんとも嬉しかったです。

インタラクティブで面白かった李在鎬教授のワークショップ

さらに、JICAのシニアボランティアとして、セルビアで障害者福祉施設の支援活動をされている西中純子さんが障害者福祉に関するワークショップを開いてくださいました。実際に、障害者福祉施設で作られたクッキーを持ってきてくださり、お話の後、それを学生の皆でいただき、感想や提言を書くと共に、そのクッキーを作ってくれた現場の方々へのメッセージをセルビア語で書きました。後ほど西中さんから伺ったお話によりますと、学生たちからの心のこもったセルビア語のメッセージに一同感動されたとのことで、言語教育にたずさわる者として、私も心に深く感動を覚えました。

なお、この時には早稲田大学から広報の方も授業を取材に来られていましたが、ベオグラード大学へのインターンシップが一番人気があると伺い、驚くと共に、大変喜ばしい気持ちになりました。

西中純子さんのワークショップとメッセージ作りにいそしむ学生たち

まだまだワークショップは続きます。日本から私費で今回私の授業へインターンシップに来てくれていた神庭直子さん(インターネットの日本語学校の設立者で日本語教師でもあります)が、二日間にわたって着物のワークショップを開催してくれました。好奇心豊かな学生たちは、じぃっと着付けを見守っていました。そして、最後は撮影会です。本当に楽しそうな学生たちの姿を見るにつけ、私の心も踊ります。

着物を楽しむ学生たち

そして、最後にご紹介したいのは、年に必ず一度は来てくれる慶應大学のスタディーツアーの皆さんです。昨年は2回訪れてくれ、今年は初めての訪問です。今回のスタディーツアーのメンバーは全て新しい顔に変わっていましたが、毎度毎度のこと、セルビアの学生たちも旧知の友に会うかのごとく、楽しく交流を深めていました。なによりも、自分たちと同世代の学生たちと、日頃苦労して習得に励んでいる言語で実際に語り合えることほど素晴らしいことはありません。

慶應大学のスタディーツアーのメンバーたちとの楽しい交流会

実際には2月はほかにもたくさんのイベントが盛りだくさんでした。部活動も盛んに開催していましたし、私自身はブダペストで伊東祐郎先生との再会を果たせ、また、多くの方々と知り合い、語り合うことができました。

そのような中、私事ではありますが、実は、新学期が始まってすぐ、私の母が事実上亡くなりました。すでに16年もの介護生活の末のことでしたし、セルビアに来るときに母とは今回のような事態を想定して話し合いをしていました。そのとき母が私に伝えたのは、どんなことがあっても学生を最優先にして日本へは帰ってこなくていいから、ということでした。その一言を胸に大切に抱えながら、これらの美しく楽しい日々を私はセルビアで学生たちと過ごすことができました。学生たちにも正直に伝えました。2月の日々も毎日寝る暇もないほど忙しく、母の意思強固な遺言を直接預かった身として、私はセルビアから毎日日本まで母の尊厳死のための手続き(法的に許されるぎりぎりの手続き)を姉と進めていました。そんな気も狂わんばかりの日々を、これほどまで彩り豊かな人生の想い出に変えてくれた学生の皆さんや、関係者の皆様に、この場を借りて心より感謝申し上げたいと思います。

1月 活動日誌

2020年1月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

今年の冬は相変わらず暖かいままで過ぎています。これはもう、私が認定している超晴れ女の留学生が帰国する2月以降にしかどか雪は降らない!との予言に向かっているとしか言いようがないでしょう。そんな例年よりは暖かな1月ですが、次第に新型コロナウイルスの噂がセルビアでも広がってきました。月末頃になると、バスなどに乗ると、小学生や中学生くらいの男の子たちにコロナの歌を合唱される始末。幼少期から比較的外国人の多い中で育ってきたために、普段、自分がアジア人に見えることなど意識もしていないだけに、なかなかこれはショックです。早く改善に向かってほしいところですが……。

◆私の愛するセルビア料理たち

みなさんは、外国旅行をするときなど、その土地の料理を楽しみにするタイプでしょうか? それとも、スーツケースに醤油や味噌、お漬物などをごっそりと入れて持って行っては、日本の味が恋しくなったときに食べるタイプでしょうか?

私は実は、全くの前者なのです。

私が育った1970年代というのは、まだまだ海外旅行は非常に珍しいものでした。その中で世界中を旅行したことのあった当時の私の父は、日曜日の朝に放映されていた「兼高かおる世界の旅」の大ファンで、私も日曜日の朝、起きると必ずまずこの番組を一緒に見ていたものでした。

そして、父から「世界中どこへ行っても生きていけるようになるには、その場所のものを何でも美味しく食べられるようになることだ!」と教えられ、実践させられました。それこそ、「虫を食べる所に行ったら虫を食べよ。」の世界です。

そのおかげで、私はほとんど全くといってよいほど好き嫌いがありません。若干の苦手なものとかはあります。例えば、そんなにたくさんはお酒は飲めないとかその程度なのですが、かと言って、今まで飲めなかったお酒はありません。セルビアのラキアを存分に楽しめる所以です。

さて、セルビアのベオグラード大学の食事のシステムはちょっと面白いということをご存知でしょうか。学生や先生に知り合いがいれば、食べに行けますので、お勧めします。なお、旅行者として寮に宿泊した場合も、100円ほどのチケットを買って食べられます。寮生なら70円ほどで一食食べられます。

まず、寮が10ヶ所ほども分散して存在していて、それぞれの食堂のメニューや味に差があって、それを楽しみに寮の食堂巡りをするのが楽しいということがあるでしょう。メニューの取り方のルールも微妙に異なっていて、最初は戸惑うかもしれませんが、だんだんとその違いを楽しめるようになっていきます。自分のお気に入りの寮の食堂も見つかることでしょう。たいていは、自分の住んでいる寮の味に一番慣れてしまうものですが、その寮でしか滅多にお目にかかれないメニューもありますので、食べ歩きはなかなか楽しいものです。寮のほかには、大学の近くにも大学生専用の食堂があります。食堂のことはメンザと言いますので、メンザはどこですかと聞いてください。メンザだけ独立してビルの中に入っていたりするので、初心者が見つけ出すのは至難の業でしょう。やはり学生などと一緒に行って食べてください。

私は、セルビアに来てからは、本当にセルビアの料理ばかり食べています。ほんのたまに、出されて日本料理を口にすることもありますが、日本料理屋には一度も行ったことがありません。それほどまでにセルビアの料理が口に合ってしまっているのです。

セルビアの食材はなんと言っても、新鮮で自然です。それは傷みやすさにも直結しますが、それは、そもそも食材として当たり前のことでしかありません。痛まないような、なんらかの添加剤などは入っていないのが当たり前なのですから。

ある二人の日本人からこんな話を聞きました。一人は、豚肉アレルギーで、もう一人は牛肉アレルギーだったそうです。しかし、セルビアで食べるとなぜかアレルギーが出ないのだそうです。肉のアレルギーではなくて、別のものに反応したアレルギーだったのでしょうね。それほど、ピュアな食材が手に入る国なのですから、それを使った料理が美味しくないはずがありません。セルビアで培われた料理を存分に楽しみましょう。

とは言え、純粋なセルビア料理ということになると、意外と少ないものです。それはそのはず。様々な地域との交流の(と言えば、聞こえは良いが、占領されたりした)末、様々な地域の料理を取り込んで発展してきたセルビア料理です。周りの国の人たちがセルビアに来ると、自分の国の料理があることに必ず気が付くことでしょう。言わば、いろんな国の料理のいいとこ取りをして成り立っているのがセルビア料理だとも言えます。

そんな感じで私はセルビア料理を楽しんでいるのですが、多くの日本人はどうしても日本食病と私が呼ぶ病気にかかってしまいます。最初は確かにセルビア料理を楽しめるのですが、しばらくすると、やはり日本の料理が恋しくなってしまう。パンよりもご飯がいい。ご飯も日本のようなもっちりとしたご飯がいい……。セルビアではお米は野菜として、毎日のように食卓に並びますので、ご飯自体は頻繁に食べられるのですが、日本のとは全く種類が違うため、どうしても日本人の口には合いづらいようです。その中で人気なのはマケドニア米。日本のお米の食感に近いそうです。食べさせてもらったこともありますが、私の感想としては、ここまでして、そこまで似ているとも思えないご飯をわざわざ食べるほど私は日本食には飢えていないな、というものでした。せっかくのご馳走を振る舞ってくださった方々、ごめんなさい!

私が、セルビアではセルビア料理しか食べないということをセルビア人に話すと、必ず驚かれると同時に、決まって同じ質問をされます。

「で、みのはどのセルビア料理が一番好き?」

うーん、この質問に答えるのはかなり難しいのですね。どれもこれもが好きなものですから。そこで、私はいつもこのように答えます。

「あえて言えば、パンと牛乳が一番ですね!」

この答えを聞いたセルビア人はわが意を得たりという顔をして満足してくれます。

日本人が同じような質問を外国人に対してしたときに、「やっぱり、ご飯とおみそ汁ですね!」と答えてもらえるのと同じようなものなのでしょう。

私もお世辞でこのような答えを言っているわけではありません。本当に、セルビアのパンと牛乳は美味しい! 特に冬の朝食で出てくる温められた牛乳のなんと美味しいことか! パンを食べるたびに目の前に広がる広大な麦畑の光景。私にとって、基本的な食べ物がこれほど美味しい国はそうそうありません。セルビアのパンと牛乳だけでも私は生きていけます。

そんな私は、日本に住んでいるときは、いつも納豆卵かけご飯を毎朝食べていました。それが私にとっては、日本にいるときの朝の一番のご馳走なのです。

私の住む寮のお昼ご飯の一例。赤いのは豪快に盛られたアイヴァル!

12月 活動日誌

2019年12月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

今年の冬は変わっています。いつもなら11月中旬頃より雪が降り積もるというのに、全然雪が積もらないのです。少しだけ降るには降っても積もりません。ちょっとびっくりするくらいの暖冬ですが、ヨーロッパ全域、話によると、日本もそうだと言うことです。とは言え、カナダ在住の方からはものすごい寒さだとお話を聞きました。地球の温度は結局はどこかでバランスがとれているということなのでしょう。

◆試験という評価の難しさ

今回は、試験というものについて考えてみたいと思います。

試験というのは、つまり、評価です。評価につながらない試験もありますが、学生にとっては、自分の一生の成績に残る試験というものほど神経を尖らせることはありません。

私が昔出た大学は一風変わっていました。ちなみに東京外国語大学ではありません。1年生の時の法学の民法の授業など凄かったですね。1年間、民法を学んできて、問題は、たったの一行。「杓子定規について論じなさい。」一瞬、泡を吹きましたが、一息ついて考え直せば、素晴らしい問題であることに気がつきました。それが私の受けてきた大学教育でした。

さて、ベオグラード大学では少し試験のおもむきは異なります。年に2回の中間試験(コロキウム)に加えて、学期末試験が6回行われます。昨年度は学生の強行突破的なごり押しによってさらに1回追加で行われました。実は日本語科の試験は相対的にやさしいので、そんなごり押しをされることはないのですが、ほかの言語の試験は超難しい。日本語の試験に受かってもセルビア語の文法の試験で落ちるなどということはよくあることです。6回の試験を経てもまだ受からなかった学生たち数百名が徒党を組んで7回目の試験を迫ったそうですから、ちょっと日本では考えられない光景です。でも、ここはセルビアです。それが普通なのです。

そんな昨年度の7回目の試験を経験して、それでもまだなんとなく対岸の火事のような感じで眺めていたのですが、ついに我が身も燃え出すときがやってきてしまいました。

それは12月のコロキウムで起きました。

実は今年度は教科書が一新されると共に、まだ古い学生(要は落第中の学生)にも考慮しながら試験を作らなければならない難しい時期に当たります。基本的には習ったことしか復習してこないのですから、それ以外の問題には対応できないのです。

教科書が異なってしまっているというのは問題を作る側にとってはとても頭の痛いことです。新しい教科書だけから出せば、古い学生は解けないし、古い教科書だけから出せば、新しい教科書の存在意義が薄れてしまう。

私は漢字の読み書きの問題計10問を学年を落として出すことにしました。つまり、一つ前の学年の復習になるような問題を出したのです。

ある意味、こちらとしては、サービス問題のつもりでしたが、結果は全くの裏目に出てしまいました。

もちろん、上位の学生たちはいつもながらにできます。素晴らしい点数をたたき出してくれました。問題は、中位以下の学生たちでした。前の学年で習った「台風」すらもう書けないのです。「大風」と書いた学生が多数いましたが、そういう言葉も辞書にはあるので、丸にはしましたが、さすがにショックを受けました。日本と台風は切っても切れないような関係。それをもう書けないなんて……。いったい何年日本語を君たちはやっているというのか……。

ほかにも同じ調子で、全然ダメでした。やはり教科書に載っていたものしか分からない。その漢字のリストが出回っているので、それしか勉強してこない学生が非常に多かった。あとで、そのリストを密かに見せてもらったのですが、難しそうな漢字ばかり並べてあって、私がそこを外してやさしく出したものはリストには載っていませんでした。

普通ならここで終わりですが、ここはセルビアです。激しい交渉の国です。

特に卒業のかかった4年生が徒党を組んで、ほかの先生たちに私の暴挙を訴えました。

「甘利先生の試験問題の出し方はセルビア流ではない!」

それが理由です。

つまり、セルビア流というのは、ある程度、答えなどは前ばらししておくか、決まったところしか出さないようにしておいて、そのリストを覚えておけば点が楽に取れるというのが、彼らの主張でした。

私といえば、「試験範囲よりもレベルを落とした漢字を出しているんだから、解けないと日本語を勉強している意味がないと思いませんか!!!???」と押し問答を始めました。

「ここは私たちの大学です。先生はセルビア流でやるべきです!!!」

というのが学生の主張。

私の学業に対する考え方、語学に対する取り組み方をとうとうと語った結果、一人の学生を除いて納得はしてくれましたが、一人は絶対に納得しませんでした。

そして、私は学生に約束させました。特に、納得しなかった一人の学生に。

「じゃあ、次の学期末試験は、あなたたちの流儀の通りに出します。それならば、あなたたちは満点を取れると主張しましたよね。必ずその言葉を守ってください。」

結果としては、漢字が全部できた学生はほとんどいませんでした。できる学生は、どんな問題でもいつもできる学生。リストからしか出なければ満点を取れると主張していた学生もせいぜい6割の出来。それでも満足げな顔をしていました。無事に次の学期に進級も出来ましたしね。

これが私の愛すべきセルビア流なのです。どこをどう愛すべきなのかと思われるかもしれませんが、この無茶とも言える激しい交渉。それはそれで私はとても面白いと思っているのです。

あるとき、ある学生が教えてくれました。「先生、セルビアでは議論したり言い争っているときに、先に黙ったほうが負けなんですよ。」

なるほど、私は「はいはい。」とすぐに黙ることは決してありません。

必ず、相手が飽き飽きするほど自分なりの考えを説明し、説得し続けます。

セルビア人にとっても、そういう相手のほうが面白いのかもしれませんね。

大学の周りにたくさん出るクリスマスの屋台。ここでも交渉が買い物の華。

11月 活動日誌

2019年11月30日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

11月に入りました。JLTPがあと1ケ月もない12月1日に迫ってきます。昨年度から国費留学の大学推薦枠を増やしていただけるようになったこともあり、その応募条件であるN2を目指す学生が目に見えて増えてきました。カルロブツイ高校(言語専門高校)に日本語コースが開設されたこともあり、高校生たちの受験者数も増えています。昨年度は応募者4名だったN1にも10名もの受験者が集まりました。皆、真剣です。そして、11月からはコロキウムと言われる、いわば中間試験のようなものが各科目ごとに五月雨式に行われます。学生たちは平均して10科目、多いともっとたくさんの科目を履修していますから、11月から、コロキウムに追われながらのJLPT対策となります。そこら辺のシビアさは、日本の大学以上でしょう。

◆ベストを尽くすこと

私はベストからほど遠い人間です。生まれつき多くの障害を持っているため、なかなか人と同じようには何事もできません。

それでもその中で一つだけ肝に銘じていることがあります。それはベストを尽くすこと。

そして、後ろに回せるものは回してしまうこと、です。

11月と言う月は、本当に力の限りを尽くし果てた月でした。

多い週は、90分の授業を17コマ相当こなしました。もちろん、そのための準備が別途必要になります。1日も休むことはありませんでした。

通常の授業は6コマしかありませんから、11コマはプラスアルファの授業です。

やらなくてもいいのかもしれませんね。

現に、私しかやっていませんから。

セルビアには未だ学内抗争と学生運動の影響が残っています。

そんな中でも私が自由に活動できるのには理由があります。

東京外国語大学からGlobal Japan Officeのコーディネーターとして雇われているからです。コーディネートするわけですから、いかなる障壁も突破するしかありません。そして、それに表立って異を唱える者もいません。大変にありがたくもあり、極めて厳しい前線に立たなければならない役職でもあります。

とは言え、学生にとってはそういう先生が一人いることは良いことだと思います。

「甘利先生は日本人じゃないみたいですね。」と言われたことがあります。

びっくりして「どうして?」と聞き返しました。

すると、「だって、甘利先生は自由なんですもの!」

自由、ですか……。実は、自由ほど苦しいものはありません。自由に動いているように見えるその陰では、もがいているのです。

それでも、そうか、セルビア人からは私は自由に見えるのか、そんなにほかの日本人はセルビア人からは不自由に見えるのか、としばし感慨にふけりました。褒め言葉なのかは分かりませんが、楽天的な私は賛辞として受け取ることにしました。

さて、12月1日の前日の土曜日まで、日頃のプライベートレッスンや部活動に加えて、JLPT対策の授業を行いました。結局、JLPT対策は、自由な私一人で全て行いました。

受験する全ての学生が参加したわけではないものの、のべ60名ほどの学生が参加してくれました。その多くがN1を含めて合格してくれたことほど、11月の炎の1ヶ月間を喜びに変えてくれたものはありません。

そして、11月のベオグラードは次第に美しいクリスマスイルミネーションで輝いていきました。

時を忘れる書道の部活動

10月 活動日誌

2019年10月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

まだまだ夏の熱気を引きずるような10月、今年は例年よりも前倒しで学期の授業が始まりました。東京オリンピックにあわせて学生のためのスポーツの大会を国を挙げて開くためだそうです。東京外国語大学からは新しい日本語の先生が来てくれました。私と同期で大学院に入学したということもあり、色々と話が通じやすい点も多く、ありがたい限りです。

◆語学の教育というもの

のっけから不平を述べます。ベオグラード大学の日本語科は異常です。

何が異常かといえば、その人気がまず第一に異常。言語専門高校の今年の日本語コースの入学試験の競争倍率(約4倍)を見てもそうですが、日本語が人気がありすぎます。

それは、実はとても素晴らしいことですよね。私もそう思います。日本国籍を持つものとして、誇らしく思います。

しかし同時に、私は非常に学生に対して申し訳なく思うのです。

例えば、スペイン語科。定員は60名です。これは日本語科も本来、同じです。ただし、なぜか近年、60名を超えてしまうことが多く、昨年などは80名超えでした。

それはいいのです。しかし、問題はその後。歴史のあるスペイン語科は60名を3クラスに分けます。1クラス20名です。語学のクラスとしてはそれでもまだちょっと多いくらいでしょうか。それでも、適正な範囲内でしょう。

それでは、日本語科は? 1クラスです。ちなみに、教室は定員36名。昨年はそこに80名以上がすし詰めだったのです、最初は。落第生も授業に来ますから、名簿の上では各学年、平均して100名前後ほどの学生がいます。

36名のクラスに60名や80名は可能でしょうか?

結論だけ言えば、可能です。学生たちは、教室の壁沿いに椅子を並べ、それでも座れない場合は、床に直接座ったり立ったまま授業を受けてくれます。感動ものです。そして、これほど申し訳のないことはありません。

さらに、学生はみな同じレベルではありません。すでに言語専門高校で4年間勉強してきてJLPTのN2を持っている学生もいます。全くのゼロ初級者もいます。自分で相当のレベルまで学んできている学生も当然います。

それをごっちゃにして教える。

まぁ、不可能ではありません。できないことはないです。

私が大学生の時の語学のクラスは60名でしたから。文法訳読法ならできるでしょう。しませんけどね。

とにかくこの状況はもったいない。ここはラテン語を覚えるクラスではないのです。生きた日本人から、生きた日本語を学びたくて集まっているクラスなのです。

ええ、私もあらゆる手を尽くしてみました。私は保育園の先生をしていましたが、3歳児一人は大学生40人くらいに相当することもわかりました。80名だったら3歳児2名。クラスを把握することくらいなら、なんてことはありません。

でもね、ここは保育園じゃないんです。もっともっと高度なことを学びたくて皆来ているのです。しかも、国の最高学府であり、その中の一番人気の日本語科なのです。

だから、私はベストを尽くしたい。

ベストを尽くせば、当然、力も果てる。絶対的に先生の数も教室もなにもかもが足りないのですから。そもそも本物の教科書さえ買うことができないのです。

それでも私は学生を最優先にします。

だから、ごめんなさいね。このブログは一番後回しなのです。

お許しください。そうじゃないと、毎年10名もの留学生を日本に送り込めないんです。

そして、知ってください。こんなに日本を愛してくれている学生たちがいることを。

私はたくさんの学生を失望させていることも知っています。どんなにがんばっても、私の手には負い切れないから……。どんなにプライベート授業を用意しても、部活を増やしても、とても全員に十分なケアをしてあげられない。希望を失わないように励ますのがやっとです。

この優秀な学生たちを、もっともっと良い環境で、いえ、普通の環境で育ててあげれば、彼らほど祖国の力、ひいては日本の力にもなってくれる者はいないでしょう。

本当に素晴らしい学生たちばかりなのです。

私の常に抱えるジレンマをご理解下さい。

それでもわたしは学生を第一優先にし続けます。

一番愛してくれる者に、一番の愛を返したいのです。

だれがなんと言おうとも、残された短い人生を賭けて私はあがき続けるのです。

日本語科の新入生たち

9月 活動日誌

2019年9月30日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

9月の残暑の中、今年は例年の2回に加え、学部生たちからの強行突破的な「希望」により、文学部全てでさらにもう1回、期末試験が行われることになりましたので、名実ともに、残暑さめやらぬ、熱い9月となりました。また、期末試験とは別に、9月の頭から始まったJLPTの12月の試験の申し込み数は、大きく数を伸ばし、今後とも受験者数の伸びが期待されます。それと共に、準備をいかに効率良く行っていけるかが課題となってきています。セルビアにいると、日本語を学びたいという人々の熱気を感じることがあります。また、いつか日本を旅行してみたいという人たちにもよく会います。そういった人々の気持ちを大切にしていきたいものです。

◆日本への留学生をいかにサポートしていくか

9月というのは、ちょうど日本へ留学生たちが旅立って行く月に当たります。今年は、東京外国語大学を初めとし、約6の大学へと旅立っていきました。

その中で、大学の寮が空いていなかったため、自分たちでアパートを見つけなければならなくなった東京外国語大学への留学生二人がいました。

8月のある日、わたしのスマホへ、メッセージが届きました。

「先生、助けてください!」

それは、9月末から東京外国語大学へ国費留学することが決まっている学生からのメッセージでした。今年は大学の寮が空いておらず、アパートを見つけて契約をしなければならなくなったのです。

今はインターネットの時代。セルビアだってインターネットは使えるのだから、昔に比べたら簡単に物件は探せるだろうし、困ったときは留学生課からのサポートも得られるから簡単そうに思えるかもしれません。ところが実際には、セルビアという国はまだまだ国際的にはとても厳しい状況にあるがゆえに、現実には難しい問題に直面してしまうのです。

まずなによりも大変なのがお金です。留学生が言うには、「敷金」「礼金」「契約費」「前払い家賃」で一気に約20万円を超える一時金も必要となってしまう、という訴えでした。確かに日本人にとってもあまり楽ではない金額ですが、セルビア人にとって、それはどのくらいのインパクトがあるのでしょうか? 平均給与から考えてみましょう。セルビアでの平均月収は約4万円です。つまり、年収にしても約48万円。日本の約10分の1です。国費留学生の場合、確かに日本という国から留学費用は出ます。しかし、実際にお金をいただけるのは、日本に行ってしばらくしてからであり、アパートを借りる場合は、一時自己負担でなんとかしなければなりません。その他の生活当初の諸経費を考えるとかなりの出費が必要となってしまいます。

今回は、幸い、二人とも、親御さんがこういうときのためにお金を貯めておいてくれていました。しかし、セルビア人にとっては非常に高額なお金なのは確かです。

次に、セルビアから果たして日本の不動産会社を通じて、渡日前にちゃんと物件を抑えて契約ができるのか、という問題がありました。実はセルビアはヨーロッパにはありますが、郵便や通信、金融などのサービス等々、全てにおいて、原本主義の日本の契約慣例にセルビアから合わせることは思いの外、大変なことなのです。日本における不動産契約というのは外国人にとっては難しい手続きなのです。

これらを今回はGJOでサポートしていくことにしました。

二人の留学生の希望としては、大学の近くがいい、費用は寮に住んだときと同じくらいがいい、シェアハウスは嫌だ、というだいたい3点に絞られました。そして、その3点を満たしていたのが、わたしが住んでいたアパートだったのです。

それで、わたしは二人の学生に聞きました。

「わたしが住んでいたアパートなら紹介できるけど、そこはとても古いよ。大丈夫?」と。
そうしたら、二人が言うには、「先生が住んでいたところなんですから、どんなに古くても、わたしたちは絶対大丈夫です!」と。

そう言ってもらえて、とても嬉しかったです。

その上、わたしが住んでいたときにはなかった冷蔵庫やガスレンジまで大家さんの計らいで2部屋ともそろえてくださいました。

日本に着いてからほんの数日間、ホテルを借りて不動産を探すなどということですらセルビア人には金銭的にとてもきついことです。着いた日に、自分の寝床がちゃんと確保されていることほど、安心できることはありません。

このように、ちょうどうまく連携がいき、留学生たちは不安を感じることなく日本へ旅立つことができたのですが、温かな大家さんの気心、真摯に接してくださった不動産会社、そして、かなりの時間と身をもってボランティアに徹して支えてくれたわたしの姉がいなけば、実現が難しいことでした。

今後、留学者数の増加により、東京外国語大学に限らず、受入大学で寮に入れない可能性があります。それでも、セルビアから安心して留学にのぞめるよう、日本の大学と協力してセルビアの学生の支援を続けていきたいと思います。

姉(右)と留学生の一人

8月 活動日誌

2019年8月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

8月のベオグラードは暑いとは言え、現地の人たちによると例年ほどは暑くはなかったそうです。それにしても、湿度は低いとは言え、日本人にとっては結構暑く感じてしまいました。特に、大学の寮の部屋には冷房はないため、扇風機頼りの夏でした。それでもたくさんのアウトドアスポーツ(例えば、登山やカヤック)を楽しむことができ、ずいぶんと健康的に日焼けすることができました。夏のセルビアは日本に帰るにはもったいないほど素晴らしい季節だと思いました。ずっとセルビアにいたおかげで、日本からのお客様をたくさんお迎えすることができ、わたしにとっても、学生たちにとっても、大変充実した夏休みになりました。

◆夏に輝く学生たち

7月はほとんどイベントがなかったのですが、本格的に8月に入ると、ベオグラード大学へ海外からのお客様が多数訪問してきてくれるようになりました。

まず、例年訪れてきてくれている、学習院女子大学の学生さんたち。中島先生に率いられて、今年でなんと9回目のベオグラード大学への訪問となります。そして、毎回、ベオグラード大学の日本語科の学生たちとの交流会を開くのですが、今年はご連絡いただいたのが直前だったため、どの程度学生が集まるだろうかと危惧したのですが、学習院女子大学の学生11人に対してベオグラード大学の学生は30人近くも集まってくれました。日本語科以外の日本語に堪能な学生も集まってくれたのも嬉しかったです。

一行はカレメグダン要塞を巡り、それからマーケットに寄ったりしながら、大学付近のベオグラード市内の観光をし、交流会のために用意しておいたお店に集い、文字通り、真夜中過ぎまで交流を暖めました。

その次に訪れてきてくれたのが、慶應大学のサークルによるスタディーツアーで、2月に続いての2回目でした。2月にベオグラードを訪問してくれた2年生の先輩が、1年生の後輩たちを引き連れてベオグラードにまたやってきてくれました。慶應大学からの訪問については、特別に公式な行事は用意しなかったのですが、それでもやはり多くのベオグラード大学生たちとの交流を十分に持つことができました。

このように、同じ大学生たちがベオグラードを訪れてきてくれることほど、ベオグラード大学で日本語を学んでいる学生にとって嬉しいことはありません。なにせ私たちにとっては日本はとても遠くて旅費もすごくかかってしまう国です。セルビアにいる在留法人数も公式にはたったの177人。しかもそのうち、大学生の世代の日本人はほんのわずかです。そのような状況の中で、これだけたくさんの日本からの大学生と和気あいあいと交流ができる機会というものほどありがたいものはありません。まさに学生たちの目が輝き、いつもよりもぺらぺらと日本語が口をついて出てくる時なのです。

さて、8月の終わりには今後は、非常に大きなイベントが行われました。これは滅多に行われないような大イベントです。その名は、AJE、ヨーロッパ日本語教師会によって開催された「第23回ヨーロッパ日本語教育シンポジウム ベオグラード大会」です。学生たちにとってこのような大規模な日本語の学会を経験するのは初めてのこと。何ヶ月も前から入念に準備を進め、例えば、パーティー会場へ向かうまでのツアーガイドのための文章も考えに考え、添削してもらって一生懸命暗記していたようです。学会会場では、会場への案内や休憩時間の飲み物やお菓子の提供など、一生懸命おもてなしの心を発揮していました。セルビア人のおもてなしの心は決して日本人には負けていません。それどころか、ずっとおもてなしの心が強いように私には思えるほどです。3日間にも及ぶ、朝早くから夜遅くまでの学会を無事に乗り切った学生たちは、とてもたくましく育ったように見えました。特に、多数の日本語話者の研究者と日本語で常に会話し続けたことにより、同世代の学生との気楽な会話とはまた違った日本語の力が伸びたように感じました。おかげさまで、参加者の皆様からはベオグラード大学日本語科の学生に対して過分なほどのお褒めのお言葉をたくさんいただくことができました。全ての参加者の皆様、お疲れさまでした。そして、ありがとうございました。

セルビアと日本の学生たちの交流、及び、学会での様子

7月 活動日誌

2019年7月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

とても暑い上にゲリラ豪雨に見舞われた6月が終わり7月に入ると、少し涼しくなりました。セルビア人によれば、例年よりも今年の夏は涼しいとのことで、確かに扇風機があれば十分快適に過ごしていけます。ただし、雷を伴うゲリラ豪雨は7月に入っても時々ありますので、傘は必ず持って出るようにしています。大学は7月の上旬に学期末試験があり、そのあとは本格的に長い夏休みに入りました。大学の校舎も閉じられてしまっています。わたしは夏の間もずっとセルビアにいて大学の寮で暮らしているのですが、学生が帰省してしまっているので、とても静かです。それに、セルビアの夏は、日本と違って蟬が鳴かないんですね。そこが日本の夏との最大の違いであることに気が付きました。ベオグラード周辺は自然が豊かなので、山登りに行ったり、ドナウ川でカヤックに乗ったりして、夏の生活を楽しんでいます。日本と同じなのは、蚊がいっぱいいることですね!

◆セルビアの公教育における日本語教育

今月は部活動などもお休みで、あまりイベントらしいイベントがありませんでしたし、試験の報告をしても面白くないでしょうから、セルビアの公教育における日本語教育について少しお話ししたいと思います。

現在、セルビアで最大の日本語教育機関は、何と言ってもベオグラード大学です。日本語を専攻する学生は4学年で約320名、副専攻とする学生も約110名います。セルビアという地で実に430名もの学生が日本に強い関心を持って日本語や日本の文化などを勉強しているというのは驚くべきことです。

ベオグラード大学の日本語専攻の学生には、これまで東京外国語大学で作られた「初級日本語」と「中級日本語」という教科書が使われてきました。とてもよくできた教科書なのですが、さすがにだんだんと古くなってきていることは否めません。学生もそれを知っているので、新しい教科書を欲していました。

そんな折、新しく「ともだち」という教科書が「初級日本語」の後継として作られました。まだできたての新品ほやほやです。わたしはセルビアに来る前にちょうどこの教科書について藤森弘子先生から直接学んでいましたので、今年に入ってからわたしの1年生、2年生のクラスで実験的に「ともだち」を使ってみました。結果、とても好評を博し、2019年10月からの新年度をもって「ともだち」が正式導入されることになりました。新しい教科書で学生はやる気を増し、教師にとっては使いやすくて教えやすいという嬉しい結果です。ただし、「初級日本語」が蓄積してきたような数々の副教材はまだまだこれからの開発途上ではあります。新しい教科書を使いながら、「ともだち」の環境をますます充実させていくお手伝いもできたらと願っています。

さて、大学の状況はこのような感じなのですが、高校について見てみましょう。前回の活動日誌でも少し紹介しましたが、セルビアには「言語専門高校」という特種な高校があります。現在、全国に2校あり、ベオグラードの言語専門高校とスレムスキのカルロヴツィ高校がそうです。カルロヴツィ高校は2018年の10月より日本語コースが新設されました。これらの高校では教科書は「みんなの日本語」を使っています。ベオグラード大学に来ている言語専門高校出身の学生の日本語能力は非常に高く、いつも感心させられます。

また、セルビアでは三菱商事と日本大使館、そしてベオグラード大学の協力により、日本語拡大プロジェクトがここ数年間行われてきました。最大で同時に17の高校などで日本語のクラスが開かれていました。それをきっかけにして日本語に目覚め、ベオグラード大学でも日本語を学び、日本への留学を決めた学生もすでに出てきており、大きな成功を収めたプロジェクトだと言えるでしょう。ベオグラード大学で日本語を学んで卒業した者たちの就職先としても大きな意味がありました。

ところが、すでにお伝えした通り、日本語拡大プロジェクトは一旦終了してしまいました。これでセルビアにおける日本語熱が冷めてしまうかもしれないと危惧していたのですが、どうやら、非常に嬉しいことに、今後、セルビアの高校では日本語が外国語の選択科目として学べるようになるようです。どの程度の数の高校で選択できるようになるのかなどはまだ分かりませんが、日本語が正式な選択科目になれば、そのインパクトは計り知れないでしょう。ベオグラード大学で日本語を学んで卒業しても、なかなか日本語を使う職がなかったという問題も解決されていくのではないでしょうか。

日本にいるとセルビアのことはなかなか分かりません。ですが、セルビアの学生達は目を輝かせて日本のことを見てくれています。日本に夢を持ってくれています。わたしたちの使命は、その夢を壊すことなく、さらに育んで叶えていくことを手伝っていくことだと思っています。遠い外国の地で母国の言語と文化を愛されていることを知ることほど幸せなことはないと、つくづく感じます。どうかこれからもセルビアへの支援の手をよろしくお願いいたします。

6月 活動日誌

2019年6月30日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

6月に入り、セルビアは急に猛暑の毎日です。連日30℃を超えるような暑さで、夕方になると雷を伴ったゲリラ豪雨となる日が多く、低地ではさながら洪水のようになってしまいます。ちょっと異常気象っぽい今年のセルビアです。さて、今年度の授業は5月末で終わり、6月からは学期末試験が始まりました。留学生は6月で留学が終了する学生が多いため、送別会なども開かれました。そして、大学の入学試験も6月に行われました。セルビアではいろいろと変わっていく季節が今の時期なのだな、と痛感します。街中では大規模な工事もたくさん行われており、秋になれば新しいベオグラードの街並みが現れてくるようです。7月に入れば本格的に始まる夏休みに向けて、猛暑の中でも人々は楽しそうにしています。

◆言語専門高校の語学祭

セルビアには、言語専門高校という特種な形態の高校があります。2019年現在、2校が存在します。1校は、古くから日本語コースを設置しているベオグラードの言語専門高校、そしてもう1校が、2018年10月から日本語コースも設置されるようになった、ノヴィ・サドの近くの町にあるスレムスキカルロヴツィ高校です。

ベオグラードの言語専門高校の日本語コースは1学年12名(セルビアの高校は4学年制)ですが、昔からベオグラード大学にたくさんの優秀な学生を送り込んできてくれています。現在もどの学年にも言語専門高校出身の優秀な学生が在籍しています。

そうした、ベオグラード大学ともとても縁の深い言語専門高校に、東京外国語大学からベオグラード大学にセルビア語の留学に来ている亀田真奈さんが、今年に入って何度も、日本語文化のプレゼンテーションや学生との交流のためにボランティアとして授業参加してくれてきました。

そういうご縁や、わたしと言語専門高校の先生方とのお付き合いもあって、言語専門高校の語学祭に招かれました。そこで、同じく外大からの留学生である船木佐紀野さんとも一緒に、6月22日(土)に語学祭へ参加してきました。

言語専門高校はちょうど年度末の授業も終わり、学生たちも解放された雰囲気で、カンカン照りの中、日本の文化を紹介したり、おにぎりやお好み焼きなどの食べ物やお茶を振る舞ったり、舞台の上で日本の歌を歌ったりと、生き生きとした姿を見せてくれました。

もちろん、会場では、日本語コース以外の学生たちも同じように活躍していました。言語専門高校には10ほどの言語コースがあるため、振る舞われる食べ物なども様々で、それぞれのブースを歩いて回るのはとても楽しく、そしてとても美味しい時間でした。東京外国語大学の外語祭を訪れたことのある人ならば、なんとなく雰囲気が似ていると思われることでしょう。

今年、日本語コースからステージに上がったのは1、2年生を中心とする学生たちでしたが、竹内まりやの「プラスチック・ラブ」を熱唱してくれました。少し前に言語専門高校から何名かがベオグラード大学の部活であるペラペラカフェに参加してくれたのですが、そのとき私が竹内まりやをよく聴きますよと話したところ、竹内まりやはよく知っています!と目を輝かせながら話してくれました。実は、語学祭での日本語コースの学生たちのパネル発表は、日本の1970年代、80年代の文化についての研究だったのですが、その一環として選んだのが竹内まりやの歌で、ちょうど練習していたというわけです。結構難しい歌だと思うのですが、リズム良く上手に歌いこなし、学生同士による投票で日本語コースの合唱は見事2位に輝いたのでした!

言語専門高校の語学祭の様子

5月 活動日誌

2019年5月31日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

5月に入り、例年なら毎日Tシャツでも十分なほど暑くなると聞いていたのですが、今年は涼しい日が多く、雨もよく降り、まるで日本の梅雨のような感じです。大学は、ベオグラードの旧市街の中心地にあるのですが、周りでは共和国広場を中心にして百数十年ぶりという改修工事が行われています。そのため、道路がかなり封鎖されていて、交通の便は悪くなってしまっています。毎日遠くのバス停まで往復4キロくらい歩いていますので、運動のためにはいいのですが、雨の日や荷物の多い日は少し辛いところです。そうは言っても、綺麗に生まれ変わるベオグラードの中心地には、今から期待が高まります。

◆日本からの民間外交

4月末から5月頭にかけての10日ほど、こちらではイースターとメーデーによる連休が続くのですが、その時期に、日本から嬉しい文化紹介のための一団がやって来てくれました。

一団の中心となって活躍してくれたのは、お好み焼きをセルビアに紹介してくれたよしだかおりさんと、三味線の演奏と歌を披露してくれた、三味線ソングライターのなつみゆずさんです。

今回のメインの会場は、ベオグラードからは80キロほど離れたノヴィ・サドというセルビア第二の都市で、5月3日、4日の両日に開催されたのですが、その前の4月29日にベオグラード大学でも同じようにお好み焼きの紹介と三味線と歌の披露をしてくれました。

イースター休暇中だったのですが、結構な数の学生が集まり、皆、初めてのお好み焼き作りの実演に見入り、何度もおかわりをしている学生もいました。また、やはり三味線を聞くのも見るのも初めての学生も多く、とても興味深い演奏会となりました。当日は、テレビ局の取材も入ったほどでした。

今回のイベントは、日本人による全くの民間外交です。セルビアが大好きなよしだかおりさんが、自ら企画し、実現してくれたイベントなのです。そのエネルギッシュな行動力にはただただ感動するばかりです。

ちなみに、5月3日、4日の、ノヴィ・サドでのイベントも大盛況で、2日間で600食以上のお好み焼きのオーダーがあったそうです。わたしも4日の日に初めてノヴィ・サドに行き、観光を楽しむと共に、お好み焼きをいただきに会場を訪れたのでした。ノヴィ・サドにはこんなに日本が大好きな人たちがたくさんいるのだと感動した一日でした。

◆広がるペラペラカフェの輪

ベオグラード大学では、部活動という名の下に、ペラペラカフェという会話の会や多読の会、書道の会などが開かれているのですが、現状、最も開催頻度が高いのは、ペラペラカフェです。

そして、そのペラペラカフェでは毎回、多彩なゲストに来てもらっているのですが、最近では、日本人のゲストのみならず、ペラペラカフェに参加してみたいというセルビア人のゲストも増えてきました。

例えば、語学学校で日本語を学んでいて、初めて日本人と話をするという学習者がいます。いつもはセルビア人の日本語教師から日本語を学んでいますが、ペラペラカフェに参加することで、初めて日本人と会話することができたそうです。さすがに最初はとても緊張しています。それでも、自分の分かる日本語で会話が成り立つことに気が付き始めると、次第に気持ちの上ではペラペラという感じになってくるのです。また、日本語を学んでいるセルビア人同士で、日本語で話すというのも面白い体験のようで、趣味の話などで盛り上がります。

他にも、参加が多くなってきているのが、大学からほど近い、言語専門高校の日本語科の高校生たちです。ベオグラード大学の日本語・日本文学専攻課程にはこの高校から進学してきた学生も結構いて、ペラペラカフェでは高校の卒業生である日本語専攻の大学生と話すこともできます。さすがに、言語専門高校の高校生は日本語はかなりでき、そんなに緊張はしていない様子なのですが、それでも、「いつもとは違う日本語をしゃべることができた!」と喜んでくれます。ベオグラード大学に進学して日本語をさらに学びたい、と目をキラキラさせて語ってくれる高校生たちの期待に沿えるように、良い授業をしていかなければ、と私などはかなり身の引き締まる思いがするのでした。

ペラペラカフェは、セルビアで勉強したり働いている日本人や、旅行で立ち寄った日本人など、誰にでもオープンに開かれています。面白そうだなと思われましたら、ぜひお声をかけていただければ幸いです。とても楽しいひとときを過ごせると思います。

ペラペラカフェの様子

4月 活動日誌

2019年4月30日
GJOコーディネーター 甘利 実乃

4月に入り、桜は次第に散っていきましたが、次から次へと春らしい花々が咲き乱れ、冬の白く美しい世界とはまた違って、カラフルで力がみなぎる世界が広がっていく日々が続いています。そして、4月後半からはイースターの準備が始まりました。正教会のイースターは1週間ほど日がずれるため、同じように日がずれるクリスマスやお正月と同様、お祭り気分が長く続くセルビアなのでした。

◆プライベートレッスンのご紹介

ベオグラード大学の4月は、日本とは違って新年度でも新学期でもなく、後半の学期のまっさかりですので、学生たちは猛烈に勉学にいそしんでいる時期に当たります。

そんな中、志の高い学生の声を受け、今年に入ってから始めているプライベートレッスンのほうも軌道に乗ってきました。

現状のベオグラード大学の日本語・日本文学専攻課程は学生数が急増しているため、一クラスの人数も多く、必ずしも語学教育の面では最良の環境とはなっていませんが、だからと言って、諦める必要はありません。

通常の授業ではカバーできないようなことをしていくために、これまでもご紹介してきましたように、部活動(会話・読書・書道)が行われていますし、それ以外にも日本からのゲストを迎えての特別な授業や文化の紹介イベントなどが随時行われてきました。

それに加えて、個別の学生のニーズに応えてのプライベートレッスンも行ってきているわけですが、教える側としても、それはなかなか面白いものとなっています。

今のところ、プライベートと言っても友だちなどの仲良しグループで参加してきてくれることが多く、通常は多くても4名程度までで和気あいあいと授業を行っています。

授業内容の希望としては、JLPT(日本語能力試験)のための具体的な対策が多いのですが、わたしから伝えてあるのは「なんでもO.K.」という基本方針なため、テーマを決めてのイレギュラーな授業も入ることがあります。

例えば、「敬語についての入門講座」の希望があれば、これから敬語を本格的に学んでいこうとしている学生と敬語だけみっちり学んだり、「先生、今日はとても天気がいいから、カレメグダン要塞を見学に行きましょう!」という要望があれば、大学近くの要塞まで一緒に小さな探検旅行をし、学生には日本語でガイドをしてもらいます。

学生も慣れてくると、いろいろと要望を出しやすくなるようで、思ってもみなかったようなリクエストをもらうことは、教える側としてもサプライズ的な楽しみになってきています。これからもどんどん自由な発想でやりたいように希望を出していってくれることを期待しています。

わたしは、元気いっぱいの学生たちに囲まれて学ぶ日々をとても楽しんでいます。

プライベートレッスンの様子
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