平成27年度入学式が4/4に行われました

2015.04.08

4月4日(土)、平成27年度言語文化学部、国際社会学部ならびに大学院総合国際学研究科、留学生日本語教育センターの入学式が、本学アゴラ・グローバルのプロメテウス・ホールにおいて行われました。
入学式では、混声合唱団「コール・ソレイユ」による大学歌合唱の後、第一部では言語文化学部、留学生日本語教育センター学部進学留学生、研究留学生入学生の入学が許可され、第二部では、国際社会学部、大学院総合国際学研究科博士課程(前後期)入学生の入学が許可されました。

 

2015年度入学式学長式辞

学長として東京外国語大学を代表して、皆さんのご入学を心よりお祝い申し上げます。
また、本日、研究講義棟101マルチメディアホール等にてこの式辞をお聞きいただいている保護者の皆様にも心よりお祝い申し上げます。
本日ここに、言語文化学部403名の新入生(編入学者15名を含む)、国際社会学部418名の新入生(編入学者17名を含む)、大学院総合国際学研究科博士前期課程、後期課程151名の新入生、また留学生日本語教育センター63名の新入生をお迎えしております。希望に満ち溢れる皆さんを前にして、身も心も引き締まる思いです。
さて、皆さんの新しい学び舎となる東京外国語大学は、1857年に開校された蕃書調所にその起源をさかのぼることができます。そして1873年に、英独仏魯清の5学科からなる東京外國語学校が設置されましたが、この年は本学の「建学の年」とされています。その後、紆余曲折を経て、1897年、当時の高等商業学校の付属外国語学校として創立され、1899年、東京外国語学校として独立します。その後さらに本学は、1949年の新制大学の発足とともに、東京外国語大学として新たなスタートを切ることになります。当時は、12学科からなる外国語学部でしたが、2012年からは、外国語学部が改編されて、言語文化学部と国際社会学部の二学部体制となりました。
いまや本学は、言語研究(Language Studies)と地域研究(AreaStudies)を二つの柱として卓越した人文社会科学教育研究拠点をめざし、地球全域に及ぶ14地域27言語をそろえた教育体制をもち、21世紀グローバル社会の諸課題に応えるために「外国研究foreign studies」にいそしんでいます。ちなみに、昨年9月には文部科学省「スーパーグローバル大学創成支援」事業に本学の構想が「グローバル化牽引型」として採択され、今後10年間、「世界から日本へ、日本から世界へ―人と知の循環を支えるネットワーク中核大学」の実現に向けての取り組みをおこなっていきます。
皆さんが入学された言語文化学部は、世界のさまざまな地域の言語や文化の学習に重点をおいています。そして日本を含む世界の言葉や文化に精通し、国内外において異なる言語や文化の間の架け橋となり、新たな価値観の創生に寄与する、そうした国際教養人の養成をめざしています。皆さんが、留学を含め、充実した大学生活を送るなか、世界教養(Liberal Arts)と専門知識をしっかりと身につけて、やがて地球市民として世界で活躍されることを心より期待しています。
また、国際社会学部は、世界のさまざまな地域の言語や社会・政治・経済の学習に重点をおいています。そして世界諸地域の複雑な仕組みを把握・分析するリサーチ能力と、グローバルな視点から問題を解決する実践的能力を備えた国際職業人の養成をめざしています。
人文科学と社会科学の両分野をカヴァーする大学院総合国際学研究科は、高度な言語運用能力と学際的応用力を備え、地球社会と世界諸地域の言語・文学・文化、政治・経済・社会を対象とする専門的かつ総合的な研究を深めるとともに、それらの知見をもって活躍する高度国際教養人・職業人の育成をめざしています。
ところで、今年は第二次大戦後70周年ということで、先の戦争の辛い経験や体験を風化させることが無いように、さまざまな努力がおこなわれています。そこで、本学の前身である東京外国語学校と第二次大戦とのかかわりについて、少しお話をさせていただきます。
日中戦争が深刻化するなか、1941年10月には学生の修業期間が短縮されました。そして41年12月に大戦に突入し、43年には文科系学生の徴兵猶予も停止されます。そして同年12月から学徒出陣が始まり、41年度から43年度の東京外国語学校入学者のじつに八割以上が出陣学徒となり、多くの学生が戦地で命を落としました。また44年4月には、語学力を即実践的に活かすという時代的要請のなかで、東京外国語学校は修業年限3年の東京外事専門学校として改変されるにいたります。
学徒出陣で多くの若者が亡くなりましたが、その一人、瀬田万之助さんが死の二日前に郷里の両親にあてた手紙が、戦没学徒の遺書を集めた遺稿集『きけ わだつみの声』に収められています。その一部をご紹介しましょう。
≪マニラ湾の夕焼けは見事なものです。こうしてぼんやりと黄昏時の海を眺めていますと、どうしてわれわれは憎しみ合い、矛を交えなくてはならないかと、そぞろ懐疑的になります。避け得られぬ宿命であったにせよ、もっとほかに、打開の道はなかったものかと、くれぐれも考えさせられます。
あたら青春を、われわれはなぜこのようなみじめな思いをして暮らさなければならないのでしょうか。若い有為の人びとが次々と戦死していくことはたまらないことです。
中村屋の羊羹を食べたいと今ふっと思い出しました。≫
瀬田万之助さんは、1941年4月に東京外国語学校支那語貿易科に入学し、43年9月繰り上げで卒業し、同年12月に入営して、45年3月7日、フィリピンのルソン島クラーク付近で戦死しました。享年21歳でした。
そして戦後を迎えたわけですが、先に述べましたように、1949年の新学制施行に伴って東京外事専門学校は4年制の東京外国語大学へと移行することになりました。このとき、1873年に由来する東京外国語という伝統ある校名を復活しましたが、同時に英語名称を《Tokyo University of Foreign Studies》として、語学を基盤としながらもそれにとどまらない「外国研究foreign studies」の大学として新たなスタートを切ったのです。
本学の学則は、「外国の言語とそれを基底とする文化一般につき、理論と実際にわたり研究教授し、国際的な活動をするために必要な高い教養を与え、言語を通して外国に関する理解を深めることを目的とする」と謳っています。言葉と文化を切り離してはならないという学問的態度、そして「憎しみ合い」は「相互の風習と生活を知らないこと」に起因するという戦争に対する苦い思いと強い反省が、ここには盛り込まれているのです。
21世紀のグローバル社会において皆さんは、卓越した言語運用能力とコミュニケーション力を身につけるように努力しなくてはなりません。しかし同時に、4年間の学生生活を通じて、地球社会のさまざまな人びとや異なる文化の共存・共生に寄与すべく、異文化を理解し尊重するという態度、つまりインターカルチュラル(Intercultural)な姿勢をしっかりと培っていただきたいと思います。
《留日の学生への英語メッセージ
最後になりますが、留学生日本語教育センターにご入学の皆さんにも一言述べさせていただきます。
Lastly, I would like to say congratulations to our new students here at Japanese Language Center for International Students.
JLC is a leading Japanese language educational institution established in 1970. It has been under the Joint Usage Center for Education, since 2012.
It is my most sincere wish that your Japanese language abilities blossom while here at JLC – a place in which ideas and culture are expressed in Japanese. May you take the language and culture learned here at JLC and move on to your own area of expertise.
Finally, I hope that in the future you may become a bridge between Japan and your own place, and I wish that all of you fill this part with great honor and dignity.
Thank you. 》
これをもちまして、私の式辞といたします。

2015年4月4日 国立大学法人東京外国語大学長 立石博高

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